十三. 一点紅を手折るは②
「じゃあ俺の布団、嬢ちゃんのとなり!!」
(え)
突如部屋に鳴り響いたその声の主を見やると、まったく邪気の無い笑顔を満面に溢れさせた原田が手を上げている。
(・・なんか小学生の修学旅行みたい)
まさに原田みたいな子がいた。女の子の隣に居たがる男の子。
一瞬に頭に浮かんだその思い出に、自分で吹きそうになって冬乃は慌てて下を向く。
「だめだよ、原田さん寝相最悪なんだから!」
そこへ、いきなり藤堂が真っ向から反対した。
「そうだな、朝になったら冬乃さん潰れちゃってるだろうな」
儂だって何度潰されたことか、と原田の隣にいた井上が微笑う。
この中で島田に次いで年長の井上は、時々突拍子のない原田のおもり役だと、
そういえば藤堂が、厨房でおむすびを待っていた時に言っていたのを冬乃は思い出す。
(原田様てば、寝相そんなひどいの・・)
さらに笑いそうになった冬乃だが。
「だいたい、間違いがあったら大変でしょ?!」
続いた藤堂のその台詞に、びっくりして顔を上げた。
「冬乃ちゃんは奥で壁ぎわ、隣は・・せめて沖田だよ」
(え・・!)
今度こそ冬乃は瞠目して、藤堂と沖田へ視線を奔らせる。
「・・なんだそれ、沖田なら間違いがあってもいいのかよ」
剥れる原田に。
「逆だよ!沖田なら間違いは起こさないでしょ原田さんと違って 」
藤堂が何故か目を怒らせて言い返している。
「俺と違って、ってなんだよお」
原田が狼狽える。
「俺、寝ぼけた原田さんに、間違い起こされそうになったからね?!忘れたとは言わせないよ!」
(ええ??)
「あー、以前、原田が寝ぼけて、隣で寝てた藤堂を馴染みの妓と勘違いして襲ったんだよ」
目を丸くしている冬乃に、横にいた永倉が苦笑まじりに解説した。
(へ・・・)
「まったくさ、俺と妓じゃ触り心地もぜんぜん違うでしょ、なんで間違えるかな!」
思い出すとまだ腹が立つのか藤堂が珍しく荒れている。
「悪かったよ、未遂で済んだんだからもう許してくれよー」
ついに平謝りし始める原田に、
「原田さんが未遂で止めたんじゃなくて、俺が原田さん殴ったから俺が無事で済んだだけでしょ!・・わかった?俺だったからよかったものの、冬乃ちゃんじゃホントに危ないってこと!原田さんは一番冬乃ちゃんから遠く!」
もはや唖然として二人を見つめてしまった冬乃の、隣では永倉が「賛成だな」と呟き。
原田は諦めたようで、肩をすくませている。
「・・馬鹿なやりとりは終わったか?ったく寝る前に喧しいんだよ」
最後に土方の、今日はこれが初めてかもしれない憎まれ口が聞こえてきて、冬乃はむしろ少しばかりほっとしながら。
(・・そうすると私は)
結局どこになるのだろう。と首をひねる。
(言われたように壁ぎわなのかな?)
そして、
(沖田様の隣・・に、寝れるの・・?)
