二十四. ゆく末への抗い②






 目が覚めたら、冬乃が横に寝ていた。

 

 いや、冬乃の気配に目が覚めた

 が正しいのだろうか。

 

 

 「・・冬乃」

 おもわず呼びかけて沖田は、伸ばした手の内に彼女の柔らかな頬をそのままそっと包みこんだ。

 

 己の褐色の手と対照的な、朝の光に透きとおる彼女の白肌をつたい、柔らかな唇に触れる。

 指先に感じる、かすかに温かな吐息。

 

 (冬乃)

 今一度。待ちわびた愛しい存在の名を、胸内に囁く。

 

 (おかえり)

 

 その躰を、腕の中へ抱き寄せた。

 

 

 

 

 

 

 冬乃を包む、硬い腕の感触、ぬくもり、芳りが。

 最も帰りたかった場所へ、真っ先に戻ってこられたことを知らせて。

 冬乃は霧から解放されても目を瞑ったまま、身動きしてしまうのさえ勿体なくなってつい息をひそめた。

 

 このまま、この腕の中にずっといたい。


 (・・本当に止まってしまえばいいのに)

 この世界がこれ以上はもう、先に進むことなく。

 

 そうして永遠にこのひとときに、幾度でも戻ってこられたなら。

 もう何度となく繰り返したその叶うはずのない願いを、再び胸内に呟く。

 

 

 無意識に沖田の胸元へ擦り寄っていたのだろう。

 つと頭上で、くすりと微笑う気配がした。

 

 「冬乃、」

 こっち向いて

 優しい低い声が次には降りてきて冬乃の鼓膜を擽って。

 冬乃は、観念して素直に顔を擡げた。

 

 (・・総司さん)

 

 すぐ真上で冬乃を見下ろす澄んだ瞳を、見つめ返しながら、

 「おかえり冬乃」

 その瞳が嬉しそうに微笑んでくれるのを前に。冬乃は、止まってくれるはずのない時の中、今回の再三すぎる不在をおもえば、酷く申し訳なさが襲ってきて、

 「ごめんなさい・・」

 押し出した声がおもわず震え。

 

 「次はいつ貴女に逢えるのか、楽しみになってた」

 そんな沖田の返しに。

 ゆえに冬乃はそのまま瞠目した。

 

 前回もう未来へは帰らないとはっきりと告げたのに、また帰ってしまったことを、

 わかってはいたがやはり沖田は責めては来ず、どころか、まるで再び帰ってしまうことがあったとしてさえもそれすら許されてしまいそうな響きで。

 

 (・・そんなふうに)

 いつも貴方は優しいから

 

 (私は・・救われてばかり)

 

 「・・・今度こそは」

 冬乃は、祈りを籠めて首を振っていた。

 

 「今度こそはもう、戻りません」

 

 一体、既にどのくらいの時が経過してしまったのだろう。

 「今日は、いつで・・」

 

 (・・?)

 冬乃は大きく顔を上げたことで視界の端に映った景色へふと感じた違和感に、言葉の途中で周囲へと視線を流した。

 

 (此処・・・どこ・・・?)

 

 

 「屯所を引っ越した」

 

 冬乃の視線が彷徨っているのへ沖田が微笑って答えてきた。

 

 (あ・・っ)

 冬乃が未来へ帰ってしまったのは五月。それから暫くして新選組は、西本願寺から屯所をまた新たに移転するのだった。

 

 「そして今日は、」

 沖田の恒例の返事が続く。

 

 冬乃は息を凝らした。


 (・・大丈夫)


 まだ、間に合っているに決まっている。

 

 藤堂の死に、間に合っていないなら、

 いま目の前で彼がこんなに穏やかでいるはずがないから。

 

 「十月の十日」

 

 

 それでも、冬乃はその返事を耳に、震えた息を零した。

 

 藤堂の死の刻限まで、もうあと二月もないところまで来ているではないか。

 

 「今、近藤様と伊東様の件は・・」

 恐る恐る尋ねる冬乃へ、しかし沖田は尚穏やかに「それならば、」囁いた。

 「心配ないよ」

 

 (え・・)

 

 「つい先日も、伊東さんから内々の協力があったばかりだ」

 

 (・・・あ・・)

 そうだった。薩摩の過激分子による暴動の計画が、このころ土佐の陸援隊に潜入していた新選組隊士によって伝えられ、

 近藤達は、その情報の正誤確認を伊東に依頼したのだ。

 

 これまでの努力で伊東達は、薩摩や土佐の過激派寄りの志士との交流も着々と深めていた。

 そうして伊東は、今回の情報が確かな事を確認し、近藤達にその旨を連絡、

 それを受けて近藤達が会津へ報告したのが十月九日、つまり、まさに昨日だったはず。

 

