一二. 朱時雨⑬

 


 広々と見渡せる大広間から、開け放たれた庭に薄藍色の夜が遠く続き。

 宴席を囲う幾つもの行灯の上で、時おり吹きこむ風に柔媚なほど乱れる朱火が、色とりどりに着飾った妓たちの簪に反射しては、そこかしこで光を放ち。

 まさに絢爛たる光景が、広がっていた。



 「おまえ達おかえり」

 近藤はじめ近藤一派がすでに座していて、傍までやってきた沖田達を見上げて、近藤が労った。

 

 斜め上座方向には、妓を侍らせて芹沢と、その腹心の平山と平間がそれぞれ座っている。芹沢と平山は早くも酔いが回っているようだった。



 「捕り物は問題なく終えました」

 沖田がさらりと報告すると、土方が頷いた。

 「ああ、ご苦労だったな」


 いつのまに近藤や土方は捕り物の件を聞いていたのだろう。

 冬乃がおもわず首を傾げる中、

 「今回みてえな楽な捕り物でも、踏込み時の状況は、これからもきちんと報告に寄越せよ」

 土方が念押しをして。


 「わかってますよ」

 沖田が微笑う。


 (あ・・)

 つまり沖田は連れて行った隊士の一人を、土方への報告に帰していたのだろう。


 沖田達が、恐らく見なくとも気配から敵方の人数すらよめるような剣客達とはいえ、それでも実際に踏込むまでは、部屋の退路の造りを含めて、完璧に正確な状況までは分からない。

 そして踏込んだ上で、やはり応援が不要な場合でも楽観視せずに、状況を把握した隊士がいったん組へ報告に戻る。

 経過時間も踏まえ、応援が必要と判断すれば、より多くの人数を送る。

 そのような仕組みをつくってあるのではないか。

 

 

 (そもそも新選組も、捕縛が目的で動いているから、大げさなくらいの人数で挑んだほうがいいものね)

 

 

 後世では、新選組はまるでむやみやたらに人を斬ったかのように語られることもあるが、

 平常時の組の役目はあくまで反幕府浪士の取り締まりであって、殺害ではなく、捕縛が中心である。

 

 その場で『死刑』執行の権限を付与されている新選組は、当然、歯向かう者は斬り捨てるが、

 斬らなくて済むために、歯向かう気力を失わせるほどの大人数で向かうのは当然のことだ。

 

 

 

 「さあ座って、おまえ達も呑め」

 言いながら近藤が手を叩く。

 応えて妓の一人が立ち上がり、膳と控えの妓を呼びに廊下へと向かった。

 

 「冬乃さん、」

 こっちへ

 沖田達が、近藤達を囲うような位置へと座しながら、沖田はその己の横に冬乃を寄せた。

 冬乃はどぎまぎしながら促されるままに沖田の横へと座り、そっと周囲を見回す。

 露梅はまだ来ていないのだろう。

 

 「おまえ、稽古着の女か?」

 芹沢が近藤の向こうからその大声で、声をかけてきた。

 

 (稽古着の女。)

 つい苦笑して頷く冬乃に、

 芹沢のほうは、近くでみる冬乃の着飾り様に驚いた表情を隠さずに。じっと冬乃を見たかと思うと、

 

 「ここへ来い」

 のたまった。

 

 (嫌です)

 もちろん言えず。

 狼狽えておもわず横の沖田を見上げた冬乃に、

 

 「芹沢局長、」

 冬乃の縋る瞳を一瞥した沖田が、芹沢を向き。

 「すみませんが、彼女は」

 返答した。

 

 「俺の女、ですので。ご遠慮願います」

 

 

 「「ええ!?」」

 叫んだのは藤堂達のほうだった。

 

 冬乃は硬直した。

 何を今聞いたのか一瞬、把握できず。

 

 

 「おお、そうか。ならばよいわ」

 芹沢が扇子を扇いで哄笑した。

 「しかし沖田殿も手が早いの」

 下卑た笑いが平山から漏れる。



 (た。助けてくれた・・てことだよね)

 ていうかそれだけなんだよね。

 

 やっと認識が働き出した冬乃の、少々がっかりしている心内を抱えて未だ硬直ぎみに動けないでいる横で、

 平然と沖田が、その胡坐の前へ運ばれてきた膳から酒を取り上げた。

 

 「呑む?」

 沖田が声をかけてきて、冬乃は地蔵のように固まったままの首を沖田へ向ける。

 

 (ほんとに貴方の女だったら、いいのに)

 

 冬乃は緩慢に頷く。

 藤堂達からは、呆気にとられたようにこちらを凝視している視線を強烈に感じながら。

 

 差し出された徳利に、自身の猪口を合わせて。とくとくと注がれてゆく透明の液体を見つめながら、冬乃は息を殺して。やがて緊張した動きで、満たされた杯を目の前の膳へと置いた。

 すぐに自分の前の徳利を両の手に取って、沖田のほうへと傾ける。

 

