一七. 解けゆく時②
冬乃の病室は、家族一人までは宿泊できる個室で、
母が昨日から仕事も休んで此処に泊まっていたと聞いた冬乃は、ますます驚いていた。
三者面談以外の、授業参観を含むどんな学校の行事よりも仕事を優先してきた母が、昨日の当日欠勤に続けて、連日で仕事を休んだのだから。
実際は・・と言うのも語弊がありそうとはいえ、
こうまで母に心配をかけていた間、冬乃のほうはというと沖田に逢いに行って幸せの絶頂に浸っていたわけなので、
妙な罪悪感のひとつふたつ、冬乃の胸内をうごめいてもいたのだが。
(でも)
今の母への、とびぬけて大きな罪悪感ならば。
沖田の元へ戻りたい。その想いばかりが膨らんでいくことだった。
此処の世よりも。沖田の居る世をやはり冬乃は切望してしまうことに、改めて気づいてしまった。きっとこの先どれほど母と和解を重ねても、冬乃が選びたい世界は変わらないのだと。
もしこれが、永遠に沖田の居る側の世に留まれるはずもないから、今すぐに出せた答えなだけ、
だとしても。
(でもきっと・・もし永遠であってさえ私は・・)
たとえば究極の選択で、母の命と沖田の命、どちらかを天秤に掛けられたなら、冬乃にはどうしても選ぶことなどできないが、
此処の世での冬乃自身の命と、沖田の居る世でのそれを天秤に掛けたなら、後者を選ぶということになる。
その選択が、母の心を殺すかもしれないとなれば、結局のところ究極の選択とどんな違いがあるのかも冬乃には判らないものの。
(・・・しょせん永遠ではないのだから、今はこんなコト考えてても仕方ないか・・)
こうしている間にも、
沖田の時間は、先へと進んでいってしまう。
向こうの世での、あと三年足らずの時間は、
これまでの両世での時間の経過をみるかぎり、此処の世ではきっともう、一週間も無い。
(此処でのんびりしているわけにはいかない・・・)
退院が許されるのは明日。
母に余計な心配までかけるわけにもいかない以上、今から病院を抜け出して統真に会いにいくなどの選択肢は、さすがに採れなかった。せめて明日の退院までは待つべきで。
幸いに学校は今日が終業式で、明日から夏休みに入る。
千秋たちはというと、冬乃が検査のために休んだ一昨日に関しては承知していたけれども、
昨日も冬乃が欠席だったうえに、今日になっても連絡がとれないことを心配し、昼の終業式が終わると同時に冬乃の家を訪ねてくれたのだった。が、
そこで義父から事情を聞いた彼女たちは、慌てて病院まで来がてら、“親切にも”統真に連絡をいれてくれてしまったわけで。
(どうすれば)
統真に次こそもう長く会わないようにし、
さらに母を心配させずに、病院での点滴を続けられるか。
冬乃は、消灯した病室の闇の天井を見つめながら、先程からそればかり考えている。
(・・・千秋たちには、統真さんがタイムスリップに関わってることも、もう時間が無いことも、伝えて)
そしてやはりこれから暫くは、夏休みで千秋たちの家に泊まっている事にでもしてもらうよう頼むしかなさそうだ。
統真にも何とか頼み込んで、統真の大学の病院のほうで、母には秘匿したまま世話になることさえ叶えば。
(・・・そんなのムリ、かな・・)
それでも、やるだけやってみなくては。
胸中、冬乃は決意して。聞こえ始める母の寝息に合わせ、むりやり目を閉じた。
翌朝、各地で朝から夏盛りの猛暑に見舞われている様子が、テレビのニュースで流れるのをぼんやりと見つつ、
母との間の距離感が未だぎこちないながら冬乃は、学校や剣道の大会の話など、ここ数年したこともなかったそれらの話をぽつぽつと口にして。
母は時折、会社からの電話に、少し冬乃へすまなそうな顔をして話を中断し、応対していた。
昼になり、ビル風すら起こらない灼熱のなか、冬乃の退院に合わせて仕事に向かった母と別れ、冬乃は駅の改札前で立ったままに統真に電話を入れた。
午前中のうちに、千秋達とはメールでやりとりしながら今回の計画を快諾してもらえて、統真の番号も教えてもらってある。
昼食時間だからか、数回鳴っただけで統真は出た。
「あ・・あの、」
「ああ、冬乃さん?」
冬乃の番号は初見なはずだが、声だけで判ったらしい。
「退院したんだね。体調はもういいの」
「はい、・・昨日はお見舞いに来ていただいてありがとうございます」
「またいつ倒れるかわからないから、なるべく出歩かないほうがいいかもね。・・・高3だよね、ストレスの多いだろう今の時期だけの発作であることを願うけども」
