一七. 解けゆく時④
一夜明けて。
さいわいに殆ど覚えていないものの、恐らく悪夢にうなされていたかの頻度で冬乃は、浅い眠りを繰り返して朝を迎え。寝不足で、気持ち悪いほどの体調ながら、なんとか朝食をとって。
「気をつけて行ってきなさいよ」
未だに慣れない一昨日からの会話量に戸惑いながらも、冬乃はそうして母の見送りを背に京都へと出立した。
昼前の11時に京都駅のホームに降り立った時、冬乃は高鳴る鼓動を胸に、統真に電話をかけた。
(暑い・・・)
呼び出し音が鳴っている間、早くも流れ始める汗に、冬乃は手の甲で首すじを払う。
だが、呼び出し音は留守番メッセージの録音へと切り替わり。
後でかけ直すしかないと諦めて、冬乃はひとまず駅を出ることにした。
冬乃は先程の新幹線の中で、時おり寝落ちしてしまいながらも、統真と会う前に先に電話で伝えておく事をメモに整理しておいた。
当然に、会った瞬間にタイムスリップは発動してしまうために、
統真に伝えたいことは、電話やメールなどで事前に伝えるしかないのだ。冬乃は統真のメールのアドレスを知らないので、電話口で伝えることになる。
冬乃はその箇条書きにしたメモをバッグへ一度戻して、かわりに特急券の切符を取り出すと、改札を抜けた。
駅を出て。最初に目についた喫茶店に、冬乃は飛び込むように入った。
涼しい店内の一角にそっと座りながら、冬乃はテーブルに置いた携帯の横へ、再びメモを取り出して並べる。
(まず、)
統真には、“体調が悪いので” 会っている時に倒れるかもしれないと、冬乃は言ってしまうつもりでいる。
そして、その場合どこかの病院に運んでほしいが、また一時的なことだろうから母には心配をかけたくないので、病院側が待てなくなるぎりぎりまで連絡しないでもらえることはできないかと、相談し、
そんな迷惑をかけてしまう事を先まわりして謝って、
(そして・・、もうしばらくは、私に会わないようにしてもらうように・・)
どう頼んだら不自然でないのか。結局、これに関しては名案が浮かばずじまいだったが、それでも頼まないわけにはいかない。
(それにお千代さんの、薬を)
貰えないかと、ダメ元でも聞いてみなくては、と。
冬乃はメモから視線を逸らし、溜息をついた。
これだけのことを頼む図々しい己に呆れようとも、それでもこれらの“おねだり” は敢行しなくてはならない。
注文を取りに来た店員にアイスティーを頼み、なにとはなしに冬乃は数席向こうの窓の外を見た。陽炎にゆらぐ路上の様子が、こちら側の涼しい店内を小さな楽園のように思わせる。
冬乃はまもなく運ばれてきたアイスティーを、乾いた喉に押し入れるように一気に飲み干した。
そろそろもう一度かけ直してもいいだろうか。冬乃が暫く後そして携帯を手に取ったとき、
(あ)
不意の着信とともに、
液晶には、統真さんと表示が出て。冬乃は慌てて通話ボタンを押した。
(てか、服・・ぅ!!)
また忘れてた。
冬乃は、俯きかげんで携帯を耳に当ててつと目に入った自分の太腿に、今更ながら思い起こして慌てる。
今日はもちろんパジャマ代わりのキャミソール一枚の恰好でこそないものの、
ミニ丈のワンピースから脚がおもいっきり覗いた、やはり幕末ではありえない恰好に変わりなく。
(もうぅ、ばか)
「冬乃さん?」
電話の向こうで統真の訝る声が聞こえた。冬乃が電話に出たまま無言だったためだ。
「あ、ごめんなさ・・、えと」
急いで電話へと意識を戻し、冬乃は次いでテーブル上のメモをバッグへ戻し、伝票を手に席を立った。
「いま京都駅の近くにいます。これから伺ってもいいでしょうか。あの、でも、先にお伝えしたいことが」
「ああ、丁度良いや。いま俺も駅まで来ているからそっちへ行くよ、どこにいる?」
(え)
冬乃は顔を上げた。思わず目を奔らせた窓の向こう、駅へと歩いてゆく統真の姿が、交差点を挟んだ反対側の歩道に見えて。
(あ・・)
この距離って
大丈夫だったっけ
どきりと硬直した冬乃に、しかし例の霧は現れず。
ほっとしながらも、冬乃は首を傾げる。
(そういえば、どうなってるの)
今のように、こちらが一方的に統真を見ている場合には、タイムスリップは起こらないということなのか。つまり、互いが互いの姿を認識しないかぎり・・?
