十三. 一点紅を手折るは③


 「あの、斎藤様」

 皆が起き出してしたくを始めている中、

 原田が井戸場へ出て行ったのを見計らい、冬乃は斎藤のところへ行って、ぺこりと頭を下げた。

 「昨夜は、有難うございました」

 

 顔を上げた冬乃に、斎藤がいつもの無表情で頷いた。

 傍にいた藤堂が「全く、原田さんったら」と呟いて。

 

 原田は一度はあれから自分の布団に戻ったというのに、今朝起きたらまた移動していたようで、今度は藤堂の腹に足を乗せていて、藤堂が寝苦しさに起き出した始末。

 

 「いちど布団ごと縛り上げてやりたい」

 藤堂がなんだか嗜虐的なことを続けて呟くのへ、冬乃は苦笑する。

 

 やがて皆、それぞれ礼服を取り出す中、冬乃は行李を置いてある女使用人部屋へと戻った。

 

 これから芹沢と平山の葬儀だった。

 冬乃と沖田が芹沢達の部屋に居た時に入ってきたあの平間は行方不明のままで、事情を知らない藤堂達は、賊に拉致されてるのではないかと心配している。

 実際のところは、暗殺の際に別間に居て逃げる時間があった平間は、今はもう京には居ないはずだ。

 

 

 

 粛々と葬儀が終わり、各々が壬生寺から黙して戻る道で冬乃が、近藤土方と共に少し前をゆく沖田をそっと見やった時、

 「冬乃殿」

 背後から声をかけてくる人がいた。

 

 「はい」

 驚いて振り向いた冬乃の目に、坊主頭の男が映った。

 「お。近くで見ると、本当にお綺麗ですな」

 

 そのいきなりの賛辞に目を丸くした冬乃に、

 「ずっと声をかけようと思っとりました。拙者、安藤早太郎と申す。助勤をしております」

 「あ・・」

 

 (この方が・・)

 組形成時からの古参隊士の一人であり、のちの池田屋襲撃で、深手を負い、それが元で亡くなったとされる人で。

 

 (そして)

 野口という、芹沢と同じ水戸出身でありながら、芹沢一派とは少し距離を置いていたために今回粛清を免れたものの、のちに結局何事かで切腹を言い渡されることとなる古参隊士がいるが、

 安藤は、一説には、その野口を介錯した人としても伝えられている。

 

 

 「お世話になります。よろしくお願いいたします」

 返した冬乃に、

 「お世話になるのは拙者のほうでござる。貴女がたのおかげで、美味しい食事にありつけ、掃除の行き届いた気持ちのいい部屋に住める。有難う」

 安藤がにっこりと返してきて。

 

 (良い人・・!)

 

 早くも冬乃のなかの良い人リストに名を連ねたこの彼は、年の頃四十はいっていたはずだ。坊主頭なのが気にはなるが、

 たしか彼は、若いころから弓の名手として名を馳せたものの、慢心を咎められた事もあり、のちに僧として過ごした日々があった人で。その時のまま髪を伸ばしていないのだろうか。

 

 (慢心を咎められるような人には、とても思えないなあ・・)

 僧になって得たものが多かったのだろうか。

 

 「しかし聞き及んでいるように、冬乃殿は、斬新なお方だ」

 え、斬新?

 冬乃は続いたその安藤の台詞に、首を傾げた。

 今日は葬儀だったから、さすがに髪なら下ろさずに、日本髪結いでこそないものの、まとめて上に結んでいるのに。

 

 「そうまでなさらないと、相当歩きづらいのですな?」

 と、安藤のちらりと寄越した視線の先は、冬乃の裾だった。

 もはや足首がしっかり見えるほどまでに、裾を始めから帯に折り込んでいる状態なのを言っているのだ。

 

 「はい・・」

 気まずい笑顔を返した冬乃に、安藤が微笑う。

 「着物なぞ、まずは機能的であるべき。宜しい事かと」

 

 (やっぱり良い人だあ)

 冬乃は嬉しくなって安藤に会釈する。

 

 「私なぞは昔、・・」

 そして安藤が昔語りを始めて。屯所までの短い帰り道に、冬乃はずっと安藤と会話をして帰ってきた。

 

 