 

 「だから少なくとも今はまだ、危惧したような事態にはなってはいない」

 

 冬乃は一抹の安堵で、小さく頷いた。

 

 (それなら・・)

 歴史通りに、

 この時までは、まだ近藤達から伊東への信頼があったのだ。

 

 そしてきっと今も近藤と伊東の二人の志は、同じ方向を向いているはず。

 

 

 (なのに残りの一月ちょっとの間に、急変してしまうなんて)

 

 永倉の遺した記録では、

 この一月ほど後に、伊東達の元へ行っていた斎藤が、伊東の近藤暗殺計画を知って戻ってくることになったとある。

 

 

 (だけど・・・)

 

 やはりあまりにも、信じ難く。

 伊東こそ、そのようなやり方を一番嫌うような人ではないか。

 

 (永倉様ごめんなさい・・永倉様を疑っているわけじゃないんです、でも)

 本当に暗殺計画があったのか、

 

 (何かの間違えだった、ってことはないの・・・?)

 

 本当はいったい何があったのか。

 

 真実は未来の世において様々な推察とともに、謎に包まれたまま。



 冬乃が帰っている間にも、新選組史に遺るほどの或る哀しい事件が、この分離をめぐって起こっていたはずで。

 近藤と伊東の間の秘密裏の関係は、そんな数多の痛みを乗り越えてここまで続いてきたのだろう。

 

 きっと伊東は変わらず長州に寛容的であり、

 そして現状の対外的な見せ方も付加されて、今や非常に難しい立ち位置であるにもかかわらず。

 

 (それでも・・・結局は、そのせいなの・・?)

 

 

 もし冬乃の推測が正しければ、伊東は近藤を裏切ってなどいない、それなのにこの後の近藤がそんな伊東を信じられなくなるような、重大な何かが起こったのだ。

 

 その時から生じた誤解は、最後まで解けることはなく。



 今日が十日ということは。

 あと四日で、大政奉還を迎える。

 

 これにより薩摩の激派らによる『武力討幕』に向けた朝廷工作が功を成さずに済み、一時的には戦争を回避することになって。

 

 まだ第二次長州征伐からの消耗が癒えぬなかで、再びその時の二の舞が起こることを少なくともこの時点では避けることが叶ったのだ。

 

 

 (大政奉還の後・・藤堂様に会いにいこう・・。)

 

 本当は伊東が今どう考えていて、何を志すのか。今一度、・・否、今こそ知りたい。

 

 その答えによって、漸く、藤堂にもう少し何かを伝えられるかもしれない。

 

 

 

 「冬乃」

 

 (・・あ)

 

 黙り込んでしまっていたことに気が付いた冬乃は、はっと沖田を見返した。

 

 「もしかしたら冬乃は、江戸に来てたかもしれなかった」

 

 (え?)

 

 その謎の台詞に。一瞬にして冬乃の思考は奪われ、

 冬乃は驚いたまま沖田を見つめた。


 「本当なら、俺は土方さんと一緒に江戸へ隊士募集に行く予定だったんだが、今回も結局、近藤先生の護衛のほうを優先させてもらった」

 

 もし俺が江戸へ行っていたら

 沖田がにっこりと微笑む。

 

 「いつ冬乃が戻ってきても真っ先に逢えるように、文机を『肌身離さず』江戸まで持って行ってたと思う」

 

 (あ)

 そうなれば冬乃が江戸の地に“タイムスリップ” していたかもしれないのだと。

 二人の枕元の文机へとおもわず視線を奔らせながら冬乃は、沖田の先の台詞の意味が分かって、

 

 そして次には、目を見開いた。

 

 思い出して。


 (総司、さん)

 

 史実でなら。

 このころ沖田が江戸へ行かなかった理由は、結核の発病のせいだった事を。

 

 

 (良か・・った・・・)

 

 胸奥をこみあげる想いに圧されながら、冬乃は改めて今、目の前の彼が見るからに壮健なさまを、

 

 千代の魂からの願いが、

 確かに叶ったのだということを。実感したと同時に、

 冬乃の双瞳には涙が溢れてきて。

 

 「・・何故泣くの」

 さすがに驚いた様子の沖田が、戸惑った眼で冬乃を覗き込んだ。

 

 「そ、の・・江戸に行ってても、真っ先に逢えるようになんて思っててくれたからです」

 咄嗟の、と言っても本当にそれはそれで感動した事を冬乃は慌てて理由に挙げる。

 

