二十四. ゆく末への抗い⑤






 そんな辛そうな、苦しげなとすら形容できる表情をされて。

 

 頷いて見せる以外に、どうしたら。

 

 

 「・・はい」

 

 冬乃は、藤堂へ返した時のように後ろめたさで視線を逸らしそうになりながら、

 

 「わかりました・・」

 懸命に、声を押し出した。

 

 本心からの返事でないことなど。だが当然に読んだ沖田が、微かに目を眇め。

 

 それはだけど、

 咎める様でも無く、

 

 「条件がある・・」

 只、想定していたかのように。

 

 「何か行動する際には、必ず、俺の傍であるのならば」

 

 それならばいい

 

 そう告げ足した沖田を。

 故に冬乃は、はっと見つめ返した。

 いま出された妥協の条件に、急いで首を縦に振って返して。勿論、今度は本心の侭に。

 

 「ありがとうございま・・」

 

 伸ばされた腕に次には引き寄せられ、

 冬乃は姿勢を崩して沖田の胸前へなだれこんだ。

 

 そのまま強く抱き締められた冬乃は、

 

 思いのほか長く続く抱擁の内でやがて、常の安息に深く包み込まれてゆき、

 

 実感して。

 ふたりきりの、この“一番安全な場所” へ、

 先程までの出来事から無事に戻ってこられたことを、今更のように。

 

 

 (総司さん)

 

 もう離さないと。

 

 言葉にされなくても伝わってくる程の力強い腕へ、冬乃は夢中で縋りついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの一件以来。

 沖田の行動に変化が起こった。

 

 

 冬乃は内心歓喜に満ちながら、一方で心配にもなってきていて。

 

 (あんなにお忙しいのに)

 

 日々の近藤の御供に、徹底巡察、隊士達への稽古付け、

 

 あいかわらず多忙なはずの沖田が、気づけば傍に居る時が明らかに増えたのである。

 

 (無理してらっしゃるんじゃ・・)

 

 あの夜冬乃が最初にしてしまった曖昧な返答のせいで、沖田からすれば冬乃がいつまた以前のような咄嗟の無茶をしまいか心配なのかもしれない。

 

 これまでならば、かろうじて残る僅かばかりの仕事以外の時間を、

 冬乃を最優先にしてくれつつも、自主稽古や時には男仲間で呑みに出たりと他にもしっかり割り当てていた彼が、

 今、全てにおいて冬乃だけに費やしているかの様子なのだから。

 

 過保護ぶりがさらに増したこの状況を、冬乃は迂闊に喜んではいけないと自粛しつつ、どうしても沖田と過ごせる時間が増えた嬉しさに頬が緩んでしまいながら。

 さすがに無理をさせてるのではと、同時に気にし始めてもいて。

 

 

 今も冬乃は畳を掃除しながら、そうして思わずふぅと溜息をついた。

 

 近藤と沖田が黒谷へ外出中だ。

 その間にと、冬乃は書類の残り仕事を終えてすぐ、近藤の部屋の掃除を始めていた。今に限った事ではないけども心は此処に在らずのままに。

 

 そのせいで冬乃は、背後で開け放った廊下を行き交う足音をも聞き過ごしていたのだろう、

 突然に、雑巾がけで四つん這いの尻を撫でられて、飛び上がった。

 

 「こんな恰好で」

 振り返れば沖田がいつのまにか立って冬乃を見下ろしていて。

 その後ろには、困ったような顔の近藤が居た。

 

 

 

 

 

 

 遠く、庭師たちがにやにやしながら仕事そっちのけで幹部棟のほうを眺めているのを、沖田は近藤と部屋への長い廊下を戻りながら見留めた。

 

 やってくる沖田達にやがて気がついた彼らは、気まずそうに仕事に戻っていったが、

 彼らの見ていた辺りが近藤の部屋であることへの違和感を感じつつ辿り着いてみれば、

 

 成程、例の四つん這いで動く冬乃の後ろ姿が、目に飛び込んできた。

 

 

