一四. 禁忌への覚悟②

 





 「・・・あまり起きないようですと、・・」

 「・・見てきますね・・」

 

 声が途切れ途切れに聞こえてくる中。

 

 見慣れた天井に。冬乃は、溜息をついた。

 

 

 母の声は、一階の玄関から聞こえてくるようだ。

 もう一人の声は、もう何度も聞いたあの医大の人の声。

 

 (なんで私、部屋に戻ってるんだろう)

 

 確か、最後に居た場所は大会場の医務室だったはず。

 

 「冬乃」

 

 冬乃の部屋の扉が開けられ、

 「起きなさい」

 母が入ってきた。と同時に、冬乃が目を開けているのを見て、あ、と小さく声を漏らし。

 

 「・・・」

 何か言いかけた母は、だがすぐ踵を返し、階下へと戻ってゆく。

 

 「・・でしたら・・です」

 医大生の声が聞こえ。やがて玄関の閉まる音がした。

 

 

 母が再び階段を上がってくるスリッパのぺたんぺたんと響く音を耳に。

 冬乃は、ゆっくりと起き上がった。

 

 

 (暑い・・・・・)

 

 平成の、ここでは。まだ夏だったことを思い出す。

 エアコンのリモコンへと手を伸ばした。

 

 

 行ったり、来たり。

 

 (おかしくなりそう)

 

 

 

 「あんた、私の睡眠薬持ってたんだって?」

 母が入ってくるなり、そう言った。

 

 「・・・」

 

 またいつものように怒鳴られるかと思ったが、

 

 「・・大会で倒れたんだってね」

 次に続いたその言葉に、冬乃は母の目をおもわず見返した。

 

 「医大の男の子にだいぶお世話になったみたいじゃない。あんたに連絡先は渡しているって言ってたから、次、会った時によく御礼いうのよ」

 

 (連絡先・・あのメモ)

 「この近くの医大だそうよ。あんたをタクシーで運んでくれたのよ、大学に戻る途中だからと」

 

 冬乃が医務室で、ふたたび意識を失った後、

 いま服を着ているところを見ると、おそらくはすぐに千秋が服を着せてくれたのだろう、

 そして医大生に担がれて、タクシーで家まで運ばれたというとこだろうか。

 

 (そういえばあのメモどこやったっけ)

 

 冬乃が記憶を探っている間も、母は淡々と話していく。

 母は医大生から、冬乃の深睡眠がおそらく極度の疲労と睡眠薬の体内残存によるものと考えられると、

 そして大学での所用が終わったら、帰りにまた様子を見に来ますと、その時も起きないようなら病院へ連れて行きましょうと、言われたのだと。

 話し終えると、母は冬乃を覗き込んだ。

 「もう、大丈夫なのよね?」

 

 母の向こう、壁の時計を見やれば、もう夜の10時半だった。

 

 つまり先程の玄関でのやりとりの声は、医大生がまた帰り際に寄ってくれたことによるものだろう。

  

 「うん・・・」

 

 こころなしか心配そうにしている母を前に、動揺している己の心を隠しながら。冬乃は母から目を逸らした。

 

 だがすぐに。

 「・・・おなかすいた」

 あまりの空腹感で、おもわず呟いた。

 

 「いいわ。何か作ってくる」

 

 

 あっさりと部屋を出てゆく母の背を、なかば呆然と見ながら、冬乃はふらふらと再び横になる。

 

 まさか、この空腹で幕末から目が覚めたのではないか。

 そう訝るほどに、酷い。腹と背がくっつきそうで。

 

 

 だいたい、幕末においてのこの数日、食べても食べても空腹感から逃れられなかった。

 (やっぱり、これって)

 

 沖田に揶揄われるほど唸って考えていた時の、

  

 “平成にいる自分の体が、もはや耐えられないほどの空腹になれば、幕末にいる自分にまで影響してくる”

 

 あの懸念が正しかった。ということではないか。

 

 

 (そしてもし、おなか空き過ぎで目が覚めたなら、)

 幾度、向こうに戻ってもまた、平成で空腹が過ぎれば、そのたび同じように帰ってきてしまうのだろうか。

 (それじゃ、ぜんぜん幕末に長居できない)

 

 

 (・・・その前に、向こうへまた戻れるの・・?)

