【第三部】

一九. 愛の記憶①








 次の世も生まれ変わらなくてはならないならば

 

 桜木にでもなりたいものだと

 

 

 彼は寝物語に囁いた。

 これもひとつの解脱と、微笑って。

 

 輪廻に含まれぬ

 

 そういう意味で戯れたことを、冬乃が知るのはもう少し後。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明けの烏が遠い空で唄いあう声を、冬乃は瞼を閉じたまま聞いていた。

 

 生まれ変わる、そんな話をしていたせいなのか。沖田とのひとときの後には珍しく、浅い眠りで夜を越したようだった。



 (なんでそんな話になったんだっけ・・)

 

 ゆっくりと開けた瞳を擡げて見上げれば、未だ薄闇の障子を背にした沖田の、穏やかな寝顔が映り。

 

 冬乃は彼の腕の中でそっと身じろぎし、こちらを向いているその愛しい顔を瞳に映しながら、思い巡らす。

 

 時を超えた二人が情を交わすこと、それを奇跡と呟いた沖田のことばがきっかけだったと、冬乃はまもなく思い出した。

 

 

 沖田の時代から見れば、冬乃の時代にはもう、とうに何度か生まれ変わっている頃だと。以前に冬乃がどのくらい先の未来から来たか告げた時、沖田は感嘆したようにそう言ったことも。


 そう、その通りに、

 冬乃は、千代から二つ先の生まれ変わりで。

 

 (だったら、総司さんは・・・?)

 

 

 不意に思い至った疑問に、はっと冬乃は目を見開いた。

 

 まさか本当に桜木になっているわけでもないだろう。

 だがそもそも、輪廻の渦中にある冬乃でさえ、魂からの直観で把握できているだけで、

 

 生まれ変わるという現象を当然、目で見たわけでも何か知識として理解しているわけでもない。全ての人が同じように生まれ変わるものなのか、冬乃にわかるはずもなく。

 

 

 

 冬乃は、穏やかな寝息を立てている沖田に目を凝らす。

 

 (・・・総司さん)

 

 彼がもし、生まれ変わって冬乃の世に居るのなら。

 

 いつか逢うことができるのだろうか。

 

 

 (でも、きっと・・違う)

 

 

 冬乃が愛する人は、いま目の前に居る彼で。きっと生まれ変わった彼は、もう彼ではない。

 冬乃が、千代ではないのと同じように。

 

 たとえば生まれ変わっても冬乃に逢いたいと、そんな一恋愛映画のような台詞を言われなかったことに冬乃は、そのとき何とも思わなかった。

 

 誰よりも、自分が、わかっているから。

 生まれ変わったら、違う存在になることを。

 

 

 沖田だって言っていたではないか。仏教の考えでは、魂は、本来記憶をもたないと。


 それなのに冬乃が千代の家で懐かしい既視感をおぼえ、そうしてまるで、ほんのひとかけらの朧ろな記憶を残し、

 

 まして千代の罪悪感を魂に刻み込まれるようにして“憶えている” ことこそ、奇跡なのではないか。

 

 

 (それでも、)

 

 それでさえも。

 記憶が無いも同然で。

 

 千代が千代として沖田との愛し愛された記憶を。もし冬乃が保持していたなら、とっくに気がおかしくなってしまっていたに違いないから、

 

 記憶が無いということは、この奇跡においても必然なことなのだろう。

 

 

 

 白み始めた障子の色に目を遣りながら、冬乃は小さく溜息をついた。

 

 いつかに沖田が口にしたことばを想い起こす。

 

 夫婦は二世と。

 それはだが、前世の記憶をもたぬまっさらな魂同士が、それでもまた惹かれ合う運命を指していうのだろう事。

 

 

 だから千代の魂が、次世で再逢すべきはずだった沖田の魂と出逢えずに、更なる次世の冬乃に託した、その本来の運命の手繰り寄せすらも、

 

 肉体の世でいう記憶とは全く別の次元のものに依る、に違いなく。

 

 それは冬乃の認知のとうてい及ばないこと。

 

 肉体に囚われるこの世界に、

 いま生きている冬乃にとっては。

 

 あくまで求める存在は、彼なのだ。いま目の前にいる彼でなくては。

 この体と心の記憶する、彼で。

 

 生まれ変わりの彼ではない。



 いつか冬乃が、肉体を離れてまっさらな魂に戻る、その時までは。

 

 

 




 「何をまた、考えてるの」


 声が降ってきて冬乃はどきりと顔を上げた。

 

 いつのまに目を覚ましたのか、沖田がその優しい眼差しで冬乃を見下ろしている。

 

 「総司さん・・のコトです」

 

 沖田が笑った。

 

 「眉間に皺」

 

 沖田の指先に眉間をなぞられ、冬乃は押し黙る。

 

 おもえば昨日は震えながら、今は眉間に皺を寄せながら沖田の事を考えていたというのも、確かにどうなのかと。

 

 「薬が効いてない?」

 

 だが次に投げられたことばに冬乃はどきりと沖田を見返した。

 

 「・・・すごく効いてます」

 

 一瞬に昨夜を思い出して紅潮した冬乃の額には、優しい口づけが降ってくる。

 

 (だ、だって)

 

 夜の巡察から帰ってきた沖田が、冬乃の部屋を訪ねたのは屯所じゅうがすっかり寝静まった頃。

 

 今夜は沖田の腕のなかで眠れるのだと、喜色一杯に迎えた冬乃を

 見るなり激しく掻き抱いてきた沖田に、

 冬乃は、ようやく気づいて。

 

