一二. 朱時雨⑫

 

 


 島原遊郭。

 柳に縁取られて宵空へとそびえる、その大門の堂々たる姿は。煌々と篝火に照らされ、この逢魔が時の薄闇に、より煌びやかに艶美にその姿を浮かび上がらせていた。

 

 昼と夜では営業形態が違うようだが、夜になった今、人々の出入りも多く、可愛らしい禿たちが門の入口で姐の常連客を捕まえるべくうろうろしている中を縫うようにして、冬乃たちは奥へと入ってゆく。

 

 壬生を出たあたりから降り出した雨に、出かけに雲行きを見て沖田達が持ち出していた傘を差している。

 冬乃のぶんも持ってきてくれていたおかげで、冬乃も濡れることなく片手に傘を持ち、

 もはや裾を足首の位置までくるよう、帯に上側を挟み込んでいても、なお絡まる裾を残る片手に押さえて冬乃は、しずしずと歩んでいた。

 

 すれ違う男客達からは視線を感じながらも、冬乃はそれどころでなく。

 居並ぶ見世の中にみえる着飾った女性達に、目が釘付けだった。

 女性によっては、襟を半分まで落とし、肩を見せて、挑発的に少し身をくねらせた姿勢で道行く客を呼び止めている。

 

 肩見せなら、冬乃も洋服で散々していたけども、

 (それを着物でやるだけで、あんなに艶っぽくなるなんて)

 

 冬乃はちらりと隣の沖田を見上げた。

 気が気でなくて。

 だが、冬乃はすぐに首を傾げた。何故か、見世の女性達を素通りしている沖田達に。

 

 視線を寄越しすらしないようだった。

 

 (彼女達に興味ないのかな・・?)

 馴染みがすでにいるからなのか。

 

 (あんなにきれいでも・・)

 

 

 「冬乃さん、」

 

 不意に沖田に声をかけられ、冬乃ははっと沖田に視線を戻した。


 「あまり余所見しないようにして。俺たちから離れないように」

 

 「え、はい・・!」

 冬乃は慌てて前を見据え。

 

 土方ならば先程の一本道を抜けて町に入ってまもなく、とうに通り越して先に行ったが、

 冬乃の歩調に合わせてくれている三人は、冬乃を囲むようにゆっくり歩んでいるまま。

 (これじゃ目立つよね、・・それに)

 

 通りすぎる人々の視線をやっと意識した冬乃が、様子を確認してみれば、

 その好奇な視線に交じって、時折、目つきの悪い眼差しが見え隠れしていた。

 

 (あれって・・)

 

 

 新選組も隊内に間者が幾人も入るようになるほど、今や敵方に警戒されるまでになっている時期で。

 (たしかこの十日後には、隊内の間者を一掃する事件も控えてる・・)

 

 まして、組の幹部であるこの三人ならば、人相書がまわっていておかしくなく。

 

 

 (まさか、さすがにここで斬り合いとかには、ならないよね)

 

 「斎藤、」

 冬乃を挟んで沖田が、前を向いたまま斎藤へ声を掛けた。

 「別行動しようか」

 

 斎藤が僅かに頷くのを、冬乃は目の端に捉え。

 

 斎藤が俄かに歩速を上げ、前を行く藤堂に並び。

 後ろでの二人のやりとりを聞いていた様子で藤堂は、斎藤と道の右端へ逸れてゆく。

 

 

 自然を装って沖田を見上げた冬乃に、

 沖田が「寄り道するよ」と言って微笑んだ。

 

 そのまま冬乃を促すように、道の左端へ向かってゆく。

 まもなく、今夜の店の角屋と同じく、宴席を提供する場として商いする『揚屋』とおぼしき店へと、沖田はふらりと入ってゆき。

 

 連られて入ってゆくと、店の者が声を出すよりも早く、

 沖田がその者へと何か耳打ちした。

 

 その者は慌てて、傍に控えていた使用人へさらに耳打ちし、使用人は一瞬嫌そうな顔をしたものの、すぐに諦めた表情で店の外へと出てゆき。

 「礼を言います」

 沖田が小さな声で言い置いてから、「行こう」と冬乃を振り返った。

 

 外に出ると、先程出て行った使用人が、店の前で傘を手に、店前の飾りの配置を直している。

 

 (・・・?)

 

 沖田が先へとゆっくり歩んでゆくのを冬乃が追うと、

 「後ろは決して振り返らずに歩いて」

 前を行く沖田の背が言い。

 

 (振り返るな、って・・もしかして、さっきの目つき悪い人たちに尾行されてるの?)  