 「・・・」

 沖田が少し困ったように微笑んで、その大きな手を冬乃の頭に置いた。あやすように撫でて。

 

 そしてつと何か思ったのか、ふっと微笑った。

 

 「まあ、江戸との行き来の“道中” お天道様の真下、だった可能性もあるが」

 

 (・・・あ。)

 「その場合、また冬乃に裸で来られたら、土方さんがどうなってたことか」

 

 (う)

 確実に怒髪、天を衝いてたとおもいます・・・。

 冬乃は未だ頭を撫でられながら胸中おもわず返答する。

 

 「そう思ってみれば、見ものだったか。絶好の機会を逃したかな」

 (え)

 あいかわらずのドS発言に冬乃が慄いた時。

 沖田がその悪戯な眼差しで、急に冬乃の腰を引き寄せた。

 (きゃあ!?)


 沖田の布団の中、冬乃はそのまま抱き包められたままに。


 「裸でこそ無いが」

 彼の揶揄う声をすぐ真上に聞く。

 

 「今回は、未来の湯文字も着けてないんだね」


 

 (・・・・あ・・っ)

 

 おむつを外して、なんだかんだでそれから下着を穿いた記憶がそういえば。無い。

 

 (すっかり忘れてた・・・!)

 

 「っ…!」

 惑うことなく、温かな手が裾内へ潜り込んできた。焦る冬乃の、裏の腿をその大きな手はゆっくり擽るようになぞり上げてゆく。

 

 まだそこに触る前から、冬乃が下着を穿いてないことを分かっているなんて、

 つまり冬乃の目が覚める前にすでに、

 (確認済!?)

 

 「もう・・っ」

 おむつを脱いでおいたのは大正解だったらしい。

 とはいえ。何も着けないで来るなんて、それじゃまるで・・

 

 「・・ン?」

 冬乃の頬が紅潮したことは見えていないはずなのに、お見通しのように沖田の微笑った振動が伝わって。

 「もう何」

 揶揄うようなその声は、あまりにも真近で。

 

 そのうえ強く抱き寄せられたまま密着する内股へ、当たる彼の硬い感触に。

 冬乃は遂に息を呑んだ。

 

 太腿を上がりくる、熱を帯びてゆくその手なら、まもなく下着もない冬乃の無防備な臀部に達して。

 

 「ぁ」

 その場で数度揉んだ指が、つと、

 後ろからそのままするりと冬乃の秘部へと這入り込んだ、

 「ッ…」

 同時に、

 前からは彼の硬いものが、いっそう押し付けられ。

 

 服の布越しなのに。冬乃の内腿に潜り込む、そのどこか凶暴な圧感に、冬乃がおもわず腰を引きかけたとき、

 「きゃっ…!」

 背後からの沖田の指がいたずらに、冬乃のすでに敏感になっているその場を擦り上げた。

 と共に、

 冬乃の腰にあった沖田の太い腕は、引きかけていた冬乃の腰をいっそう抱き寄せ。

 

 そんな強い力で今度こそ囲われた冬乃は、もうなすすべもなく。その拘束のなか、冬乃の秘部では長い指が、幾度も、その場を往復しては。

 「ぁ、……あ…ぁっ…」

 冬乃の息を急速に、乱しはじめ。

 

 「待っ…」

 それでも冬乃はまもなく、此処は周囲と隣接しているであろうことを思い出して、慌ててその指から逃れようと身を捩っていた。

 (あ)

 何故か素直に冬乃の秘部から指が去った、

 刹那に冬乃の顎先は掴まれ。くいと沖田へ向かされた。

 

 (え・・?)

 すでに生じている快感に涙で少し濡れた瞳を擡げ、潤む視界に沖田を見上げた冬乃の、

 乱れかけた息に震える唇は。

 次には深く塞がれ。

 

 「っふ…!」

 続いて、冬乃の内股に押し付けられていた硬い大きな感触が、布越しに冬乃を、ゆっくり擦りはじめて。

 

 「…ん…ん…ー…っ…!」

 

 腰を捕らえられていて逃げられない冬乃が、おもわず背の側を反らせてみせても、

 強靭な拘束も、その噛み付くような口づけも、冬乃を逃しはせず、

 

 気づけば冬乃の尻から秘部へと再び侵入した沖田の指が、むしろ先程よりもその愛撫の濃度をあっというまに増してゆき。

 

 (だ、め)

 「ぅ…ン、んっ!」

 冬乃は自身の制止の思いとうらはらに、這わされる沖田の指の動きに、瞬く間に翻弄されだして、

 さらにはなぞられる前からの布越しの刺激に、最早堪えかねてきつく目を瞑った。

 

