十三. 一点紅を手折るは⑥

 

 

 「沖…」

 

 その目を見開くなり、

 何か思い出したようにみるみる白い頬を桃色にそめてゆく冬乃の、

 見上げてくる揺れる瞳と、

 華奢な体の、今や存分に温まったぬくもりを

 一つ布団で腕の中に囲いながら。

 沖田は、今更ながら現状を正確に認識した、

 気がした。

 

 「おはよう」

 もっとも常と変わらぬ挨拶が、普通に口をついて出てくる己に、己で哂えたが。

 

 「・・・冬乃ちゃん、沖田に何かされてない」

 大丈夫なの?

 みもふたもない問いが直後、藤堂から投げられ、

 冬乃はぎょっとしたようだった。

 

 「ひどいな」

 もはや笑ってしまった沖田に、

 藤堂が剣呑な眼のまま視線を寄越す。

 

 「沖田、おまえなら、大丈夫だって信じてたのに・・・」

 だから“大丈夫”だろが

 沖田が眼で訴え返すも、

 

 「離れの風紀に差し支える。全員、この部屋で今度からこの女に指一本触れるな。とくに総司と原田」

 

 触れたら士道不覚悟で切腹ッ、とでも言い出しそうな土方の口調厳しき沙汰が。下り。

 

 なんだ離れの風紀って

 

 起き出して遠巻きに状況を見守っていた近藤以下残る全員が、ぽかんと土方を見やる。

 

 「いま俺あんな離れてんのに、なんで名指し?!」

 土方の隣にきている原田が文句を言った。

 

 

 「・・・で、いつまで、くっついてんだ?」

 

 永倉の冷ややかなつっこみが沖田と、もはや呆然としている冬乃へと。最後に、落とされた。

 

 

 

 

 

 (なんか妙なコトになっちゃったな・・)

 

 朝餉の焚き飯をよそいながら、冬乃はいろいろ思い出しては眩暈がしている。

 

 「冬乃はんっ、ごはんの量おかしいで!」

 (へ)

 

 突然横合いから茂吉に叫ばれて、びっくりして手を止めた冬乃に、

 茂吉が促すようにして、冬乃の手の内の椀を睨んだ。冬乃がやっと椀を見やれば、なるほど幾らなんでもな大山を形成しており。

 

 「どこにお供えするつもりなんや」

 ここまで上手く盛りきった自分に、むしろ感心している冬乃が、「スミマセン」とは謝りながらせっせと他の椀へ移してゆくのを、隣でまだ茂吉が睨みを利かせて見守るなか。

 

 「今朝は、また一段と悩んだはるんやなあ」

 ほほ。とお孝が、含み笑いでそんな冬乃を揶揄った。

 

 

 

 

 あきらかに物騒な雰囲気の藤堂と、いつもどおり飄々としている沖田との間に挟まれて。その、もはや定位置と化している真ん中で畏まりながら冬乃は、朝餉の味噌汁をむりやり喉に流し込む。

 

 昨夜は絶対寝付けないかと思ったのに、温かであまりの心地よさに、いつのまにか寝ていた。

 心臓には悪いだろうけど、寝付ける以上あんな夜が毎日続いたら、なんて幸せだろうと思うのに、土方に禁止されてしまって、じつは冬乃がいちばん心底残念がっているだなんてことは、よもや誰も気づくまい。

 

 

 結局、始終ほとんど会話が発生しないまま朝餉を終えた三人が、そのまま解散した後。

 

 

 「なあ、おまえって今、幹部の離れに寝泊まりしてんだって?」

 

 厨房の片付けを終えて、隊士部屋の掃除を始めた冬乃の背後に、やってきたのは山野だった。

 となりに中村もいるのを見て、少々安心する。

 

 「そうですが」

 「まさかと思うけど、おまえ・・」

 「え?」

 

 何か聞きかけて頬を赤らめた山野に、おもわず冬乃は首を傾げた。

 

 「山野、」

 そんな山野に、中村が横からどこか窘めるような声音で。

 「だから、先生たちが、そんなことをしているわけないだろう」

 

 そんなこと?