 掃除の換気のために障子を開け放っているのは良いとして、かわらず此処の世の服での動き方に無頓着なのか、乱れるを気にもせず動き回っているせいで裾が大きくめくれ、白いふくらはぎを膝裏まで露わに、その動く尻とともに庭先へ曝していることを、

 当の本人は気がついてもない様子で。

 

 困った顔ごと目を逸らした近藤の横を通過し沖田は、張り付く着物に形をくっきりと成す冬乃の尻を、近藤の前だが敢えて構わずに撫で上げた。

 

 びっくりした冬乃が振り返って沖田を見上げてきて。

 

 「こんな恰好で、」

 沖田は仕方なく一つ苦笑を落とし、

 

 「いろいろ見えてるけど、分かってるの」

 分かってないだろう。

 と答えなど知りながら、促すべく困惑した表情の冬乃を見下ろせば。

 「え」

 案の定、冬乃はさらにびっくりした顔になった。

 

 だがまもなく気づいたのか、姿勢を起こしながら己の後ろ脚へと視線を遣り。そして見事にめくれている裾を目の当たりにした冬乃が、大慌てで着物を整えるのを、

 見下ろしたまま沖田は、

 既に幾度となく繰り返した感情を遣り過ごし。

 

 「で、ただいま。掃除ありがとう」

 唯、穏やかに微笑んで返せば、

 「あ、いえ・・、おかえりなさいませ」

 恥ずかしそうにはにかんだ冬乃が沖田と近藤を交互に見て、ぺこりと頭を下げた。

 

 

 どうにも。

 近藤が居なければ当然、いま目の前の冬乃を己は昼間から押し倒していただろうと。

 

 そんな沖田の気などあいかわらず知りもしない冬乃が、

 未だ恥ずかしげにもぞもぞと居住まいを正すのを見下ろしながら沖田は、内心嘆息する。

 

 

 「すまん冬乃さん、仕事が立て続けで申し訳ないが・・」

 

 暫しのち、ひどく気遣った声が背後の近藤から届いた。

 

 「これからまた書状の整理を少し頼めるだろうか」

 

 「はい」

 すぐに冬乃が雑巾を手に立ち上がる。

 

 「総司もすまないが手伝ってくれるか」

 

 「勿論です」

 即答し沖田は。昨今、胸内に疼くこの様々な感情へ刹那に蓋をした。

 

 

 

 

 

 (総司さんと一緒に仕事・・!)

 

 再びやってきたその機会が、冬乃の内心を浮き立たせて止まない。

 

 隣で淡々と仕事をこなす沖田の横顔を、冬乃は何度もちらちら見てしまいながら、懸命に手元へと意識を戻すを繰り返していた。

 さすがに二度目は前回の反省を胸に、なんとかあれこれ間違えずには済んでいる・・はず。

 

 「・・冬乃」

 

 はず・・・。

 

 どきりと手を止めた冬乃は、おそるおそる沖田を見返した。

 

 

 「お疲れ様。先に休んでいいよ、残りは俺のほうで纏めるから」

 

 だがかけられたその言葉に、冬乃は瞳を見開いた。

 「え、と・・、でも・・」

 

 「朝から働き通しだろ」

 

 (それは総司さんも同じです)

 むしろ沖田のほうが働いている、と冬乃はおもわず目を瞬かせる。

 

 「大丈夫、すぐ終わる。俺の部屋で待ってて」

 (えっ)

 

 瞬かせていた瞳を今度は一瞬で輝かせた冬乃は、もちろん大人しく頷いた。

 

 

 

 

 

 

 部屋は、やはり沖田が朝に出たきり一度も休憩に戻ることが無かったのだろう、すっかり冷え切っていて、

 

 火を熾したばかりの火鉢へと、冬乃は震える手をかざした。

 あまりの寒さに、先ほど押入れの行李から拝借した沖田の褞袍を頭から被りながら。

 

 (総司さん・・)

 沖田が戻ってきたら、いいかげん意を決して話さなければならない。己の両手の向こう、揺れる火を見つめながら冬乃は、頭を悩ませ始める。

 

 ご心配おかけしてしまってませんか

 このところご無理されてませんか

 私なら大丈夫ですから

 

