一二. 朱時雨⑦

  


 よかった・・・戻れる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「総司ィィィィィィィ!!」

 

 屯所離れに。土方の絶叫が鳴り響いた。

 

 

 今しがた土方と別れて離れを出たばかりの沖田は、

 その声に驚いて振り返り。

 「どうしたの」

 急ぎ引き返して来た沖田の、目に、映ったものは。

 

 「この女ッ、つまみだせ!!」

 

 ほとんど、素っ裸で。

 例の如く文机に躓いている、冬乃で。

 

 

 「なんだってまた今回は・・すごいな」

 さすがに瞠目して動きが止まった沖田に、

 

 「早く連れてけッ!!」

 土方が外を指し示しながら叫ぶ。

 

 

 沖田はしかたなく自分の羽織を脱いで、冬乃へ近づき、

 仰向けに起こしざま羽織を被せ、両腕に抱き上げた。

 

 「ったく、こいつはいったい、何なんだ!?」

 

 土方はキレている。

 当たり前だ。部屋へ帰ってきたら、

 また断りなく行方を眩ませていた冬乃が、またしても土方の部屋で今度はよりによって、とんでもない姿で倒れてたのだから。

 

 「ん・・」

 そんな事態も知らず。沖田の腕の中で、冬乃が何故か幸せそうな笑みを浮かべて小さく身じろぎした。

 何か楽しい夢でも見ているのだろうか。

 

 (呑気だなあ)

 冬乃を見下ろして沖田は失笑する。それにしても、このまま屯所を横断するわけにもいかないだろう。

 沖田はひとまず女使用人部屋へ運ぶことにした。

 

 「そいつが目覚ましたら、服着せてもう一回連れてこいッ」

 「了解」

 飛んできた土方の命令を背に、沖田は小庭へ出た。

 

 

 

 この匂い。

 爽やかな。あのとき感じた、

 (沖田様の・・)

 冬乃はうっとりと溜息をついて。

 

 (なんか温かい)

 ここは・・・?

 

 

 そう思った刹那、背にひんやりと受けた感触に。

 

 冬乃は目を見開いた、

 

 すぐ目の前に。

 沖田の顔があった。

 

 (え)

 

 沖田も驚いた様子で一瞬目を見開いて。

 「・・起きましたか」

 その言葉に冬乃は目を瞬かせた、

 同時に、

 首肩と膝裏から、温かな硬い感触が抜き去られたのを感じて。

 視界の端にも映ったその動きで、それが沖田の両腕であった事と、

 畳の上に寝かされたのだという事と、

 そして。

 自分が今、肩から胸前を剥き出しにして、羽織一枚の下に居る、という事に。

 

 ・・気づいて。

 

 

 「きゃああぁ・・ンッ!!」

 叫びかけた冬乃の口は、咄嗟に沖田に塞がれた。

 

 「落ち着いて」

 騒がないで。

 沖田が冬乃の口元をその大きい手で塞いだまま、囁く。

 冬乃は、状況が読めず、目を白黒させて。

 (どういうこと)

 必死に記憶を辿った。

 

 あの時、千秋が叫んで、そしたら霧が目の前を覆って・・


 幕末に戻れるんだと。

 

 でも目を開けたら、

 

 (なんで、裸??)

 

 

 向こうで冬乃は下着を外していた。目の前に急速に広がった霧に驚いて、両目を擦ろうとして膝上に下着を落としたことも思い出す。

 つまり、あの時、冬乃は下着を着けなおしてはいなかった。

 (そのままで、ここへ戻ってきたから、)

 裸のまま、ていうこと・・?!

 

 呆然と固まった冬乃に、沖田が、落ち着いたと思ったのかその手を退かして。

 冬乃を見下ろしたまま微笑んだ。

 

 「おかえり」

 と。

  


  


 (え?) 


 「・・・もしかして、・・また日数、経っていたりするのでしょうか・・」

 おかえりと言われるからには、ついさっき倒れたなどの話ではあるまい。

 恐る恐る尋ねた冬乃へ。

 「もちろん経ってますよ。十五日程」

 沖田の苦笑した声が返り。

 

 (・・・・やっぱり)

 

 たった数時間、向こうで過ごしただけなのに。

 冬乃は胸中溜息をつく。

 

 「また”未来”に帰ってたんでしょう?」

 沖田が微笑った。

 ほかに冬乃が言える理由など無い事を分かってくれているようだったが、

 「まあ、土方さんがそれを受け入れるかは、分かりませんがね」

 続いたその言葉には、冬乃は困って。

 

 胸元を押えながら起き上がり、冬乃は、沖田を向いた。

 「土方様、怒ってますよね・・」

 聞くまでもなさそうな事だった。

 組に置いてもらえるようになったばかりで、いきなりまた十五日近くも行方不明だったなら、怒って当たり前だろう。

 

 沖田が冬乃の押さえられた胸元を一瞬見やって、

 「とりあえず服を着ましょうか」

 と立ち上がった。

 「今、八木さん家から貴女の行李をもらって来ますから、服を着たら、一緒に土方さんのところへ行って謝ってみましょう。また文机に倒れていた事も含めて」

 

 冬乃は顔を上げた。

 「有難うございます・・毎回ご迷惑おかけして、ごめんなさい」

 言いながらも最早恐縮して、また頭を垂れる。

 沖田が出ていき襖を閉める音を耳に。

 

 冬乃は手に握り締めた羽織に、ふと、注目した。

 

 (そういえばコレってもしかして沖田様の?!)