 

 「いや、でも冬乃、・・さんて、いつも沖田さんと藤堂さんの間に座らされてるだろ、今朝だってなんか変な雰囲気だったし、その、」

 夜も無理やり何かされてんじゃないのか

 

 (・・・はい?)

 語尾が小さくなって囁くような声で、冬乃からすればとんでもない問いを投げて寄越した山野に、

 冬乃の眉間には激しく皺が寄る。

 

 (貴方じゃないんだから)

 山野の習性と、沖田を一緒にしないでもらいたいと、内心冬乃が頭にきて山野を見返す前で、

 

 「いいかげんにしろ」

 中村が割って入って山野を制し。

 

 「冬乃さん、どうか気になさらないでもらいたい」

 中村の詫びのような台詞が続く。

 

 「はい・・」

 山野が、まだ何か言いたげに冬乃を見るのへ。

 冬乃は、「失礼します」と捨ておいて、つんと背を向けた。

 

 

 (だいたい、ひとを側女みたいに・・!)  

 ハタキをかけながら、改めて腹が立ってきた冬乃が、ばしっと棚をひっぱたくのを、最後に出て行こうとした隊士が驚いて見やる。

 慌てて会釈を送りながら、

 しかし。とふとハタキを止めた。

 

 たしかに傍から見れば、そう思ってもおかしくはないのではないか・・

 

 冬乃は一応、女中だ。その身分でありながら幹部たちの傍にいつも寝食共に居る。つまりまるで“寵愛”を受けているかのように。

 

 

 (・・・・もう。)

 

 寵愛なら。

 受けたいくらいだ。

 山野の想像とは違って、唯一人から、ではあるが。

 

 

 (でも、・・)

 寵愛でこそなくても、

 

 (嫌がられては無いよね・・?)


 寒がる冬乃を自分の布団に招き入れてくれたりなんてことは、嫌いな相手には絶対にしないだろう。

 

 他の幹部たちも然り。・・土方はわからないが。

 少なくても、藤堂は、その優しさでまるで兄妹のように冬乃のことをあれこれ心配してくれているように思う。

 

 

 冬乃は、ほっと胸の温かくなる想いに、ハタキを握り直した。

 

 (お世話になってるぶん、がんばって返すしかない)

 まわりがどう思おうと、気にしても意味がない。

 

 

 隊士部屋を終えたら、離れの清掃に直行しようと。冬乃は気持ちを新たに、掃除を再開した。

 

 

 

 

 

 どうも藤堂の機嫌は治まらない様子だった。

 

 今も沖田が、押し入れから取り出した掛布団を二枚重ねで冬乃に掛けて、

 「これでも寒かったら今夜も入ってきていいからね」

 と、土方に聞こえれば拳骨が来そうな台詞を、平然と冬乃の耳元で囁いて微笑むのを、

 向かいの布団に座っている藤堂が、おもいっきり目くじらを立てて見てくるのだが。

 

 (う)

 藤堂のことすら、沖田はそうして揶揄っているように最早思えてならない。

 そんな食えない男沖田はそして「おやすみ」と、冬乃の隣で横になり自分の布団を被った。

 

 「おやすみなさい」

 びしばし感じる周りの視線から、怖々と逃げるように冬乃も布団を顔まで引き上げる。


 「皆おやすみ」

 「おやすみなさい皆さん」

 仏の山南と島田両者の、温かく穏やかな声が、俄かに場を和ませながら、

 誰かによって行灯が吹き消され、辺りは暗くなり。

 

 

 (やっぱり断然あったかい・・)

 二枚重ねは功を奏したようで。これなら今夜は“不審”な動きをせずに寝付けそうだと、冬乃は息をつく。

 

 やがて寝つきのいい沖田の寝息が早くも聞こえてくるのを耳に、昨夜の沖田のぬくもりを思い起こしながら冬乃もまた、夢のなかへといつしかおちていった。

 

 

 

 

 (そっか・・非番って言ってたっけ)

 

 翌朝、沖田が布団を畳みながら、冬乃の左側ですでに畳み終えて立ち上がった斎藤へと「稽古しよう」と声掛けしているのを聞いて、

 冬乃は、沖田が今日は非番であったことを思い出した。

 

