一四. 禁忌への覚悟①

 

  

 

 

 「・・おまえがどうしても沖田家を継ぐつもりがないのなら、いっそ俺の養子に入って、俺の跡を継いでくれないか」

 

 今日は日中に雨が降って。一日屋内での仕事に勤しみ、風呂を終えて八木家離れへと戻ってきた冬乃は、

 障子を開けかけた時、中から聞こえてきた近藤の声に、どきりと手を止めていた。

 

 

 (・・・養子?)

 

 沖田家は、

 沖田が幼い頃に、長女の迎えた婿が家督を相続している。

 沖田は息子のいる姉達に遠慮し、長男でありながらも、成人後も姉婿から家督を継ごうとはしなかったともいわれる。

 (それもあるだろうけど、沖田様は・・)

 

 

 縁側で佇んだところで冬乃の存在など気づかれているだろう。引き返すのもどうかと、冬乃は意を決して障子を開けた時、

 「ご冗談を」

 沖田が近藤へ困ったような声で返答した。

 「俺じゃ先生の跡は継げませんよ。御存知でしょう」

 

 「・・・」

 冬乃は気まずさに、そっと障子を閉める。

 

 「おまえは、やはり、それだけはどう頼んでも譲らんのだな・・」

 

 冬乃が入ってきたことへ気を向けることなく近藤が会話を続けた。

 

 「はい」

 そう即答した沖田を見返した近藤の眼は、冬乃の目に切なげに揺れ。

 

 「ならばせめて、試衛館だけでも継いでくれるか」


 近藤の強い意志をもった眼が沖田を見上げる。

 「おまえしか、ふさわしい者はいない」

 

 「先生が本懐を遂げ、江戸へ帰還された暁には、承ります」

 同じく、いやそれ以上に意志の強い眼が、近藤を見返した。

 

 「分かった。その言葉、忘れないぞ」

 

 「ええ」

 

 部屋には今未だ、近藤、沖田、冬乃だけで。

 冬乃はあまりのいたたまれなさに、こそこそと隅のほうへ寄った。

 

 「おかえり冬乃さん」

 そんな冬乃へ、沖田が声を掛けてきた。

 「おかえり」

 近藤の声も追って。冬乃は、二人へ慇懃に会釈する。

 

 「あ、・・お茶、お淹れします」

 結局いたたまれなさに負けて、奥に置いてあったやかんを手にして立ち上がり冬乃は、すぐまた障子を開けて出た。

 

 

 井戸で水を汲みながら、胸内を奔るやるせなさに、白い息を吐き出す。

 

 

 確かに沖田が、近藤の養子となって近藤の跡を継ぐはずがなかった。

 

 『それだけはどう頼んでも譲らんのだな』

 沖田へそんな溜息を返した近藤は、本人から聞いているのだろう。

 沖田が近藤を護る為に、傍にいる事、

 

 ――つまり、その一生を賭して、有事の際には近藤の『盾』となり。身を挺して、近藤の命を護ろうと在る事を。

 

 そんな沖田が、近藤の跡目になれるはずはなく。

 

 

 沖田がのちに病の床に臥しても、彼のその想いは当然変わらなかっただろう。

 

 そして命がある限り、或いは近藤の盾となりえる機会は残っている以上。どれほど病に身が蝕まれようが、沖田が自らの手で肉体の苦しみを絶ち、その一縷の機会を捨て去るはずがなかった。

 

 (だからこそ、最期まで、近藤様の傍に居たかったはずなのに)

 

 病の床に置いて行かれ。

 それがどんなに、近藤達にとっては、沖田の病状が或いは療養の末に快復してはくれないかと、彼らは彼らでその一縷の望みを託したが為の別離であったとしても。

 

 沖田は、戦地へ共に行くことで、己が足手まといとなるだろう事への懊悩と、近藤の傍に在りたい想いとの狭間で、どれほど引き裂かれるような葛藤に苦しんだことだろうか。

 

 (この先、私に出来ることは、結局なにも無いの・・?)

 

 

 急襲した、その神経を抉られるかの痛みに。冬乃は首を振った。

 

 (・・・そんなことない)


 冬乃が、ここに来れたことが運命ならば

 

 

 (何か出来ることが、きっとあるはず)

 

 

 

 

 

 やかんに汲み終え、冬乃は立ち上がった。

 障子に手をかける前に一瞬耳を澄ましたが、もう会話は聞こえてこなかった。冬乃は障子を開けて中へ入り。

 

 奥を見やれば、二人はそれぞれ本を広げていた。

 冬乃は幾分ほっとして、すでに火の熾されている火鉢の上へ、五徳を刺してやかんを乗せる。

 湯が沸くまでの茶葉の用意に、押し入れの棚へと向かった。

 

 茶葉を手に戻りながら冬乃は、沖田のほうをそっと見る。

 

 (必ず、みつけてみせる)

 

 

 冬乃に、出来ることが、何かを。

 

 

 

 

 障子の外が騒がしくなった。

 原田の陽気な声がする。冬乃は盆に手を伸ばし、温める湯呑の数を増やした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 (なんか、このところ食べても食べても、おなかすいてる・・)

 

 昼餉の席で、冬乃は溜息をついていた。

 

 (でも、ごはん何杯もお代わりするわけにいかないし)

 使用人の身として、そこは遠慮しなくてはなるまい。

 

 (食欲の秋かな?)