 冬乃が懸念する間にも、さらに沖田が別の揚屋とおぼしき店へ入ってゆく。

 

 だが今度は、

 「すみませんが、角屋はどちらの方向ですか」

 道を尋ねた。

 

 (え)

 人に聞かずとも、知っているはずだ。

 

 (・・なのになぜ?)

 

 教えてもらうと丁寧に礼をして、沖田は早々に店を出てゆく。

 またしばらくして、ひょいと店先へ顔を出し、同じ質問。

 

 わけがわからないでいるうちに、冬乃たちは角屋へとついに辿りついた。

 

 

 沖田が振り返った。

 「ごめんね、連れまわして」

 

 「いえ・・でも、あれは何を・・」

 すでに到着していた隊士達の中には、傘無しで来て水浸しになっている者もいる。そんな喧噪の合間で、冬乃は沖田を見上げておもわず尋ねていた。

 

 「俺達の尾行者を、”尾行させていた”」

 沖田のその謎な返事に。冬乃はさらに首を傾げていた。

 

 冬乃のそんな反応は見越していた沖田が続けて、

 「こちらを見張っていた輩がいたのは冬乃さんも気づいてたよね。奴らを、斎藤達と別れて、俺達の側に尾行させるようにした、」

 と説明を継ぎ足し。

 「女連れで尾行しやすいほうを選ぶことは分かっていたからね」

 

 最初に入った店の者には、とさらに沖田が前置いた。

 「俺達を尾行する輩がどの店へ帰るかまで見届け、角屋へ知らせに来てもらうようにしてある」

 だから使用人が店の外で控えていたでしょ

 沖田がそう補足し。

 

 

 (そうだったんだ・・)

 冬乃はこれまでの行動にやっと納得して、頷いた。

 

 沖田が何度もいろんな店に入っていたのは、

 冬乃たちの後ろを追う尾行者達をそのつど立ち止まらせることで、

 沖田達のさらに遠く後ろを来る、最初の店での使用人に、確実にその尾行者達を目立たせ、認識させて追わせるためだろう。

 

 

 いちいち道を聞いてみたのも、

 尾行者達が途中で段々と疑問に思いはじめて、そのうち沖田達が入った店に寄って、沖田達が何をしていったのか確認するだろうことも念頭に入れての行動だ。

 道を聞かれただけで何らそれ以上の関わりがないと分かれば、尾行者達の足止め目的に立ち寄った各店に、下手に迷惑をかけることも免れる。

 

 「じきに最初の店の使用人が知らせに来るよ。あの店はうちの組と通じているので、こういう事は心得ている」

 それから、

 と沖田が続けた。

 

 「使用人が知らせに来たら、俺は出るから、貴女は先に宴席で適当に時間を潰しててもらっていい?」

 (え・・)

 

 その尾行者達の帰っていった店に行くの?

 

 不安げに見上げた冬乃の、心の声を読んだかのように、沖田が頷いた。

 「そこに斎藤と藤堂も行ってるからね」

 俺だけ先にのうのうと呑み始めてるわけにいかないでしょ

 沖田が笑って。冬乃は目を見開く。

 

 (じゃあ、)

 あの時、斎藤達と別行動にしたのも、このため。

 

 沖田達の後ろを尾行する敵方の、その後ろを尾行する使用人の、

 さらにその後ろを斎藤達が尾行していた、ということではないか。

 

 

 そして斎藤達がそのまま敵方の帰っていった店前を張って、沖田を待つ。

 使用人がその店のありかを沖田に知らせに来た後、沖田が組の人間を引き連れて斎藤達の加勢に行く。

 

 こんな段取りを。

 あの最初の短い会話の中で済ませたというのか。

 

 

 「こんなことって、よくあるんですか・・?」

 驚きを隠せずにいる冬乃に、

 沖田が「まあ時々ね」と返してきた。

 

 「では、こんなふうに、いつも対応を・・?」

 沖田が頷いた。

 「こういう諸々の対応策は、土方さんのオハコだから」

 

 (え、てことは、)

 様々な状況に応じた対応策の認識合わせが、土方の指揮の元、組の皆の中で事前に為されているということになる。

 

 

 (なんて統制が取れた組織だろう)

 

 そして戦術の鬼才、土方ゆえに成せること。

 

 

 (あいかわらず、すごい・・)

 

 あの憎まれ口さえなければ、もっといいのに。

 冬乃は天敵土方の顔を思い浮かべながら、溜息をつく。

 