 「ふ…っ…、ぅ」

 そんな間にも容赦なく、冬乃の歯列を沖田の舌先が割り挿り。冬乃の零れる嬌の声音を塞ぎながらも、冬乃の熱くなる口内を味わうように、蠢いて、

 

 やがて目ならきつく瞑っているのに、焦点が定まらずに振れるような眩暈に見舞われた冬乃は、咄嗟に伸ばした手に触れた沖田の着物を握り締めた。

 喘ぐ息の逃げ場もないままに、熱を籠らせてゆく躰は、もう抗うすべもなく。

 

 漸く唇を解放されたころには、

 絶えだえな息を。

 「…は…ぁ、……ぁっ…や、あっ」

 つく間も与えず、

 すでに散々にその大きな掌で冬乃の尻を揉んだり持ち上げながら、長い指を冬乃の秘部に潜らせ這わせていた沖田の、

 施してくる数々の動きは、

 

 「そぅ、じ、さ…ぁっ、ゃあ、ぁんっ…!」

 

 冬乃を高みへと。押し上げきって。

 

 吐息は最早激しく乱れ、

 尚も続く彼の動きひとつひとつに跳ねるように抑えきれない声の、狭間に、それでも冬乃は残る最後の欠片の理性で未だ、

 此処は屯所の一角で、きっと離れの一室なわけではないのにと、

 「そぅじ…さ…んっ…」

 

 懸命に、

 「…だ……め………っ…!」

 紡いだとき。

 

 いつのまに服をはだけたのか布越しではない直の、彼のものが。

 冬乃の濡れそぼつ場所へと、当てられ。

 

 (あ…)

 

 

 それからは、もう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「はぁ……」

 

 冬乃は新しい女使用人部屋で、前屯所から沖田が運び込んでおいてくれた行李を開けながら、つい気だるい溜息をついた。

 

 沖田の部屋の両隣は近藤と土方の部屋だったらしく。

 

 土方は東下中だから不在にしても、近藤は道場で朝の素振りをしているのだと後から沖田に聞いて、冬乃は、

 もし近藤が戻ってきていたらどうなってたのかと、背に冷や汗をおぼえて。

 

 それほどに。

 冬乃はあいもかわらず、嬌の声を抑えきれていた自信など無い。

 

 沖田が言うには、手加減した、との事だが。

 

 

 (もうぅ・・っ)


 ひとり今さら剥れながら、冬乃は当然一方で、先程までの溺れきったひとときを克明に思い出してしまっては顔がにやけてしまうのだから、冬乃も冬乃でつける薬がないのだけども。

 

 それにしても、これで二度目で。周りがいる沖田の部屋で、彼に“てごめ” にされたのは。

 尤も、冬乃の抗いがどこまで本気だったかなんて、自分でも定かではなくても。

 (だ、だけど)

 

 離れであった冬乃の部屋だって、本来土方には禁止されていたのに、

 (総司さんの部屋で、またあんな・・さいごまで)

 

 「・・・っ」

 再び映像が駆け巡り。かあっと頬が熱くなった冬乃は、慌てて頭を振る。

 

 二度あることは三度ある。

 冬乃の今もっぱらの懸念は、

 

 (クセになっちゃったら・・・どうしよう。)

 

 誰のクセになるかって、勿論、

 冬乃の、である。

 

 

 (~~~もうぅ)

 

 冬乃は遂におもいっきり顔を覆った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冬乃が脳裏の幸せな映像に邪魔されながらも、なんとか着替え終えて行李をしまっていると。

 お孝が部屋に入ってきた。

 (あっ)

 

 「冬乃はん!?」

 大きな笑顔に迎えられた冬乃は、

 「ご無沙汰してすみません!」

 慌ててお辞儀で返しながらも、

 

 屯所をまたも引っ越したというのに、こうしてお孝が新選組についてきてくれている事に、なんだか組に代わって御礼まで言いたくなり。

 

 茂吉や藤兵衛たちも此処、引っ越し先へ来てくれている事は、先程この新女使用人部屋へ沖田に連れてこられるときに話で聞いている。

 

 その時の感激がお孝を前にじわりと胸内で蘇り、冬乃は更に深々と頭を下げていた。

 

 「ややわぁ」

 お孝には長期不在を謝ったきり頭を上げない冬乃が大げさに見えたのか、

 「今回に限ってどないしたん、顔あげて」

 だいたい冬乃が実家帰りで居なくなることなど毎度の事。とばかりに、

 温かな笑顔が、お孝に促されて顔を擡げた冬乃を迎えて。

 

