一四. 禁忌への覚悟③

 

 

 (やっぱり戻れてないか・・)

 

 睡眠不足だったおかげで、昨夜はしっかり寝つけた冬乃は、朝起き出して変わらぬ見慣れた自室の天井の下、目覚めてすぐに意識に甦る不安や恐怖に、一瞬きつく目を瞑った。

 

 朝起きたら幕末へ戻れていたら、と夜寝る前に少しばかり期待してみたのだが。駄目だったようだ。

 

 

 (ほんとに、どうしたら、戻れるの)

 

 失意のうちに学校へ行き、教室に向かいながら。ここでは只の週明けなのに、あまりに久しぶりな感覚と最早生じている違和感に、半ば苦笑してしまう。

 

 

 授業が始まっても当然上の空で。暑い熱気に陽炎のようなものが見える窓の外を眺めながら、

 今頃、沖田達のいる京都は寒くてたまらないのだろうかと、ぼんやりと考えた。

 

 

 (・・・あ、でも)

 

 平成での時間の流れと、向こうでの流れは、激しく差があったではないか。

 

 (こっちで、もう一日半くらい・・?)

 幕末では、どのくらい経ったのだろう。

 

 

 (もう逢えないなんてこと・・・ないよね・・)

 

 既に幾度となく、胸に急襲するその恐怖に。冬乃は、慌ててまた思考を閉ざした。

 

 

 昼休みのチャイムとともに、冬乃たちは立ち上がる。


 「今日はお弁当あるから」

 のみものだけ。と千秋が、財布を手にパンを買いに外へ出る冬乃と真弓についてくる。

 

 

 「沖田さんに、逢いたいよね・・」

 

 昼時で近隣の会社員たちで溢れる交差点を渡りながら、真弓が冬乃の心を代弁するように呟いた。

 

 「・・うん」

 素直に、冬乃は頷く。

 

 「きっとまた逢えるよ!」

 励ましてくれる千秋に微笑み返して冬乃は、千秋の向こうの、ビルの合間に差し込む陽光に目を細めた。

 

 (本当に、また、行って戻ってきて・・そうやって繰り返せたらいい)

 

 だけど、

 いつまで

 

 幕末での時間の進みは、平成での進みに比べて異常に早かった。

 だからたとえ、行き来が叶ったとしても、

 

 (それですら、)

 

 いつかは先に、

 幕末での、沖田達の時間は途絶えてしまう。

 

 (苦しいことにはかわりない)

 また早く幕末へと戻れなければ、沖田達の時間の終焉に、間に合わなくなると。

 行き来を繰り返せたとしても、繰り返せば繰り返すほどに、いつかそんな焦燥に苛まれることになるだろう。


 

 

 「・・・あれって」

 不意に上がった真弓の声に、冬乃の彷徨っていた思考は戻された。

 

 「あ、白衣のイケメン!」

 瞬時に反応した千秋の視線の先。例の医大生が、歩いてこちらのほうへ向かってくるのが見えた。

 

 (そういえば、この近くの大学だったっけ)

 

 

 脳裏に思い出した、そのとき。

 冬乃の目の前は、渇望していたあの霧に再び覆われ。真っ白になった。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 ・・・さん、

 

 ・・冬乃さん

 

 

 (ああ・・・)

 

 

 沖田様

 

 

 

 (ただいま)

 

 

 

 

 

 「冬乃さん」

 

 はっきりと、聞こえた愛しい声に。

 冬乃は、うっとりと目を開ける。

 

 

 苦笑したような表情を浮かべた沖田が、見下ろしていた。

 「それが未来での服装?」

 

 刹那に落ちてきた問いに、冬乃ははっと体を見やる。

 

 (あ・・・)

 そうだった。

 

 今回は、制服を着ていたのだった。

 手には財布。

 

 (ん?)

 

 手に握り込んでいる財布に。冬乃は目をやった。

 

 (・・え?)

