一二. 朱時雨⑭

 「ン・・」

 

 「大丈夫?」

 

 沖田の腕の中にいることは、判るものの。

 開いてるのか閉じてるのか定かでない視界と、

 ぐらぐらと頭の芯から回転しているかの眩暈にみまわれていて。

 冬乃は。

 「だいじょぶ、です」

 それでも必死に答えて。

 

 「・・これは、大丈夫じゃないな」

 そして沖田の硬い胸板に触れている冬乃の頬が、彼の笑う振動を直に感じた。

 

 

 「沖田センセ、うち、お水も少しもろうてきます」

 「ああ頼む」

 行灯の薄明かりを閉じかける瞼の裏に残し、冬乃は震える息を圧し出した。心臓が箍でも外したかのように激しい。

 

 部屋についたようだった。まもなく冬乃は柔らかな敷布団の感触を受けた。

 

 「帯を取るよ」

 沖田の声が降って、冬乃の身は次には横向きにさせられ。

 

 背が時おり引っ張られるような、いつかの感を再び数回受けながら、

 やがてするするとそれは冬乃の胸の下で、静かな音をたてて取り去られてゆき。

 

 驚くほどの解放感と。同時に、

 上を向く側の肩からは、ずしりと重たかった袷が滑り落とされ。

 続いて袷と襦袢の間に沖田の硬い片腕が入り込んで、冬乃の身は仰向けにされるとともに、背を支え上げられ、

 沖田のもう片側の手が、冬乃の胸まわりに残る紐を引き解き、開いた袷の前をさらに払うと、潜り込んで冬乃の膝裏を攫い、

 冬乃の体がされるがままに再び抱き上げられたことで垂れ落ちた両腕から、袷の両の袖がするりと褥へ抜け落ちた。

 

 「・・お手際のよろしゅうことどすなあ」

 水を持って戻ってきた露梅が、戸を閉めながらくすりと微笑った。

 「おまえにいつもしてることだろ」

 沖田が悪びれず哂い返した声を。

 遠い意識の中で冬乃は聞き取って、もう嘆息すらできない。

 

 「せやかて傍で見てたらこない鮮やかなお手並みやったなんて驚きました」

 「いいから、そこの袷を退かしてくれる」

 まだくすくす微笑う露梅に、冬乃を片膝立ちで抱き上げたまま沖田が、居るなら手伝えとばかりに床上の袷を顎でさす。

 へえ、と返事をして露梅が、床の向こうにまわって水差しの盆を置き、丁寧に冬乃の袷を取って皺にならないよう畳み始める。

 空いた褥へと沖田が再び冬乃を寝かせた。

 沖田の両腕が背から抜かれると同時に、足下から掛け布団の柔らかな感触が引かれて、

 襦袢姿だけになっている冬乃の上に、それはすぐに掛けられて。

 

 (頭がくらくら)

 

 胸上まで来た布団の重みに、冬乃は息をつきながら、なんとか瞼を抉じ開けるも焦点が定まらなかった。

 頭の奥の僅かな一点だけは冴えているのに、体の酔いの酷いまわりぐあいに、驚いてしまう。

 

 「申し訳ありません・・」

 なんとか声を絞り出して、冬乃は詫びた。

 

 「ゆっくり休んで。水は枕元にあるからなるべく飲める時には飲むようにね」

 白濁の視界に映る、見下ろす優しい眼に。冬乃は瞳を潤ませたまま、小さく頷いた。

 

 そして目を瞑った冬乃の耳に、沖田の袴の擦れる音と、他方からは露梅の着物の裾が畳を擦る音が響き。

 それはやがて、カタンと襖の閉じる音に換わった。

 

 

 あっというまに、眠りの奥へと。冬乃は誘われていった。

 

 

 

 

 

 「おき・たさま・・」

 いつかの夢の記憶のような熱が、冬乃の首すじを攫って。

 冬乃はまだ目を瞑ったままに、顔を背けた。

 

 

 (ちがう・・)

 こんな気持ちの悪さなんか無かった。

 

 

 「寂しいか」

 

 目を開けた冬乃の、真上に、

 

 「随分と、恋しいようだが」

 見知らぬ男の顔があった。

 

 「どうせ落籍せてくれやしないんだろ、」



 (え?)


 「代わりに可愛がってやるから、少しの間、情夫を想ってりゃいい」



 落籍す?・・情夫?

 

 「やっ、」

 乱暴に開きあけられ涼しくなった胸元に、冬乃は驚いて腕を交差しようとして、

 冬乃の上にのしかかっている男の手に、あっけなく左右へ組み敷かれ。

 

 「やめて…!」

 「なに操立ててるような振りしてるんだよ、しょせん女郎だろう」

 

 (なに、それ)

 このひと私のこと、遊女だと思ってる

 

 (ていうか遊女だって、)

 

 想定していない男に、いきなり襲われていいわけがない。

 (オンナ馬鹿にすんな!)

 

 一寝入りして酔いがだいぶましになった冬乃の体は、本来なら自由を取り戻しているはずだが、

 心に苛立ちを叫び、力を込めて振り払おうとした両腕は、だがすぐにその倍の力で押し返され、

 

 再び首すじにじっとりと這わされた舌が、

 冬乃の鎖骨を下って胸に向かって下りてゆくのへ。

 逃げようにも。

 動きが全く取れず、

 そのすべが、わからずに。

 

 「い・・・やぁ・・!!」

 

 

 

 不意に、冬乃の上から、男の重みが消えた。

 

 

 「とんだ間男がいたものだな」

 

 (おきたさま・・・!)

