二十四. ゆく末への抗い④






 今、冬乃は屋根の上に居る。

 

 この広大な屋敷のどこかでブヒブヒ活動しているはずの豚たちを探すため。なわけではさすがに無く、

 

 この時期の強風で飛ばされた洗濯物が、見事に瓦に引っかかったせいである。

 

 

 もしかしてあるのではないかと物置用の簡易蔵に探しに行ったら案の定、普通の家より半階ほど高い此処の屋根までも十分に届く梯子を見つけた冬乃は、

 自慢の力で担いで運び出してきて、難なく屋根まで上がり、無事に洗濯物を回収した。

 

 

 そんなわけで。

 ニワカくのいち冬乃が、そのまま暫し屋根からの景色を堪能すべく、洗濯物を手にしたままその場で座って見下ろしてみれば、

 想像通りの広大な屯所風景が眼下に広がっていた。

 

 

 (・・・あ)

 

 ついに豚発見。

 

 

 (あんなとこに居たんじゃ、会えないわけだよね)

 

 冬乃が行くことはまず無い、隊士部屋側の裏庭の向こう、幹部部屋側と同様に屯所を囲う塀まで延々と続く低木の区域が、彼らの活動場所だったようだ。

 

 低木の緑や茶色に交じって、ピンク色が見え隠れしている。


 

 その手前で裏庭に出ていた隊士達が数名、ちょうど井戸で体を洗おうと服を脱ぎ始めるのが次には目に映って冬乃は、慌てて背を向けて座り直した。途端、

 

 (わぁ・・!)

 

 冬支度に入った錦色の京の市中が、冬乃の瞳を見開かせた。

 

 中でも真っ先に錦を披露したのは、こうして見ると改めて驚くほど雄大な西本願寺の境内で。

 

 少し奥を横方向へと続く町並みは、島原の一帯だろう。

 さらにその向こうには色とりどりの山々を背に、壬生の畑や野原が果てしなくひろがり、各所に点在する家や寺が見える。

 

 八木邸や前川邸はあの辺りだろうかと、

 そして、千代の家があった辺りも。冬乃は目頭が熱くなりながら見つめて。

 

 

 つと視線を右へと流せば、

 先日の大政奉還の為された舞台、二条城の一帯が、遠く幽かに存在を醸していた。

 

 さらなる遠く、北野の一帯も、此処からではもはや見えないけれどきっと奥の山の裾野に広がっていることだろう。

 

 

 もうあと少しで離れてしまうこの京の地を、

 見納めるように。冬乃はそれから膝を抱えて、暫く眺め続けた。

 

 

 (また上ろう・・)

 

 これ以上はさぼってもいられまい。体がだいぶ冷えた頃、冬乃は顔を上げた。

 結局見納めたりない想いは次回があるを期待して持ち越す。

 

 そろそろ近藤たちが外出から帰ってくる頃だ。

 冬乃は洗濯物を首にかけると梯子を下りて、再び蔵へ戻すべく担ぎ上げた。

 

 

 このところ、書類の台風状態が漸く収まってきたというのに、今度は近藤の要人通いが前にもまして頻繁になっていた。

 

 (やっぱ薩摩の事が心配で仕方ないのかな・・)

 

 書簡のやりとりから冬乃には、いま近藤の大きな懸念のひとつが薩摩の動向であることは、ひしひしと伝わってきて。

 彼が連日出かけては要人たちに論説しているであろう内容にも、大いに含んでいるに違いなく。

 

 

 じつは薩摩は、未だこの時期、藩をあげての討幕に踏み切ったも同然でありながらそれを世間に表立って気取らせてはいない。

 

 実像を知るのは、

 討幕に向けた薩摩の朝廷工作成立または阻止のため懸命に働いてきた渦中の公家たちや、慶喜や土佐の容堂など彼らと親密な要人たち極一部であり、

 

 とうに同盟も結んだ同士のはずの長州から見てさえ、未だ薩摩の意向が今一つ読み切れないでいる時期で。

 

 京で浪士達と暴動の火種を撒き散らしてきたのはあくまで薩摩の内の過激派であって、土佐の例のように上層部を含めた大半は『変わらず』親幕派である、

 そんな印象が、ここにきても未だ世間には残っていた。

 

 実際、薩摩家老の小松帯刀などは、部下の西郷ら討幕側に寄り添いながらも一方で穏健派的な行動をも同時にとっていたような存在で、

 この時期の京での最高責任者たる彼からしてそうなのだから、いかに薩摩が傍目に複雑怪奇であったか、言わずもがなである。

 

 (それでも)

 

 日々京を見廻り、肌で情勢を感じている新選組は、薩摩の親幕がもはや仮面であることはとうに察知していて、

 

 表立って動いてはいない今の薩摩に対し、

 藩邸や薩摩と親しい公家たちの邸宅を見張るなど、せめてもの警戒と牽制に最大限努めてきた。

 

 

 (あと“仮面” というなら・・)

 

 尾張、

 その徳川血筋の御三家の藩を率いてながら、のちに新政府側につく徳川慶勝も、

 親幕の仮面をつけていた一人と言ってしまえるのだろう。

 

 彼は、第一次長州征伐の際、長州の処分を西郷と共に穏便な措置で済ませてしまった第一人者である。

 

 

 元々尾張の幕府や徳川宗家との関係はかなり複雑な歴史を経ていて、のちの裏切りに及ぶ抵抗は少ない側面があった。

 

 それでも藩内には、旧幕府へ殉ずるべきと義を訴えた藩士が大勢いた。だが、そう遠くない未来に慶勝は彼らを処刑してしまう。

 

 

 近藤は、慶勝の旧幕府への裏切りも危惧していた。予見していたということになる。

 

 

 薩摩や尾張の慶勝という近藤の目からみれば明らかに反幕府派である人間たちが、慶喜と並んで新国政のいち主導者としてより力を持つ事態を、そうして近藤は懸念し続けている。

 

 ましてや長州もが、参与するなど。近藤からすれば、もってのほかで。

 

 (だから・・かな)

 

 四侯会議頓挫の後も、幕府内からは勿論の事、平和的改革を諦めていない薩摩以外の雄藩(薩摩内部の穏健派は含める)から数多の建白書が飛び交っていたなかで、

 大政奉還の建白書を作成していた土佐の後藤象二郎へ、そのころ近藤はその中身を気にして幾度も訪問を願い出ていた。

 

 佐幕の土佐家中とはいえ、長州に寛容的な後藤のこと。どんな案を出すのやら、近藤は心配でやきもきしていたのかもしれない。

 

 

 まして大政奉還後の、この今は、

 

 これまで通りに慶喜や旧幕府要人たちが、新体制でも主導的な権力を維持、つまり重要な要職に確かに留まるか如何も。

 近藤の心配の種に加わり。

 

 

 こうして彼の悩み事は次から次へと尽きないのである。

 

 

 (近藤様の胃薬の量が、最近順調に増えてるし・・)

 

 冬乃も冬乃で、そんな近藤が心配で仕方がない。

 

 

 

 近藤の懸念は、そもそも尤もな事だった。

 

 幕府体制での統治はもはや立ち行かなくなってしまったけれど、

 それでも、これまで長く日本を統べてきた存在を除け者にし、経験のない朝廷や大名たちに俄かに要職を与えたところで、やはり統治は立ち行かない。

 

 事実、明治の世で、新政府は結局多くの旧幕臣を要職に登用することになる。彼ら経験豊富な役人たちの働き無くして、実は維新は成り立たなかったのである。

 

 とはいえ、登用できたのは当然、生き残っていた人たちのみ、

 悔やまれる事には、それまでに既に多くの人財が戦さによって喪われてしまっていた。

 

 

 (だから・・)

 

 今も昔も近藤が望んできた変革は、これまでの主導者がこれまで通り然るべき要職に在ってこその変革であって。

 