いや違う。
そもそも毎回、冬乃は統真の姿を見ているわけではない。それでもタイムスリップは発動する。
冬乃が統真を見ているかどうかは関係が無いのだ。
あくまで統真が、冬乃を見た時なのだろう。
(あれ・・・でも、下の玄関に来てくれた時、顔あわせてはない)
「冬乃さん、聞こえてる?」
「は、はい!」
「今、どのへん?」
(う)
冬乃は焦った。
「近くの・・喫茶店にいますっ・・今から出て、こちらから伺いますので。統真さんはどちらへ、・・」
「話するんだから、その店に居て。俺が向かうから」
「あ、」
「何て店」
(どうしよう)
「ちょっと・・だけ、このままお時間いただけませんか」
「・・このまま?」
「このまま電話でお話したいことがあって」
「すぐ会うのに・・?」
確かに、まったくもって、明らかに変だ。
「その・・・すみません」
いっそタイムスリップの事象を話してしまおうかとの考えが冬乃の脳裏によぎるが、唐突すぎて理解されるはずがないと、すぐに思い直し。
「め、面と向かってはお願いできないことなんです」
「・・・何」
どこか苦笑するような声と共に。
冬乃の凝視する窓の外、統真の姿が立ち止まったのが見えた。
「いいよ、じゃあ話して」
この距離は。
いつかの昼休みに、交差点で向こうから来る統真を見かけた時の距離と、そう変わらない。
(あの時・・)
目が合い。合って、統真がしっかりと、冬乃の体調を気遣うかのように心配そうに見てきたのだ。
冬乃はその残像を思い出した。
(・・・もしかして)
タイムスリップが、起こるのは。
ふたりの肉体の距離が近づいて、そして、
ただ統真の目に冬乃が映るだけでは無くて。そもそも、その肉体の目で見たかどうかは必要では無く、
統真が、
“見る” は見るでも。彼の意識なり何か、内在の『目』が、冬乃を見た時。
玄関で顔を合わせていなくてもタイムスリップが起こったのは、
統真が訪ねてきて、そのとき二階に居る冬乃の方へ、彼がその『目』を向けてきたから。
「とりあえず、暑いから俺もどこか入るよ」
冬乃の見つめる窓枠の、中。
統真が振り返る。
それはスローモーションのように。冬乃の視線と、統真の視線が、
かち合って。
統真が瞠目した。
冬乃は、そのまま、霧に覆われた。
(もぉ・・・最悪)
何ひとつ果たせなかった、自分が恨めしい。
冬乃は怒りまじりの涙目を開いた、
「・・・・てめえ」
開いて。映ったのは、怒りまじりの土方の眉間の皺。・・・恒例だが。
今回冬乃は仰向けで着地したようで。
頭のうしろから腰にかけての背に、横長の硬い文机を感じる。
文机の上で冬乃はそうして横に土方を見上げながら、蒼褪めていた。冬乃を見下ろす彼は筆を手にしたまま、こころなしか怒りで震えてさえいるのだ。
「ご・・・ごめんなさ・・またお邪魔してます」
(てがみ、書いてたとこですか)
「てめえ、とっとと退きやがれ・・・」
冬乃はその言葉に、慌てて腹筋を駆使して懸命に起き上がろうとして、
だがつと、止まった。
(壊れないコレ?!)