 

 「未来では、すごい恰好してるんだね」

 財布の存在に瞠目している冬乃の上では、見下ろす沖田の苦笑が止まない。

 

 冬乃はおもわず頬を紅潮させて沖田を見上げる。太腿と二の腕まるだしなのだ。この時代ではありえない恰好なのは、当然承知している。

 もはや冬乃まで苦笑してしまいながら起き上がって見回すと、土方もいた。

 

 「す、」

 副長部屋だ。土方の眉間の皺から察しなくとも、あいかわらず土方の文机が着地地点だった様子。

 

 「すみません・・またお邪魔してます・・・」

 

 (ていうか、なんか暑・・!?)

 

 

 手にしている財布を太腿に置きながら、冬乃は障子の外を見やった。

 先程学校の窓からみえたものと同じ陽炎が、庭先を揺らめいている。

 

 (夏・・・・?!)

 

 

 「今回は長かったね。もう帰ってこないかと思った」

 微笑っている沖田へ、冬乃は呆然と視線を戻した。

 

 「い、ま・って・・何年何月、・・何日ですか」

 

 どこか恒例となっているその質問を渡して。

 冬乃は、くらくらと眩暈を感じながら、沖田の答えを待つ。

 

 

 「元治元年、六月一日」

 

 

 

 「・・・・」

 

 

 声を。取り戻すのに、冬乃は暫しの時を要した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「・・・あの、」

 

 冬乃は畏まる。

 そうだ。まずは謝らなくてはならないと。

 

 ここ幕末の時間では、すでに半年も不在だったことになるのだ。

 

 「大変ご無沙汰して申し訳ありませ」

 「全くだよ、おめえ嫁に行ったことになってんぞ」

 

 (へ)

 

 今まで黙ったまま冬乃を睨んでいた土方が、言い放つなり、そこで急ににやりと哂い。

 

 (ヨメ!?)

 

 「いつまで経っても帰ってきやしねえし、最早そうでもしねえとカッコつかねえだろ」

 

 「初めは冗談でそういう噂にしておいたのが、」

 沖田も笑う。

 「貴女があまりにも戻らないから、そのうち、それで定着してしまった」

 

 「じゃ・・・じゃあ、私が現れたら・・」

 「ま、出戻りってとこだね」

 

 「・・・・」

 

 嫁に行くなら、せめて噂の中でくらい沖田の元がよかった。

 がっくりと冬乃は項垂れる。

 

 「じつはまた家族の用事でした、とでも暫く訴えておくしかないな」

 そう提案はしつつも、どこか如何でもよさそうな様子の沖田の声に、冬乃はますます項垂れつつも。

 もう、何処へ行っていたと聞いてこない土方には、内心驚いてもいた。

 ・・どちらかというと、呆れ果てていて聞く気にもならないといった風ではあるものの。

 

 

 「ああそうだ。貴女が居た頃は、まだ八木さん一家は親戚の家だったね。もう帰ってきてるよ。また泊めてもらいに頼み・・」

 言いながら沖田はふと何か思いついた様子になり、

 「いや、」

 撤回した。

 

 「今は、俺達がここに寝泊まっている以上、貴女が女使用人部屋に寝ても、もう心配は無いか」

 (え?)

 

 冬乃がいつかに想像したように、やはり近藤達はここ前川屯所へ移ったようだと。頭の片隅で思いながら、

 沖田の先の呟きの続きに、冬乃が耳を傾けた時、

 

 「おい総司、この女を、俺達の部屋の隣で寝かすのかよ」

 土方の呆れたような声が起こった。

 

 「隣の部屋どころか布団並べて寝てたでしょうに」

 「あれはあくまで臨時だ」

 いろいろ思い出したのか、土方がさらに眉を寄せる。


 「俺達の部屋と女使用人部屋は、襖一枚隔てただけなんだぜ?」

 