 つまり積もり積もった幕府体制の膿を掻き出す、いってみれば形骸化したり腐敗した不要な仕組みを洗い出して撤廃した上での、新たな体制と仕組みの構築であっても。

 新たな人事ではない。

 

 変革に人財の活用ならば当然でも、あくまで活用迄のこと、

 雄藩が、国事において主導的立場でいるべき慶喜や幕府要人たちと同列以上に上がってくるようでは、舵取りからして儘ならなくなると。

 

 殊に、真っ向から幕府に反目してきた長州が恩赦され新体制の要職に登用されるような事まであれば、どうなるだろう。

 

 机上の戦いなど超えて、結局は武器をとっての戦さになる可能性を、拭いようも無い。

 近藤が第二次長州征伐後から、この今に至るまで尚、長州を赦してはならないと訴え続けてきた理由のひとつはここにあるのだろう。

 

 後藤や伊東が、その点で、新体制内で慶喜や旧幕府要人たちと長州が仲良くやっていけると考えているとしたらその事のほうが、近藤からすれば絵空事なのではないか。

 

 

 (それでも、・・この先は・・・)

 

 大政奉還に至っても長州が変わらず討幕を掲げ続けて、

 やがて薩摩も討幕の気配を遂に表立って露わにし始める頃、

 

 なお旧幕府側と討幕側双方の歩み寄りをめざし、あくまで平和な新体制の確立をめざし続けた存在が、

 

 龍馬と同じく、

 伊東もであったとしたのなら。

 

 

 (近藤様にとって・・やっぱり伊東様は、なくてはならない人になってゆくはずなのに・・これまで以上に)

 

 

 この先の、討幕側の戦意の高揚とは正反対に、

 旧幕府側の大多数は、ある時点までは戦さになる事態など望んではいなかった。

 

 これ以上国内が割れているべきではないのも然ることながら、

 未だ第二次長州征伐時の痛手を負ったままに、旧幕府も佐幕諸藩もあいかわらず戦さどころではない経済状況なのだから当たり前である。

 

 そのような中、これ以上の倒幕側の暴走を鎮めるべく、かつ、慶喜や旧幕臣を新体制の要職に留めた理想的な政体を実現すべく、伊東が奔走したのならば。

 近藤がそんな伊東を疎むようになるはずがない。

 

 

 伊東の活動を疎む者がいたとすれば、それはむしろ、

 討幕側――――

 

 

 (その上もしもこの先、伊東様と新選組の内々の関係に気づいた人たちがいたとしたら)

 

 

 その彼らこそが、

 

 伊東を『始末』しようと考えたのではないのだろうか。

 

 

 

 

 

 (・・・でも、その場合って・・)

 

 

 「ただいま冬乃さん」

 (ひゃ!)

 

 近藤と沖田の湯呑を湯で温めるべく注ぎかけたきり、やかんを手に動きが止まっていた冬乃へ、

 近藤が襖を開けるなり突然声を掛けてきた。

 

 いや、近藤からすればちっとも突然ではないのだが。

 

 

 今ので正座のまま小さく跳ねてしまった冬乃に、

 

 近藤の後ろから続いた沖田が、また冬乃が考え事に勤しんでいたことなど分かりきった様子で、くすりと目を合わせてきた。

 

 「すまん、声が大きかったかな?」

 近藤のほうは冬乃の驚いた様子にひどく申し訳なさそうな顔になり。

 

 「いえっ・・その」

 違うんです、思考中だったせいです。冬乃は恥ずかしくなって言い淀む。

 おもえば蔵から戻ってまたも自動的な動きで茶の支度を始めたまではよかったものの、途中から考え事に夢中になり過ぎた。

 

 やかんを手に持ったまま、どれだけ経過していたことやら。

 

 (あ)

 湯呑を温めようとした事までを次には思い出した冬乃は、大慌てで盆の上の湯呑たちを見下ろした。

 

 勿論のこと、湯に殆ど浸っていない両底が瞳に映る。

 

 「急いで淹れますので、少々お待ちください・・!」

 湯から沸かし直さねばと冬乃は、手に持ったままのやかんを傍の火鉢へ向かわせた。

 

 「そんな急がなくていいのだよ」

 優しい近藤の声が、慌てる冬乃を止める。

 

 「それと、冬乃さんもぜひ、ご自分の茶を用意してくれ」

 と言いながら近藤が指さした、沖田が手にしている包みへ、

 (?)

 冬乃の瞳は向かって。

 

 「団子。冬乃が好きな店の」

 

 (あ・・っ)

 

 沖田の言い添えたその言葉に、そのまま冬乃の瞳はぱあっと輝いた。

 

 蟻通たちに連れて行ってもらったあの店である。

 あれから冬乃は時々無性に食べたくなってはいそいそと買いに行って、気づけばすっかり常連になっている。

 当然その頻繁ぶりから、すでに沖田の知るところだ。

 

 「帰りに前を通ったから買ってきた」

 

 そう言ってくれる沖田へ「有難うございます!」と冬乃は嬉しさのあまり声が華やいでしまいながら、

 

 そういえば馬上の近藤や他の隊士もまさか一緒になって店の前で止まってくれたのだろうか、と思わず目を瞬かせた。

 

 「組でも人気の茶屋だと聞いたよ。皆して買って帰ってきたんだ」

 冬乃の疑問を知ってか知らでかにっこりと近藤が微笑む。

 

 (・・あ)

 たしかに。元々蟻通たちが連れて行ってくれた店であるし、買いに行くと時々隊士の誰かに会った事も、冬乃は思い出した。

 

 

 串団子は間食にはうってつけで人気な菓子なので、競合店も多いのだけれど、

 

 この店は、餅にヨモギを入れていたり、きな粉や蜜をまぶした甘いものから、醤油がけのあっさりしたもの、なんと味噌をのせて焼いたものまで、

 実に創作的で多様な種類を用意しているうえに、そのどれもが美味しいので、幅広くファンがいるのも納得する。

 

 「品書きを見ていたらどれも美味そうでついあれこれ買い過ぎてしまったから、冬乃さんにも頑張って食べてもらわないといかん」

 「はいよろこんで!」

 

 間髪入れず即答してしまった冬乃が、それから止められてようと大急ぎで茶の支度に励んだのは言うまでもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「冬乃ちゃん」

 冬乃の姿を見るなり。

 

 藤堂がそれは嬉しそうに破顔した。

 

 「今ね、先生がかつてないほど張り切ってらっしゃるんだ」

 

 冬乃からの呼び出しの訳を、当然のように分かっている様子で。

 

 

 「大政奉還がなされてからさ、これまで先生がご胸中に温めていた具体的な新体制案を次々とまとめてらして、俺、建白書を拝見したけど、そのどれもが素晴らしいんだよ・・!」


 

 小声ながらも藤堂の興奮する声音に、道の向こうを駆ける犬の親子がこちらを一瞬見やって、

 

 この待ち合わせ場所は人通りのない裏手の小路とはいえ、冬乃はおもわず周囲を見渡す。

 

 

 今日、漸く出かけられる機会を得た冬乃は、

 事前に沖田に相談してあった待ち合わせ方法として、今回も藤堂たちの屯所へ変装して訪問するでは無しに、

 

 島原から御忍びで外出してきた太夫のていを装って、此処、出合茶屋に向かう一本道に藤堂を呼び出したのだった。

 

 

 見渡した冬乃の瞳に、人は映らない。

 このぶんなら、実際にふたりで出合茶屋に入る演出までは、しなくて良さそうだ。

 

 置屋から乗ってきた駕籠を降りてこの一本道へ折れる際に、背後の駕籠かき達に会釈するふりで振り返った時も、誰か怪しそうな人は見なかったし、この一本道をずっと来る間も誰ともすれ違わなかった。

 

 

 とはいえ。初めて武家駕籠以外に乗った冬乃は、いま車酔いならぬ駕籠酔いによる消耗中で、正直このまま立ち話も辛くはあり。

 

