十三. 一点紅を手折るは④
明朝、冬乃は厨房で、永倉達が帰営した様子の物音を門の方向に聞いた。
(・・・おかえりなさい沖田様たち)
もっとも沖田と井上達は、間者に警戒されないよう表立って一緒には帰ってきていないだろう。
これから暫くは、厨房を出られないなと冬乃は思いながら、あまり考えないように意識を、野菜を切り揃える手元へと集中する。
だが暫くしないうちに、「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」と震えながら藤兵衛が、厨房へ駈け込んできた。
何事かと彼を見やる茂吉達の前で、
「お侍は怖いわ・・!」
門の掃除から戻ってきた藤兵衛は捲し立てる。
籐兵衛の話では、縁側に座って髪を結い始めた二人の男が、背後に来た男達にいきなり、ずぶりと脇腹を串刺しにされたという。
刺された男達の後ろに居た髪結い達は、そのとき自分達まで刺されたと思ったらしく、ものすごい悲鳴を上げて縁側から転げ落ちたらしい。
(もう、間者の粛清が始まってるんだ・・)
冬乃は小さく身震いした。
永倉の遺した手記によれば、その昨夜の間者四人の内の、残る二人はその騒ぎで危険を察知し、沖田と藤堂が彼らの隊士部屋へ踏み込んだ時にはすでに、一足早く窓を蹴破り塀の向こうへ逃げ出していたという。
(あと、・・残っているのは・・・)
不意に、普段から厨房との間で閉ざされている敷居の、その裏にある隊士部屋から、激しい物音がして。皆がぎょっと敷居のほうを振り返った。
いま何かが起こっていることを茂吉達も当然感じているのだろう、
「なんや、・・こっちまで蹴破って誰か来たりせえへんよな」
茂吉が皆の心を代表するかのように、不安げに早口で呟く。
「すまん、ここに」
そこへ急に、厨房の戸を開けて井上が入ってきた。一斉に使用人たちが悲鳴をあげ、
「いや、申し訳ない。ここに誰も入ってきてないですか」
井上が恐縮した表情になって尋ねるのへ、幾分ほっとした茂吉が「いいえ」と返す。
その開け放たれた戸の、斜め向こう先を
いま丁度、裏戸の方角へ足早に歩んでゆく沖田が、戸口の手前に居た冬乃の目に映り。
その手に、抜き身の大刀をさげているのを。
冬乃がはっと見やった時、
「間者はまだ他にも潜んでいる、方々油断召さるなッ!!」
沖田が屯所中を震撼する程の大声で怒鳴った。
その一寸のち、
隊士部屋のほうから、またも転げるような音がして、
刹那に、
「あれか!!追え!!」
どこかで隊士達の叫ぶ声が響き、すぐに井上が厨房を飛び出してゆくのを、冬乃達は呆然と見つめ。
「お騒がせしました」
井上が再び戻ってきたのは、それから間もなくのことだった。
今度は怯えたままの使用人達が無言で会釈をするのへ、井上はもう一度恐縮した顔で「驚かしてすみませんでした」と言い置くと出て行く。
(終わったんだ・・)
今回粛清された者達は、六月前には入隊していたはずだ。長らく隊内に居て勝手を知った者達を、生かしてはおけなかったのだろう。
それでも冬乃は、どうしようもない感情に苛まれるのを抑えられず。
・・きっと冬乃も、一度や二度は会釈も挨拶もしたであろう人たちだ。長く居たぶん、彼らと仲良くなった隊士達もいただろうと思うと。
(残酷な時代・・・)
・・いや、違う。
いつの時代にも“スパイ”は存在するのだから、
時代が変わっても、それをきっと必要としてしまうような、人の行いが、変わるわけではない。
考えてみれば、幕末は、たしかに狂気の時代ではあったけども、
平成の世でもその狂気は、どこかの国で起こっている事。
(表立っていないだけで、きっと日本でも)
