一七. 解けゆく時③



 あの時、

 

 沖田と千代の、運命を変えてしまう禁忌を

 

 破ると。覚悟した、その遥か前から、

 罪悪感の一方でずっと感じてきた事。

 

 千代が、もし。

 己の死後に、沖田が発病することを、

 先に知ったなら彼女こそ、なにがなんでも沖田との関係を絶つだろうと。



 この感が間違えてはいないのなら。

 

 或いは、

 この奇跡どころか、

 破った禁忌さえも。

 

 (のちのお千代さん自身の・・願い)

 

 

 冬乃の胸奥の、この魂が、求めた。




 (・・・ただ、そうだとしたら、)

 

 死してのち千代は来世へ向かうまえに、沖田が発病したことを知った、ということになる。

 

 (そんなことが、ありえるの・・?)

 それに沖田の教えてくれた仏教輪廻の概念では、魂に記憶は残らないのではなかったか。

 だがまるで、

 沖田の発病を知った千代の、辛苦の想いごと、記憶として魂に刻まれ。

 

 それが、この禁忌へと、冬乃を導いたかのように感じてならない。


 

 

 (・・て、すでにタイムスリップまで経験してて今更、新たな事にいちいちびっくりするほうがおかしいか・・・)

 

 

 この世の森羅万象には、解明されていない事など、ごまんとあって。

 むしろ解明されていない事のほうが多くてあたりまえなのだから。

 

 

 

 (お千代さん・・)

 

 これがすべて彼女の願いだったとしたら。

 

 (私は貴女の望んだ道を、歩めているんだよね・・?)

 

 

 冬乃がもたらした事は、正しかったのだと。

 

 許されるのかもしれないと、

 思ってみても・・いいのだろうか。

 

 

 だけど、胸奥の、この抉るような痛みは未だ。

 

 (消えそうにないのは、どうして)

 

 

 この湧き出で絶えることのない、深い罪悪感は、

 冬乃が望み、破った、禁忌ゆえだと思っていた。だが、

 

 (それだけじゃなく・・・もしかしたら、これは)

 

 

 千代がこの魂に刻み込んだ、千代の、

 

 沖田へ病をうつしてしまった自身への、底の無い呵責の念までも―――含んで。

 

 

 

 (でも、そんな)

 

 沖田が、

 その胸中で千代を責めたはずがない。千代を愛したことを、悔やんだはずがない。

 

 そんなことは、千代だって分かっていたに決まっている。

 

 

 それでも、千代は、

 やり場のないその呵責を。きっと如何しようにもできずに。

 

 沖田との運命から、変えてしまうことを望んだのか。

 

 

 愛した彼を、千代自身から護るために

 

 

 

 (お千代さん・・・)

 

 

 

 千代が冬乃に課した、この使命を

 

 それならば終えた時には。

 

 千代をも。冬乃は救うことが叶うのだろうか。

 

 

 

 そして、この奇跡は。

 

 なら、この魂の抱えた強い慕情と呵責とが、

 

 その願いの末に、

 引き起こしたということだろう。

 

 時空をも超えるほどの。

 

 

 (でもそんな力が、いくらなんでも生じるものなの・・・?)


 それに、だとすれば統真は、この奇跡にどう関わっているというのか。

 

 

 

 (何か、他にも・・あるはず)

 

 この奇跡を起こした、何かが。

 

 

 (きっと、そのカギを握るのが統真さん・・なんだよね・・・?)

 

 

 

 冬乃は今一度、手に握り締めたままの携帯を見た。

 

 統真からの折り返しの電話は、未だ来ないままで。冬乃は、もうこれまでの間に何度見たかわからない通常のままの画面に、溜息をつく。

 

 

 (月曜日ならまだしも・・もっと後だったら、本当にどうしよう)

 月曜ですら。待ちきれるか自信がないというのに。

 

 

 (・・もう、だったら)

 

 行ってしまえばいい。京都まで。

 

 

 統真が電話を切った時からずっと、心の片隅で燻らせていたその想いを遂に心の声に出して、

 冬乃は携帯から顔を上げた。

 

 

 (すぐに逢いにいきます。どうか待ってて)

 