 せめてどこか腰かけられる場所はないかと、改めて見渡した冬乃を、

 「冬乃ちゃん?具合悪いの?」

 やはりまもなく気が付いた藤堂が、心配そうに覗き込んできた。

 

 「いえ大丈夫です、すぐ治るとおもいます、」

 

 冬乃は無理やり微笑んでみせた。

 

 「ちょっと想像していた以上に・・駕籠に酔ってしまったみたいで」

 言いながらも続いている嘔吐感に冬乃は閉口する。

 

 しかも先程から、一本道に佇む冬乃たちに強い風が吹きつけていた。

 「あ・・今日は来てくださってありがとうございます」

 と、今更ながら礼をした瞬間も、ひときわ強い風が駆け抜け。

 

 冬のこんな冷風は、酔いは酔いでも酒酔い時になら気持ちいいのかもしれないけれど、駕籠酔いの冬乃には酷なだけ。

 

 「そんな蒼い顔して・・本当に大丈夫なの・・?」

 

 身震いしながら顔を上げた冬乃を、藤堂の更なる心配そうな瞳が見つめてきた。

 

 「ただでさえ冷えるし、立ち話にせず茶屋に入ろ」

 「え」

 「もちろん変なことしないから」

 

 苦笑してくる藤堂に、冬乃は慌てて頷いた。

 

 

 

 

 

 

 通された部屋は、いつかに沖田と過ごした、あの部屋と似て。

 中央に幾層もの深紅の布団と、大きな大きな屏風。

 

 対称的に小さな格子窓から薄光が漏れ入る、しっとりとした昼下がりの。

 

 「さて、と」

 

 そんな雰囲気ごと蹴散らすように、

 藤堂がさっさと布団を折りたたむなり部屋の隅へと押しやった。

 

 そのあまりの素早さにあっけにとられる冬乃の前、藤堂は袴を捌いて座ると冬乃も座らせるなり、

 「具合はどう・・?ましになった?」

 いつもの優しい笑顔を向けてきて。

 

 「はい」

 冬乃はつられて微笑んだ。

 「ご心配おかけしてすみませんでした」

 

 先ほど宿の主人の手ですでに火が熾された火鉢を背に、温まってきた冬乃はぺこりと頭を下げる。

 確かに酔いによる気持ち悪さのほうも、おかげで大分治まっていた。

 

 「じゃあ話の続きね」

 ほっとした様子で藤堂が、さっそくそんなふうに切り出した。

 

 「まず、伊東先生と近藤さんが“口論” するような事態なんて、到底ありえないよ」

 

 そう確信を籠めた表情でしっかりと冬乃を見据え、藤堂は断言し。

 

 「一和同心。いま大政奉還を経てその実現を本気でめざしている先生が、近藤さんの思想を汲まないはずがないんだ」

 

 「・・一和同心・・?」

 冬乃は横座りの居ずまいを正しながらも、聞き慣れないその言葉に首を傾げる。

 

 「うん。この国の皆が、争うのではなくて、各々の力を合わせ、志おなじくして国難に当たろうってことだよ」

 

 (あ・・・)

 

 

 「だから、近藤さんと口論するなんて、ありえないんだ。先生なら近藤さんの志にも必ず寄り添おうとする」

 

 

 冬乃も、また。

 今、確信をもって藤堂を見据えていた。

 

 

 (やっぱり心配なんて要らなかった・・)

 

 

 伊東が、

 近藤を裏切ることはない。

 

 周囲によって記録に残されたような近藤に対する敵対的活動は、伊東の真実ではない、

 

 

 彼が、討幕に向かうことはない、と。


 

 

 「・・・お伝えしなくてはならない事があります」



 「え?」

 「口論という言い方をしてきましたが、本当は、・・訣別です」

 

 見開かれる藤堂の目から、逸らさずに、

 「真相は、わかりません」

 懸命に冬乃は勇気を、奮い。

 

 続けてゆく。

 

 「ですが、未来に伝わっている事は」

 

 この先に向かう悲劇を必ず阻止するため、

 今こそきっと藤堂に伝えるべき事を。

 

 

 「伊東様が近藤様を暗殺しようと企てた、と・・・」

 

 

 

 「・・・嘘・・だ・・・!」

 

 

 当然に、

 

 「そんな事は先生が最も嫌う事だよ!それだけは絶対にありえない・・!」

 

 藤堂の憤慨する声が部屋じゅうに轟いだ。

 

 「はい・・私も何かの間違いだと・・」


 「間違いに決まってるよ!どうして、そんな」

 

 

 「わからないんです、ただその後まもなくお二人は訣別してしまいます」

 

 「・・・・訣別・・してからは・・?」

 

 藤堂の瞳に瞬時に奔った不安の色を、

 冬乃は用意していた返答を胸に、まっすぐ見返した。

 

 「程なく」

 そう問われるだろうことは、覚悟していたが為。

 

 「程なくして新選組は、御上の命令で京を去ることが決まって、京に留まった伊東様とはそれきりになります」

 

 

 「・・・・」

 

 

 冬乃は。

 

 嘘は言っていない。

 未来の出来事で嘘を言っても、きっと追及されれば綻びからすぐに気づかれてしまうのがおちで。

 

 これはだから、此処の世に来て冬乃が学んだ躱し方。

 

 嘘ではなく。只、事実を繋ぎ合わせる。

 

 

 伊東が京に留まるのは、嘘ではないから。

 たとえもう生きてでは、なくても。

 

 

 

 「京を去るって・・それきりって、それじゃ伊東先生も、俺も・・二度と新選組に戻れない、という事?」

 

 

 冬乃は、覚悟していたはずが。それでもその問いには涙がこみ上げそうになり、慌てて顔を伏せていた。

 

 (二度と戻れないどころか)

 

 一瞬強く目を瞑り、冬乃は溢れそうな想いごと涙を圧し留める。

 「未来は・・」

 次に言うべき言葉を決め、懸命に顔を上げ。

 

 藤堂も伊東も、まもなく訪れる死を

 避けることだけは叶わなくても


 「未来は、変えられる可能性があります」

 

 誤解されたまま

 仲間と袂を別ったままで

 

 その命を終えることがないように

 

 

 「そのために、お伝えしました・・未来を、変えるために」

 

 「伊東様が暗殺の計画を立てたという『誤解』が、何故起こったのか、それを突き止めたいんです」

 

 間髪入れず続けた冬乃の、

 必死な眼を。藤堂が受け止めるように大きく頷いた。

 

 「俺、探ってみるよ。・・けど」

 

 つと藤堂の瞳が、再び不安げな色を浮かべ。

 

 「冬乃ちゃんは何もしないで」

 

 「え?」

 

 「そんなありえない話がこの先出てくるという事は、伊東先生と近藤さんの内密の協力関係を知る誰かが、関係を壊し敵対させようとして謀った可能性があるでしょ・・その場合、」


 「冬乃ちゃんがそれを食い止めようとして動いてるなんて知ったら、冬乃ちゃんに何かしてこないとも限らない」

 冬乃ちゃんを危険な目に遭わせたくない

 藤堂の縋るような声が追い。


 「それと、この話、沖田たちは聞いてるの?」

 

 「あ、いえ、まだ・・・先に、大政奉還後の伊東様のお考えを確認させていただきたかったんです。その、伊東様がたしかにこの先、近藤様を裏切るはずが無いという事を・・」

 

 「無いよ、絶対に無い」

 改めて藤堂が強く否定する。

 

 「なにより朝廷の元に大樹公も幕府も大名も一和同心の新体制を説こうとしている先生が、近藤さんを裏切るなんて、まして暗殺を企てるなんて、理由からして無いよ」

 

 「はい」

 冬乃は深く頷いてみせる。

 

 「沖田と土方さんに伝えて。俺は斎藤に話して俺らにできること考えるから。もう一度頼むけど冬乃ちゃんは沖田たちに任せて、何もしないでいて」

 