それがヒトなのだと、わかりきったことなのに。
冬乃の心は冴えない。
(私なんかが何を嘆いていても、どうしようもないよ。考えるのはよそう・・)
・・・ここに来てから、そればかり己に言い聞かせている気がする。
冬乃はもう一度、溜息をつき。野菜の束を再び手に取った。
「今朝の一件は、冬乃殿にはさぞや恐ろしかったでしょう。お騒がせして申し訳のうござった」
昼過ぎ、井上と同じような台詞を口に、安藤が冬乃を呼び止めた。
冬乃は首を振ってみせた。
「今朝の捕り物は、おまえには怖かっただろ。脅かせて悪かったな」
夕刻、井上と安藤と同じような台詞を口に、山野が冬乃を呼び止めた。
冬乃は首を振ってみせた。
「今朝の騒ぎ、怖かったでしょ、大丈夫だったかな?びっくりさせて御免ね」
仕事を終えて厨房を出た時、井上と安藤と山野と同じような台詞を口に、蟻通が冬乃を呼び止めた。
冬乃は、・・もはや目を丸くした。
各々が、組を代表して謝るかの、その連帯感、いうなれば仲間意識の強さに。
本人達がそれを深く意識しているかは分からないが、これまでも耳に届くいろんな隊士たちの会話の端々に、そういった想いの強さは感じられることが多々あった。
(すごいな・・)
背けば切腹の、鉄の規律に縛られているはずなのに。
そもそも彼らにとって、その遵守すべき規律は、きっとごく当たり前の事でしかないのかもしれない。
(嫌々なわけじゃないんだよね。掟が出来ていきなり恐怖政治が始まったみたいなイメージも持たれるけど、嫌だったら皆、こんないきいきしてないもんね・・)
少なくても、今の時点では。
逆にいえば、規律をごく当たり前として受け止められなかった一部の隊士達は、毀れ落ちていってしまう事になる。
この先、隊士の数がもっと増えていったのちは、その毀れてしまう対象者も当然、比例して増え。
そうして隊規違反で切腹を申し付けられる件数が増えれば、それを見せつけられるたびに、どうしたって少しずつ不安と恐怖は植え付けられる事になっていくのだろう。
もっとも冬乃はここに来て未だ、この、後世で有名な規律を、直に聞いたことはない。
永倉の遺した話では、現時点で四か条の隊規があったとされる。
これまでの隊士達の、その積極的に統制のとれた姿をみていると、やはりそれらは彼らの中に、ごく自然に活きているように思えてならない。
彼らにとって、ごく当たり前の。
つまりは、
“士道に背きまじき事”
「・・冬乃さん?」
動きが止まった冬乃に、蟻通が心配そうな面になった。
「あ、いえ。お気遣い有難うございます。私なら大丈夫です」
「・・前にもそれを聞いたように思うんだが・・。無理は、していないんだよね?」
大丈夫だよね?
確認してくる蟻通の、その優しい物言いに、冬乃は今度は恐縮して「もちろんです」と返した。
「そうか、ならいいんだけど」
ところでさ。
蟻通がふと、冬乃にその不器用そうな角ばった笑顔を向けた。
「冬乃さんて、いつ休み?」
「え?」
休み?
使用人の仕事の休みということだよね。冬乃は目を瞬かせた。
そういえば、いつ休みがあるんだろうか。
気づけば、かれこれ通しでもう、毎日働きづくめである。
お孝は家族の用事といっては、よく休んでいるが、家族を持たない茂吉や藤兵衛は毎日働いている。冬乃もである。
(私が頼まないから休みにならないだけな気もする・・)
明日、聞いてみようかな。
「まだ分からないです・・」
ていうか、そういえば何で。
何故か冬乃の休みを確認しようとする蟻通を、首を傾げて見返した冬乃に、
蟻通は慌てたように目を逸らし。
「俺、美味しい甘味屋、知ってるんだ。その、」
よければ一緒に行かない?