 (お孝さん)

 

 ここまで一緒に来てくれたというのに。・・それなのに、

 もうすぐお孝達とも別れる時が迫っているが為に。

 

 その未来に胸奥を掴まれている冬乃は、いつも通りににこやかに微笑んでくれるお孝を目にして、

 咄嗟にもう一度頭を下げていた。

 

 「あの、あとごめんなさい」

 泣きそうになった顔を隠すために。

 

 「いつもお土産も持ってこなくて」

 

 もとい毎回、気にはなっていた事。

 

 「何言わはるん」

 お孝の更にあっけらかんとした声が落ちてきた。

 

 「冬乃はんが帰るたんびに持ってきてくれはってたら、どこにも行かへんうちが貰いっぱなしになってまうやないの」

 

 (あ・・)

 温かい返しに、冬乃はほっとしつつも、

 おもえばそれだけ頻繁に帰っていたわけで。

 

 引き続き項垂れた冬乃に、だが、

 「またよろしゅうなあ。嬉しいわぁ」

 そんな優しい追い打ちが来る。

 

 冬乃はよけいに熱くなった目頭に諦めて、遂に顔を上げた。

 「こちらこそよろしくお願いします・・!」

 

 涙ぐんでいる冬乃に気づいて瞠目するお孝へ、

 「久しぶりに会えたら感動してしまいました・・」

 冬乃はそんな言い訳で、できうるかぎりの笑顔を返した。

 

 

 これより二月後に。

 新選組は此処を引き払い、二条城へ向かうことになる。

 

 そして戦さへと進んで、

 

 それからは新選組はもう二度と、京の地へ戻ることはない。

 

 

 だから。

 

 (あと二カ月・・お孝さん達と過ごせるこの最後の時間に、せめてできるかぎりのことをしよう)

 

 真っ先に思いつくのは、使用人の仕事を近藤の仕事の後に手伝う事。

 

 新しいこの屯所は、西本願寺の屯所以上に広大なはず。

 まだ殆ど案内されていないので想像でしかないが、もし広すぎるとなれば、猫の手だって借りたいだろうと。

 

 (そういえば)

 沖田に聞きそびれていたが、西本願寺に居た頃あとから募集されて入ってきてくれた他の使用人たちも来てくれているのだろうか。

 

 「この新しい屯所もまた広そうですけど・・」

 冬乃は早速聞いた。

 

 「人手は足りてますでしょうか?夕餉の後の時間とかになってしまうかもしれませんが、よかったら私にも手伝わせてください」

 

 「ま」

 お孝が目を瞬かせた。

 

 「冬乃はんが助けてくれはるんやったら百人力やけど、・・ええんのん?冬乃はんもこれからもっと忙しいんとちゃうん。今いろいろ・・あるんやない・・?」

 

 近藤の付き人になっている冬乃に、

 いま京の誰の目からみても分かるこのかつてないほど不穏な世情下で、公儀方新選組の仕事ならば山積みなのではないかと、

 お孝がそういう意味で聞いてくれたらしいことに冬乃は気が付いて。

 

 (そう、だよね・・・そうなんだけど・・)

 

 この時期は、

 

 先の四侯会議が失敗に終わったことで、長州や土佐内の過激派と共に、薩摩もが内々に討幕へと舵転換してゆく中、

 

 幾つもの暴動計画が企てられ、その阻止に新選組は変わらぬ多忙を極めている時期であり。

 

 そのうえ近藤は、在京の一『旗本』としても日夜政策をめぐり各所の会議へ足繁く通っているさなか。

 

 だからこそ沖田も、近藤の護衛のために京に残ったのだ。

 

 

 「・・・それでも少しの時間でもお手伝いさせていただきたいんです・・」

 つい呟くような返事になってしまった冬乃へ、

 

 「おおきになあ」

 お孝がほっこりと微笑んでくれた。

 

 「ほな助けてもろうてまうこともある思うけど、無理はせえへんようにしてな」

 

 「はい」

 冬乃はほっとして微笑み返した。

 

 

 「そや」

 と、お孝が何か思い出したように突如、うふと微笑った。

 

 「あのニワトリさんたちも、引っ越してきてはるえ」

 

 

 

 

 

 お孝と別れて近藤の部屋へと向かいながら冬乃は、先ほど聞いたニワトリたちの引っ越し模様をもう一度想像してしまい。ぷっと噴いた。

 

 どうやらお孝の話によると、その引っ越しはちょっとした騒動だったらしい。

 

 逃げ足の速い彼らニワトリや豚たちを隊士総動員で屯所じゅう追いかけまわし、やっとのことで捕獲するような事態だったらしく。

 

 冬乃は沖田と一緒に子豚を追いかけまわした時の事を思い出して、あれが屯所じゅうの規模で行われたのだと思うと、隊士達に同情の念を禁じえなかった。

 

 (総司さんも参加したのかな?)