 「はい・・」

 「冬乃ちゃん、」

 

 「約束してくれる?」

 

 冬乃の返答の声が弱いのが気になったのか、藤堂が念を押してきて。

 冬乃は、

 曖昧に頷いてみせた。

 何かこの先、冬乃にもできることがある時はきっと動いてしまう、

 そんな予感を抱え。

 

 「・・・」

 

 いや、藤堂にはお見通しだったのか、

 尚も困ったような表情が続いた。

 

 「もてあます沖田の気持ちが分かるよ・・」

 「え」

 

 「どうしたら約束してくれるの」

 

 「そ・・れは」

 冬乃はもう、俯くしかなく。

 

 「その時が来たら、何もしないでいるなんてできないかもしれません・・でもなるべく何もしないように・・・します・・」

 

 「・・・冬乃ちゃん」


 冬乃は驚いて顔を上げた。

 藤堂の、声音の変化に。

 

 それは強く。

 

 「約束してくれるまで帰さないよ」

 

 意思を籠めた声で。

 

 

 

 (帰さない・・って)

 

 「・・・俺は泊まることになっても構わないけど、」

 

 冬乃の視界の端には、押しやられた紅色の布団。

 

 「冬乃ちゃんはそうはいかないでしょ。沖田だって、俺に会いにいった冬乃ちゃんが夜通し帰ってこなかったらどう思うかな」

 

 冬乃の瞳の前には、冬乃を案じ、冬乃の無茶をなんとか止めようとする藤堂の強い眼差し。

 

 (藤堂様・・)

 そんな彼だからこそ、

 たとえ本当に夜通し一緒に居たとしても、冬乃に何か無理強いするはずがないことも。冬乃は分かっている。

 

 (・・ごめんなさい)

 

 

 「だから沖田に心配かけたくないなら約束して。この件は俺や沖田たちに任せるって、冬乃ちゃんは何もしないって」

 

 

 冬乃は、藤堂の想いを汲むことにした。

 

 「わかりました。約束します」

 

 冬乃の瞳に大きく安堵の溜息をついた藤堂が映った。

 

 

 

 

 

 

 「送っていけないけど、気をつけて帰ってね」

 

 藤堂が茶屋の前まで呼びつけた駕籠に、冬乃は乗り込みながら、

 今一度そんなふうに声をかけてくれる藤堂を見上げた。

 

 「藤堂さんもお気をつけて」

 「うん」

 

 

 冬乃が覆いを下ろすと同時に、駕籠が地面を離れる。

 早くも悪しき酔いが再開しそうな感がしながら、冬乃は駕籠の内にぶるさがる紐に掴まった。

 

 

 冬乃の駕籠が道の角を折れる時、まだ佇んで見送ってくれている藤堂の姿が覆い越しに見えた。

 

 (藤堂様・・)

 

 あと何回、あの笑顔と会えるのだろう。

 

 刻一刻と迫る彼の死期と、

 何もできなければ必ず訪れてしまう悲劇が、日に日に冬乃を苛む。

 

 最期まであの笑顔を護れますように

 

 そのためになら。この先きっと破ってしまう時がくるだろう、あの場では何もしないなどと藤堂には約束したけれど。

 

 (本当に、ごめんなさい・・)

 

 

 「ひっ・・!」

 

 突然、

 

 (え)

 駕籠かき達の叫んだ声とともに、駕籠が減速した。

 

 冬乃は前のめりに倒れそうになって、慌てて紐を掴んでいた両の手に力を入れるも、

 ドスンと次には衝撃が来て、駕籠が地に鈍く跳ね。

 

 駕籠かき達が駕籠を手放したのだと、

 思い至った頃には。覆いに大きな影が映り。

 

 その影から伸びた手が、覆いを乱暴に開きあけた。

 

 「出ろ」

 

 逢魔が時のくれない色を向こうに。

 抜き身の刀を手にした男達が、冬乃を見下ろした。

 

 

 あまりの不意の出来事に、冬乃は茫然と男達を見上げた。

 

 

 「早く出ろ」

 

 冬乃が動けないでいるのへ、苛立った様子で目の前の男が手を伸ばしてきて、

 冬乃ははっとして簪を引き抜き、その手を突き刺した。

 「このッ」

 

 先端が丸いとはいえ、奔ったであろう痛みで男が手を引っ込めた隙に、

 冬乃は反対側へと、覆いを上げることもせぬまま殆ど転がり出て、

 

 だが残念ながら、そちら側にも男達は回っていた。

 「おとなしくしろ!」

 駕籠を出たところを難なく左右から押さえ付けられた冬乃は、ただでさえ身動きのとりづらい着物にまで足元を捕られながら、むりやりその場に立たされた。

 

 「おまえは藤堂の馴染みだな!」

 

 (・・え)

 

 ここで藤堂の名が出たことに、冬乃は驚いて男達を見回した。

 

 「これは予定より早く伊東を葬れるやもしれぬな」

 「ああ、尾けてきて正解だったな・・!」

 「もう少し藤堂のほうに人数を回すか?」

 「架岳らに向かわせたんだ、大丈夫だろう」

 


 (どういう・・こと・・?)

 

 いま伊東を亡き者にしようとしているらしい彼らが、一体どの立場の者なのか、

 すぐには理解に及ばず。

 

 数えて七人、いずれも髪はぼさぼさ、よれた袴で、見るからに浪人という風体の男達を前に冬乃は、

 彼らが藤堂にこのあと何をするつもりなのか只々心配になって。

 

 解ることは、この浪士達はすでに遥か前、きっと藤堂が屯所を出た頃から隠れて尾けてきていたのだ。

 

 そして、茶屋では誰か他の客が入ってきた音など全くしなかったから、冬乃たちが茶屋に居るあいだ茶屋の前か、いや、一本道の手前あたりでずっと待っていたに違いなく。

 やがて冬乃の駕籠が一本道から出てきた後、二手に別れ冬乃のほうを更に追ってきたのだろうか。

 

 

 「しかし果たして妓のために来るかだな」

 「知らん。機会は使うだけさ。来なけりゃ次の機会を待つしかなかろう」

 

 (まさ・・か)

 

 冬乃は片手に持ったままの簪を、おもわずきつく握り締めた。

 

 彼らは冬乃を人質に藤堂をおびき寄せ、無抵抗にして捕らえるつもりなのではないか。

 

 そして藤堂を人質に、

 伊東をおびき寄せるつもりだとしたら。

 

 (この人たち、)

 藤堂と伊東の師弟関係までを既に調べ上げているという事になる。つまり伊東を葬るため長らく計画的に行動してきたということではないか。

 

 

 (・・・なんで)

 

 反幕府側にとって、伊東一派は敵ではない。

 

 同様に、幕府側にとっても伊東たちは御陵衛士としてかわらず幕府側の立場であり当然に敵ではない。

 

 まして伊東が、反幕府側と関係を築きつつ幕府側へ内密に協力している事は、知る者が限られる極秘事項。

 

 

 (だけどそれをやっぱり・・気づかれてる・・の・・?)