と、目を逸らしたままに、冬乃を誘う蟻通を。
そして冬乃はぽかんと見つめた。
(それって・・)
(“デートのお誘い”、ですか)
これに頷くと、この時代、どう受け止められるのだろう。
気の無い相手の誘いに、それが呑みではなく甘味巡りであろうとも、やはり乗るべきではない。そのことに、平成も江戸も大差ないように思うが、
(友人としてなら・・)
それを今、口にするのも、早計だろう。
(どうしよう)
「いや、御免。忘れてください」
返事をしない冬乃に、蟻通が耐えられなくなったのか、
不意にそんなふうに口走って、「じゃ」と手を上げて背を向けた。
「あ、あの」
困った冬乃が、掛け声を追わせ。
(ああもう)
「どうせなら皆さんで行きませんか、その、誰か他にも誘って」
やはり、これしかないだろう。
「・・・」
冬乃の返しに、振り返った蟻通が、なんともいえない表情で冬乃を見た。
「だ、誰を」
暫しの間をおいて問うた蟻通に。そして冬乃も、言っておいて自分で困る。
(たしかに、誰を)
「・・・か。考えておいてください」
冬乃は囁いた。
今日の夕餉の席に、沖田も藤堂も居なかったから、二人は巡察に行っていたのだろう、そろそろ帰ってくるだろうか、今日は沖田は睡眠が足りていないのではないかなどと、あれこれ思いながら冬乃は、蟻通と別れた後の、八木家離れへの道を歩んでいた。
(沖田様たちを誘ったら、変かな)
その場に他の誰でもない沖田がいたら、どんなにか楽しいだろう。
(でもなんて誘えばいいのかわからないし・・)
そもそも、皆の都合がうまく合う日を見つけるほうが難しそうだ。
そして。
結局、沖田とは夜に顔を合わせたものの、
永倉、井上共々、眠そうにすぐに布団へ入ってしまったうえ、翌朝も朝の巡察に慌ただしく出て行った彼とは、ろくに会話もできぬまま。
今に至る。
(なんで、こうなった)
「俺の知ってる美味い甘味屋と、蟻通さんの知ってる甘味屋と、同じだったとは、びっくりっすよ」
なんとなく頬を引き攣らせている山野を、冬乃は横目に見て、小さく溜息をつく。
朝、茂吉に休みを貰えるものなのかと尋ねてみたら、
いつでもいいと、あっさり返答され、
昼餉の後に厨房へ訪ねて来た蟻通にそれを伝えたところ、ではこれから。と即答され、
今から都合の合う人を誰か探しますと、律儀に言う蟻通に頷き、待ち合わせ時刻の鐘に合わせて来てみれば。
山野がいた。
蟻通がすっかり困った様子で「甘味屋いかないか」と、そのへんで片っ端から声掛けしてまわっていたところに、山野がたまたま通りかかり、冬乃が関わっていると発覚したようだ。
そんな甘味屋への道すがら。
蟻通は山野を誘うくらいだから、何も感じてないようだが、山野からは先程から、びしびしと蟻通への邪気を感じる。
「それはそうと」
山野が、己の送る邪気にたいして暖簾に腕押しの蟻通に諦めて、冬乃を向いた。
「なんでおまえ、作業着なんだよ」
(わるい?)
蟻通たちとデートのつもりはないのだ。オメカシして出てくることはない。
「一応さあ、町歩くんだし、服が無いわけじゃないんだから着てこいよな」
(うるさいなあ)
冬乃が答えないでいると、代わりに蟻通がぽつりと発言した。
「冬乃さんは、何着てても綺麗です・・」
(え)
その、あまりにまっすぐな台詞には、冬乃だけでなく山野もさすがに驚いて、蟻通を見やって。
「そ、」
一寸おいて、山野が怒ったような声を発した。
「そんなの俺だって思ってますよ」
「有難うございます・・」
もはや冬乃は二人へとりあえずの礼を返しながら、押し黙った。
(気マズ・・)
そのまま三人して無言になってしまったまま、甘味屋へと辿りつき。
そんな微妙な雰囲気を打開したのは。
もちろん、団子だった。
「おまっとうさんどした」
出された団子を三人、手に取る。
冬乃は、ぱくりと一口食べて、
(お・・っ)
目を見開いていた。
美味し!!