 塀の向こうの、幻影へ。語りかけ、

 決意を胸に冬乃は駅へと踵を返した。










 「ごめん、今日はどうしても時間とれそうにない。明日の昼なら」

 

 駅へ戻る道すがら、待ちきれず冬乃から再び電話を掛けたところ、統真は出てくれた。だが、

 『これから京都に用事があって行くので、どこかで会えませんか』と、かなり苦しい嘘を添えて尋ねてみたところ、忙しそうな声音で返事が返ってきて。

 

 (明日の昼・・)

 それでも。

 来週になってしまうより、全然いい。

 

 「無理をいってすみません。そしたら明日の昼にお願いします」

 

 冬乃は幾分か安堵の内に、電話を切った。

 

 

 

 

 

 「京都にって。何しに行くのよ」

 

 出るはずはないだろうとは思いながら掛けてみた電話に、数回の呼び出し音ですぐ出た母へ、冬乃は驚いたままに、明日京都へ行きたいと正直に願い出た。

 

 千秋達の家に泊まっていることにしてもらうのは、遠い京都の地で倒れることになる以上、後々発覚した場合にさすがに辻褄あわせが大変そうだと、諦めたのだ。

 

 

 「何日か観光したい・・夏休みだし」

 内心ハラハラしながら冬乃は言ってみる。

 

 「駄目よ。倒れたばかりで、何言ってるの。おとなしく家にいなさい」

 母の硬い声音が即答した。

 

 「・・・・」

 そう言われても当然だった。

 

 (どうしよう)

 「けどもう体調、大丈夫だし・・」

 

 「駄目って言ってるじゃない。今はまだ安静にしろとお医者さまにも言われたでしょ」

 更なる即答が返って。

 

 「でもっ・・安静にするの、いつまでって言われてないし。原因も特定されてないのに、安静にしろとだけ言われたって・・医者はそう言っておけばいいと思ってるんだろうけど、それじゃこっちは、これからも何もできないままになるじゃん」

 

 とにかくも言い返してみた冬乃に、

 

 「・・あいかわらず口達者ね、」

 もはや呆れたのか、溜息が聞こえてきた。

 

 「いいわ。あんたももう18だし、本当に自分の体調に問題がないと思うのなら、好きになさい。人様に迷惑だけはかけないようにしなさいよ」

 

 (う)

 これから、間違いなく統真にまた、迷惑をかけることになる身としては、耳が痛い。

 

 「観光先の大まかな予定と、どこに泊まるのかを教えなさい。親の同意が要るホテルなら、私から電話するわ」

 

 「うん・・決めたら全部まとめてメールする・・・ありがと」

 

 そして嘘ついてごめんなさい

 冬乃は電話を切りながら、呟いた。

 

 

 どこまで統真の協力を得られるかは分からないが、

 これで冬乃は明日から観光しているふりをして、どこかの病院に入院することになるのだ。

 

 (でも京都じゃ・・)

 

 たとえ統真が、冬乃の『母へ心配かけたくない』の願いを聞き入れ、暫くは母へ黙っていてくれることになったとしても、その協力以前に、

 

 冬乃が担ぎ込まれる先の病院はきっと、同行する統真に、冬乃の身元確認となる物を要求するはずで。

 (いくら統真さんに家族のふりしてもらえても、その場しのぎだよね・・)

 

 すでに一度は統真の紹介で検査をしていて、冬乃の身元確認ならされている統真の大学病院であってさえ、

 親元への連絡の如何を、統真のほうでどこまで調整できるものなのかと、冬乃には不安だったというのに。

 京都のどこかの、関係もない病院となれば、尚更で。


 きっと結局、あっというまに母に連絡が行くことはやはり避けられないのではないか。

 

 (それに・・)

 

 もし、幸いにその連絡が数日先までは引き延ばせたとて、

 

 東京で千秋達の家に泊まっているのとは、わけが違う。

 京都観光とあっては、冬乃のほうから母へ時折、無事であることを連絡しなくては訝られるだろう。

 

 

 要はどちらにせよ、京都にいる間はいつまでも連絡しないままなわけには、いかないのであって。

 

 遅かれ早かれ。冬乃が完全に幕末から帰ってくるよりも前に、母に多大な心配をかける時が、やはり再び来てしまうのだろう。

 