 「それの何が問題なんです」

 いっそ開け放てば、もっと広く使える。と沖田が真面目な顔をして返すのへ。

 「っ・・問題だと思わねえおめえが問題だよ」

 土方が目を丸くし。

 「襖で隔ててりゃ充分でしょう。几帳面だね貴方も」

 沖田は取り合わない。

 

 「・・ったく、おめえにこの女の扱いを一任したのは間違えだったか」

 「嫌なら解任してくれていいですよ」

 

 冬乃はぽかんと二人のやりとりを見守っていた。

 あいかわらず二人は、こんな調子らしいと。

 

 (ほんと仲いいんだなあ・・)

 

 もっとも、土方が今の冬乃の心の呟きを聞いたら、「ああん?」と凄みのひとつ飛んできそうだが。

 

 

 「・・・頼むからよけいなゴタゴタは起こしてくれんなよ」

 諦めたらしい土方が、冬乃を睨んで念押ししてきた。


 よけいなゴタゴタ、が何なのか、分かりそうで分からない冬乃が、困ってひとまず頷くのへ、

 沖田が「俺達の居る此処なら、変な事は起きませんよ」と言い添え。

 

 「たとえ何かあっても護ってあげるから。安心して」

 

 そう冬乃へと微笑むのを。

 

 冬乃は、急速に高鳴った心の臓を胸に、

 「有難うございます」

 蕩けてしまいそうな頬を隠すように。こくんと頷いた。  

 

 

 

 「・・・とりあえず、その恰好なんとかしろ」

 

 土方のうんざり気味の眼差しが飛んでくる。

 冬乃は慌てて「はい」と財布を手に立ち上がった。

 が、

 却ってそれで、座ったままの土方と沖田の視界に、冬乃の、平成の世においてさえ丈の短いスカートから伸びる太腿がしっかりと映って。

 

 「・・・」

 完全に呆れたように目を背ける土方と、

 苦笑しながら視線を上げて冬乃の顔を見上げた沖田を。

 

 冬乃のほうは見下ろしながら恥ずかしくなって。

 

 (恥ずかしいって意味をわかった気がする)

 人が気にする事を気にすると恥ずかしいのだと。

 妙に納得しながら、

 

 「貴女の行李は女使用人部屋に在るままだから。着替えておいで」

 沖田が促すのへ冬乃は頭を下げて、そそくさと副長部屋を出た。

 勿論きちんと障子側からである。

 

 

 

 

 (・・それにしても、お財布)

 

 『タイムスリップ』の瞬間に手にしていた物を、まさか持って来れたとは。

 

 (コレどうしようか)

 冬乃は女使用人部屋の押し入れを開けながら、少し困った顔になった。

 

 平成の財布がここにあっても何の役にも立つまい。とりあえず行李の奥底へ仕舞っておくしかないだろう。

 (これって、服と同じで、平成の世にもきちんと財布残ってるんだよね・・?)

 平成に帰ったら財布が無くなっていた、だとシャレにならない。

 

 (ほんとにどうなってるんだろう・・)

 

 誰でもいいから、どうかこの現象を説明してほしいと、冬乃は盛大に溜息をついた。

 いったいどんな法則で、どんな意味があって、・・どんな運命で、冬乃はここに来れているのか。

 幾度も。

 

 

 (なにか意図のある見えない力が働いてるようにしか、もはや思えない)

 

 そう感じてしまうのも、この、飛ばされてくる時期だ。

 もう三度も、新選組史、そして沖田の歴史にとっての、なにかしらの事件の前ではないか。

 

 

 元治元年六月一日。

 あと五日で、池田屋事変。

 

 

 (沖田様・・・)

 

 

 また戻ってきて彼に逢えたこと、その幸せを噛みしめ。今は、素直にそれを享受して、此処でまた過ごしてゆこう、

 もし冬乃に何か出来ることがあるならば、それはおのずと冬乃の前に開けてくるに違いない。

 

 この現象が、何かによる導きであるならば、必ず。

 

 