 いつのまにか横まで来ていた沖田が、男を蹴り飛ばしたのだと。気付いた時には、

 転がった先から男が呻いて、身を起こし。

 

 沖田が、

 「おまえ、たいした度胸してるよ」

 うちの組にくるか?

 

 続いて愉しそうに笑い。

 

 

 「だ、誰が壬生狼なんぞに・・っ」

 

 「ほう。やはり新選組の酒宴と、知っての狼藉か」

 

 はっとした顔をして男は、頬を引き攣らせた。

 

 

 そういえば今夜、角屋は新選組の貸切だ。

 何故ここに部外者がいるのか。

 

 

 

 「俺は迷い込んだだけだ!そもそもっ、貴様がずっと妓を放置してるからだろう!」

 

 男は叫んだ。

 

 「見てたんだぞ、この妓ずっと貴様の名を寝言で呼んでいたぞ」

 (え)

 

 「段々かわいそうになったから抱いてやろうと思ったのさ!」

 品の無い嘲りを口端に、男が喚いて。

 

 (よ、よけいなおせわ)

 ていうか、なんてこと沖田様に言ってくれてんの?

 

 

 「どうだか、ね」

 

 ちらりと沖田の視線が冬乃に絡み。息を呑んだ冬乃を前に。

 沖田がもう一歩、ゆっくりと歩み寄った。

 

 「初めから新選組の酒宴と分かった上で忍んで来たんだろう。だが、来たはいいが出られなくなり、」

 

 男が冬乃の視界の端で、たじろいだ。

 

 皆の酔いが回って来た今、

 慎重な土方のことだ、警戒のために飲まない隊士で出入口を固めさせているのかもしれない。

 

 

 「廊下を行き交う女を誰かしら盾にすれば逃れられると、物色してまわっていたら彼女が一人で寝ていた。さしずめそんなところだろうが」

 「っ・・」

 

 「安直だねえ」

 

 哄笑した沖田に、

 

 「・・・くそっ」

 男が悪態をついて突然、隠し持った短刀で冬乃の喉元へ、横から切っ先を向けた。

 

 

 行灯の火にその刃は閃いて。冬乃は身を強張らせた。

 

 「それでどうするつもりだ?そのまま逃れられると・・?」

 まさかの、さらに笑い出す沖田に、男が目を剥く。

 

 「この妓が、どうなってもいいのか!」

 

 音もなく沖田が腰の脇差を抜き、男にまっすぐに向けた。

 

 「女を手にかければ、おまえも死ぬだけだよ」

 

 茶番はよせ、と呆れたような眼が、同時に男を捕らえ。

 

 「短刀を落とし、手を上げろ。そうすれば命は許してやる」

 

 続いた沖田の、あいかわらず穏やかながら、

 有無を言わせぬ、その強圧的な声音に。

 

 男は、相手が悪いと。

 悟ったかのように、一寸のち、短刀を落とし。忌々しげに手を上げた。







 「あれが貴女を刺すことはないと、確信してはいたが」

 怖い想いをさせていたらすまなかった

 

 そんな常の、優しいしらべに戻った沖田の声が、冬乃を包み込む。

 

 沖田が脇差の下げ緒で縛り上げた男を、露梅に呼ばれて来ていた隊士が連れてゆく中、

 冬乃は水に浸した手拭いで、先ほど男に舐められた箇所を何度も拭いていた。

 


 「いいえ。沖田様のご判断に、間違えがあることなんて無いと、」

 信じてますから

 

 そして横に座る沖田を見上げて言う冬乃に。

 沖田が僅かに目を細めた。

 

 

 「手拭い、もう終わらはった?」

 それやったらこっちにいただきます、と露梅が手を差し出して、冬乃は会釈をして手拭いを渡す。

 

 襦袢のまま身を起こして座っている冬乃は、またもそれが下着姿であることを失念している。

 露梅が、それこそ遊女でもないのに冬乃が透けそうな襦袢姿で平然としているさまに、そっと含み笑った。

 

 「酔いはだいぶ落ち着いたようだね」

 沖田が微笑う。

 冬乃は「ご迷惑おかけしました」と小さく頷いて。

 

 「俺のこと呼んでたの?」

 沖田の続いたその問いかけに冬乃は、どきりと瞳を彷徨わせた。


 「そんな寝苦しかった?もっと早く様子を見にくるべきだったね」

 よく寝てたから、そっとしとこうと思ってた

 沖田が言い添える。


 (・・・)

 自分が寝苦しさで沖田を夢うつつに呼んでいたのではないだろうけど、

 沖田も知ってか知らでか、そんなふうにまとめる以上、冬乃ももとい何も訂正できるはずもなく。



 黙って首を振ってみせた冬乃の前、沖田は「さてと」と立ち上がった。

 

 「俺はそろそろ出るけど、これからは露梅が傍に居るから安心して」


 「・・はい」



 (お気をつけて)


 いよいよ芹沢達を追って、帰るのだろう。

 明朝になれば、芹沢達は、もうこの世にはいない。

 

 

 (さよなら、・・芹沢様、平山様)

 

 最後に宴席で見た彼らの楽しげな顔を、閉じた瞼の裏に起こして。

 胸に奔った痛みごと、別れを告げた。

   

         


 



 

 

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