 

 

 いったい、何度この不安に駆られなくてはならないのか。

 

 

 (まだ私、沖田様に何もしてあげれてない)

 

 

 

 部屋の戸を開けて母が入ってきた。

 再び横になっている冬乃を見ると、黙ってサイドテーブルへ盆を置いた。

 

 「あ、・・の」

 出ていく母へ、冬乃は起き上がりながら声を追わせた。

 「・・ありがとう」

 

 「どういたしまして」

 振り返らずに返した母は、部屋を出て戸を閉めた。

 

 

 

 母の持ってきた野菜粥を食べながら、冬乃は耳を澄ます。

 今日は義父の気配がない。夜勤か何かだろう。

 ほっとしながら、冬乃は携帯を手に取った。

 

 

 千秋と真弓へ、『心配かけてごめん。いろいろありがとう。あした会える?』とメールを打ち。

 『もちろん』『もう大丈夫なの』彼女達からはすぐに返事が来た。

 

 もう一度幕末へ戻れるのか、激しい不安と焦燥と、恋しさに、そんなあらゆる感情に圧し潰されそうになりながらも、

 一方で、どうしても彼女達に会って話をしておきたかった。

 これ以上、また同じようなことが起こって、心配ばかり掛けるわけにいかない。

 

 

 もっとも、どうやったら戻れるのかも、そもそも分からないのだが。

 

 

 (今夜は、眠れるのかな・・)

 

 また睡眠薬に手が出そうになる衝動を、咄嗟に抑え込む。

 

 (いま、何か考えてたって堂々巡りでしかない)

 向こうへ戻れないかもしれない恐怖に、のみこまれるのがオチだろう。

 

 なにも考えないように努めるしかない。

 

 

 (長い夜になりそう・・・)

 

 エアコンで冷えてきた室内に、ぶるりと冬乃は身震いし。リモコンに再び手を伸ばした。

 

 

 

 

 結局、ほとんど浅い睡眠で、起きたり寝たりを繰り返して、げっそりと青ざめた顔で冬乃は、待ち合わせの時間に合わせて起き上がった。

 

 彼女達に会えると思うと、それでも元気が出る。

 約束していてよかったと。冬乃は着替えながら、快晴の外を眺めた。このまま一人で悩んで籠っていれば発狂しかねなかった気すらして。

 

 

 

 

 「冬乃・・!」

 「もう大丈夫なんだよね?ほんとに」

 

 千秋たちが駆け寄ってきて、冬乃が目の下のクマをメイクでも隠しきれていないさまに、覗き込んで心配そうな顔を浮かべた。

 

 「うん。本当に有難う。いろいろごめんね」

 よく使うカフェに三人、足を向けながら、冬乃は二人を横に向いた。

 「それとね、たぶん、疲労とかじゃないんだ」

 

 「どうしても伝えておきたかった。私さ、あれからまた、・・」

 

 交差点に差し掛かり、立ち止まる。

 千秋がくるんと巻いた髪を揺らして、冬乃をもう一度覗き込んだ。

 「沖田さん、でしょ?」

 

 驚いたのは冬乃のほうだった。

 

 「冬乃が、真弓きて急に倒れた時、『よかった、沖田様にまた逢える』、って、はっきり言ったんだよね」

 

 (え・・)

 

 「てか、大変だったんだからぁ着せるのォ」

 急に思い出したのか頬を膨らませてみせる千秋に、ゴメンと返す冬乃の横で、

 

 「冬乃は沖田さんに夢で逢えてるんだって、千秋からそれ聞いて思ったけどさ。でも、そーゆーコトなのか、」

 真弓が、青になった交差点に一番乗りで歩み出しながら続ける。

 

 「それとも冬乃が話してたように、ほんとにタイムスリップとかしてるのかは、・・わかんないけどさ」

 

 でも、良かったね

 と真弓が、にっと微笑んで。

 

 「また逢ってきたんでしょ?」

 

 (真弓・・)

 「うん」

 冬乃が頷くのを確認し、真弓と千秋が視線を合わせ、にこにこと冬乃を向いた。

 

 「詳しく聞かせてもらおっか」

 

 

 

 

 昼間のカフェの喧噪の中。

 冷房の効きすぎた店内で、見越して持ってきておいた上着を着込んで三人はテーブルを囲んでいる。

 

 「マジなんか・・ほんとに逢ってきたみたいにリアルじゃね・・?」

 

 初めは、冬乃を気遣うがためにタイムスリップも視野に入れているような様子を、あえて醸してくれていた真弓だったが、

 冬乃の懸命な体験談に、段々と目を見開いてゆき。

 