 冬乃は、そう思うことにすると、すっかり慣れた動きで作業着にたすきを掛け、行李を仕舞った。

 

 

 (どちらにしても選択肢は無い)

 

 いつか時が流れて、

 沖田の命と向き合う日が来て、

 

 苦しすぎて

 いっそ出逢わなければよかったと

 

 そう思う日が、

 

 来てしまうのだろうか。

 

 

 (それでも、望むよ)

 

 幾度、そんな苦しみに身を切られる想いをするとしても。冬乃は、また沖田に出逢えるのなら、また生まれ変わってでも、繰り返すだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 「失礼します」

 

 戻ってきた冬乃の作業着姿に、土方が幾分ほっとした表情で顎をしゃくった。

 「座れ」

 

 遠慮がちに正座する冬乃の横で、沖田が水を飲んでいる。

 

 「おまえが何処へ行っていたかは、もう聞くつもりもねえ」

 やはり呆れているのか、土方が吐き捨てるように言った。


 「そのかわりに聞くが、おまえが此処に戻ってくる理由は何なんだ」

 

 もっともな質問だった。

 

 しばらく行方をくらましては、土方の文机に再び現れる冬乃の、目的が密偵活動ではないと冬乃が言い張るなら、確かに他にいったい何なのかと。

 

 今回なんぞ半年も居なくなるくらいだから、働き口がほしいわけではないのも明らかだ。

 

 

 そもそも今回は、土方はもう密偵の『み』の字も口にしてこないようだ。

 

 (土方様は、もう私が密偵ではないと言うのを信じてくれてるのかな・・?)

 

 

 いや、信じるというより、

 あまりに毎回、しつこく文机で倒れている冬乃の間抜けぶりに、最早こいつが密偵を務められるわけがないと思っているだけ・・な気もするが。

 

 

 「・・ここへ戻ってきたいと、願ってはいました。でも、自分の意志で戻ってこれるわけではなくて、」

 

 ぴくりと、もう何度も見た土方の秀麗な眉が、動くのを。冬乃は見とめながら。

 「また今回も、思いがけない瞬間に向こう・・未来で、霧を目の前に見て、そしたらここへ戻っていたんです」

 

 

 「・・未来、かよ」

 あいかわらずだな、と土方は、もはや冬乃を追求する様子もなく溜息だけつくと。

 おめえが何処から戻ってきたかはさておいても。

 前置いて。

 

 「つまり何だ。おめえの意志ではないから、理由は無い、というのか」  

 

 (・・・理由は、)

 

 あるはずだ。

 「わかりません・・・」

 

 「なら、ここへおまえが戻ってきたい、と願っていた理由のほうは何だ」

 

 

 冬乃は顔を上げた。

 

 (沖田様にもう一度、逢いたかったから・・)

 

 もちろん口にはできない。冬乃は、小さく息を吐いた。

 「ここが・・新選組が好きだからです」

 

 「物好きな女がいたもんだな」

 嗤う土方に、

 冬乃は、だが嘘は言っていないと、見つめ返す。

 「本当に好きなんです。皆様のことが」

 

 「・・・」

 土方が、つと試すような眼をした。

 

 「ならば、俺達の役に立つ気はあると、受け取っていいな?」

 「え?」

 

 「丁度良い。これからおまえには時々、総司と一緒に潜入捜査をしてもらう」

 

 (え・・・?)

 

 「本気ですか」

 横で沖田が、珍しく驚いたような声を出した。

 

 「具体的には、」

 土方が構わず続ける。

 「長州を匿っている疑いのある、長州贔屓の旅籠に、総司と恋仲のふりをして泊まってもらう。女連れのほうが怪しまれねえからな。・・総司とならいいだろう?」

 

 「・・・」

 

 (うそ・・・)

 

 「どうだ。引き受けてくれるな?」

 

 沖田と恋仲のふりをして旅籠に泊まる。

 (なんか、火ふきそう)

 顔が早くも火照るのを感じながら、冬乃は小さく頷いた。

 

 断る理由もない。というより、役に立つ気はあるかと問われておいて、この流れで断るわけにもいかないではないか。

 

 (だいたい、)

 

 『総司とならいいだろう?』と言った土方の念押しは、いったい。

 (まさか、土方様にまで、沖田様への気持ちがバレてるかもしれないの?)

