十三. 一点紅を手折るは⑤
藤堂の隊は五人、後ろをゆく侍達は三人。
数の劣勢がために侍達は、迂闊には仕掛けられずにいる様子だが、
もし侍達の仲間がたまたま通りかかることがあれば、その数に加わることだろう。安心はできない。
それでも、蟻通たちを入れれば、新選組のほうがやはり有利なはずだ。このままならば、斬り合いになっても捕縛する余裕があるかもしれない。
蟻通たちのさらに後ろを、町の人に交じって歩みながら冬乃は、そんなことを考えていた。
(でも、できれば何も起こらないまま終わってほしい・・)
いや、
あきらかに『不審者』な侍達を、どちらにせよ放っておくわけにはいかないではないか。
(何もなく終わる・・てことは無理か・・)
やがて藤堂達は大通りを過ぎ、通行人の数もまばらになっていく中、
辺りの喧噪が静まるにつれ、藤堂達の時おり談笑さえしている声が、冬乃のほうまで聞こえるようになった。
冬の近い冷ややかな秋風が、通りを掠めてゆく。
つと、藤堂達は一本、小路へと折れた。
(あ)
続いて、一瞬に響いてきた剣戟の音と、
冬乃の向こうをゆく蟻通たちが駆け出したのを目に、冬乃は、慌てて追いかけていた。
小路の数歩手前で立ち止まって、恐る恐る覗いた冬乃の視界に、
真っ赤に染まる路上と、斃れている先程の侍達が映って。
(っ・・)
見るからに、勝負は一瞬でついたようだった。
「あれ、冬乃ちゃん?」
藤堂の驚いた声に、蟻通たちも「え」と振り返り。
その蟻通たちの背後では、隊士達が路上に斃れる侍を起こし、縛り上げている。侍達の止血をしている者もいて、
よくよく見てみれば、侍達のいずれも息があり。
(あ・・)
「なんでここにいるの」
「店に居てって言ったのに」
藤堂と蟻通の声が重なった。
「すみません・・いてもたってもいられなくて」
返しながら、もしかして来たのは浅慮だったかと心内うなだれる。
冬乃の返事に、蟻通と山野が溜息をつきつつ、
「いや、俺たち甘味屋きてたんすよ」
解せなそうな表情の藤堂に、山野が説明し始めた。
「店にいたら藤堂さんの隊が見えて、その後ろにこいつらがいたから、ねんのため追ってきたんですが、」
俺達は不要でしたね、と安堵の色を添え。
「そうなんだ。それは有難う」
にしても、いつのまに仲良くなったの?と藤堂の、口にせずとも問いたげな視線が、冬乃に寄越された。
そういえば山野とは何かあった様子である事を、藤堂に心配されていたんだったと冬乃は思い出す。
「藤堂先生、」
捕縛の処理を終えた隊士達が、呼びかけた。
「私達は番所へ寄って知らせてきます」
隊士のうちの二人はそう言うと血溜まりを超えて、冬乃の前の通りへ出ていった。
路上の血の掃除など、残りの処理を番所の人間に任せるためだろう。
二人はまもなく戻ってきて、
藤堂一隊は、お縄にしている侍達を連行し、ぞろぞろ帰路へついた。
冬乃を気遣ったのか蟻通と山野は、冬乃を連れて、彼らからかなりの距離を置いて歩き。
冬乃は、引き連れられた侍達がよたよたと歩む様を、遠く後ろからぼんやりと見た。