 (・・・ごめんなさい)

 

 それでも、冬乃は行かなくてはならない。

 

 

 いま幕末では、いつ頃になってしまっていることか。冬乃は気が気でなかった。

 

 すでに此処で一日近くが経過している。恐らくはもう、向こうでは夏どころか秋も終わりか、へたすると冬に入っているのではないか。

 

 

 冬になれば、

 近藤が、長州への入国を狙って、広島への幕府使節団に随行することになる。

 

 幕府使節団の、広島行きの目的自体は、

 第二次長州征伐にあたり、長州に対して質疑を行うための政治的な会談だが、

 

 随行する近藤のほうの目的は、情勢確認や諜報活動であったため、江戸で人脈のあった伊東や、潜入のために長く居残ることになる監察方の山崎などが人選され。沖田は土方とともに留守を託され、近藤には同行しない。

 

 近藤たちは、表向きには新選組とは名乗らずに出向くものの、気づかれること当然であり。

 近藤は、この時、死をも覚悟して向かう。

 

 

 そんな近藤に、沖田はどんなにか警護で同行したかっただろうと。想うにつけ、冬乃は胸が痛くなる。

 せめて沖田に、近藤は無事に帰ってくる、大丈夫だと。伝えたいのに。

 

 (こんなことなら、前もって話しておけばよかった・・)

 

 年末に近藤達は無事帰ってくるも、年が明けて、再び二度目の随行に出てしまう。

 

 (明日の昼じゃ、きっともう)

 一度目の随行には間に合わない。せめて二度目の時期には、間に合って少しでも早く、沖田を安心させてあげたい。

 (たしか、二度目の時の近藤様の帰京は、三月だったはず・・)

 

 間に合うだろうか

 冬乃は、不安の内に嘆息した。

 家の方向への電車に乗りこみながら、明日をも待ちきれない焦燥の想いに、未だ手にしたままの携帯を再び握り締めた。

 

 

 

 

 

 その夜は、

 じっとしていると気が狂いそうで。冬乃は、これまで茂吉やお孝に習った料理を、残業して帰宅する母のために無心に作った。

 

 冬乃からの『今日は私が夕食つくる』のメールに、ひどく驚いた様子で帰ってきた母が、

 ダイニングテーブルに並べられた純和食の数々を目に、どこでいつのまに習ったのかと、さらに目を丸くし。

 

 同じころに帰宅した義父も、戸惑いを隠せない様子だった。

 冬乃は、義父とはさすがにこの先も和解していける自信など無い。義父と目を合わせることもなく冬乃は、

 それでも過去に数えるほどもない三人揃っての食事に、ぎこちなさとともに、どこか安堵の想いで箸を運んだ、

 

 運びながら、しかし会話に困った冬乃は、京都で本当に機会があるなら廻りたいと思っている場所を片っ端から挙げて、それぞれの歴史的建造物について知っていることを一方的に説明してみた。

 

 

 だが幕末の世で沖田たちと訪れた、北野天満宮の説明に差し掛かったときには、冬乃は声を詰まらせ、慌ててごまかすように味噌汁をよそいに席を立ってしまって。

 

 島原や上七軒、まして壬生寺、西本願寺の話に至っては、このぶんでは到底完遂できそうにない。冬乃は胸が潰れそうな感覚に見舞われ、キッチン台におもわず手をついた。

 

 

 まだ沖田たちが “生きている” 今でさえ、これでは。

 いったい、すべてを終えて完全に帰ってきた時、自分の心はどうなってしまうのか。再び暗澹の想いに胸内が覆い尽くされ。

 

 

 (早く・・戻りたい・・)

 

 今は、未だあと少しだけ、猶予を得るために。此処の世の一分一秒でも早く、彼らの世へと、

 

 沖田の、あの硬く温かな腕のなかへと、戻って。その生きているぬくもりに安心したい。

 

 (・・・でも今はどうしようもできないんだから、考えてちゃだめ)

 冬乃は台についた震える手を離し。食欲のない身をむりやり動かして鍋の蓋を開けた。

 

 苦しい、長い夜になりそうだった。  

 

 








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