 

 

 「しかし新選組と殺り合ってくれたほうが、清々したんだがな」

 

 どきりとした冬乃は、いま目の前の男が吐いた台詞に、動揺をみせぬため慌てて目を伏せた。

 

 「流石におまえのその案は実現するか分かったものじゃない」

 「だが成功すれば一度で両方を葬れるんだぞ」

 「どうせ仮に成功したとて、そこまでは巧くいかんよ。葬れてせいぜい伊東一派だろう」

 

 

 (その案って・・まさか・・・)

 

 

 「ま、今回で予定より早く片がつくなら、それに越したことは無い。これ以上伊東の奴に動かれては困るからな・・」

 「その通り」

 「坂本のほうはどうなってるんだ?行動の予測がつかぬあ奴こそ、一刻も早く葬るべき!この前も例の襲撃計画を止めたのは実は奴だったと聞いてるぞ」

 「わかっておる、そう焦るな。今方々で手配しておるわ」

 

 浪士達は冬乃が新選組の者とは露ほどにも思っていないのだろう、

 もとい、何を話しているかなど冬乃に解かるはずもないと思っているに違いなく。

 

 つまりあの待ち合わせ時の藤堂との小声の会話も、遠巻きに隠れていたであろう彼らには、幸い届かずに済んだようだ。

 

 かわらぬ寒空の下、往来を行き交う人の全くないこの路地で、思うままに話し込んでいる彼らへ、

 そうして冬乃は何も解らぬふりで、ひたすら怯えた様子を見せるに徹した。

 

 内心は、激しく動揺しているものの。

 

 

 (・・坂本龍馬を狙っている話まで此処で出てくるなんて・・そして伊東様は同じ理由で狙われている・・)

 

 

 大政奉還後のこの時期、龍馬がこれ以上血を流さぬ動乱の終結のために動いていた事は言うまでもなく、

 

 伊東もやはり、そうなのだと。

 まさに先程の藤堂の話で、冬乃には確信が持てたばかり。

 

 藤堂から伝わってきた伊東の志も、彼が打ち出す新体制案も、平和な終結への大きな導標と成り得るものだと。

 

 

 伊東は今の“スパイ” 的な状態にいつまでも甘んじるつもりはなかっただろう。彼の志も大局を見据え、いずれは敵対する双方を和解させる架け橋となるを望みながら活動していたはずで。

 

 それなのに、その道なかばで彼は斃れてしまう。

 そしてまるで、只、新選組の裏切者と、後世では見なされ。

 

 

 (どうしたら・・止められるの・・)

 

 

 方々で手配している、と男は言った。

 つまり此処に居る男達だけではない。いったい今どれほどの数の者が、動乱の平和な終結など望まず、武力討幕をもくろみ、坂本や伊東の活動を疎んでいるというのだろう。

 

 (その人達が多ければ多いほど・・・)

 

 歴史は、この先、どこまでも阻んでくる。

 

 

 それこそ冬乃が懸念し、恐れていた事態ではないか。

 

 当事者の近藤達以外に、伊東の暗殺に直接的または間接的に関わった者達が実はいたならば――そんな『元の歴史』を望む存在が、いればいる程――その歴史を覆す事が、困難になってしまうと。

 

 

 

 片手に握り締めたままの簪が、きしりと悲鳴をあげ。震えてしまうその手を冬乃は、尚もきつく握りこんだ。


 (恐れない・・そして絶対に最後まで諦めない)

 

 あの時、僧と沖田を前に強く決意した想いを冬乃は懸命に呼び起こす。

 

 

 『元の歴史』を望む――彼ら武力討幕派が、

 伊東と新選組の秘密裏の関係に、既に気づいているのか、またはこの先気づくのか如何か。

 今の彼らの会話からは掴めない。

 

 けれど、どちらであっても。

 

 この男達を含めた討幕派の内、何者達かが、

 伊東の懐いた志と理想を潰すために、

 

 伊東の近藤暗殺企てという捏造の情報を、もし何らかの方法で、それも討幕派側からであるがゆえに信憑性の高い情報として流すことに成功し、

 新選組に伊東を粛清させるにまで至ったのだとしたら。

 

 (一番の原因は・・)

 伊東が、討幕派すら含めた反幕府側と関わり合いを持つ、難しい立ち位置であったからこそ、

 近藤達に生じてしまった懐疑や不信感に他ならない。

 

 伊東が敵側へ寝返って近藤を暗殺しようとしているのだと、

 そんな致命的な誤解に導くほどの。

 

 逆に言えば伊東はそれほどまでに、反幕府側との密な関係構築を成し得つつあったのだろう。

 

 それは寝返ったからなどでは決して無い、

 

 一和同心

 

 敵や味方の括りを超えて、

 いずれ双方を繋ぐため。

 

 

 

 

 (伊東様・・・)

 

 だから冬乃のすべきことは。

 

 もう今なら、はっきりとみえる。

 

 

 

 

 

 

 「おい、架岳たちはまだか」

 「遅いな」

 「藤堂が抵抗しているんじゃないだろうな」

 

 そうであってほしいと冬乃は強く願いながら、吹きつけ続ける冷風にぶるりと身を震わせた。

 

 「藤堂はこの妓のことは見捨てた、ということか」

 「そうだろう。どうせそのうち、架岳たちも諦めて戻ってくるさ」

 「そうだな・・使い道のある藤堂は未だ殺るわけにもいかぬしな・・」

 「まあ、そう上手くいくはずもなかったか」

 「この妓はどうする」

 

 

 冬乃は。違和感をおぼえ。

 

 冬乃を護ろうと、つい先程もあれほどの想いを見せてくれた藤堂が、ここで冬乃を見捨てるとは、到底思えず。

 (そうだ・・)

 藤堂が、同行に抵抗するはずが、ない。


 

 それならどうして、彼はいつまでも来ないのだろう。

 

 (今、殺さないって言ったけど・・万一藤堂様に何かあった・・なんてことないよね・・・)

 

 胸内を覆い出した不安で、冬乃は漸く怖々と顔を擡げ。道の先を見据えた、時。

 

 

 (あ・・・!)

 

 

 「おい、誰か来る」

 「あれはっ、まさか」

 

 (総司さん!!)

 

 「どういうことだ!?」

 

 「くそっ、どうする!?」

 

 急速に、冬乃を包み出した強烈な安堵感で、冬乃はおもわず脱力した。

 

 「ひ、怯むな!奴は一人だ!」

 「だが・・っ」

 一方の冬乃の周りの浪士達は、恐怖と不安を露わに激しく緊張してゆく。

 

 

 「其処で何をしている」

 

 そうこうするうち、未だ道の向こうから、

 鋭い威圧的な声音が向かってきた。

 

 「往来の邪魔だ」

 

 (え?)

 

 けど。そのまるでただ通りかかったかの台詞に、冬乃は目を瞬かせ。

 

 傍らでは、慌てきった浪士達が、いずれも手にさげたままだった刀を咄嗟にばらばらと沖田に対して構えだし、

 冬乃ははっとして駕籠のほうへと寄り、息を凝らせば。

 

 「・・随分な出迎えだな」

 

 懐手で近くまで歩んできた沖田の、

 ふっと哂った息だけが、静まった路地に落ちた。

 

 

 (たしかに・・。)

 沖田は浪士達に退けとばかりに声をかけただけ、といえばそれだけで。

 そこへ浪士達のほうはいきなり抜き身を構え出したのだから、

 抜き身を手にさげているだけでも怪しいのに、これではあまりにも不審すぎる反応であり。

 

 その事に漸く気が付いたのか浪士達は、今さら後戻りもできず狼狽えた顔を互いに見合わせたのち、構えたままじりじりと沖田から距離を取りだした。

 

 「き、貴様は新選組の沖田だろう、何故ここに・・!」

 「そうだっ、わしらに何か用なのか!」

 

 「天下の往来だ」

 居て悪いか。とばかりにすげなく返す沖田に、そんな浪士達は更に戸惑った顔になる。

 

 よほど、

 いま沖田が来た道から確実に見えたはずの彼らの仲間とは、何かやりとりがあったのか、まして何かしたのか、なにより藤堂に事情を聞いて来たのか、知りたくて仕方がないのだろうけれど、

 

 それを聞けるはずもない浪士達は、震える剣を只々、握り締め。

 

 

 それにしてもこの怯え様。

 沖田の雷名が敵方に最早どれほど轟きわたっているのか、手に取るようだと。冬乃は目を丸くする。

 

 「大体、俺が新選組だと判った上でそうして刀を向けてくるとは、何か良からぬ事でも企んでいたのだろう」

 

 もはや憐れなほど浪士達が狼狽えた時。

 

 沖田の視線が、冬乃を一瞬だけ捕らえ。

 (あ)

 

 「そこの妓は、」

 

 浪士達は更にびくりと身構えた。

 

 「おまえ達の知り合いではなさそうだな」

 

 

 (そっか・・!)