 

 あとで聞いてみよ

 幹部たちの部屋へ続く廊下へと上がりながら、冬乃は今一度想像してふふと微笑った。

 

 

 ちなみに今回の屯所では、女使用人部屋は、幹部の部屋列に横づけて設置する迄はされなかったようで。

 

 それでも幹部連の裏庭に続く離れの一角が割り当てられ、少し離れた所には幹部用の風呂場や井戸があり、

 此処でも冬乃はそれらを使わせてもらえるとのことだ。

 

 そんな裏庭一帯から向こう、この屯所と通りを隔てる濠の塀までの区間は、ところどころに植えられた低木が点在しているだけの、殺風景が延々と続く。

 

 これではいったい、他の建物はどこにあるのか気になって仕方ない。

 

 

 (でも此処を引き払うまでに屯所内すべて廻ってみるコトなんて、無いままで終わっちゃいそう・・。)

 

 探索に行って戻ってくる間、かるく雲隠れしている状態になるだろう。

 これから多忙が確実な冬乃に、そんな時間の余裕があるはずもない。

 

 (できればあちこち、見て廻ってみたかったのにな)

 

 

 ・・・って。

 

 今からもう引き払う時の気分になっててどうすんの

 

 冬乃は次には呆れて、ぶるぶると頭を振った。

 

 

 

 気を引き締めた冬乃は、冷たい廊下をひたすら歩む。

 

 先ほど沖田から説明のあった、広々とした幹部たちの部屋の前を少しずつ通過してゆき。

 

 いま冬乃の横に広大にひろがる内の庭を、挟んだその向こう側には、平隊士たちの寝泊まる大部屋の列が連なる。

 もう皆とっくに起き出して、彼らの部屋連側の裏庭に在るであろう井戸場で、各々したくに勤しんでいるのだろうか。

 

 遠くからは馬の嘶きが聞こえている。

 そういえば馬小屋はどこにあるのだろうと冬乃はきょろきょろしてみたものの、冬乃の目を奪うは、内庭の大きな枯山水の紋様ばかり。

 

 

 せっかくなので冬乃は、立ち止まり。その見事な景色を堪能することにした。

 

 作業着に一枚羽織っただけの冬乃の体には少し厳しい冷風が、びゅうと吹き抜けたのへ身震いしながらも、

 

 眼前にひろがる、しんとした朝の空気を纏っていっそう清閑なその光景は、多忙の時へ飛び込む前のひとときの安らぎを冬乃に与えてくれるかのようで、

 

 おもわず溜息をついて。

 

 

 暫し見つめていた冬乃は。

 再び吹き抜けた木枯らしに身震いして、漸く顔を上げた。

 

 (・・・こんなに大きいんじゃ、やっぱり庭師さんが毎日来るのかな)


 歩みを再開しつつ、そんな疑問がふと浮かぶ。

 沖田との休息所の家にも、毎日ではないが時々庭師が来て、砂紋を整えてくれていた。そんなことも思い出した冬乃は、早くもあの家が恋しくなり。

 

 (そうだ、もう・・あの家とも、あと二カ月なんだ・・)

 

 刹那その事に、思い至った。

 

 

 ――ほんとうに

 この世界がここでもう止まってくれたら


 

 (・・・また・・)

 

 こんな祈りに、もはや事あるごとに纏わり憑かれる。

 次には絶望の渦へと引きずり込まれ、のまれてゆく感覚。

 

 

 冬乃は息を震わせた。

 

 このさき日を追うごとにこんな想いばかりに圧され、いつか冬乃の心は潰れてしまうのではないか。

 

 

 沖田との、その瞬間だけがすべてになって他に何も考えられなくなる、あのひとときだけが、

 まるでこれまで以上に今の冬乃にとっては救いで、

 

 皮肉にもあのひとときを重ねれば重ねるほどに、対の喪失感も無限の苦しみも後により一層増すだろう事など、もう容易に想像できていても。

 

 (それでも今は、・・)

 

 

 

 

 

 「・・・総司さん・・」

 

 今夜は帰れますか

 逢うなり、縋るような声が出てしまった冬乃に。目の前で沖田が一瞬瞠目すると、ふっと微笑んだ。

 

 「もちろん」

 

 帰るの意味が、ふたりの家へという事、そしてその更なる意味も、当然に読んだ沖田が、

 