 

 沖田が片手に猪口を持ち、冬乃に酒を注がせているところに、

 遅れて入ってきた永倉と島田が、その光景を見て小さく溜息をついた。

 

 冬乃の、伏目がちの、何故か頬を染めながら徳利を傾ける姿に、艶やかなものを感じたからに他ならず。

 

 

 徳利を置いた冬乃を、合図にするかのように、近藤が自身の手の内の杯を掲げた。

 

 「いや、じつに愉快!皆、今宵は呑むぞ!」

 

 其々に手酌や隣同士で注ぎ合った土方達が、合わせて杯を掲げる。

 近藤からの響いた声に、それまで各々で歓談していた広間の他の面々も、静まって近藤達を注目した。

 

 「「弥栄!」」

 

 そして一同。高らかに声を挙げ、威勢よく呑み干した。

 

 

 

 姦しい談笑の鳴り響く中。

 

 「さっきの、嘘だよね?」

 沖田の前にまで移動してきた藤堂が、小声で尋ねた。

 冬乃は顔を上げる。

 

 「あたりまえだろ」

 微笑う沖田の横顔を前に、分かってはいたが、ちくりと冬乃の胸内が痛む。

 

 ほーー、と藤堂のほうは息をついた。

 「よかったあ。いつのまに二人そういうことになったのかと驚いたよ」

 

 なにがよかったのか今一つ分からないが、藤堂がその屈託ない表情になってにこにこ微笑むのを見ながら、冬乃は毒気を抜かれて心中諦念のままに猪口を啜る。

 

 そういえば日本酒なんて呑んだことがない。コンビニのカクテルなら、千秋たちと互いの部屋に泊る夜はよく飲んでいたから、大丈夫だろうと、ふと頭の片隅で思いつつ、

 (日本酒ってけっこう美味しいんだ・・?)

 大人の味を理解できたような気分になって、ちょっと嬉しくなる。

 

 沖田にあっさり嘘だと否定された事は寂しいものの、一時の嘘でも“俺の女発言”を聞けただけ、幸せなのだと、

 (そう。嘘でもいい)

 幾ばくもしないうちに、思うようになってきて。

 

 (嘘だっていいから。何度でも聞かせてほしいくらい)

 

 酒の回りのせいなのか、そして愉しくなってきた冬乃は、いま沖田の隣に居られる幸せを噛みしめながら、

 先程の彼の、低く穏やかながら、制するように断言的なその声を記憶のなかに思い起こしてみる。

 

 『俺の女、ですので』

 

 そして。

 冬乃は、かあっと勢いよく頬が蒸気するのを感じた。

 

 

 「冬乃ちゃん、顔まっか!」

 

 「え」

 藤堂の声に冬乃は、手酌の猪口から顔を上げる。

 (そんな顔に出てた?)

 気まずくなって俯いた冬乃の、視界に、覗き込んできた沖田が入り込んだ。

 (きゃ)

 「ほんとだ、すごいね。大丈夫?」

 

 (え、そんな赤い?)

 反射的に再び顔を上げた冬乃の額を、沖田の手が覆った。

 「熱いな」

 

 もはや心臓が、酒で激しいのか、今ので激しくなったのか、

 加速したのか。

 

 眩暈すらして、冬乃はふらついた身を支えるべく片手を畳に付く。

 「冬乃さん?」

 

 「おお、来たか!」

 不意に近藤の声がして、沖田が冬乃からそのほうへと、視線を移動した。

 「待ってたぞ!」

 「遅えよー」

 永倉や原田の声が続き。

 冬乃も彼らの呼びかけるほうへと目を向けた先、

 煌びやかな出で立ちで、遊女たちが連なって入ってきた。

 


 (すごい綺麗・・)

 

 「沖田センセ、お待たせしてえろうすんまへんなあ・・堪忍え」

 甘ったるい声が、沖田のほうへとまっすぐに近づいてきた妓から奏でられて。

 

 「いいよ、待ってなかったから」

 「ま。あいかわらず、いけず」

 

 冬乃の額から手を離した沖田が、微笑いながら彼女を迎える。

 (・・・)

 見ていられずに。冬乃は二人から目を逸らした。

 

 近藤達の周囲からも、今入ってきた妓達との華やかな談笑が響く。

 

 「そちらの綺麗なおひいさまは、どなたはん?」

 その言葉に結局視線を戻した冬乃の前、

 すでに広間に入ってくる時から冬乃に気づいていたのか、女性の存在に驚いたふうもなく、にこりと微笑む妓の顔。

 

 「彼女は冬乃さん。組で働いてもらってる」

 沖田が間髪入れずに答え。

 

 「今夜、ちょっと彼女の面倒みてもらえる?」

 「へえ?」

 

 (この人が、露梅さん・・)

 今の沖田の依頼で、この目の前に座る美女が露梅だと確信したが、はたして沖田と深い仲の彼女を前にして、平常心で彼女の世話になれるのだろうかと冬乃は早くも不安になった。