 彼らは、冬乃と沖田の関係を知るはずもない。

 

 藤堂の妓かと確認してきたくらいだ。尤も彼らに、藤堂と沖田が新選組での元同僚である認識は当然あるわけだから、冬乃と沖田も顔見知り、ぐらいは想像し得るだろう。

 

 だがそれさえ、否定すべく。沖田は今、まるで冬乃を初見のように振舞っている。

 

 藤堂に対してそうだったように、下手をすれば冬乃はこの場で沖田に対しても人質になりかねない。

 だからこそ、ほんの僅かだろうと浪士達に有利な材料を与えぬ為、完全な赤の他人を装っているのだと。冬乃は理解して。

 

 

 「その妓を拐かすつもりだったのか」

 

 浪士達が取った距離の分ゆっくりと近づいてきながら、沖田の尋問は続く。

 

 いわゆる未来の世でいうところの、職務質問である。

 先の大政奉還で幕府が形式上は消失したとはいえ、この時期まだ朝廷からの委任を受けて実質、幕府の統治下も同然であり。新選組も変わらず市中警固を続けている。

 

 土台、二百六十年もの間続いた体制が昨日今日で突然人々の感覚から消え失せるわけがない事は、

 いかに討幕を志す彼らにとて同じで。ついこの前までその体制側の新選組を見るなり逃げ隠れしていた感覚から抜け出せているはずもなかった。

 

 「ま、まさか」

 しかもその新選組の、

 よりによって一番隊組長が、いま目の前に居るのである。

 

 「なら駕籠かき達は何処に居る」

 

 遂に答えに窮した様子で、男達は強張った顔を再び見合わせた。

 

 「逃げたのだろう?つまりその駕籠は、その妓が乗っていた。それをおまえ達が駕籠を襲って止めたと見るが自然だろう」

 

 (総司さん、刑事みたい・・!)

 

 沖田が来てくれた時点で既に安心しきっている冬乃は、そんな感想まで胸に懐いてほっこりしているけれど、

 浪士達のほうはもう、たまったものではないだろう。

 

 一刻も早くこの場を逃げ出したい様子が、冬乃にもひしひしと伝わってきていた。

 

 「誤解だ!わしらはこの妓が駕籠を止めている所に、たまたま通りかかっただけだ!」

 

 (・・・なにその嘘)

 

 彼らの中で先程からよく発言しているこの男は、首領格なのか単に口達者だから代表してるのか不明だが、

 冬乃は呆れて文句を言いたくなるところを抑え。今のうちに男達から距離を取るべく、駕籠づたいに後退ることにした。

 

 冬乃の動きには男達の数人がすぐに気が付いたが、たまたま通りかかったと言った以上、もう冬乃の動きを見過ごすしかないのだから。

 

 

 だけど。

 

 「やましいことは何も無いだと?」

 「そっそうだ!」

 

 時間の問題かもしれない。

 窮鼠猫を噛む、のは。

 

 人数だけでいえば浪士達のほうが、ずっと有利なのだから。

 

 第一、沖田も、彼らを見逃しはしまい。

 

 「慌てて刀を向けておいてそのような言い逃れが、通じるとでも思うのか」

 「っ・・!」

 

 冬乃はできるだけ浪士達から距離を取りながら、手の内の簪を確かめるように握り直す。

 

 沖田が本当に向こうから偶然歩んできたはずがなく。藤堂が来ないという事は、藤堂の人質となっている冬乃の安全の為に、沖田へ託したからこそなはず。

 

 沖田が如何して丁度良く藤堂に会ったのかは、冬乃にも分からないけども。

 

 ともかくもきっと、藤堂を追っていた彼らの仲間は、今ごろ地に斃れていることだろう。

 

 そして、今ここにいる彼らも、

 

 「詳しい話を訊かせてもらう」

 

 

 もう間もなく。

 

 

 「屯所へ同行願おう」

 

 

 

 (あ・・!)

 窮鼠、いずれも抵抗に転じた。

 

 ――一斉に、沖田へと斬りかかってゆく浪士達を

 沖田が抜き打ちで薙ぎ払った一閃の、

 

 残像を。次には冬乃の瞳が映して。

 

 

 朱の飛沫の中を、仰向けた四人が声も無く倒れ込んでゆく。

 

 その背後の列では、残る三人が剣を振り被ったまま仲間の血を浴びながら、今しがた一瞬にして眼前で何が起こったのか、

 

 受け止められずに。硬直し。

 

 

 チャキリ、と鍔の鳴る音に、三人も冬乃もはっと我に返った。

 

 「縄か死か。選べ」

 

 沖田の刀の切先が、中央の男の喉元に真っ直ぐ当てられ。

 

 息を殺した男の、左右で、

 「両方御免だ・・!」

 残る二人が叫んだ。

 

 「この妓を連れて逃げてやるさっ・・!」

 そのまま冬乃に向かってきて、急いで冬乃が簪を構えた時、

 

 「それ以上動けば、こいつが先に死ぬだけだ」

 喉の切先が僅かな一寸を突いたのか、沖田の前で男の呻き声が続き。

 

 冬乃に迫っていた二人が、再び硬直した。

 

 「い・・、いいのか!?」

 だが間もなく、一人が冬乃へと刀を振り被り。

 

 「貴様がそいつを殺せば、この妓を即時に斬り刻む・・!」

 

 「そ、そうだっ!この妓は藤堂の馴染みだぞ!」

 続く男が喚き出した。

 「貴様にも情けがあるなら藤堂の妓を見殺しにはしまい!」

 

 「妓を盾にしといて何が情けだ」

 「っ・・!」

 

 「それから、」

 

 (あ・・)

 つと沖田が二度目に冬乃と目を合わせてきて。

 

 「そっちは“縄” だ」

 

 

 刹那、

 沖田の左手に鞘ごと抜かれた長脇差が、

 

 冬乃へと向かって、投げ渡され。

 

 パシッと、咄嗟に受け取った冬乃の両掌で音が鳴るとともに、

 冬乃は抜き払った。

 

 からん、と冬乃の落とした簪が足元で跳ね。

 

 「・・・え」

 

 一連の躍動に瞠目する男達の、

 冬乃の前に居るほうの喉元へと、同じく冬乃も切先を向ける。

 

 「そうです。おとなしく縄についてください」

 

 

 二人が、

 「こ、・・の・・!」

 一瞬の放心ののち、我にかえったように冬乃へと討ち降ろしてきた、

 

 よりも前、

 冬乃は今や得意ともいえる逆袈裟を繰り出して、彼らの腕を下から斬り上げた。

 

 「うぁあああ!!」

 浅い傷とはいえ痛みに悲鳴をあげながら男達が、次々に刀を手から零しかけるを、

 待つ間も無く、沖田に背から峰打ちで打たれた彼らはそのまま失神し、未だ刀を半分握ったまま地に倒れ込んだ。

 

 見れば沖田の前に居た男も、とうに失神した様子で地に伏している。

 

 「有難う」

 

 冬乃の目の前まで来た沖田の、穏やかな声に冬乃はどきりと顔を上げた。

 

 「冬乃のお手柄だ。これで話も聞き出せる」

 (あ・・)

 「今回も見事な剣だったよ」

 

 まるで“援け合って” 闘ったのだと、

 再びそう言ってくれていることに、冬乃は思わず破顔した。

 

 「こちらこそ、助けに来ていただいて有難うございます」

 冬乃は長脇差を納め、両手で沖田へ渡す。

 

 「ああ・・」

 それなら、

 と長脇差を受け取り腰に差しながら沖田が溜息をついた。

 「冬乃を迎えに来たら、茶屋の手前で藤堂が浪士達ともめてた」

 

 (あ)

 「迎えに来て良かったよ。虫の知らせだったか」

 