 「・・なんならもう一度、此処でも」

 と、昼下がりの休憩時に部屋を訪ねてきている冬乃を、その掻いた胡坐の上へ引き寄せて抱き締めるなり、耳元で囁いてきて。

 

 「それはっ、いけませんっ・・」

 冬乃は熱くなる頬を隠して慌てて返した。

 

 冗談だったのか、というより冬乃の咄嗟の返事が面白かったのか、くっと忍び笑うような息が冬乃のうなじを掠め。

 

 そんな刺激にさえ、ぞくりと背を奔る感覚に冬乃は息を呑んだ。

 

 

 理性だけ、本当は置いてきぼりで。

 

 冬乃の魂も、心も躰も。叶うなら彼から一時も離れていたくないのに、

 

 そんな真の想いに目隠しして。

 

 

 (・・・いったい何の意味があるの・・)

 

 こんな間にも、刻一刻と終わりの時は迫っているというのに。

 

 「いけなくない・・んです、私にとっては全然」

 冬乃は遂に、認めた。

 

 「でも此処は・・・屯所で」

 

 本心は、此処がどこだって構わないどころか。

 

 (・・“クセ” になっちゃいたいくらい・・・)



 でも。

 

 「隊にとっては、いけないコトですから、・・それで」

 我慢してるんです

 

 

 語尾が囁くようになってしまいながらも、

 せめて伝えたいその想いを冬乃は声に出し、沖田を見上げた。

 

 否、

 言わなくてもとっくに、

 「承知」

 しているかのように。愛しげに見返してくれた沖田が、

 

 「ならば今日、その我慢は無し」

 

 

 (て、・・え??)

 

 「冬乃が仕事へ戻れる程度には抑える」

 「きゃ…?!」

 

 一体どこまで本気なのか、

 いきなり冬乃の両の腰を軽々持ち上げ、己の胡坐に冬乃を膝立たせる沖田を、

 「い」

 (いくらなんでも今はっ、おもいっきり隣に近藤様が・・!)

 

 彼の分厚い両肩へ咄嗟に手を置きながら冬乃は、焦って見下ろして。

 

 「い?」

 見下ろした先、沖田が不敵に笑った。

 「『い』ざ?」

 

 (いざ?!)

 

 彼はどうやら。まぎれもなく、本気のようで。

 

 

 いざ、となると尻込みしている自分の小心ぶりのほうに、ここは呆れるべきなのか。

 

 すぐ間近で見上げてくる悪戯な眼が、冬乃を捕らえる。

 「覚悟は?」

 そんな、もう幾度も冬乃を奮い立たせてきた台詞を添え。

 

 (・・あ)

 

 熱い手が、冬乃の襟内へ潜り込み。

 冬乃の躰を抱き寄せる大きな手は、そのまま冬乃の背をゆっくり撫で下りてゆく。

 

 冬乃は。

 

 

 

 覚悟した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 息をひそめるように。優しく密な数多の愛撫が、冬乃の思考を奪い去ってまもなく。

 

 腰が砕けて沖田の上へ崩れ落ちた冬乃の、躰を。

 沖田が支え、

 貫いて。

 

 冬乃は、

 沖田の胡坐の上ずっと、幾度も口づけで塞がれながら。

 

 つい少しまえ、首すじから鎖骨、そして胸元を辿って、乱された着物の奥へと、幾つもの痕を付けられたばかりの冬乃の肌がいま、

 沖田の前で揺れるたび露わに、

 

 いまや殆ど帯ひとつに留め置かれただけの、心もとない着物から更に、

 彼を求めてやまない想いごと曝け出されてゆくのを。もう抑えることもできずに。

 

 只々、深く。衝き上げる波に、浮かされ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「・・・っ」

 まだほんのちょっと前のひとときを、

 思い起して叫びそうなり。

 

 冬乃は大慌てで息を吸いこんだ。

 

 「疲れたらいつでもまた休憩に出てくれていいので、どうか無理はしないでいてくれ。未来から戻ったばかりで仕事が多くてすまない」

 

 優しい近藤の声が、忙しそうに向けられたままの背から届く。

 

 「いえ、もう十分休憩は頂戴しました・・から・・」

 言ってて再び脳裏に鮮明な映像が起こされ、冬乃は閉口する。

 

 たしかに体は辛くない。沖田の宣言通りに。

 

 あくまで、物理的には。

 (でも)

 

 心の・・躰の中毒症状を。冬乃も、いや沖田も、甘く見ていたようだと。

 

 今さら気づいても遅い。

 

 通称、恋わずらい、

 冬乃の大敵は今日も容赦なく。

 