(この後、取り調べするんだよね。場合によっては拷問もするんだろう・・)
侍達も、命が助かったとはいえ生きた心地はしていないんじゃないか。
つい冬乃は侍達に同情する。
冬乃も一度は拷問されそうになった身だ。
「・・あ、そうだ、お財布」
ふと思い出した冬乃は、有難うございました、と蟻通へ返し。
「後で、お支払いを・・」
「そんなのいいに決まってるじゃない」
蟻通が即答した。
冬乃は顔を上げて。素直に「それではごちそうさまでした」と礼を続けた。
「俺は奢ってもらえるんですか先輩?」
戯れて山野が横合いから覗く。
「山野さんのぶんは後で徴収します」
にべもない即答が山野に返された。
「冬乃ちゃん、山野さんたちと仲いいの?」
夕餉の席でさっそく藤堂が尋ねてきた。
冬乃は、まさか、と首を振りたくなるが、連れていってもらった店の団子が美味しすぎたせいで、少々単純なまでに絆されているのも確かではある。
「甘味屋さんに食べに行っただけです」
ひとまず回答する冬乃に、
「食べに行っただけ・・ってねえ?」
普通仲良くなかったら行かないでしょ、と藤堂が苦笑する。
「ほんとは藤堂様・・さん達もお誘いしたかったのですが、声をおかけする機会が無くて」
ふうん?と藤堂が、その言葉には目を瞬かせた。
「じゃ、また改めて行く?」
「え?」
「俺と。」
「・・・」
俺と、というのは藤堂と二人で、なのだろうか。
おもわず黙ってしまった冬乃に、
藤堂が微笑った。
「沖田も一緒に」
(あ・・)
どうも、やはり藤堂には、沖田への気持ちが筒抜けているように感じてならない。
「何、甘味屋?」
横からの沖田の反応に、冬乃はどきりと彼のほうを向いた。
「うん、沖田つぎの非番いつ?」
藤堂の問いが追う。
「明後日かな」
「それ、俺だめ。来月の二日は」
「あー・・そのへん非番だった気もするな」
「なんか適当だなあ」
藤堂が、沖田のいいかげんな返事に呆れた声を出した。
「当番表しっかり覚えてるおまえが凄いんだよ」
沖田が笑う。
冬乃の右と左で飛び交うやりとりの中、冬乃のほうは途中から前を向いて落ち着かなさに茶を啜る。
勿論なぜにも、
(沖田様と甘味屋でーと!)
心が浮き立つのを抑えられないのだ。
(藤堂様ありがとう・・!)
藤堂が一緒なので正確にいえば“デート”ではないのだが、藤堂のおかげで沖田と甘味屋へ行けることになりそうなのだから、当然、贅沢など言う気もない。
「じゃあ沖田が当番表を確認してから決めよ・・」
結局、決定不可能なので藤堂がそう締めくくり。
最後に冬乃はどきどきと横の沖田を見上げた。
沖田は「ああ」と藤堂へ返しながら、顔を向けてきた冬乃へ視線を返し。
見上げたものの不自然だったかと焦った冬乃は、
「沖、」
咄嗟に尋ねる。
「沖田様は、甘いものはお好きなんですか」
「普通?」
(普通・・)
「沖田は甘味より、ひたすら塩辛いのが好きなんじゃない」
幹部連で料亭へ行っても、料理そっちのけで、塩辛漬けやら醤油浸しの刺身ばかり食べている偏食ぶりを、藤堂は指摘した。
(そうなの?)