 

 「俺は用事があって途中で帰るから、その後は一緒に部屋に引き上げてほしいんだ」

 「それやったらかましまへん。朝までたぁっぷりお世話させてもらいます」

 「やらしい言い方だな」

 笑う沖田へ、露梅がその可憐な口元に手を添えて、クスリと微笑む。

 再び見ていられずに目を逸らす冬乃に、

 「仲良ぉしとおくれやす、冬乃はん」

 露梅の鈴のような声が届いた。

 

 「なに沖田、後で用事あるの?」

 「うん、ちょっと野暮用」

 藤堂の隣にも、可愛い顔立ちの妓が侍っている。

 

 居場所が無いような気がして。冬乃は、手酌の杯に再び口をつけた。

 (やけ酒しよ)

 今日だけで何度目かの嘆息を零した冬乃に、冬乃と沖田それぞれに向かい合うようにして座っている露梅の、白粉の香りがふんわりと漂い。露梅が冬乃に手を差し伸べてきたのだと気が付いた時には、

 手にあった猪口はそっと奪われた。

 

 「だめ。そないに勢いよく呑むものやあらへん」

 

 ふらつく視界で間近に見た彼女の顔は、息を呑むほど美しく。

 

 (・・・)

 「冬乃はん?」

 

 

 ―――どんなに。

 

 沖田の傍に居られるだけで幸せだと、心から感じていても。

 その同じ心が、掻き乱される、

 

 こんなにも、

 冬乃にはどうしようもない力で。

 

 

 (もう自分で嫌になるよ・・)

 

 どうすれば奇跡に感謝するだけで、過ごせるのか。

 

 

 

 「・・顔色悪うおすな」

 

 さらに覗き込んでくる露梅から、冬乃は目を合わせられず顔を背けた。

 

 「もうお部屋行きまひょか・・?」

 

 (え・・)

 

 「いえ、まだ」

 大丈夫です。

 言いかけて、確かにちっとも大丈夫ではないのだと思い直す。

 

 かといって、いま席を抜けたら、まだ退出してない沖田の傍には露梅が居続けて、冬乃だけひとり部屋で休んでいることになるだろう。

 そしてきっと、二人はまた、もっと仲良くなるのだろうと。

 (ううん、)

 それでもいい。

 

 このまま二人を見てるくらいなら

 

 

 「すみません・・。そしたら、お部屋お邪魔させてください・・」

 言ってから。立ち上がった、

 

 つもりが。

 

 (あれ)

 

 次の瞬間、

 冬乃は、腰が砕けるように座り込んでいた。

 

 

 (立てない・・?)

 

 

 「ちょ、冬乃ちゃん平気!?」

 藤堂のびっくりした声に、冬乃は顔を上げる。

 

 もう一度、立とうとして脚に力を入れようとするのに、結果は同じで、冬乃はへなへなとその場に崩れ落ちた。

 

 「・・・呑み過ぎだね、完全に」

 沖田の苦笑まじりの声に、冬乃はもはや泣きたくなる。

 

 (そんなに呑んでいたつもりもないのに)

 恐るべし日本酒。そういえば真弓が、慣れないと日本酒は突然ガクンと酔いがまわるから気を付けて呑まないといけない、と言っていたような。

 思い出してももう遅い。

 

 (まだ意識がはっきりしているだけいいのかな)

 慰めにもならないが。

 

 「あの、もう少し立てるようになってからで大丈夫です・・」

 「なに言ってるの、待ってたらこれからもっと酔いが回るに決まってるじゃない」

 藤堂の焦った声が直後に追った。

 

 (え)

 そうなの?

 

 「もっと動けなくなるよ」

 冬乃ちゃん、お酒のまない人?と藤堂が困ったように微笑って。

 「まあ水くらいは飲んでおいたほうがいいだろ」

 沖田の提案に、露梅が手を上げて給仕を呼ぶ。

 

 

 (もお恥ずかしい・・)


 まもなく給仕が持ってきた水を飲み干し、さあどうしようかと冬乃は、確かに先程より目の前がぐるぐるするような気がしながら、考えあぐねて。

 

 そのうちにもどんどん目の前が白くもやついて、時おり火花すら見え。

 「露梅、」

 もう前が見えずに、さすがに閉口した時、露梅に呼びかける沖田の声を聞いた。

 

 「おまえの部屋、今日何処?彼女運ぶから、ついてきて」

 

 (露梅さんのことは、おまえって呼ぶんだ・・)

 些細な事ひとつひとつに、反応している自分にもはや苛つきながら、冬乃はふと力強い腕に肩を支えられたのを感じた。

 

 (あ・・)

 そのまま膝裏に腕を回された冬乃の体は、次の瞬間、ふわりと持ち上げられ。

 

 「まったく」

 貴女を運ぶのは、これで何度目かな

 沖田のそんな言葉が降ってきた。

 

 

     

         


 



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