 するとやはり沖田は藤堂に加勢した後、藤堂から託されて冬乃を助けに来てくれたのだ。

 

 (やっぱり援け合って闘ってなんて・・全然ないのに)

 

 沖田が地の三人を縛り出す横で、簪を大切に拾い上げながら冬乃は、小さく息を吐いた。

 

 

 お手柄と言ってくれたこの捕縛にしたって、そうで。

 先の四人を抜き討った直後に沖田は、放心した残りの三人に生じたその隙を狙わなかった。

 相手が戦意を喪失した段階で、可能な限り殺すことなく捕らえるほうへと切り替える。沖田は新選組としてそのように動いた迄。

 

 言うなれば今この三人が事実お縄になっていても、沖田の采配であって、冬乃がどうこうした結果ではなく。

 

 大体、彼らは既に沖田の間合いの内に居た。

 

 つまり、あのとき男達が沖田からの降伏するか否かの問いかけに対して仮に『死』を選び、再び沖田に向かっていたとしても、

 まして冬乃が刀を受け取るよりも前に冬乃へ斬りかかっていたとしても。どちらにせよ彼らの刀は冬乃に掠ることすら無かっただろう。

 

 

 結局今回もまた、本当のところは“援け合って” ではないけれど、

 沖田は冬乃をいつものように労ってくれているのだと。

 

 「ありがとうございます・・」

 おもわず冬乃は頭を下げた。

 

 

 だから。と立ち上がった沖田が微笑った。

 「それは俺の台詞」

 

 「でも・・」

 「冬乃の剣になら安心していられた」

 

 

 冬乃は今度こそ、溢れ出る嬉しさで大きく破顔してしまい。

 

 そんな冬乃へ伸ばされた腕に、次には抱き寄せられた。

 

 「そして・・御免」

 (え?)

 ぎゅうと冬乃を抱き締める腕が強まり。

 

 「藤堂には、置屋で会わせるべきだった。前回のように」

 

 冬乃は驚いて顔を擡げた。

 「・・ですが、それは」

 

 今回置屋の部屋を借りなかったのは、前回と違って込み入ることになる話を置屋に居る抱えの遊女たちに聞かれてしまわないためだ。

 

 「おもえば多少の無理を言っても人払いしてもらうぐらい出来た」

 「そんな・・今回の事なんて、」

 

 事態は、

 藤堂達の屯所を避けて会うことで、新選組と関わりのある冬乃を万一にも覚えられないようにする・・云々どころでは無くなっているのだ。

 

 「初めに想像できたはずがありませんし・・っ、だってこの人達は伊東様を、」

 はっと冬乃は息を呑んだ。

 

 「総司さんっ、この人達が話してた事、藤堂様にも早くお伝えしなくては・・!」

 

 

 「何を聞いたの」

 

 酷く焦りだした冬乃を見下ろして沖田が、落ち着かせるかのように冬乃の片頬をその手に包んできた。

 

 「殺そうと・・してたんです、伊東様を・・っ」

 「理由は」

 「伊東様のご活動を、阻止するため・・」

 

 「わかった、」

 冬乃の震える頬を尚も心配そうに包みこんだまま、沖田がまっすぐに冬乃の瞳を見返した。

 「藤堂が戻ったら茶屋で話そう」

 

 「はい・・」

 冬乃は幾分ほっとして、小さく頷く。

 

 (て、藤堂様が戻ったら?)

 

 「藤堂が番所の者を呼びに行ってる。そろそろ此処に来る頃合いだ」

 

 冬乃は今度は驚いて目を瞬かせていた。

 「では藤堂様はこの場所をお分かりに・・?」

 

 「実はね、」

 沖田が先程来た道のほうへ視線を遣る。

 「先刻あの角を曲がる手前までは、藤堂も冬乃の様子を確認しに一緒に来てた」

 

 (そうだったんだ・・)

 沖田の腕のなか、吹き付ける風から今は守られながら、冬乃が寒々とした道の向こうを同じく見遣った時。


 「来たか」

 沖田が冬乃をそっと離し。

 

 その通りに、まもなく角を曲がって藤堂と役人達が駆けてきた。

 

 「冬乃ちゃんごめんね、俺が奴らに気づかなかったばっかりに・・!」

 目の前に来るなり開口一番謝ってきた藤堂に、冬乃は慌てて首を振る。

 

 冬乃だって、置屋から乗ってきた駕籠を一本道の手前で降りた後、背後なら見渡して怪しい者はとくに見留めなかったのだ。

 よほど彼らは、巧く人波へ身を潜めて来たに違いない。

 

 

 「藤堂、冬乃から伊東さんの事で話がある。この後、茶屋へ戻ろう」

 「え・・三人で?」

 

 (・・・あ。)

 そういえば、出合茶屋の主人にはやはり顔を見られはしなかったけども、

 それでも先刻の男女とおぼしき同じ服装の二人が戻ってきたうえに、今度はもう一名男性が追加ともなれば、いろいろおかしい・・気がする。

 

 「仕方ないだろ」

 沖田が事もなげに微笑った。


 そうこうするうち、藤堂が番所の役人を通してさらに新選組にも知らせをいれていたのだろう、

 役人達が四人の骸ろを戸板に乗せ終わり筵をかけてゆく頃には、新選組の隊士達も駆け込んできた。

 

 沖田から指示を受けた隊士達に、失神していた男達が叩き起こされるや否や蒼ざめた顔で屯所へと連行され出すのを、冬乃はそっと沖田の背後から見つめ。

 

 その先の角からは入れ替わるように、更に数人の役人が筵のかけられた戸板を運んで来る。

 茶屋の方向から運ばれてきたということは、藤堂のほうへ行っていた浪士達なのだろう。

 

 

 冬乃は、

 もう何人もの血塗れの骸ろを、そしてその死の瞬間を、此処の世に来てから見てきた。慣れてしまったのだと、

 心の隅で何も感じないように努めながらも今また気づかされる想いで、並べられてゆく彼らからつい目を逸らした。

 

 これが当たり前な光景の、幕末の世。

 まして日ごと更に。討幕派はこの先も諦めることはないのだから。

 

 そして歴史の波は、最後には日本を分断する戦さへと向かっていってしまう。

 

 こんな世に終止符を打つために、これ以上血を流さない終結のために、

 いま伊東や龍馬が懸命に活動しているというのに。こののち彼らを喪うことにならなければ、彼らの活動がもっと数多へ拡がる時の猶予があったならば、

 この先の歴史の波は或いはゆく先を変えて、多くの命が救われた可能性だってあったはず。

 

 

 (だけど、変えることはできない・・)

 

 冬乃は常の無力感に打ちひしがれる。

 

 伊東がいま討幕派に命を狙われていることを藤堂に伝えて警戒したところで、

 伊東の死そのものを、そして藤堂の死をも。回避するすべはない。

 

 きっと叶っても唯、

 彼らの道半ばの功績をまるで無に帰して“只の仲間の裏切者” として喪う、そんな歴史をなぞることだけはないように、

 導く迄で。

 

 

 (それでも・・絶対に、それだけは)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「伊東先生が討幕派に命を?!」

 

 狙われていると。

 

 冬乃は、戻ってきた出合茶屋の部屋で、藤堂に膝を突き合わせるなり真っ先にそう伝えた。

 

 今回彼らが冬乃を囮にして藤堂を捕らえようとしていた理由も、恐らくその為だと。

 

 「・・てっきり、俺が奴らの個人的な仇かなにかで狙ってきたんだとばかり思ってた・・」

 

 驚愕したまま怒りにか震え出した藤堂が、まもなく、はっと思い出したように沖田のほうを向いた。

 「冬乃ちゃんから、伊東先生が受けることになるっていう誤解の内容はもう聞いた?!」

 

 「・・いや、」

 沖田が隣の冬乃を見る。

 「どんな」

 

 「この先、先生が近藤さんの暗殺を企てたなんて事になるって・・!」

 躊躇した冬乃に代わって即座に答えた藤堂の、

 今の台詞に。

 

 沖田が一寸のち、深く溜息をついた。

 

 「・・・そういう事か」

 

 

 (え・・?)