 「来たね」

 つと沖田が裏口から入ってきた先程の使用人を見とめ、呟いた。

 

 「じゃあ、ちょっと待っててね」

 

 その、散歩にでも行ってくるような口ぶりで冬乃に微笑む沖田に、冬乃は小さく頷いた。

 

 (ご武運を)

 

 使用人から話を聞き、その辺にいた隊士達を数名連れて出てゆく沖田の背を見つめながら、冬乃は胸に祈っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 「冬乃、“さん”」

 

 しかし時間を潰すにしてもどうすれば、と、沖田が出て行ってから暫し立ち尽くしていた冬乃に、声をかけてきたのは山野だった。

 

 「何で来れるんだよ、こんなとこに」

 普通、夜の遊里に女は来ないだろ

 と山野がげんなりした顔を向けてくる。

 

 「召集の場に居て着飾ってるから、まさかとは思ったけど」

 「貴方に関係ないことです」

 

 ほっといて

 と言わんばかりの眼で山野を見やった冬乃に、

 山野が肩をすくめる。

 「まだ怒ってるのかよ」

 

 (あたりまえでしょ!)

 つんと目を逸らした冬乃の視界に、

 (ん?)

 ふと、こちらにすごい勢いでやってくる男が映った。

 

 「貴女は・・!どこの店の子?!」

 

 (え)

 「蟻通さん、この女は店の女じゃないっすよ、」

 山野が少し苛立った声を出した。

 「組の使用人ですよ」

 

 「し、使用人?」

 「そうです。貴方は大阪から戻ったばかりじゃ知らないでしょうけど」

 「あ?ああ、まったくだよ、今夜のことだって、屯所に戻ったら皆して出かける支度してるから、何事かと思ったら」

 知らせておいてくれたっていいじゃないか、と、ぶつぶつ言っている目の前の男を冬乃は唖然と見上げる。

 

 (蟻通って聞こえたような)

 だとすれば、

 蟻通勘吾・・?

 

 のちに、土方と共に函館まで行き、最後まで新選組として戦った、数少ない古参隊士の一人だ。

 

 「で、こんな綺麗な子が、本当に里の女じゃないのか??」

 まじまじと見られ、冬乃は恥ずかしくなって目を逸らす。

 

 「そう、だから残念でした!」

 早く向こうへ行ってくれ、とばかりに山野が、逆毛立てた猫のような顔で言い返すのを前に、

 冬乃は困ってぺこりと会釈する。

 「冬乃と申します。よろしくお願いします」

 

 「あ、蟻通勘吾といいます・・!」

 (やっぱり)

 

 「では、冬乃さんっ、いつから組で働いてるんですか」

 乗り出してくる蟻通に、冬乃は後ずさりつつ、

 そういえばいつからになるんだっけと一瞬答えに詰まる。

 平成と幕末を行ったり来たりしていて、混乱しがちだ。

 (ええと、八・一八政変の十日後だったから、)

 「八月末からです」

 

 「そんな前から居た??」

 「あ・・働き始めてすぐまた実家へ戻っていたので、まだ日数はそんなに」

 そうなんだっ、と蟻通が呟いて。

 「実家って、どこの郷の生まれなの??」

 どこのくに、と聞かれても。冬乃はさらに詰まる。

 平成での東京だから、江戸?

 「え、えどです」

 「なんで京へ??」

 「江戸だったのか?よく半月で行って戻ってきたな・・早籠でも使ったのか?」

 

 蟻通を遮って問うてきた山野の質問に、冬乃は固まった。

 この時代、江戸と京都の往復は、普通は徒歩か、せいぜい早籠だ。馬や海路は一般的ではなく。

 とはいえ、早籠は値が張るので、使用人をしている身がそうそう使えるものではない。

 しかし徒歩ならば、男性でも平均で十日以上かかる。まして女性の足では。

 


 (あれ。でも、この人、私が未来から来たこと信じるって言ってたんだっけ)

 

 「な、なんだよ」

 急にじっと見た冬乃に、山野がたじろぐ。

 

 

 「・・・じつは未来に帰っていた、と言ったら信じますか」

 

 「「え?」」

 

 山野と、同時に聞き間違えかと声を挙げた蟻通の声が。そして見事に調和した。

 


 「・・・未来ってそういえばおまえ、それ何年後なんだっけ?」

 暫しの沈黙を最初に破ったのは山野だ。

 

 「百四十年後です」

 「・・・」

 「え、ちょっと待って、何の話」

 我に返った蟻通が割り込んでくる。

 