 (また稽古、見に行っちゃおうかな・・)

 とくとくと胸の高鳴るのを感じつつ、冬乃はそっと二人のやりとりを盗み見る。

 

 斎藤の返答からは今日は昼過ぎと夜間に巡察があり、それ以外なら空いているようだ。

 

 斎藤は非番の日で沖田が巡察の間は、ひとりでいることが多いようだった。冬乃が時々昼間に掃除や洗濯で離れへ戻ると、時おり斎藤が縁側で黙想している場面に出あう。

 

 いつみても静寂を纏う、その姿の厳かな美に、冬乃はそのたび溜息をつきながら、邪魔をしてはいけないと早々に退散していた。

 

 おもえばそんな斎藤の微笑う顔は、彼が沖田と居る時でしか見たことがない。

 

 (男の友情っていいな・・)

 二人を見ていると、自然とそんな憧憬をおぼえた。

 

 もっとも女の友情だって負けていないつもりではある。が、それでも沖田のいるこの世界を選べてしまう自分に、何も言えた資格はなく。

 

 (千秋、真弓)

 どうしてるかな・・

 

 きっと向こうではまだ、ものの数時間と経っていないのかもしれない。だがすでに目の前で意識を失った時があった後にまた今回がある以上、もはや多大な心配をかけているに違いなく。

 

 (ごめん)

 沖田に逢いにこれていることを、もう一度きちんと話したい。私なら大丈夫だと伝えたい。

 そしてこのまま、幾度も行き来ができるなら、いいのに。

 そんな都合良くは、奇跡の神様も許してはくれないだろうか。

 

 

 

 

 

 朝餉の席で、今朝は何事もなかったのを受けて藤堂が、機嫌を直した様子で沖田と世間話をしている。

 元々、あまり日をまたいで怒りを持ち越さない性格なのかもしれない。まっすぐで溜め込まない、藤堂らしいといえばそのとおりで。

 

 厨房へ戻って片付けを終えた後、冬乃はそして。箒を手に、またも道場を覗いていた。

 沖田と斎藤が稽古に勤しんでいるのを、うっとり見つめながら冬乃は、うずうずと疼く想いを持て余す。

 

 (私も、稽古したい・・)

 

 もう密偵として疑われているとは思えないものの、もし冬乃が剣をたしなむ事が明らかになれば、再び怪しまれてしまうのだろうか。

 

 

 「冬乃殿?」

 

 ふと背後からかけられた声に、夢中になって道場を覗き込んでいた冬乃ははっと振り返った。

 (あ)

 「如何なさった」

 

 安藤が、少し驚いた様子で佇んでいる。

 使用人が懸命に道場を覗いていたら確かに謎だろう。

 

 「いえ、掃除させていただけそうかと見ておりました」

 咄嗟にごまかした冬乃のその言葉に、

 

 「ああ、ここは皆で朝に掃除をしているので、必要ござらんよ」

 (すみません、知ってます・・)

 何度目かの説明を聞いてしまい、冬乃は内心縮こまる。

 

 「仕事熱心で感心なことです」

 ・・しかも褒められてしまった。

 

 「それでは、こちらは掃除が不要なのでしたら失礼いたします」

 冬乃は逃げるようにして道場を離れた。

 

 

 

 (ふう)

 

 道場に近づくことさえ不自然なのだ。稽古ができる機会は来るのだろうか。

 だめとなれば余計に恋しくなる。素振りだけでもしたいものだが。

 (・・・)

 

 おもわず手にしている箒に目がいく。

 

 (でもここで箒ふりまわしてたら変人でしかないし・・)

 

 冬乃は周囲を見渡した。誰もいない。

 (・・ちょっとだけなら)

 

 箒を正眼に構える。

 

 「・・・」

 目に映った、そのあまりに不格好な即席竹刀に。だがすぐに冬乃は溜息をついた。

 (なにやってんの私は)

 

 腕を下ろし、真面目に掃除しようと箒を持ち替え。今日の清掃の割り当てである箇所を、いくつか頭に整理しながら歩みを向けた。

 