 

 もしかして、

 だから、前に八木家離れの風紀うんぬんと言い出したり、

 (襖一枚を気にしたりしてる・・ってこと??)

 

 

 冬乃が沖田を好きでもなんでもなければ、たしかに、その場の『風紀』が乱れる危険は少なかろう。

 どちらかに何らかの気持ちがあるから、或いは乱れるのであって。

 そして残念ながら、沖田の側に冬乃への気持ちは無いのだから。

 

 (そういうことなの?バレてたの?)

 そう思い至れば最早そうとしか思えなくなってきて、冬乃は背に汗を感じだした。

 

 ちらりと土方の目を盗み見れば、勝ち誇ったような含み笑いがこころなしか垣間見える。

 

 (じゃあ、聞かなくたってほんとは、私がここに戻ってきたかった理由もお見通しじゃん・・)

 

 

 

 「嫌なら断っていいんだよ」

 横から沖田が心配そうに確認してくるのへ。

 冬乃は、ふるふると首を振った。

 「お引き受けします」

 

 「・・・」

 冬乃はとてもじゃないが沖田の顔を見れないでいるが、恐らくさすがに驚いているだろう。

 土方は、ふん、と哂い、「じゃあその節は頼んだぞ」と締めた。

 

 

 「そうだ、待て」

 

 話が終わったのを受けて冬乃が、その場を逃げるようにして、茂吉さんへ挨拶に行きます、と立ち上がった時、後ろから土方が呼び止めた。

 

 「次に起こる事件は何だ」

 

 

 (・・・っ)

 

 それを聞くかな。

 冬乃が言葉に詰まってしまったのを。目敏く捉えた土方が、その大きな瞳で見上げてくる。

 

 「言えねえのか?」

 未来から来たんだろ

 と、殆ど信じているわけでもないだろうに土方が促して。

 

 (言える、わけが・・)

 

 冬乃は、懸命に頭を捻った。

 次に起こる事件、池田屋事変の、

 

 何か言っても差し支えない事はあるだろうかと。

 

 (もし言えるとすれば、唯・・)

 

 

 「大きな・・捕り物があります、近いうちに」

 

 これだけだろうと。冬乃は唇を噛み。

 

 

 へっ、と土方が口端を歪めた。

 「大きな捕り物なら、もう幾度もやってるぜ」

 

 

 (その大きさの、規模がちがうんです・・)

 

 

 「・・・」

 

 冬乃が答えない様子に。土方はにやりと笑んだ。

 「・・どうやら、よほどの捕り物らしいな」

 

 冬乃は尚答えず。ただ目を逸らした。

 

 

 「・・・まあ、いい。茂吉さんの所へ行ってこい」

 よく謝っとけ、と哂う土方の言葉が追った。

 

 

 

 

 

 副長部屋を出た冬乃は、茂吉を探しに、まずは厨房を覗くことにした。

 

 (暑い・・・)

 

 外を歩きながら、風の無い中まとわりつくような熱気に、冬乃は早くも、ぐったりしていた。

 

 (こんな暑さの中、みんな巡察に廻ってるんだ・・)

 

 

 この時期。

 先の八・一八政変で京都を追い出された長州藩士達や、志同じくする浪士たちが、再び相当な人数で入京し潜伏していると、懸念されていた。

 

 度々不審な浪士を捕縛し、不穏な雲行きを察知していた新選組は、巡察を日夜強化、幕府も見廻組という部隊を新たに設立し、京都各所に潜伏しているであろう彼ら志士達への警戒を強めていた。

 

 

 (だけど。新選組も、彼ら志士達も、想いは同じだったはずなのに)