 

 (や・やっぱ仕事の合間は、だめかも・・)

 いや、屯所で自体がだめなのだけど。

 

 

 「そうだ、」

 そうこうするうち。

 「その確認が終わったら、一度声をかけてもらいたい」

 目の前の書簡を尚ひたすら睨んでいる様子の近藤から、指示が届き。

 

 「はいっ」

 冬乃は再び大慌てで息を整えると、恒例の心頭滅却ならぬ煩悩滅却に、努めた。

 

 

 

 

 

 惨敗ながら。

 

 

 

 

 冬乃は今、諦めの境地で枯山水の前に居る。

 

 「良い句でも浮かんだ?」

 

 恒例ながら飄々としている沖田と共に。

 

 (・・・句?)

 そして冬乃は、朝時の光景とはまた違う、夕闇にとけこむ幽玄な枯山水から、つと視線を上げ、隣の沖田を見上げた。

 

 以前に発句が趣味と、言ってしまっていたことを思い出し。

 

 (あ・・)

 「全然です」

 

 馬鹿正直に答えてしまいながら、どうしたものかとおもわず眉尻を下げた。

 何かせめて下手でも作れたらいいのだけど、それすら出来そうにないのだから。

 

 それにしても、よくこんな事まで覚えていてくれたものだと、冬乃は目を瞬かせた。

 

 

 先ほど夕の巡察から戻ってきたばかりの彼は、その手に着替えを持っている。この後すぐ風呂へ向かうそうだ。

 冬乃がなんとか頼まれた仕事を全て終え、次はお孝たちのところへ行こうとちょうど出てきたところに、沖田が途中まで一緒にと冬乃を呼び寄せたのだが、

 

 ふたり廊下を行きながら、今まさに宵のとばりを纏いだす広大な枯山水へと自然に目がいき、気づけばどちらともなく立ち止まっていたのだった。

 

 尤も、深遠な枯山水を前に佇んで、想い巡らせていたことは冬乃の場合、朝からの果てしない煩悩、なわけで。

 

 ほどよく“諦念” に包まれてはいたから、あながち場違いでもなかったかもしれないけど。

 

 

 

 

 どこか悩ましげに眉を寄せた冬乃を、沖田は横に見下ろしながら、内心深く溜息をついた。

 

 房事を、控えたほうがいいのではないか。そういう思いが生じている。冬乃の体を気遣う想いもあるが、今は併せて、もう一つ別の懸念がゆえに。

 

 尤も、そういう思いも胸内に抱え始めていながら、冬乃を前にすると、久方ぶりとはいえ全くと言っていいほど情欲に抗うこと敵わぬのだから、己で己に呆れて仕方がない。

 

 そうして深遠な枯山水を目に、想い巡らせていたことが沖田の場合、朝からの果てしない煩悩、なわけで。

 

 沖田は。今一度、胸中嘆息した。

 

 

 (しかし)

 

 なんにせよこの懸念も、この先消え去ることは無いのではないか。

 

 

 

 

 

 冬乃との子を、授かることを。

 

 あらゆるしがらみに反し、己が本心では望んでいようとも。


 冬乃が今望んでいるのか如何か。正直、沖田には分からない。

 

 望みを冬乃が冬乃のやり方ではっきりと表明してくるまでは、彼女が身籠もらぬよう細心の注意を払ってはいる、が、

 

 へまをしない一応の自信はあるものの、往々にして男の側のそういう自信は幻である事も、常々耳にしている。

 だからこそ、冬乃が此処の世に永住する確信が完全ではなかったうちは、冬乃を抱かぬと彼女に宣言をし、完遂もした。

 

 産まれた世の違うふたりが授かってしまったらと、不安がっていた冬乃に、必要な覚悟はそんな人智を超えた可能性に対してでは無しに、その行為を前にして親になる可能性、それに対してだけでいいと。

 そう示したことも、昨日のように思い出せる。

 

 

 しかし、ここにきてどうだ。

 

 冬乃はもう二度と帰らないと言ったにもかかわらず、未来へと帰ってしまった。今朝に戻ってきた時の様子をみるかぎり、またも冬乃の意思に反した事態だった事は明白だ。

 

 だとすれば、冬乃は今朝も今度こそはと再三の言葉で誓っていたが、それでもまた彼女の意思に反して起こりうるのではないのか。

 

 ――――其の儘、戻って来なくなる事すらも。

 

 

 

 (考えすぎか・・・)

 

 冬乃が帰らないと懸命に誓ってくるのなら、

 信じるしかあるまい。

 

 この懸念は、杞憂と。

 

 




                 


  


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