 安藤と別れ、仕事着に着替えて厨房へ行くと、茂吉が今日の仕事内容をあいかわらずの早口で言い連ねてきて、冬乃は慌てて脳裏に記憶を試みる。

 これは今日もきっと、一日忙殺されて終わるだろう。

 

 

 そして。

 

 それどころか、

 (沖田様にあれからぜんぜん逢わなかったな・・)

 夕餉の席にも彼を見なかった冬乃は。消沈していた。

 

 しかも、仕事を終えて、風呂を出てやっと八木家離れへ戻ってくると、少し前に沖田と井上が、夜の巡察へと出て行ったようで。

 聞けば帰るのは深夜になるという。

 

 (これじゃ本当に、今日はもう顔を合わせずに終わるのかな)

 

 「原田、おまえ壁ぎわだからな」

 もう起こしてくれるなよ、と言わんばかりに土方が、原田に壁を指し示しているのを目の端に、そうして冬乃は沖田を想って溜息をついた。  

 

 やがて皆で布団を並べてゆく。

 土方の言いつけにより、今日の冬乃は、壁ぎわへ追いやられている原田と正反対の、昨夜の原田の位置である。

 そして昨夜の井上の位置に沖田が来るようだが、もちろん今その布団の主は不在だ。

 

 真横の障子から外の冷気が漂っていた。

 布団にくるまりながらも冬乃は身震いし、障子から少しでも距離を置こうと、今はまだ不在の沖田の布団のほうへと身を寄せた。

 

 

 

 

 

 

 深夜に帰ってきた沖田が目にしたのは、沖田に割り当てられているはずの布団の半分までを、冬乃が占拠している状況であった。

 「・・・」

 

 今度は冬乃が原田状態になっている。

 そう思えば笑いそうになりながら、沖田は己の掛布団まで巻き込んでぐるぐるにくるまっている冬乃の足元の畳に立ち、さてどうしようかと困る。

 

 ぬくぬくと寝ている彼女は幸せそうだが、その丸太状態を見るに。

 (よほど寒かったのか)

 確かに障子のほうからは、かなり冷気を感じる。

 

 結局、冬乃を沖田の布団へ完全に移動させ、沖田が障子側の布団に寝ることに決めたものの、

 どちらにしても冬乃から、己の掛布団を奪い返さないとならないだろう。現在のところ冬乃は、冬乃の掛布団と、沖田の掛布団に、見事なまでに二重にくるまっているのだ。


 勿論いま、押し入れを開け、新たな掛布団を取り出すのは憚られた。やれば、誰かの頭を踏むことは確実だ。

 そういう心配の無いよう、夜に巡察に出るときは皆、あらかじめ風呂場に行李を置いておき、着替えはそこで済ませてから戻ってくる。

 

 (しかし、どうするか)

 沖田は今一度、冬乃を見下ろす。

 よく見れば、しっかり掛布団の端まで握りしめているではないか。

 これではますます、冬乃を転がして外側の沖田の掛布団を一枚剥ぐにも一苦労だろう。かといって起こすには忍びない。誰かの頭を踏んででも押し入れを開けるか。


 (弱った)

 暫し途方に暮れて、沖田は。だがやはり、意を決して冬乃を転がすことにした。

 とにかくまず、掛布団を握り締めている冬乃の指を外すべく、障子側から冬乃の横へ向かい、胡坐をかいて座り込んだ。

 元沖田の布団のほうに向いている彼女を、こちら側へ向かせ、その細い指をそっと丁寧に開いてゆく。

 

 「ン…」

 開いてゆく先から、今度は沖田の指を握り締めてくる冬乃に、沖田は苦笑し。

 その、幼子が親の手を握って安心するかの穏やかな寝顔に。もはや沖田は、冬乃に指を握らせたまま、暫し彼女を見守った。

 

 だがそのうち障子からの冷気に、さすがに背が冷えてくると、沖田は掛布団奪還に向けて再開すべく、

 己の指を握り締める細い指の束をそっと外し、彼女が再びどこかを握る前にと早々に、彼女をくるむ外側の、沖田の掛布団の端を持ち、開いた。

 

 やはりというか、沖田の掛布団は、彼女の体の下まで潜っている。

 (転がすよ)

 心内で彼女に声をかけつつ、沖田は後ろへとあと少し下がり、片手に掛布団の端を持ったまま、己のほうへと冬乃を転がす。

 