 「私は、百四十年後の未来から、時間を飛び越えてここへ来たんです」

 言ってて我ながら狂った話だと、情けなくなりながら、冬乃は言い切る。

 

 

 「「・・・・」」

 

 再び襲ってきた沈黙に。

 冬乃も、何もそれ以上いえず押し黙り。

 

 

 やがて、「どうしたの、この子」と言わんばかりの顔で、蟻通が山野を見やって、

 もはや苦笑する冬乃に、山野が蟻通を無視して向き直る。

 「いいよ、とりあえず俺はおまえが、どれほど先の未来から来ていても信じるから」

 

 自分で何を言っているかを山野が本当に分かっているのかは謎になるが、冬乃は苦笑ったまま「どうも」といつかの時のように返し。

 蟻通は、ぽかんとしたまま、そんな二人を見比べ。

 

 「まー、副長の部屋で頭打って倒れてたらしくて、彼女は以前の記憶がないっていう話もあるそうなんですが」

 と半ば、この場では助け船になるような事を山野が次いで言うのへ、蟻通が一呼吸おいてやっと納得したような顔になり。

 

 

 (・・・まあいいか。)

 

 「それは・・かわいそうに・・」

 

 「いえ、私なら大丈夫です・・」


 それにしたって副長の部屋で頭打ってる、ってどういう状況。と突っ込みどころが色々あるように思うが、

 そんなことは気にならなかったのか、蟻通が心底同情した表情で冬乃を見てくるので、冬乃は蟻通のその実直そうな性格に、早くも好感を持った。

 

 (山野さんと違って安心できそう)

 

 ちなみに冬乃のなかで、山野を様付けで呼んでいないのは仕方がないことである。

 

 

 「そういえば、宴席には皆様、だいぶ揃ってらっしゃるんでしょうか」

 山野たちと話している間も、続々と隊士たちが奥の間へと向かっていた。

 すでに団欒の声も聞こえている。

 

 「だな。行ってみるか」

 山野が頷いた。

 

 「あ・・私はもう少しここで」

 (沖田様の帰りを待ちたい)

 

 「ちょっと用事がありますので。お二人はどうぞお先に行ってください」

 

 山野が一瞬訝しげな顔をしたが、珍しく特に追求はしてこなかった。使用人として何か裏方の手伝いでもするのかと思いなおしたのだろう。

 

 「冬乃さん、いろいろ辛いこともあるだろうけど気を確かにね!またお話しよう!」

 蟻通が、どうやらすっかり冬乃のことを記憶喪失だと確定している様子で、気遣った声をかけてくれる。

 冬乃はにこりと返して、二人の背を見送った。

 

 

 

 沖田達が戻ってきたのはそれから少し経った頃だった。

 

 斎藤と藤堂が、表で隊士達に何か指示を出している。

 中に一足先に入ってきた沖田が、冬乃がまだ元居た場所に立っているのを見て驚いた様子で、肩にかかった雨を払いながら向かってきた。

 

 「宴席で待つのは辛かった?」

 ごめんね、と言ってくるのへ、冬乃は慌てて首を振る。

 

 ただ沖田を待っていたかった、と言うのもどうかなので、冬乃はどう返そうかと戸惑ったところへ、

 「あれ、冬乃ちゃん」

 藤堂も入ってきて、冬乃を見つけて声をかけてきた。

 

 「さっきはお疲れ!店あちこち回るの大変だったでしょ」

 「いえ」

 再び首を振る冬乃に、

 「おかげさまで捕り物は無事終わったから!」

 と満面の笑みが向けられ。

 

 「たいした抵抗もされずに済んで、一網打尽にしてきたよ!」

 そして、これまた散歩帰りの世間話のように、にこにこと告げてくる藤堂に、冬乃はもはや感嘆する。

 へたすれば命のやりとりになるというのに。沖田や藤堂にとっては、死は散歩にいくのと同じほどに身近で当たり前のものなのだろうか。

 

 (武士、なんだなあ・・)

 

 妙に切なくなって冬乃は、一瞬目を伏せた。

 それから顔を上げて。

 

 「おかえりなさい」

 沖田と藤堂の目を交互に見て、冬乃は心を込めて迎えた。

 

 

 冬乃の前で二人は顔を見合わせた。

 

 「ただいま」

 そして其々、穏やかな微笑とともに冬乃に返し。

 

 

 「じゃあ宴席へ行こうか」

 まもなく戸口から斎藤も入ってくるのを目に、沖田が促した。

           


 



 

 


 

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