座る状態になっては、一点に重心が集中しすぎないか。この文机を壊すわけには絶対にいかない。
統真にお願いしてこれなかった以上、まだこの文机の世話になる可能性は残っているのだ。
冬乃は慌てて、ふたたび寝そべった。
「・・・・・おい。」
土方が、その片手に握った筆を今にも折りそうになった。
「す。すみません、このまま起き上がるわけにもいかな」
「総司てめえちょっとこっち来やがれ!!!!」
突然土方の建物じゅうに轟いた命令に、冬乃は心臓を跳ねさせる。
(ま、待ってっ)
このまま何とか、土方とは反対側の畳へ転げ落ちてみる手は残っているのに。
文机からはみ出した冬乃の剥きだしの脚は、畳へと伸びていて、こんな恥ずかしい姿勢を(しかも襖側に脚が向いているというのに)沖田に見られる前に、急がねばと。冬乃が覚悟を決めて横に落下しようとした時、
先にすらりと襖が開いて。
「冬乃、」
すたすたと沖田が。向かってくるなり、あっというまに横へ来て冬乃を抱き上げた、
(あ)
抱き上げたまま、ぎゅうと。それはきつく冬乃を抱き締めて。
「もう戻って来ないかと」
(総司さん・・・っ)
冬乃の胸に一瞬でこみあげた切ない想いは、その場の状況を忘れさせて、冬乃は自分を抱き締める硬い胸に頬をすり寄せた。
「ごめんなさい・・っ」
「戻ってきてくれて有難う」
寄せた頬に直に響いた優しい声に。冬乃は安堵感で泣きそうになった瞳を擡げ、沖田を見上げた。
「あ・・の、」
先程から感じている寒くはない心地よい気温に、そして冬乃は慄いていて。
「今っていつですか・・・」
「慶応二年四月五日」
(・・そんな)
もう四月では、近藤も無事に帰ってきている。
(全然、間に合わなかった)
沖田の辛い時期に何も助けにならなかった己に、今度こそ涙が滲んできて、冬乃は急いで目を伏せた。
しかもこれでは、冬乃は一年近くも戻らなかったことになる。
「冬乃?」
すぐに覗き込まれる気配を感じるも、冬乃は声を詰まらせて沖田の胸に顔をうずめ。
(本当にごめんなさい)
「おい、もういいから出てけ」
そこに遂に土方のげんなりした声が投げられた。
「それ発句帳ですか最新の」
間髪入れず沖田の揶揄う声音が続く。
(あ)
滲む涙を押しやるべく睫毛を瞬かせながら冬乃は、文机のほうへおもわず視線を向けた。
冬乃の体が下敷きにした物は手紙ではなかったようだ。
(最新の)
発句帳。
(てことは、今もう何冊目なんだろう)
つい興味の疑問を懐いた冬乃の見つめる先で、
「ったく、せっかく良い句が思いついたってんのに忘れちまったじゃねえかよ」
土方が照れ隠しにか、酷く苛立たしげに吐き捨てた。
(すみませんっ)
「それから、そこの畳に落ちている物は何です」
「あ?」
さらに続いた沖田の問いに、土方が沖田の視線を追って机の向こう側へと身を乗り出す。
「・・・何だ?」
(あ!)
冬乃も文机の横に落ちている物に気がついた。
(ケイタイ!)
「それ私が持ってきてしまったみたいです・・っ」
冬乃は答えて再び沖田を見上げた。
「未来からか」
土方の声が、追った。
「見せてみろ」
(い、)
「嫌です。」
大量のメールが残っている、それこそ沖田への恋しい想いまで、千秋達とのやりとりで綴っていて。
いろいろとプライバシー・・・にかかわる。
(あれ、でも現代の文字って逆に、この時代では簡単には読めないかも)
しかも横方向の文字ではないか。
「てめえ・・・嫌とは、いい度胸だな」
土方の眉間が再び狭まった。
「発句帳なんですっ」
下手すぎて見せられません!
と冬乃は咄嗟に訴えた。
「・・・発句が趣味だったの?」
沖田の、感心したような愉しそうな声とともに。土方から一瞬の沈黙が落ち。
「・・どう見ても、紙には見えねえんだが。入れ物なのか?小さく丸めて入れてあるのか」
冬乃に訝しげな視線を寄越す。
「そ、そうです」
「じゃあその入れ物だけ見せろ。随分変わった入れ物に見えるぜ」
(うう)
いや、そういえばロックがあるのだった。そもそもロックをかけていなくてさえ、操作方法など想像もされないはず。
冬乃は思い直して、それでもハラハラと小さく頷いた。
沖田が冬乃を立たせるようにして降ろし。
冬乃は沖田にぺこりと頭を下げて、畳に転がった携帯を拾い上げた。
(え)
ボタンを押して点灯した画面の表示に、冬乃は目を見開いた。
(なに、これ)
突如、謎の英語のエラーメッセージと共に、表示された時計は20時代になっていて。
(なんで)
喫茶店に居た頃は12時代だ。
しかもよく見れば、秒表示が遷移することなく止まっており。
(壊れた・・・・?)