それが良いのか悪いのかは。彼の隣では緊張でそうそう眠れそうにないことを思うと、わからないけども。
冬乃の戸惑いをよそに、だが。
「まあ確かに、冬乃さんは壁ぎわで、隣は総司でいいんじゃないか?」
と、近藤が締めくくった。
(けっこう敷き詰めようとすれば出来るものなんだ・・)
部屋じゅうの畳が四方の隅以外は完全に隠れてしまい、床一面が布団と化した部屋で。
(これじゃほんとに修学旅行だ)
冬乃は愉しくなってしまっていた。
(なんてほんとは呑気なこと言ってられないよね)
これだけ見事に、布団と布団の隙間がない状態で、
隣同士で寝るというのは。
(沖田様と・・)
いってみればダブルベッドで寝てるのと同じことになるのでは。
冬乃は頬が熱くなるのを感じて、慌てて首を振った。
(あまり想像するのはやめよ)
一人で舞い上がってこれでは阿呆みたいである。
とりあえず布団に座り込んだ冬乃の耳に、
しかし、
「おーい沖田、嬢ちゃんを襲うんじゃねえぞ!」
本当に一番遠くにさせられている原田から、揶揄が飛んできた。
冬乃の列側の一番縁側寄りにいて、まだ自分の布団の上に立っている藤堂から、
「だから原田さんじゃないんだから!」
と代わりに応酬がゆく。
「さあ?俺も気を付けないと」
なのに沖田からは、
まさかの、そんな戯れ言が返されて。
「ちょ、勘弁してよね沖田」
藤堂が嘆き。
(そ、)
そういう冗談いわないで沖田様・・
結局ひとり心臓が喧しい冬乃が、顔を紅らめた。
「じゃあ皆もう寝るぞ」
隣の部屋、といっても殆ど布団が連なって部屋の境目すら分からない状態だが、そこで布団に胡坐をかいていた近藤が声をかけてきた。
「おう、みんなおやすみ!」
原田が真っ先に返し。
「おやすみ皆」
山南が近藤の隣で微笑う。
近藤を挟んでもう片側の隣にいる土方は、すでに先ほど呆れ顔で布団に入っている。
他の面々も続けておやすみと挨拶をし合うと、布団へ入ってゆき。
幾分だけ空間の余裕がある近藤側の部屋に、小さな常備灯が置かれ、その中で火が細く揺れていた。
あとの行灯は全部吹き消されていて。
仄暗い中で、冬乃もそそくさと布団に入った。
すでに横になっている沖田が冬乃を見やって、「おやすみ」と言ってくれて。冬乃はどきどきしながら「おやすみなさい」を返した。
(・・こんな)
挨拶をし合えるなんて。この距離で。
当分、寝つけそうにないのは明らかである。
ぐごー
先程から誰かのイビキがすごい。
冬乃はこみあげる笑みを抑えながら、どこかから聞こえてくるこのイビキの隣にいる不幸な人は、きちんと安眠できるのだろうかと同情する。
(この時代で耳栓するとしたら布とか?)
なんにせよあまり効果は期待できなそうだ。
(で、私はいつになったら寝つけるの)
寝つけないのは勿論イビキのせいではない。すでに隣の沖田からは穏やかに寝息が聞こえているというのに。
冬乃は溜息をついた。
またそっと沖田のほうを見て。もう何度目になるか分からないほど、暫く見つめては天井を向き直すを繰り返している。今もまた沖田の横顔を目に、冬乃はこれが本当に夢じゃないのかと改めて不思議になりながら。
(もう一時間くらいは経っちゃったよね)
今朝は早かったのに全然眠くならず。
(しかもトイレ行きたくなってきたし)
冬乃は困って障子のほうを見る。あそこまで辿りつくには、いったい何人を踏んづけていかなくてはならないのか。
寝る前に茶を飲んだことを後悔しても遅い。
(せめて障子側にしてもらえばよかった・・)
いつまで我慢してられるだろう。我慢しているうちに眠気が勝てばいいが。
(・・当分むりだよね)
恋は厄介だ。
沖田を隣に、冬乃は、同じく何度目になるかわからない溜息をついた。
さらに三十分は経っただろうか。
いいかげんに限界になってきた冬乃は、意を決してそっと起き上がった。
隣を見下ろせば、今のところ沖田を起こさずに済んでいるようだ。
冬乃は細心の注意をもってその場で立ち上がり、寝衣を整えて、目的地を見据えた。
(がんばらねば)
冬乃の布団の足元側は、押し入れに入りきらない荷物が山済みになっているので通過は不可能だ。
沖田達の足元を跨いで進むより方法がない。
(どうか踏みませんように・・・)
沖田の足の向かいには、永倉の足がある。
ひとまずは、沖田と永倉の合間の布団を踏みしめることに成功した冬乃は、
次に沖田の隣である島田と、その向かいの斎藤の間を見据えた。ちなみにその向こうは、島田の隣の藤堂と、向かいの井上がそれぞれ足を向け合っており、最後に井上の隣にひとり原田がいる。はずだった。
(・・・あれ?)