 いったいどう切り出せばいいのか定まらないものの。

 

 もう無茶はしませんから大丈夫です

 

 (とだけは言えない・・・)

 それだけはどうしても守れる自信が無い心苦しさで、冬乃はどうしようもなく項垂れる。

 

 

 あの夜沖田に本心から約束できた事は、

 今後なにか伊東達の件などで行動を起こす際には、せめて沖田と一緒にという事。

 

 (それはきっと、守れる)

 

 もう伊東達の事で沖田に隠している史実は、藤堂の命の期限、そのひとつしか残していない。

 そしてこの先少なくても当分の間は、それを明らかにしないからといって約束の遂行に影響は出ないはず。

 

 むしろこれからは沖田が常に行動を共にするならば、これほど心強い事はなく。

 

 (総司さんにそれは伝わっているはず・・)

 

 だから、沖田がそれでもあの夜以来なにか心配している事があるとすれば、やはりその約束云々以前のはなしなのではないか。

 

 これからも何かできることがあるときに何もしないわけにはいかないと。そう最初に答えてしまった冬乃の、その無茶をも厭わないままの変わらぬ姿勢が、

 沖田の心内に居座り続けていた心配を増幅させてしまったのではないかと。

 

 

 たしかに約束どおり沖田が常に一緒であるなら、また人質になる等の危険はもう無いだろう。

 だけどひとつだけ、沖田にも止められないものが、

 

 沖田と、沖田の大切な人達の危険を前にした時の冬乃の、咄嗟の無謀な行動なのだから。

 

 

 (あ・・・、)

 

 冬乃は。つと浮かんだ思いにぶるりと肩を震わせていた。

 

 ――もし、

 あの夜冬乃が人質になった出来事が冬乃の想像するよりも実は遥かに重く、沖田の心に不安を植え付けてしまっていたのだとしたら・・・?

 

 冬乃の身に何かが起こることへの不安、

 

 さらには、冬乃をうしなうことへの――――

 

 

 

 (・・どうしよう・・・それじゃ私は・・)

 

 その直後で、なんて返答をしてしまったのだろう。

 

 

 (でも・・、)

 

 おもえばどちらにしても冬乃には、

 沖田をそんな不安から救い出すすべなど、持たないのではないか。

 

 沖田のために咄嗟の行動はしないと、冬乃がそれだけは誓えないことなど、

 彼はきっと分かりきっているのだから。

 

 

 

 

 「冬乃、入るよ」

 

 その声にはっと冬乃は顔を上げた。

 「はいっ・・」

 

 さらりと内廊下側の襖が開き。入ってくる沖田を見ながら、瞬間泣きそうになった表情を隠せなかった冬乃の、

 傍まで来た沖田が、袴を捌いて座りながら驚いたように冬乃を見返した。

 

 「どうしたの」

 

 ・・・心配どころか、

 彼を、苦しめていたのなら。

 

 (それなのに私は)

 一緒に居る時間が増えただなんて、喜んで。

 

 

 「私は・・最低です・・」

 

 

 「・・・」

 

 頭から被ったままの褞袍ごと。冬乃は抱き寄せられた。

 

 「どうして」

 続いた優しい問いかけと抱擁にますます泣きそうになりながら、

 冬乃は小さく首を振る。

 

 (貴方だけは苦しませたくない・・・のに)

 

 千代から受け継いだその祈りに

 もういったい幾度、背いてきてしまったことだろう

 

 (ごめんなさい・・・)

 

 「総司・・さんの、」

 

 冬乃は声を詰まらせたまま、必死に言葉を探す。

 

 「お時間を・・このところ私に、たくさん割いてくださってるように思うのですが、それは」

 

 「総司さんに・・・心配・・をおかけしてしまってるからですよね・・・私がふがいないばかりに・・」

 言いながらどんどん項垂れた冬乃の、

 

 視界につと沖田の手が映り込んだ。

 その手は、冬乃の片頬を支えるとそっと顔を持ち上げ。冬乃の瞳には、慈しむように見下ろしてくる優しい眼が映った。

 