 

 

 

 

 

 それからは起伏もなく、つつがなく。指折り過ごしながら、待ちに待った日はやってきた。

 

 

 されど。

 

 (お孝さんが休み・・・)

 

 前回の、芹沢達の葬儀の時は、助かったことにお孝がいてくれて、念のために古着屋で購入してあった礼服用の白無地の袷の上に、白帯を彼女に締めてもらえたのだが。

 そのお孝は、今日は居ない。

 勿論八木ご妻女もまだ親戚の家で。

 

 角屋の時に着た朱鷺色の綿入り袷を、紐で結んで着込むまでは出来たものの、帯を手に、冬乃はいま唸っていた。

 

 (沖田様にまたお願いしてしまいたい・・・)

 

 ううん、だめ。

 いつまで彼に頼っているつもり。

 

 (前で結んで、それを後ろへ持っていってみるしかない・・)

 ていうより案外、皆もそうしてるのではないか。

 

 

 沖田と藤堂とは、玄関で待ち合わせしている。

 冬乃が着替え終わる頃合いを見計らってくれるだろうとはいえ、もたもたしてあまり待たせるわけにいかなかった。がんばるしかあるまい。

 

 

 そして。

 

 (なんか変)

 

 結局、冬乃は唸っていた。

 

 そのまま結ぶとその重さで、どうしても重力に垂れてしまって綺麗な蝶にならないのである。

 

 (沖田様あの時どうやってたっけ・・)

 溜息をつきながら、冬乃は懸命に思い起こす。

 

 そういえば、背で帯を折っているような様子があって、さらに、蝶結びがされる前に一度ぐるりと帯の端が回ってきたような覚えがある。

 

 (・・・いきなりは結ばない、ってこと?)

 

 でも。

 (あの時、沖田様が背で折ってたようなあの動きって、何してたんだろ)

 判りそうに、なく。

 

 (任せないで、きちんと聞いておけばよかった)

 

 あの時冬乃は最早、緊張しすぎて、最後のほうなど完全にされるがままになっていた。

 教えてもらうどころではなく。

 

 (・・・・もう、待たせるよりは、この酷い蝶結びのまま、いったん待ち合わせ場所に行こ・・)

 

 

 冬乃は腹に決めて。使用人部屋を出た。

 

 

 





 

 待ち合わせの玄関先で。

 

 「まあ、そうなるよな」

 

 冬乃を見るなり、沖田が微笑った。

 「後ろ、向こうか」

 

 「ハイ・・」

 勿論、冬乃は素直に沖田の前で、背を向ける。

 

 背後の沖田の手で、後ろへぐるりと帯が回転させられ、よろけそうになりながら、

 「冬乃ちゃん・・まさか本当に、着たこと無かったの・・?」

 冬乃の前では藤堂が、来るとき遊女みたいに冬乃の胸下で結ばれていた蝶結びの帯の残像に、唖然とした様子になっているのを。冬乃は恥ずかしさに頬を染めて頷く。

 

 冬乃の背では、解かれた帯が一度、あの時のように折られてゆく気配を感じ。

 

 「・・・えと、じゃあ角屋の時って、・・まさか、」

 いま、初めてではないかのように、沖田に任せてされるがままに帯を結われていく冬乃を目に、藤堂が震えた声を出した。

 「沖田に、着つけてもらった・・わけ?」

 

 (ハイ)

 最早、冬乃は藤堂の目をみることもできずに頷き返すよりない。

 

 「・・・」

 

 「次お孝さんに会った時に結び方、教わっておいてね」

 毎回、蝶結びじゃあね

 沖田の苦笑まじりの声が、冬乃の真後ろから落ちてきた。

 

 「はい。本当に、有難うございました」

 ぴしりと締まり終えた帯を胴に、頬を染めたまま冬乃は振り返って礼を言う。


 「あの、さ。もう一度、確認なんだけど」

 藤堂が、その困惑した眼差しのまま、そんな冬乃と沖田を見やった。

 「二人とも本当に、そういう仲・・なわけじゃないんだよね・・??」

 

 (え)

 