冬乃はおもわずロック解除を試みて。
(あれ)
ロックは難なく解除でき、冬乃は拍子抜けする。
尤も、解除した瞬間にまたしてもエラー表示が出たものの。
(点灯もしてるし・・壊れたのは時計と、・・何だろ?)
「おら、見せろって」
土方の促す声に、冬乃は慌てて再びロックをかけて手渡した。
「・・随分あったけえな。発光してるがこんな小さな物にどうやって火が入ってるんだ?しかも変な色の光してやがる」
それに何だこのブツブツ
おもちゃを与えられた子供のように、土方が夢中で操作ボタンをなぞる。
「!?」
べこん、とへこんで驚いたのか土方の指が一瞬止まった。
沖田が興味深そうに土方の手元を覗き込んだ。
「その殊さら発光してる所に何か模様が浮かんだけど」
「あ?」
(う)
ロック解除用の前段階表示に違いない。
「もう一度、その突起、押してみてください」
沖田に促され、土方が素直にボタンを押すのを冬乃はどきどきと見つめる。
「模様が増えたな」
土方も目を見開く。
「何だこれは。どういうからくりの入れ物だ。それにこれは、べっ甲で出来てるのか」
(べっ甲?)
そういうことにしておこう。
「そうです。その入れ物は、夜間でもすぐ見つけられるように常に灯りがつくようになってて、ボタ、突起を押すと浮かぶ模様は・・ちょっとした飾りの一環です」
「どうしたって、この中に火が入っているようには見えねえが」
「で、でも入ってるんです・・!そのからくりはとても精巧に出来てて」
「未来には凄い物があるんだね」
(いえ、ほんとは火なんか入っていません!)
冬乃はもう申し訳なくなりつつ、
「そろそろ宜しいでしょうか」
おずおずと手を差し出した。返してくださいの意である。
「この部分の模様は、よく見ると漢字に似てるな」
(げ)
「確かに」
「力・・入、除・・?」
「次のは、解ですかね」
土方と沖田が画面をじっと見るのを前に冬乃はさらに焦って。
「そうなんです模様には文字も使うんです。未来での流行りです」
口走る。
「へえ」
ますます愉しげに沖田が笑った。
「も、もう返してくださいませんでしょうか」
「心配しねえでも、開けたりしねえよ」
大体どこから開けるんだこれ
土方が携帯を回し見る。
ぴぴぴ!
「わ」
突然に音を発した携帯に、土方は手から落としかけた。
(あ、電池残量ないんだ)
「おい、今のは何だ?」
土方が困惑した顔になって冬乃を見やる。
「見てみますのでお貸しください」
ここぞと冬乃は土方から携帯を取り返した。と、ほぼ同時に携帯全体が消灯し。
(あれ)
ボタンを押しても点灯しなくなった。
警告音が出てからあっという間に電池切れしたらしい。
「火が消えたようだが、油・・要るか?」
もしかして自分が何かしたのだろうかと、土方は心配になったのか、冬乃に対して珍しく優しい声が発せられ。
「いえ、えと、・・ここの時代では使われていない油が必要なので仕方ありません。・・あ、元々もう油が残り少なかったんです、消えたのはもちろん土方様のせいではありません」
むしろ電池切れした事をほっとしてしまいながら冬乃は、無用の長物と化した携帯を苦笑いで握り締めた。
暫くは懐中電灯ぐらいには使えるかと一方で期待もあったので、少々残念な想いも無くはないが。
しかしたっぷりと充電しておいたはずなのに。エラー表示の連発といい、色々と変だった。タイムスリップが影響したのは間違いないだろう。
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