 「冬乃よかったね!!」

 千秋にいたっては、もう信じていた。

 

 

 「や、でも、どーなってんだろ、」

 真弓はまだ唸っている。

 

 「意識だけ向こうに行ってるって・・?」

 「うん、・・わけわかんないけど、たぶん・・」

 

 「いーじゃん、なんだってぇ」

 逢えてるんだから。

 千秋が、難しいことを考えて悩んでいる目の前の二人に、小首を傾げてみせる。

 「もんだいはぁ、そっちじゃないって」

 

 「え」

 「ん」

 千秋の指摘に、冬乃も真弓も顔を上げた。

 

 「逢えてるってコトはわかったよ?でもぉ、どうやってまた逢えるの?」

 

 そう、そうなんだよね。

 冬乃が頷く。

 


 (・・でも)

 彼女達に話す過程で、これまでの体験を改めてなぞってゆくうちに冬乃の内には、何故かまた幕末へ戻れるような予感が湧いていた。


 (まるで、)

 やり残したことがある。今やそんな想いに駆られているせいなのか。

 

 (使命のように)

 

 

 だが、一方で同じく芽生えている一抹の疑念。

 沖田のために何ができるか、探ることは

 歴史を変えてしまう何かを探しているのと、

 同等なのではないのかと―――

 

 

 

 (それでも・・)

 

 もしもそれが、叶うなら

 

 

 (・・・きっと私は・・)

 

 

 

 

 「でもさぁ。ナゾだよねー」

 ケーキをつつきながら千秋が溜息をついた。

 

 「最初はいきなり倒れてぇ、次は寝たら向こう行けて、その次は寝ても行けなくて・・それなのに寝るとか全然カンケーないタイミングで、あっさり行けちゃったんじゃん?」

 「ブラとったタイミングだし」

 真弓が付けたしつつ噴き出す。

 

 「そだよね」

 改めて考えても奇怪すぎる現象に、冬乃も苦笑するしかなく。

 

 

 「まー、ハラ減りすぎて戻ってくるってのも問題だから」

 真弓がさらに笑う。

 (う)

 「そっちは、そうと決まったわけでは・・」

 真弓の揶揄いに冬乃は言いよどんだ。


 「でもさぁ、帰ってくる時もーいろんなタイミングなんだよねぇ?」

 

 千秋のふと呈した疑問に、冬乃はグラスを持ち上げていた手を止める。

 「そう・・なはず」

 

 「ん、とぉ。最初は5分くらいですぐ目さめたでしょ、次は白衣のイケメンが冬乃を起こした時でー、3度めは冬乃のおなかが空き過ぎたせいで」

 「だ・・から、そうと決まったわけじゃ、いやもぅそうなのかな、そうなのかも」

 もはや観念して口走る冬乃に、

 「あ、てか。白衣のイケメンから連絡先、冬乃もらってるっけ」

 千秋が思い出して声を上げる。

 「昨日冬乃のお母さんがぁ、今度御礼させますってイケメンに言ってたけど、冬乃、連絡先もらってるのかな、て気になってたんだよね」

 

 たしかに母が昨日、次に逢えたら御礼をしろと言っていたが、連絡先を知らない。

 もらったはずのメモは、あれから考えてみたがおそらく、冬乃が再度倒れた騒ぎで医務室に置き忘れているのだろう。

 「連絡先のメモは渡されてたはずなんだけど、どっか行っちゃったみたい」

 

 (どころか、名前も)

 「あの人って、名前なんていうの?」

 

 「「さあ」」

 千秋と真弓が同時に首を振った。

 

 「たしかに御礼しなきゃなのに・・」

 「・・・」

 三人は困った顔になって黙り込んだ。

 

 

 

 

  

   

    

 千秋達と別れた後。冬乃は道場へ向かった。

 

 部屋へ戻っても悶々と苦しいだけだ。どうすれば幕末へ戻れるのか判らないで悩んでいても仕方ないと。こういうときは、無心に竹刀を振っているのが一番いい。

 

 

 日曜日の今日は師匠はいなかった。自主稽古に来ている人たちと挨拶を交わし、冬乃は竹刀を握る。

 

 (沖田様)

 

 

 また、逢えますように

 (どうか・・・・)

 

 

 目を瞑る。

 

 深く息を吐き。

 

 構えた竹刀の先を見た。

 心を空に。

 

 

 

 竹刀を振りかぶり前へ踏みだした右足先に、心地よく冷たい床を踏みしめた。

 

 

 

 

 

         

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