 「何故」

 沖田が面白そうに笑う前で、冬乃は藤堂へ向き直りながらどぎまぎと目を瞬かせる。

 

 「だって一緒に寝てたりさ、着付けまでしてたなんて聞いたら」

 (あ)

 「いえ、それ、全て私が不甲斐ないからで」

 慌てて弁解した冬乃に、藤堂が瞠目する。

 「冬乃ちゃんはよくがんばってるよ、不甲斐ないことないよ!むしろそれ以上むりしないで」

 藤堂のほうこそ慌てたような様子になって掛けてきた、その優しい声援に冬乃が驚いて首を振った時、

 

 「おや。皆様でどこかへお出掛けでござられるか」

 玄関に通りかかった安藤が立ち止まった。

 いつも作業着の冬乃が珍しく着飾っているのを見たからだろう。

 

 「ああ、これは丁度いいところに。安藤さん、すみませんが、どこか良い甘味屋などご存知ですか」

 冬乃の真後ろに立っている沖田が、すかさず安藤へ尋ね。

 

 「は、甘味屋ですか」

 「ええ、今日は甘味屋にでも行こうという話になっているのですが、私も藤堂も京にはまだまだ不案内でして、甘味屋はじめ、飲食の店には殊更疎く。京にお詳しい安藤さんでしたら、何処かご存知ではありませんか」

 

 かなり年上の安藤に対して、言葉遣いがとんでもなく丁寧になった沖田を背後に、冬乃がどきどきと目を瞬かせる前、

 安藤が「ふうむ」と記憶を巡らせている様子で腕をくむ。

 

 安藤は僧時代、京都の寺院で修行をしていたと聞く。組内で群を抜いて京都には詳しいのだろう。

 「それでしたら天神さんの手前に、良い甘味屋がありますぞ」

 

 (天神さん)

 北野天満宮だ。

 おお成程、と沖田と藤堂からは歓声があがる。

 「天神さんの辺りならば、他にも美味い店がたくさんありそうですね」

 これは甘味屋に限らず、他にも食べ歩きしたいところだと、沖田と藤堂が顔を見合わせて。

 

 「安藤さん、もしこれから巡察などでなければ、ご一緒に如何です。案内してはいただけないでしょうか」

 「安藤さん是非!御礼に奢りますよ!」

 

 二人が口々に誘う中、安藤が微笑った。

 「勿論、喜んでご一緒仕る」

 

 (わあ)

 愉しい道中になりそうだと、冬乃は相好を崩した。

 

 「天神さんなら御前通まで行けば、後はひたすら直進ですね」

 「左様でござる」

 沖田の確認に、安藤が頷く。

 「ただ、冬乃殿の足ですと、行きに半時程はかかるかもしれませんな・・」

 

 半時。一時間だ。

 冬乃が早くも裾を上げようと身構えた時。

 

 「馬で行きましょうか」

 沖田があっさりと提案した。

 

 (馬の乗り方知らないです・・)

 戸惑って沖田を後ろに見上げた冬乃の、心の声に答えるように、

 「冬乃さんは、俺の後ろ」

 沖田がにっこりと微笑んだ。

 

 

 



 御前通へと続く道へ入り。一面の田畑のなか、軽い速度で馬を進ませゆく冬乃達を、遠く四方の山々の紅葉が囲うように見下ろす。

 赤橙と黄金で色づいた見事な秋の光景に、冬乃は溜息をついた。

 

 もっとも、鞍を乗せない馬に右向きの横座りになり、前で手綱を握る沖田の胴に、しがみついている冬乃には、真っすぐ前方の景色までは見えない。

 

 在るのは、沖田の広い背。

 冬乃の腕と胸前に感じる、彼のがっしりと硬く温かい胴の感触に、冬乃の心臓はとくとくと、ざわめいたまま。

 

 その横で藤堂と安藤は、それぞれの馬を歩ませながら、晩秋の冷涼な風に時折、身を引き締めるかのように背筋を伸ばしている。

 

 人の気配もまばらな一本道を、三頭の馬の軽快な蹄音が響き。

 やがて世間話も尽きた頃、四人は北野天満宮の鳥居が大きく見える処まで辿りついた。

 