 「・・それが“私は最低” の内容?」

 ふっとその眼が哂い。

 

 「夫婦が互いを心配するのは至極当たり前だろ。今だってこうして冬乃も俺の心配してるでしょ」

 

 「で・・すが、こんな私への心配が過ぎて、総司さんを苦しめてしまったりしてませんか・・」

 

 「そんなもの、」

 沖田はまるで、さも当然のように穏やかに微笑んだ。

 

 「冬乃のことが大切だからこそ。そりゃ切り離せるものじゃないでしょ」

 「え」

 

 「それに冬乃からのこんな苦しみなら愛おしいもんだよ」

 

 冬乃はもう声も出せずに。茫然と沖田を見つめた。

 

 冬乃のことを苦しいほど心配してくれる沖田は、

 それだけでなく、その辛さをも許容してくれているというのか。

 

 「あ・・りが・・とうございます」

 

 今度こそ声が詰まって冬乃は、ごまかすように目の前の硬い胸板へと頬を押し付けた。

 

 「まあ叶うなら、貴女をずっと鎖に繋いでしまいたいところだけどね」

 「えっ」

 驚いた冬乃が結局反射的に顔を上げると、

 笑みを含ませた悪戯な眼ざしと目が合って。次には、目尻に溜めていた涙へと口づけが降ってきた。

 

 「それができないから、こうして居られる時は傍に居るようにしてる」

 優しい声に、冬乃が放された瞼を擡げると、

 変わらず冬乃を愛しげに見下ろす眼が映る。

 

 「このところの事も、俺がそうしたくてしてるだけだから当然気にしなくていい」

 それとも

 と沖田が更に継ぎ足した。

 

 「あまり傍に居られたら鬱陶しいようなら、諦めるけど」

 

 「そんなわけありませんっ!」

 全力で即時声をあげた冬乃に、

 

 心得たように。深い抱擁がそれから長らく続いた。

 

 

 一生かかっても返せない感謝を、また今日も更新してしまったようだと。やがてそっと身を離された冬乃は小さく溜息をつく。

 

 決して誓うことはできなくても、

 

 「無茶はしないようにもっと努めます・・だから」

 

 少しでもどうか安心していてください。

 

 「・・わかったよ」

 沖田が穏やかに微笑んだ。

 

 「有難う」

 

 (それはですから私の台詞です・・・)

 冬乃は続く温かな口づけに、再び目を瞑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ずっと女使用人部屋と、近藤や沖田の部屋に井戸と厨房との往復ばかりで、

 食事の広間以外、おもえばろくに屯所内の他の場所へ行ったことがない。

 道場すら未だ覘きに行ったことがなく。

 

 よって当然のように。冬乃は本日迷子になっていた。

 

 

 島田が豪商への借り入れの件でまた動いている。その書状の準備を手伝うため島田と待ち合わせした場所に、冬乃は延々と辿り着けず、はや四半刻。

 つまり、

 

 (三十分・・・くらいは経ってるよねもぅぜったい。島田様ごめんなさい~~!)

 

 仮にも屯所内で、四半刻も迷子になる己が恨めしい。

 

 今日に限って隊士達も出払っているのかまだらで、漸く出会った隊士ごとに場所を聞きながら、なんとか近くまで来ているはずなのだが、

 

 

 (監察執務室・・・って、どこー--!!)

 

 この叫びは一向に納まりそうにない。

 

 

 (こんなとき総司さんが居てくれたら・・)

 

 沖田も現在巡察中だ。

 

 (あ、馬小屋)

 

 嘶きは聞こえど、ずっと分からずにいたその場所を向こうに発見した冬乃は一瞬絆される。

 

 (もうほんとにどうしよ)

 勿論すぐ現実に戻され。

 

 平成の世でなら携帯ひとつで連絡がつくものを。こういう時は現代文明も悪くないとしみじみ思いながら冬乃は迷い道を踏みしめる。

 

 「冬乃さん?」

 

 (!)

 そんなさなか、

 もはや懐かしくさえあるその声を背に、冬乃は驚いて振り返った。

 

 



 


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