栄養の偏りが無いといいけど・・
おもわず冬乃は、沖田の前の膳を見やった。
見る限り、一応全て食してくれてはいるようだが。
「そのへんは酒のつまみで食ってるだけだよ。特にどの味に際立って嗜好があるわけでもない」
(そうなんだ)
少しほっとして冬乃は前へ向き直った。
(でもお酒呑んでばかりで、料理に手をつけないっていうのは・・)
気がかりな事には変わりない。
「冬乃ちゃんは、どういうのが好きとか嫌いとかある」
ふと藤堂が聞いてきて、冬乃は彼を向いた。
「いえ、私も特にはありません」
「なんでも食べられるってこと?」
冬乃は頷いた。
一般的に食卓にあがる食材で嫌いなものは無かった。
「食べ物にかんしては、これといって好き嫌いがないんです」
「へえ、それは親御さんに感謝しなきゃね」
「え?」
冬乃はびっくりして藤堂をまじまじと見やった。
そんな驚くこと?と藤堂が笑い。
「きっと、いろいろ万遍なく食べさせてくれた結果なんじゃない?」
愛だね、と藤堂が片目を瞑った。
冬乃は母の顔を思い出して。瞬時に胸奥を刺す痛みに、つい目を瞑った。
(愛・・)
(わかってる)
愛されてなかったはずがないこと。
『あんたを産みたいなんて願っちゃいなかったわよ』
母が逆上するたび口にしてきたその言葉は。
そのまま鵜呑みにしていいほど、表面的なものではなかったのかもしれず。
父と別れて独りで産んだ母の、その苦渋の選択を。含んでの。
(・・・・だからって、言っていい事なんかじゃない)
苦労して育てたのに。
そう責め立てる母に、
産んでなんて頼んでないと。
なんで私なんか産んだの、と。
言ってはいけない事ならば、だが冬乃だって幾度となく口にしていたのだ。
(先に言ったのは・・私だった・・?)
「・・冬乃ちゃん?」
ぎくっと冬乃は顔を擡げた。
「なんか、怒ってる・・?」
見ると藤堂が、困惑した顔で冬乃を覗き込んでいる。
(あ・・)
「なんでもないです、すみません」
「・・・」
藤堂の視線が冬乃を越し、沖田と目を合わせた様子だった。
沖田も、冬乃が押し黙ったのを受けて、いま冬乃のことを見ているのかもしれない。
冬乃は前へ向き直って、どちらと視線を合わせることもできずに、間をごまかすように手にしたままだった茶を膳へ戻した。
「お茶、温くなってしまってますね、」
熱いのお持ちします、と冬乃は席を立った。
茶を用意してから間もなく、食事を終えた皆が解散してゆく中で、冬乃も沖田達に会釈をして厨房へと戻った。
藤兵衛相手に繰り広げられている茂吉の弾丸トークを聞き流しながら、仕事を終えた冬乃が夜、離れへ帰ると、
当番表を確認してきたらしい沖田に、来月の二日に行こうと当たり前のように声をかけられ、冬乃は飛び上がった心臓を抱えて「ハイ」と囁くような声になってしまいながら頷いた。
このぶんでは、ずっと当日まで浮き立って過ごしそうである。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
何度聞いても幸せになる、沖田のその挨拶を受けて冬乃は、そして今夜もそっと目を瞑った。
予感はしていたが。
早くも遠足前の小学生みたいになって眠れないでいる冬乃は、横で穏やかな寝息を立て始めた沖田をそっと向いた。
筋肉量のせいなのか沖田は体温が高い。
冬乃はこころなしか沖田の側からほんのり感じる熱に、今なお温まりきらない己の布団の中でごそごそ移動し、沖田のほうへできるかぎり近づいてみる。
あとどのくらいまでは、近づいてもいいだろう
布団の境目がそもそも有って無いような状態で、冬乃は、今の沖田との距離を目視で測りつつ。
それにしても今夜は一段と寒い。
沖田は冬乃が、沖田の布団を半分占拠していたあの夜からずっと、障子側に居る、つまり冬乃と場所を交代してくれているのだ。
今や夜間は、夜の巡察から戻る人用に少しだけ開けてあるだけで、ほぼ雨戸を閉めてあるとはいえ、冷気はその隙間から侵入してくる。
(沖田様のほうがもっと寒い位置なのに、)
全く気にならなそうに仰向けですやすや寝ている沖田を、冬乃は見つめた。
(代わってくださって、ありがとうございます)
心内で礼をしながら、それでも身を奔る寒さに、冬乃はぶるりと体を震わせた。
これからもっと寒くなるのだ。
盆地の京都は凍てつくような極寒と聞いたことがある。
どうなることやら、と冬乃は溜息をついた。
(まず明日からは掛布団、もう一枚もらうしかない)
あと少しだけ。冬乃は沖田の側へとにじり寄った。
「寒いの?」
(きゃ!)