 

 ここまで来ると人の数も多くなっている。あちらこちらに飲食店が構えていた。

 四人、馬を降りて歩きだし。

 美味しそうな匂いがする方角をふと見やれば、うどんという文字も見える。

 

 

 「あちらでござる」

 安藤が声をあげた。

 

 こじんまりとした佇まいの、奥ゆかしい雰囲気を醸した小店が、安藤の指し示した先に見えた。一見では甘味屋と気づけないだろう。

 

 「とくにくずきりが絶品で、大変お薦めでござる」

 なんだか安藤の声が明るい。久々に訪れたのだろうか、嬉しげな様子がにじみ出ていて。

 

 「絶品なんだ!」

 反応した藤堂の声も勿論明るく。

 

 「まさに隠れた名店ってとこじゃないですか!どうやって見つけたんですか」

 「あ、いや、その」

 

 藤堂の問いかけに突然に照れだした安藤を、皆が驚いて見つめるなか、安藤は。

 

 「ある女人と・・・」

 

 語尾を濁し。答えた。

 

 

 店に入り、皆でくずきりを注文しつつ、

 噺の種に恰好の的となってしまった安藤が照れ続けているところを、よくよく聞き出してみれば、

 

 組に入ったばかりの頃、町で助けた色っぽい未亡人に、安藤は一目惚れしてしまい、

 見世物を一緒に見ようとなんとか誘い出したところ、意外にも彼女とは歳も近くて話が尽きず、さいわいに次に逢う約束まで扱ぎつけて二度目に来た場所がここ天神さんだったという。

 

 「じゃあ、この店はその時に?」

 好奇心いっぱいの瞳をくるりと回し、藤堂が先を促すのへ。

 「左様でござる・・」

 ひたすらいつまでも照れたまま、安藤が頷いて、そのつるつるの坊主頭を見せる。

 「彼女とは、食の好みも合って・・共にあちらこちら見て歩いていたら幸い、こちらを見つけまして」

 

 幸せそうな安藤の様子をみれば、それからも仲が続いていることは明らかだ。

 ふふ、と冬乃はつい満面に微笑んでしまった。

 「次にその方に逢えるときはいつですか?もしすぐでしたら、お土産に買って帰られてはいかがでしょう」

 

 安藤が目をぱちくりさせて冬乃を見た。

 「それは良い・・そうします。その、じつは丁度明日に、約束しとりまして」

 「明日なら、とっておいても大丈夫ですね!」

 ただでさえ夜はすっかり寒くなった時期である。

 

 安藤は頷くとさっそく手を上げ、日持ちのしそうなものを幾つか注文し、包むように依頼した。

 

 「さあ、では他にも入ってみましょうよ」

 沖田が塩気が欲しくなったと呟いて微笑う。

 確かに甘いものの後はそうなると、安藤も微笑って「では次は、名物の一本うどんでも」と提案した。

 (うどん)

 先程の、あの良い匂いの店だろうか。

 「いいですね!」

 全員諸手を上げて賛同した。

 

 「この界隈での老舗で、一本の太い長いうどんを出す店で。太くて長い人生が送れるようにと、店の方が想いを込めて作られているそうでござる」

 

 (太くて長い人生・・)

 

 安藤の説明に「へえ」と微笑んでいる沖田達を前に、冬乃は一瞬に胸内を刺した痛みをやり過ごす。

 今ここにいる彼らはいずれも、この先長くは生きないのだから。

 

 (でも、)

 太い人生ならば、彼らは送れているだろうか。

 各々の信念を懸け、それこそ、命がけで。その武士としての究極な生きざまは、乱世の今でしか在りえぬもの。

 

 

 

 

 結局、北野天満宮に参拝までして、帰屯したのは夕闇も迫る頃だった。

 冬乃はまたひとつ今日の思い出を、胸に大切に仕舞いこむ。

 

 

 (ありがとうございます)

 

 この奇跡に、

 沖田と過ごせる今のこの日々に。静かに長く、深呼吸をして、冬乃は黄昏の空を仰いだ。

 

 

 

 

 

   


 



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る