 冬乃の本来の掛布団を纏ったままに彼女が、沖田の膝元まで来たところで、彼女を少し浮かせ、最後まで下敷きになっていた己の掛布団の残りの端を引き抜いた。

 成功だ。

 起こしてはいないようだった。

 

 

 (まったく)

 

 冬乃を元沖田用の布団の中心へと戻し、奪還した掛布団を被って横になりながら、再び苦笑が込み上げる。

 

 どうも大小様々な事で、彼女には手間をかけさせられてばかりだと。

 

 

 彼女が密偵である容疑は、

 慎重な土方が一抹の疑いをあえて捨てないでいるだけで、もう立ち消えているといったほうが正しい。

 

 彼女を監視を含めて面倒見続けるなど、ゆえに本来ならば不要に等しく。

 

 冬乃の未来を知るかの如き発言に危機感がある土方のために、むしろこのところは、その面での監視が中心となっているとはいえ、

 それも偏に、彼女がここに居続けるからであり。

 居ないならば、構うことではない。

 

 土方とて、まだ半信半疑な以上、彼女を利用しようと本気で考えているわけではないのだから。



 (俺とて、)

 己で彼女に言ったではないか。

 冬乃が密偵の類いでないならば、どこで何をしてようと構わないと。

 

 それなのに、

 彼女は『この時代で』居場所はここしかないと言い、

 使用人になってまで居続けている。

 

 己はそんな彼女を、事ある毎に、もはや当たり前のように気にかけている。

 

 

 冬乃でなければ、果たしてこうまで面倒をみているだろうか。

 

 嫌だと思わぬのは、

 冬乃だからか。



 (・・・何を問うているんだ)

 

 沖田は。我に返って自嘲した。

 


 (寝るか)

 

 「ん…」

 冬乃がこちらへ寝返って。沖田は、冬乃の気持ちよさそうな寝顔にかかる彼女の髪を、手を伸ばし、よけてやった。

 

 (おやすみ冬乃さん)

 目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めた冬乃は直後、すぐ目の前に沖田の顔を見て飛び上がりそうになった。

 

 (お、沖)

 その、ものすごい至近距離で寝ている沖田を、

 冬乃はそのまま息をひそめて見つめてしまい。

 

 そして、わずかな違和感のちに。

 (あれ?光・・)

 目を瞬かせた。

 

 沖田の向こうに光がある状態はおかしくないか。

 

 (たしか私、障子側・・)

 

 混乱し出した冬乃の前、ふと沖田の目が開いた。

 (て、きゃあ)

 

 「ふ」

 よほど冬乃が驚いた顔だったのか、次には沖田のその目は、面白そうに細められた。

 冬乃からすれば、この超至近距離で驚かない沖田のほうが不思議である。

 しかもそのまま沖田の眼に見返され、冬乃は固まった。

 

 (え・・ええと)

 

 沖田が目をそらさない。

 (なんで)

 

 そらさないのは冬乃も同じなのだが、どちらかというと蛇の視線に捕らえられた蛙の気分の冬乃は、そのことに気づいていない。

 

 

 「・・・・おまえら、なに朝っぱらから見つめ合ってんの」

 

 そして、その妙な睨めっこは。

 第三者の介入によって幕を閉じた。

 

 「おはよ、冬乃さん」

 一瞬、介入者の永倉を見やった沖田が、冬乃に視線を戻して挨拶する。

 「・・オハヨウゴザイマス」

 固まったまま冬乃が返して。

 

 永倉のほうは冬乃たちの足元を通過すると、障子を開けた。

 朝の清らかな風と、煌びやかな朝光が滑り込む。

 

 快晴のようだ。

 

 

 「なに、見つめ合ってるって」

 どういうこと?

 冬乃の布団の向かいで、尋ねながら起き出した藤堂が、

 半身を起こした沖田と、その真横で沖田を向いて横になったままの冬乃を見やって、二人の距離の近さに一瞬息を呑んだ。

 

 「そうしてると、本当におまえら好い仲に見えるぞ」

 開けた障子の左右に手をかけている永倉が、なおも揶揄う。

 

 「・・そもそも何で、冬乃ちゃんが沖田の布団に寝てるの」

 

 (え)

 藤堂の問いかけに、驚いたのは冬乃だった。

 

 言われてみれば、そういうことではないか。

 (ほんとだ、なんで?)