瞳を潤ませた冬乃を見て蟻通と山野が、ほっとしたように微笑む。
「ここは絶対正解だと思ってたんだよ」
「うん」
山野の満足そうな声に、合わせて蟻通が頷く。
今更ながら、冬乃は、連れてきてくれた二人に感謝の念をおぼえ。
「ありがとございます」
自然と微笑んでしまう冬乃を前に、
「お代わりしような」
山野が、その可愛い笑顔で応えた。
三人夢中になって食べている間も、冬乃は、
甘味屋の店員の女性が、先程からちらちらと山野を見ていることに気づいていた。
山野のほうは、気づいているのか、いないのか、今もにこにこ団子を口へ運んでいる。
店にいる他の若い女性客たちも、時々盗み見るように山野を見ていた。
(やっぱもてるんだなあ・・)
冬乃は、目の前で団子を頬張っている山野を見やり、おもわず感心してしまう。
山野がどこまで本気なのかは知らないが、自分なんぞ狙ってないで、早く他の女性へ向かってくださいと。つい一つ溜息をつき、
団子の串を皿へ置いた。
「・・あ」
そこへ、湯呑をすすりながら店の外へ視線をやった蟻通が、声を挙げた。
「藤堂先生だ」
隊士達は、助勤職の幹部を先生と敬称する。
蟻通よりも藤堂は年下だが、真面目な蟻通らしく、その例に漏れない。
「巡察みたいだ」
蟻通の視線を追って、外へ背を向けている冬乃は振り返った。
藤堂を先頭に、彼を囲む隊士達の姿が、店の前を通過してゆく。
凛々しいその一隊が間もなく通り越して見えなくなり、縁台の上の団子へと向き直ろうとした時、
つと視界の端に映った姿に冬乃は、だが再度、振り返っていた。
(今の人達・・)
「蟻通さん、」
当然、山野達も気づいたようだった。
山野の呼びかけとほぼ同時に、
「お勘定」
蟻通が急いで手を上げ。
「冬乃さん、ちょっとここで待てるかな」
蟻通が冬乃に尋ねる間も、山野がすでに立ち上がって、店の出入口まで向かっている。
「はい」
冬乃は、緊張して頷いた。
店の者が金額を告げに来るのとほぼすれ違うように、蟻通が冬乃へ「これで払っといて」と財布を渡し、
冬乃が一瞬戸惑ったのち会釈して受け取ると、蟻通は刀を腰に差し、すでに店を出て行った山野を追っていき。
冬乃はどの銭がどれなのか混乱しつつ支払いながら、ここで待てと言われたものの、やはり気が気でなく。支払い終えるやいなや、立ち上がって店の出入口まで行った。
そっと彼らの向かった先を覗き見ると、
やはり、山野と蟻通が並んで、先ほど冬乃が目にした侍達の十数歩うしろを歩んでいる。
冬乃が目にした時、侍達は目つきが尋常でなかった。
彼らは藤堂達から数歩うしろを歩んでいた。あの距離ならば、藤堂達は彼らに気づいているかもしれない。
町中での斬り合いは避けたい藤堂達が、敢えて知らぬふりで、人の少ない場所まで向かっている可能性を冬乃は思い。
(ここで待っていても、いつになるだろう・・)
当然、助太刀として、山野達が彼らの背後を歩んでいる以上、事が終わらなければ、この店まで戻ってはこないだろう。
(私も行ったほうがいい)
冬乃は、店の者に会釈をし、外へ出た。
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