にじり寄った目の前で、そこへ突然聞こえてきた囁き声に冬乃は飛び上がりかけた。
凝らした冬乃の目に、顔だけこちらへ向けた沖田が映った。
「そんなに寄ってきて・・」
声が笑っている。
いつのまに沖田は目が覚めたのだろう。
冬乃の“不審な”動きが沖田を起こしたのだろうか。
つと、沖田が冬乃の側へと寝返った。
沖田が冬乃に対して向いたことで、一気に距離が縮まり。冬乃は、慌てて布団の中心まで戻ろうとした、
「いいよ、」
そんな冬乃の前で。おもむろに沖田が自身の掛布団を持ち上げた。ふわりと沖田の熱が、冬乃のほうまで漂い。
「おいで」
(・・え?)
いまの、聞きまちがい?
瞠目したきり、動きの止まった冬乃に、
沖田が再び声なく微笑った。と同時に手を伸ばし、冬乃のくるまる掛布団を開き。
その突如の冷気によけいに縮こまった冬乃の、冷たい体を
次には、沖田の温かい掛布団が覆ってきた。と同時に冬乃の腰は、沖田の布団の中で引き寄せられ。
当然、
冬乃のすぐ前には、直に沖田の熱。
(きゃ・・ぁあ)
もはや沖田の布団にいなくても問題ないのではと思うほどの発熱を、冬乃は自身の内に、一瞬にして感じて、
激しい勢いで高鳴りだす心臓に、
もとい、状況を直視などできずに、慌てて目を瞑り。
(コレ、ゆめ!?)
「まさかここまで冷えてるとは・・」
信じられないほど傍で、そして沖田の溜息が落ちてきた。
冬乃の背にある腕を通して、冬乃の冷えきった体に気づいたのだろう。
(いいえもぅ私はすっごく熱いですから・・!)
当の冬乃のほうは、心中、口走るが。
いったい沖田が何を考えているのか、まったく冬乃には想像可能な域を越えている。
破裂しそうな心臓を聞きながら、沖田の熱と、冬乃の大好きな仄かな芳りに、包まれて、
冬乃は、もはや、緊張しすぎて閉じた瞼を開けられないままに恍惚と。打ち震えた。
やがて再び沖田の静かな寝息が、今やすぐ間近で聞こえてきて。冬乃の背をその片腕に、包み込んだ状態で。すやすやと。
(・・・)
完全に自分だけ舞い上がっていることに一瞬複雑な気分になりつつも、
冬乃は沖田の温かい腕の中、これで寝るのはもったいないから、もう眠れなくてもいい、と。この降って湧いた幸せを堪能することに決めたのだった。
「・・おまえら・・・・」
なにやら複数の不穏な気を感じ、
先に目が覚めたのは勿論、沖田で。
刹那に、己の腕の中に冬乃がすやすや眠っていることに気が付き、一寸のちに昨夜を思い出した沖田が。
その不穏な気を発し続けながら自分達の回りを囲んで立っている、藤堂や原田や永倉や土方あたりを。目だけで見回しながら、
「何か変な想像してない?」
言い置くことで、己の無実を告げておきつつ。
「冬乃さん、」
悪いが起こしたほうがよさそうだと。
冬乃を起こしにかかる沖田に。
「どういうこと・・・」
藤堂の、激しく剣呑な眼が刺さった。
「いや、寒そうだったから」
何故に言い訳してるのかと沖田は嘆息しかけ、だがおもえば己で胡乱なその理由に、一瞬押し黙る。
「・・・」
藤堂たちも押し黙る。
「ン…、」
そんななか、冬乃が。
平和そうに目を覚まして。
ぼんやりと、その潤んだ瞳で、沖田を見上げてきた。
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