(あ)
「その事、なんですが、あの・・このあと少しお時間いただけないでしょうか」
一瞬、間が空いた。
「じつは今、学会の準備で京都に来てるんだ」
(え)
京都・・
「東京に戻るのは来週になるから、しばらくは、ごめん。いま電話でよければ聞くよ」
「・・いえ、・・」
どうしよう
冬乃は携帯を握り締めた。
来週まで待っているわけには、いかない。
「あ、ちょっと待って」
つと統真の電話口の向こうで、誰かの話し声が起こった。と同時に、
「ごめん冬乃さん、またあとでかけ直す」
冬乃が返事をするより前に、電話が切れた。
冬乃は途方に暮れて。
携帯を下ろした。
(来週)
来週のいつなのだろう。今日は金曜だ。最短でも月曜だとすれば、幕末ではいったいどれほど時が進んでしまうことだろう。
(総司さん・・・)
冬乃はぼんやりと改札を通り抜ける。地下鉄のエスカレーターを降りた。
此処で統真からの折り返しを只じっと待っていることなどできず。少しでも沖田を感じる場所に居たかった。
冬乃の足は自然と、沖田の眠る墓地へと向かった。
柔く風が吹き抜ける墓地前の路地に佇めば、冬乃の胸奥は締めつけられるばかりだった。
沖田の終焉をむかえて平成へ完全に帰ってきた時、再び冬乃は此処へ立ち尽くすことだろう。
そのとき耐えられるのか。
どうしても、今の冬乃に答えは出なかった。
(せめて少しでも傍に居られたら、やっぱりそれだけできっと違う)
沖田の傍に、
沖田の生きた時代に。彼の亡き後も永遠に留まれたなら。
(でもほんとうは、)
追ってしまいたい。
もう彼のいない日々に、戻ることなど出来ない。
逢う前から、逢えない日々があれだけ辛かったというのに。こうして奇跡に導かれて逢うことが叶って、彼の傍に居る幸せを知ってしまって、
それでいったいどうして、そうでなかった頃にまた戻れるというのだろう。
(総司さん・・)
逢いたい
(今すぐに)
心の奥底から叫び出したい想いが、冬乃を苛む。
時間がない。その焦燥とともに、胸内が抉られるように苦しい。
冬乃は、塀の向こうを見つめたまま、震える息を吐いた。
沖田の話してくれた理でなら、あの場所に眠るは、沖田の生きた幕末の世での肉体のみであって。魂ではない。否、それすら、
昔の埋葬方法ではもう、きっと土に還っていて。
だとしたら。
(貴方は・・そこにはいないのかもしれない)
あの場所に在るのはまるで、残り香のような幻影で。
なら同様に。どんなに冬乃が、彼の亡き後も向こうの世に留まり、そこで彼を弔い、少しでも傍に感じていたいと願ってみようとも、
彼の魂のほうは、
『生まれた世で生きるための仮の器』を離れ、別の世へと去ってしまうというのなら。
やはり冬乃の想いが行きつく先は、一つでしかない。
沖田がその命を終えた時、
その魂を、追いかけてしまえたら、と
(・・でも“魂” ってそんなふうに、自分も死ぬことで追いかけてゆけるのかどうかも、分からないのに)
本来記憶も持たないと、沖田は言っていなかったか。
(それでも)
彷徨い、沖田を捜し求める苦しい旅に再び戻るくらいなら、
(そこに賭けたくもなるよ・・・)
もう離れたくない
まるで冬乃の魂が。
遥か前の―――前世からの自分が。
そう渇求して。
それはずっと感じていたもの。
“なぜ逢ったこともなかったのに、あんなにも惹かれ続けたのか”
あの頃、わからないままに漠然と。
そして、沖田に逢えてから少しずつ、確信に向けて。
今こそ。はっきりと解る。
あの日沖田から聞かせてもらえた話と、彼とふれあうことの叶った心と、こうして再び離れ隔てられて今また、心のさらに奥から渇求するこの想いとが。
解けゆくように。
導き出す答え。
(“もう離れたくない”)
冬乃はもう一度、奥底から迫り上がるその想いを胸に呟く。
(“夫婦は二世” ・・そういうことだったんだ・・)
沖田とは、次の世でも離れるはずがなかったのに。妨げる何かが起こって。冬乃の前世では、彼との再逢が叶わなかったから、
この奇跡でやっと逢えた今度こそは、もう離れたくないと、
“魂” が訴えてくるのだと。
そして、
もしこの感覚・・観覚が、確かに正しいのなら。
(私のその前世の、前こそが・・・つまり、)
千代だったのだと。
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