 冬乃もやっと起き上がりながら、左右を見渡し。

 

 「俺の布団に入ってきたから」

 横で沖田が飄々と答え。

 「「え?!」」

 冬乃と藤堂の声が見事に重なった。

 

 

 

 

 結局、昨夜の冬乃の状態を沖田に知らされ、平謝りした冬乃は、

 いまも思い出して溜息をつきながら、味噌汁の鍋をかきまぜた。

 

 (寝相悪いって思われちゃったよね、もお)

 しょぼくれてかきまぜていると、横から「かきまぜすぎや」とお孝の慌てた声がした。

 「あ」

 はっと中を見れば、豆腐が粉々になっている。

 

 「す、すみません」

 「どうしたん。そない溜息ばっかついて」

 お孝がもはや笑って、冬乃を覗き込んだ。

 

 「いえ、その色々と・・情けないことが多くて」

 冬乃が縮こまっていると、お孝はにんまりと微笑んだ。

 「好いた殿方でもいはるんやなあ」

 と、いきなり図星を突かれ、冬乃のほうはびっくりしてお孝を見返した。

 

 (私そんな分かりやすい!?)

 

 今の冬乃の反応でさらにくすくす笑っているお孝を前に、冬乃は顔を赤らめる。

 

 「おきばりやす。冬乃はんやったらお相手の方も嫌な気はせえへんやろし」

 

 (うう、)

 なんて優しい言葉。

 お孝の応援に感動して冬乃がぺこりと返すと、「ほな、よそいまひょ」とお孝がにっこりと椀を手にとった。

 

 

 

 

 

 

 

 冬乃は、表で不意に起こった近藤の声に顔を上げた。

 

 日増しに寒さが増し。風呂も終えてまだ誰も戻っていない離れで独り、すっかり凍えた手を温めに、昨日ついに出したばかりの火鉢にかざしていた時だった。

 

 防寒のためにこのところは半分閉めてある雨戸を避け、障子を開けて入ってきた近藤の顔は、心なしか緊張した面持ちで。すっかり暗くなった外から、続いて斎藤と藤堂が、やはりどこか緊張した雰囲気で入ってくる。

 

 (どうしたんだろう・・)

 


 沖田達との共同生活にもすっかり慣れ、沖田との関係はあいかわらず進展が無いままながら、冬乃は、心に再び戻っている溢れるばかりの幸福感に、感謝してもしたりない、そんな平穏な毎日を過ごしていた中で。

 

 (そういえば今日・・何日だったっけ・・?)

 

 使用人の仕事は当初の想像以上に大変で、毎日忙殺されていると日付の感覚も薄れてくる。

 

 (今日は確か、・・)

 そっと指を折り、数えてみる。

 

 九月二十五日

 

 思い至ったその答えに。

 そして、冬乃は息を呑んだ。

 

 (永倉様と中村様の)

 

 二人は、

 かねてから組で泳がせていた間者とおぼしき四名と今夜、祇園の揚屋、一力へ呑みに行っているはずだ。

 

 永倉の遺した手記によれば、途中からいっとき席を外したその四人が、見知らぬ浪士達と、別室で密談しているところを永倉は目撃し、彼らが間者であることを確定したという。

 

 

 近藤達の、この様子では、

 おそらく近藤の命を受けて斎藤達が永倉の様子を見に訪ね、永倉から四人の行動の報告を受けて戻ってきたところなのだろう。

 

 「大丈夫だ、総司達がこれから巡察に出る。そのまま向かわせ、念のため待機させる」

 近藤が言った。主要な固有名詞を省いているのは、冬乃の存在があるからだろうか。

 

 冬乃は素知らぬふりで、火箸を手に炭を足した。

 

 

 

 夜半になっても永倉も沖田も戻らなかった。井上もいない。

 永倉の手記には無かったはずだが、この様子では、沖田と井上達は一力の別室に夜通し控えているのだろう。確かに、近藤が永倉と中村ふたりだけを危険の中に残しておくはずがない。

 

 どことなく重い雰囲気の中、残りの皆は床に就いた。

 

 (そして明朝は、・・)

 目を瞑り。

 

 ―――また血をみることになる

 

 

 冬乃は、細く押し殺した息を吐いた。

       

 

   


 



 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る