 昼間沖田の言っていた、薬の意味を。

 

 

 それからは。

 

 

 (屯所なのに・・)

 

 土方に知られたら即、接触禁止令が発令されるようなことを。して。

 

 

 冬乃にとっては、沖田になら何をされたって喜んでしまうくらい、彼とのすべてが毒のようなのだから。

 それは不可抗力というもの。

 

 そう、中毒という名の。

 

 

 「総司さんは、」

 

 彼を形容する薬を冬乃は考えてみる。

 

 万能薬、

 睡眠薬、

 気つけ薬、

 特効薬、


 (って、ありすぎ)

 

 そして

 麻薬、

 

 

 ・・・媚薬。

 

 

 

 (ん。ぴったり)

 

 「私には、媚薬みたいですから。効きすぎるくらい」

 

 

 

 「・・冬乃」

 

 また分かってないね

 と微笑んだ沖田の眼が、なぜか細まった。

 

 「どっちが、朝っぱらから強烈な媚薬なのか」

 

 

 「え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 もはや危険なため。

 それから土方と顔を合わせる広間になぞ、行けなくなった冬乃は。


 この毒が抜けるのは一体いつになるだろうかと、

 沖田の持ち込んだ朝餉を共に食べながら、この後の近藤に気だるい身の胸内で早くも詫びていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「・・・・なんで昨日より悪化してんだよ」

 

 

 昼餉の時間に冬乃は。土方に捕まった。

 

 さすがに朝方の蕩けきった状態からは回復したものの、今なお身の奥に残る熱に溜息を連発してしまったのがいけなかったのか。

 

 頼みの(劇)薬の沖田はというと現在、出かけている。

 黒谷へ行く近藤の護衛として、朝餉の後から。つまりおかげで冬乃はあれから近藤にまともに会うことなく済み、近藤不在中の部屋を掃除しつつ、

 効きすぎた沖田薬、の毒気を抜くに勤しんだのだが。

 

 きっとまだまだ不十分だったのだろう。

 

 「もう少しすりゃ近藤さんが帰ってくる。おまえがそんなじゃ、また近藤さんに心配かけるだろが」

 斜め向こうに坐す土方が、その良く通る声で言い放ってきた。

 

 

 冬乃はかなり遅めの時間を見計らって広間に来たとはいえ、まだ他の隊士たちもちらほら居る。

 皆、何事だとこちらを向いた。

 

 もう。冬乃は情けなくなって。

 「・・・」

 項垂れた。

 

 「土方さんが嬢ちゃんいじめてるー」

 向かいの席で、茶を飲んでいた原田が茶々を入れる。

 

 「アン?いじめてるわけじゃねえよ」

 「いじめてるようにしか見えねえよー。何を心配かけるんだかよくわかんねえけど、べつに嬢ちゃん普通じゃんか」

 原田の呑気な声が応酬する。

 

 (ん)

 原田には普通に見えているらしい。ちょっとだけほっとした冬乃は顔を上げた。

 

 「・・おまえにはあれが普通に見えるのか?」

 

 土方の呆れたような視線が原田へ向かう。

 「へ?」

 原田がその豪快な眉を持ち上げた。そこまで言う土方に訝しんだ原田が、冬乃へと目を凝らしてくる。

 「嬢ちゃんまた何か風邪ってことか?・・そうは見えねえけど?」

 

 「・・・」

 土方が、つと腕組みした。

 

 「・・こういった事にゃ原田も近藤さんも同じようなもんか」

 独り言ちる土方を。冬乃ははらはらと見やる。

 

 土方は、再び原田に一瞬だけ視線を寄越し。

 「おめえにはあいつが普通に見えるってんなら、まあいいさ」

 

 ふっと哂った。

 

 「へ」

 わけがわからない原田と。

 

 (よ・・よかった・・?)

 期せずして原田のおかげで、どうやら救われたらしき冬乃が。

 

 同時に目を瞬かせ。

 

 土方は箸を置き。立ち上がった。

 

 

 広間を出てゆく土方の背を、冬乃は恐る恐る見送る。やがて廊下の向こうに消えたのを見届けて冬乃は心の底からほっとした。

 

 少なくても、昨夜から今朝にかけての屯所で絶対にありえてはならない事、にまでは気づかれずに終えたのだと。

 あのまま追及されていたら危なかったように思えてならない。冬乃はぶるりと身を震わせた。

 

 

 「土方さんが変だった」

 原田が首を傾げている。

 

 (だってほんとに土方様は“変” ですから)

 

 冬乃はまだ動悸の激しい胸内でつい呟いた。

 

 あの尋常でない洞察力、

 変といわずしてなんという。

 

 

 だが逆に今、このあと帰ってくる近藤の前では大丈夫でいられそうな、そんな妙な安心感が冬乃の内に芽生えているのも、土方の最後の台詞のおかげで。

 

 土方がいいと言うなら、心配ないのだと。

 

 

 けれど、この恋わずらい、

 

 (土方様のいうとおり・・昨日より悪化してるのはきっと確かなんだけどね・・)

 

 それでも昨日より人前では上手く隠せるようになっている、ということだろう。

 勿論土方の前でを除いては。

 

 

 とうてい慣れることなど無さそうな、この病なれど。

 沖田薬・・がいてくれる今の間は、どうにか生活に支障をきたす一歩手前で留まれるようになるのではないかと、

 冬乃は希望的観測に息をついて。食欲の湧かない身にひとまずの活を入れると箸を握りなおした。

 

 



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