 

 全て納得したようなその表情を、見上げた冬乃のほうが戸惑い。沖田の次の言葉を待てば、

 

 「藤堂は」

 沖田が、藤堂を見据えた。

 

 「伊東さんがそれを企てることはありえないと断言できるか」

 

 「できるよッ、ありえないに決まってるよ!」

 もはや声を張り上げて即答で断言する藤堂に、沖田がすぐに「わかった」と頷いた。

 

 「土方さんに伝える。俺達が伊東さんについてこの先、誤解することは無い。・・・だから、安心しろ」

 

 ほっとした様子の藤堂が。

 

 「ありがと、頼んだよ!」

 

 一寸のち今度は冬乃を向いた。

 

 「伊東先生が、こんなありえない誤解されたっていう歴史と、いま討幕派に命を狙われている事って、関係があるんだよね?俺達が敵対したら喜ぶのはそいつらって事でしょ」

 

 「いえ、」

 冬乃は慌てて首を振る。

 「わかりません」

 

 新選組と伊東達が殺し合ってくれればいいとまで、

 そのための案について本当は彼らが話していた事、

 

 まさに討幕派こそが、その誤解によって伊東の粛清が起こるよう仕向けた張本人達である可能性を、

 

 そして起こってしまった歴史を。

 

 冬乃は絶対に肯定などできない。

 藤堂に、新選組と伊東達は訣別してそれきりとしか伝えられなかったように、この先も藤堂へ本来の歴史を明かす勇気など、冬乃には到底出ないだろう。

 

 

 「・・本当に伊東先生は大丈夫なんだよね?この先、討幕派が伊東先生を襲ったりし」

 「いいえ!」

 冬乃は懸命に藤堂を遮った。

 

 「私の知るかぎり、これから先の歴史でそのような事はありません・・!」

 

 安堵した藤堂の笑顔を前に、冬乃は、刹那に心奥を突き刺した痛みに必死で耐えた。

 

 

 「あれ、そういえば」

 

 つと。藤堂が首を傾げた。

 

 「冬乃ちゃん、奴らが討幕派だってどうして判ったの?」

 

 (あ・・)

 

 「それが、」

 これは言っても大丈夫・・・

 冬乃は一瞬に思考を巡らし、口を開く。

 

 「坂本龍馬のことも狙っているようだったので・・」

 

 「坂本龍馬って、土佐の??」

 「はい」

 

 藤堂の瞳が大きく見開かれ。

 

 「・・坂本は討幕も辞さないとその筋からは聞いてたけど、そっか・・“歴史” では、そうじゃないんだ?」

 

 冬乃は、

 藤堂を見据え。しっかりと頷いてみせた。

 

 「きっと大政奉還が実現するか分からなかった頃は、そうだったかもしれません。でも今は」

 

 「伊東先生と同じ志、ってことなんだね・・!」

 藤堂の期待を籠めたような双眸が、まっすぐに冬乃を見つめた。

 

 はい、と冬乃は胸に燻るままの哀痛を押し遣り、返す。

 

 藤堂が沖田を再び向いた。

 

 「沖田、土方さんにこれも伝えて。伊東先生が近いうち、朝廷への建白書を近藤さんにもぜひみてほしいと言ってたって。だから会う準備を始めておいてほしいんだ」

 

 「了解した」

 冬乃が再び横に見上げた先、沖田のひどくほっとしているような表情が、そこにはあった。

 

 

 (あ・・・)

 

 もしかして沖田は、

 藤堂が新選組を出て行ったあの日、冬乃の話から、歴史通りであれば新選組が“敵方に寝返った” 伊東達を粛清する未来が待っている事まで、はっきり判ってしまったのではないか。

 

 (それならさっきの反応も・・それで)

 

 寝返った伊東が近藤の暗殺を企てている、

 それを近藤達が真と結論づけるに至った何らかの原因も討幕派の謀り事であった可能性まで含めて、

 

 その致命的な結論がゆえに、伊東達の粛清という信じ難い結末へ辿ったのだと。得心が行ったからだろう。

 

 そして今、

 その結論が、確かに誤りで。

 伊東の志は新選組に反してゆくことは無いと。

 

 冬乃も確信し深く安堵したように、沖田も同じ心境に違いない。

 

 大政奉還を経て過渡期を迎えた今に至るまで、一番近くで伊東の志をみてきた藤堂が、伊東の裏切りなどありえないと断言したことで。

 

 

 (・・・違・・う、)

 

 きっと沖田は、冬乃以上に安堵しているはずだ。

 

 この先の誤解と粛清を防げば、

 藤堂は生きて、いつか無事に新選組に戻って来られるものと。

 

 

 (・・総司さん、・・ごめんなさい・・・)

 

 それだけは防げないことを、冬乃が沖田へ打ち明ける時が来るのか、冬乃には未だ分からなかった。

 

 本当は藤堂を喪う日が来てしまう前に、先に沖田には伝えなくてはならない事なのではないか。そう感じていても。

 

 (だけど)

 どんなに抗ったところで防げないその事だけは、

 知らずに済むのなら知らないままでいたほうが。その時その瞬間まではせめて、苦しまずにいられるのではないか。

 そう思っては、切り出せずに。

 

 

 「じゃ、帰ろうか」

 

 つと呟かれた沖田の台詞に、冬乃は引き戻されるように目を瞬かせた。

 

 「そしたら俺、先に出るよ」

 藤堂が声を挙げ。

 「帰りに俺たちが一緒に居るところ、誰かに見られないほうがいいでしょ」

 

 「あー、宿の主人には、間男に妓を取られたみたいな雰囲気出してしょんぼり帰るから。ここで別れよ」

 続けて肩を竦めてみせる藤堂に、

 沖田が微笑う横で、冬乃は瞠目する。

 

 「じゃあまたね!」

 

 (あ)

 「どうか、お気をつけてお帰りください」

 「気をつけて帰れよ」


 冬乃と沖田の声が重なって。

 

 「うん」

 藤堂はにっこり微笑むと立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 襖を開けて出てゆく藤堂の背を寂しそうに見送る冬乃を、沖田は横に見下ろしながら内心溜息をついた。

 

 安全な、己の目の届く処にずっと彼女を閉じ込めてしまいたいと。今日ほど、そう思った日は無い。

 

 

 あの時、道を来る沖田を見留めるなりすぐさま浪士達へ抜刀した藤堂から、冬乃が人質になっていると聞き、

 共に浪士達を片付け、藤堂と路地を急ぎながら、

 

 冬乃をこの目に捉えるまで生きた心地がしなかった。

 などと、わざわざ彼女に打ち明けるような事でもないが、

 

 もし今日己が、奇跡的ともいえる偶然にも冬乃を迎えに来ていなかったならば、

 冬乃はどうなっていたのか。想像したくもない事態が、起こり得ていてもおかしくはなかっただろう。

 

 「・・・冬乃」

 

 

 沖田の零した声音に驚いた黒曜の瞳が、沖田を見上げた。

 

 「伊東さんの件は・・いや、この件に限らず。もうこれからは」

 

 沖田の言おうとする言葉を察したかのように、冬乃の瞳が大きく見開かれる。

 

 沖田は、一呼吸おき。そんな冬乃を見据えた。

 

 「冬乃は一切動かず、俺達に全て預けてほしい」

 

 「・・同じことを」

 冬乃が、やはり察していたかのように弱く微笑んだ。

 

 「藤堂様にも念押しされてしまいました。ですが、私にもできることはしたいのです。私はこれから先なにもしないでいるなんて、」

 「冬乃」

 

 「・・頼む」

 

 絞り出した己の声の重さに。

 

 受けた冬乃ははっとした様子で、沖田を見返してきた。

 

 

 

 


       



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