 

 この当時、天皇は、あくまで幕府を必要とし、幕府の援けによる攘夷の実行を希望していた。

 だが、それを知らない、または信じない、多くのまたは一部の、純真な『尊王攘夷』思想の長州系志士にとっては、

 あくまで先の政変は、会津と薩摩の勝手な謀略であり、

 

 彼らは、今その会津と薩摩、“薩賊会奸”によって、朝廷が牛耳られて、天皇の意志がないがしろにされている、と想像し、嘆いていた。

 

 じつはそれが皮肉にも、政変前の、長州に牛耳られた朝廷と天皇の状況であったことを、彼らは当然、認識してはおらず。

 

 

 志士達は、会津等を朝廷から追い出す為、そして、朝廷での長州の復権の為、

 事を起こす計画の決行に向け、新選組や幕府の目をかいくぐり、必死で準備を重ねていた。


 

 池田屋事変は。そのさなかに起こる。

 

 

 その日、早朝に捕らえた一人の志士の、長い拷問によりついに引き出した自白、そして押収した書状の数々と、

 封印したその志士の家の土蔵が、昼前には何者かに破られ武具類が奪取された事によって、

 新選組は、志士達の計画の内容に加えて、その決行の日が非常に近い可能性を知る。

 

 “もしその計画が、今夜明夜にでも決行されたら”と。

 危機感を募らせる新選組は、

 近々の計画実行に向けて何処かに潜伏している志士達を、今度こそ根こそぎ捕らえるため、

 会津と幕府へ応援を要請し、自らも普段にない厳重武装の用意を行い、その日夕刻、徹底巡察を開始した。

 

 近藤と土方、それぞれに隊士を引き連れて二手に分かれ、

 旅籠や料亭、あらゆる店をしらみつぶしに廻る過程で、

 そして、近藤の隊は池田屋に辿りつき。新選組が朝に捕らえた志士の奪還策を主な議題に会合していたといわれる、十五名程の志士達と遭遇し。後世に遺るその事変は起きた。

 

 その夜、剣を交えた近藤達も、彼ら志士達も、

 だが、『尊王攘夷』という志ならば、違わなかったはずだった。

 

 

 

 (もっとずっと早くに、それぞれの代表が集まって、天皇もそこにいて、・・全員で想いのたけを打ち明けることが出来ていたら、この後の歴史があれほどまでに血塗られることは、なかったかもしれないのに)

 

 そんな、ありえない仮定でも。

 情報が正確に伝わらない中、顔をつきあわせて話し合うことがなかったために生じた憶測と誤解が、

 本来なくていいはずの不安や憎悪を引き起こしたことを、

 そのいつの世も変わらない、人の抱える限界をまるで、示すようで。

 冬乃の心に沈む想いへ、波紋を起こす。

 

 

 

 

 

 

 「・・え?冬乃はん?」

 

 厨房にいた茂吉と藤兵衛の驚いた顔に、冬乃は思考を終わらせ、ぺこりと挨拶した。

 

 「長らくご無沙汰して申し訳ありません・・」

 

 「あんた、嫁に行ったんと違うん?」

 たった半年で出戻りか?!と顔に描いてある茂吉に、冬乃が苦笑して首を振る。

 

 「なんだかそういう噂になっていたそうですが、・・急の家族の用事でして・・すみませんでした、ご挨拶もできないまま」

 

 「・・・」

 唖然とした様子の茂吉と藤兵衛の後ろで、厨房の反対側の戸を開けて、お孝が入ってくる。

 

 「あら、冬乃はん!」

 お孝の面にぱっと咲いた、その大輪の花のような笑顔に。

 冬乃にすればごく短い期間だったとはいえ、再開できた嬉しさが、胸内に溢れて。

 

 「ご無沙汰してすみません。あの、また、よろしくお願いいたします」

 冬乃は、心を込めて。深々とおじぎした。

 

 

 

 

     

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