だが島田と斎藤の間まで辿りついてよく見ると、なぜか、井上と原田の位置が逆転していた。逆転しているというより、原田が、斎藤と井上の間に割り込んでいるような過密ぶりである。
(どゆこと)
どう見ても、原田が転がって、井上をどうやったのか転がり超えて斎藤の横にまで到達したような様子だ。
(すごい)
もはや潰され慣れた井上が恐らく起きもせずに、体の上を原田が通過してゆくのを許したのだろう。
分析を終えて冬乃は、今一度、超えるべき先を見据える。
まずは妙な位置に飛び出している原田の足をうまく避けた上で、藤堂と井上の間に着地しなくてはならない。
冬乃は細く深く息を吐いた。心身を集中する。
トッ・・
軽やかに、そして目的の位置への着地に成功した冬乃は、ほっと息をついた。
そっと障子を開け、隙間に身を滑り込ませて縁側へ出て。
離れの庭を少し行ったところに在る小さな厠へと入った。
手を井戸で洗って戻り、障子を閉めて、目を凝らす。
障子からすぐの原田の布団には、やはりあいかわらず原田の存在が無いので、まだ井上と斎藤の間に燻っているのだろう。
(・・ん??)
いや違う。今の原田の位置は、井上と直角に近かった。
原田の脚は、今や布団の群から外れて、藤堂の横の畳の空間に伸びており、もはや斎藤の腹元に原田の頭がある。
(これじゃ、)
おもいっきり原田を跨ぐことになるではないか。
(もう原田様って)
笑いそうになるところを漸う抑え、冬乃は帰り道を見据えた。
井上の足元、今の原田にとっては腰の位置まで、まずは移動する。
(失礼します原田様)
冬乃はそっと、足を伸ばした。
突然、冬乃の足首は掴まれた。
「え」
ぐらり、と視界が回転し。
見事に原田の上へ、冬乃は落っこちた。
(きゃああ、ごめんなさ・・)
咄嗟に原田の左右に手をついたものの間に合わず、原田を潰した冬乃が心中、謝りかけて、
つと、そもそも冬乃の足首を掴んだのが当の原田であったことに気が付き、冬乃はぎょっと原田の顔を見るも、どうやら普通にまだ寝ていることに。
慄いて。
(原田様っ)
足首、離してー!!
冬乃は心中叫んで、自分の下ですやすや寝ているままの原田に眩暈がする。
どれだけ寝相が悪いのだ。
そうこうするうちにも、原田のもう片方の腕が、あろうことか冬乃の背へと回され。
刹那に下から原田に引き寄せられて、冬乃の胸に原田の顔が埋もれた。
(ちょ、)
「ンー、夕月・・」
(誰!!)
藤堂が咆えていた例の原田の馴染みなのか。完全に夢の中に安住する原田に、冬乃は危機感をおぼえる。
なぜにも、
原田の手が冬乃の足首を解放したと思ったら、そのまま冬乃の裾を割って。
膝裏から、内太腿へと。侵入し始め。
「原・・」
「ふごっ!」
もはや周りに遠慮している場合じゃないと声を出しかけた冬乃の、その下で、同時に原田の変な呻き声が響いて、
冬乃は驚いて胸下の原田を見やった。
その視界の端に、いつのまにか起き上がっていた斎藤が映った。
見れば、原田の脇腹へ手刀を見舞ってくれていたようで。
「あ・・」
「んが?」
原田が覚醒したのか、冬乃を拘束していた腕の力が緩んで、冬乃の脚を舞っていた手から力が抜ける。
「大事ないか」
斎藤の声。
原田がぽけっとした顔になって、半身まではなんとか起こせた冬乃を見上げてくる。
「??」
(??じゃないっ)
おもわず文句を言いたくなったが、寝ぼけていた原田に悪気はない。
周りでは、騒ぎに起き出した男達が、目をこすりながら冬乃達のほうを見て。
「あの、原田様」
腰を・・離してください
皆の注目を浴びて消え入りそうな声になってお願いする冬乃に、
「・・うお?」
原田が暫しのちに、ようやく状況を認識し、冬乃から腕を離す合間にも、
藤堂からは。
「・・・・・・原田さん」
末恐ろしい妖気が漂い出した。
「こ、この密集状態にもかかわらず、寝る前に憚りへきちんと行っておかなかった私が悪いんです」
枕元の刀を抜きかねない藤堂の雰囲気に、さすがに冬乃は慌てて原田を庇いながらも、だからって貞操の危機に見舞われなきゃならないほど罪だったのかは冬乃にも分からない。
「冬乃ちゃんは悪くないよ・・」
どれだけお人よしなの、と藤堂からは拍子抜けした声が追ってきて。
「ご、ごめん、嬢ちゃん」
そして原田がものすごく畏まって謝ったところで。
「明日からは、おまえら場所を交代しろ。原田が壁ぎわ行け」
迷惑そうに起き出していた土方から、判決が下され。
場は閉じたのだった。
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