 といっても、十月も十日を過ぎ、ここでは最早すでに初冬なのだが。

 

 今日は朝昼とも沖田が、巡察や所用らしく隣の席にいないので、ただでさえ冬乃は気が沈んでいる、・・はずだが、食欲は旺盛なままで。

 (おなかすいた)

 食べながらそんなことを思っている自分に、冬乃は呆れる。

 

 

 

 

 「冬乃殿、」

 久しぶりに聞いたその声に、厨房での片付けを終えて戸の外で背伸びをしていた冬乃は嬉しさに振り返った。

 

 「お元気でござったか。すっかり御無沙汰しております」

 「安藤様。こちらこそ」

 

 冬乃は微笑み返しながら。安藤の手にしている、華やかな刺繍のみえる紅色の紐へ、自然と視線が向かう。

 

 「あ、じつは、これは例の女人からで・・彼女は刺繍が得意でござってな、色々よく作っているようで。そのうちの一本を、冬乃殿へと」

 

 「え?」

 冬乃は目を瞬かせていた。

 礼の女人とは、安藤とお付き合いしている未亡人だろう。

 

 「渡されてから大分遅くなってしまったでござるが、これをお納めくだされ」

 安藤がそう言って、紐を手渡してくれる。

 

 「扱きです。普段お使いでないようなので」

 

 (しごき?)

 

 「あれからすぐ大阪まで行っとりまして、すっかり遅くなってしまったでござるが」

 「いえ、こんな素敵なものを戴いてしまって宜しいのですか・・?」

 「お土産を提案してくださった礼だと申しておったでござる」

 

 冬乃は手の内の、その美しい刺繍を纏う紐を見つめた。

 

 「有難うございます。でもあの、こちらはどのように使うのでしょうか・・」

 「扱き・・を、まさかご存知でらっしゃらぬのか?」

 安藤の驚愕した顔に、冬乃はこくりと頷く。

 

 「・・女人によっては好まず全く使わない方もおるようですが、それでも、ご存じないというのも珍しい」

 安藤は冬乃の、未来から飛んで来た云々の騒ぎを知らないようだ。

 冬乃が畏まっていると、

 「その扱きを腰に巻いて、裾の長さを調整いたす」

 説明してくれた。

 

 (あ、そういう物だったんだ)

 「しかし冬乃殿の、その、扱きを使わずに、かように帯の位置で二重にして挟む方法は、花街の遊女の方などにお聞きになったのかな?このまえ、女性の身で角屋に行かれたくらいだから、お知り合いでもいるでござるか」

 

 (え?)

 

 「扱き無しに、かようにして地に裾を引きずらない程度まで既に持ち上げているやり方は、彼女に言わせると珍しいようでござる。・・女性の着付けに拙者は詳しいわけではござらぬが、そういった珍しいことは、花街の方々が最初に始めるものだと聞いたことがござる故」

 

 「・・・」

 (着付けは沖田様に教わったなんて言えない・・)

 

 しかし沖田から教わったやり方は、恐らくすなわち、露梅のやり方だろう。

 

 「・・そうです」

 「やはり」


 (そういえば、たしかに・・)

 裾を手に支えて歩いている道行く町娘たちの中には時々、背後の腰から帯とは別に、紐が出ていたように思う。ちょうど、この扱きのような紐だ。

 

 (あの紐、なんかの飾りだと思ってた・・)

 

 どうやら、腰に紐をぶるさげていた彼女達の、帯の下でたわんでいた箇所は、あらかじめ帯に挟んで作られたわけではなく、この扱きの紐によって持ち上げていた箇所だったらしい。

 

 

 冬乃は艶やかに微笑む露梅の顔を思い出した。

 安藤の言うように、この時代の京都では、町娘が憧れた太夫や露梅ら天神といった、花街での教養を積んだ女性たちは、しばしば流行の発信源になったようだが。

 

 島原などでは、遊女たちは比較的自由に門の外へ出られたという。露梅たちがお座敷に出るのでは無しに、客との外出等に町を行き来する日には、

 普段の必要以上に長い裾は、あらかじめ帯下に折り込んでしまうこの方法を考案し、始めたのかもしれない。

 

 (これってじゃあ、この時代の京都の、最先端のファッションてことだよね)

 

 

 しかし冬乃がこの方法で裾を持ち上げていて尚、そして、町娘たちは扱きで持ち上げていて尚、それでも手で支えているように、

 当たり前に『粋』とされる裾の長さは、やはり手を離せば引きずってしまう長さであることには変わりなく。

 

 

 冬乃がまた、見た目かまわず早く移動しなくてはならないような時には、この扱きは大いに助かるに違いない。

 

 (今までみたく帯にさらに無理やり挟むより、ずっとしっかり固定できそう)

 

 

 「有難うございます、どうか御礼をお伝えいただけますか」

 冬乃の礼に、安藤が微笑む。

 「承知した」

 

 「今度はその方もご一緒に、また甘味屋さんに行きたいです」  

 まだ見ぬ色っぽい未亡人を想像して、冬乃もにっこりと微笑んだ。安藤が、照れたように頷いた。

 

 

 

 

 扱きを丁寧に行李に仕舞い、冬乃は女使用人部屋を後にした。

 建物の庭に面した副長部屋では、時おり声がする。

 会話の内容までは聞き取れないが、近藤、土方、山南が会話している様子だ。

 

 (お茶でもお持ちしたほうがいいのかな?)

 

 そう思い立って冬乃が立ち止まった時、

 これまで聞こえていた彼らの声とは、まったく別の話し声がした――それはひどく懐かしくもあり、あまりにも聞き慣れたものでもあり、

 冬乃の心を刹那に掻き乱した――――母の声だった。

 

 





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る