 

 紋が入ってはいないが、それなりにしっかりした手触りで。慌てて、握っていた箇所が皺になってないか確認し、大丈夫そうだと安堵しながら、

 

 (うー・・)

 沖田のであるなら、おもわず羽織に顔をうずめたくなる。冬乃はそんな衝動を慌てて我慢して、せめて胸元に、そっと再び抱き締めた。

 

 (お世話になってばかり・・)

 本当に有難うございます

 羽織を抱き締めながら胸に呟く。

 

 それに、八木家に冬乃の行李を残しておいてもらえたのだと。沖田のことだから、彼がもしかしたらそのように取り計らってくれたのではないか。

 

 (そういえば何で、なぜ裸なのかと聞かれなかったんだろ?)

 また文机で倒れていたことを何故と問われるのと同じくらい、冬乃にはそもそも理解できない事象であり、聞かれたとて正解を答えられそうにはないのだが。

 

 とりあえず、こちらでの服装は関係なく、平成での服装如何がそのまま、こちらに戻ってくる時に影響するらしいことは、これで分かったものの。

 

 

 「冬乃さん、開けますよ」

 まもなく沖田の声が襖の向こうから聞こえ、

 「はい!」

 冬乃は声を上げた。

 

 襖が開けられ、入口付近に沖田が行李を置く。

 「着替えたら出てきて」

 そう告げると、また襖を閉めた。

 

 「はい、有難うございました」

 冬乃は襖の内から答えた。

 

 

 行李を開け、一瞬惑ったが仕事着を取り出して、着込んでゆく。

 帷子はまだ一度も袖を通していなかった。

 尤も着る機会などあるのだろうかと冬乃は疑いつつ、沖田と買い物に出た時に買ってもらった太物も、もう少しすれば仕立てられて届くはずだと思い起こす。

 

 (帷子、やっぱり着てみたいな・・)

 着付けもわからないのに、着てみたいも何もあったものではないが。

 (お孝さんに教えてもらっちゃおうか)

 ふと冬乃は思い立って、行李はこのまま女使用人部屋のほうへ置いておくことにした。

 

 着替えを済ませて、羽織を畳み、冬乃は襖を開けた。

 「お待たせしてすみません」

 「じゃあ行こうか」

 「はい。あ、この羽織・・ありがとうございます」

 沖田が頷き、手に受け取った羽織を着ながら小庭へと降りてゆく。

 やはり沖田の羽織であったことにおもわず相好を崩しつつ、

 沖田を追って、小庭伝いに土方のいる副長部屋へと向かいながら、冬乃は溜息をついた。

 (新選組、追い出されないといいけど)

 

 

 「土方さん、入りますよ」

 土方の部屋の前で沖田が声をかけながら許可を聞くでもなく、もう襖をすらりと開けている。

 そんな沖田に、何か文句を言いたげに土方が一瞬口を開けたが、隣の冬乃を見て、すぐに表情を変えた。いや、いっそう険悪な表情になったのだが。

 

 「おまえ、今回はどこへ行っていた」

 

 「・・・・・・未来です。長く空けてしまい申し訳ありません」

 ものすごく間延びした呼吸を置いて漸う答えた冬乃に、

 土方はぴくりと眉を上げたものの、冬乃の返答は予想していたのか今回は怒鳴り返してはこなかった。

 そのかわり、信じているわけでは決してない様子で、その瞳を怒らせたまま冬乃をじっと見やり。

 

 「何故、裸だった」

 次いで渡された質問に、冬乃は困って目を逸らしながら、

 

 「すみません、よくわからないんです。未来で裸になってると、こちらに戻ってきた時もそうなるみたいです・・」

 言いながら冬乃はあることに気づいて、さらに別の意味で困った。

 

 (そういえば、私これからずっとノーブラってコトだよね?!)

 

 先程はとにかく急いで着替えようとして、そのまま着込んでいったので深く考えなかったが、

 この先もずっとこの状態で過ごすというのは、辛くないか。

 

 (って、この時代じゃ当たり前なのか)

 

 慣れるかな?

 冬乃は戸惑いつつ、土方に視線を戻すと、

 土方はあいかわらず疑わしげに冬乃を見ていた。

 

 「てめえ、ふざけんなよ」

 そんな、全否定を置いて。

 

 「それは俺が、未来からきたというおまえの戯言を信じる前提での話だろう」

 「っ・・でも、本当に他にお答えできることなんて、」

 「俺をからかってるのか」

 「違います!」

 「冬乃さん、」

 不意に後ろにいた沖田から呼びかけられ、冬乃ははっと振り返った。

 

 「未来から来たかどうかは、さておいても、」

 沖田が懐手のまま、襖に軽くその背を凭せ掛け。

 

 「べつに貴女は好きで裸でいたわけでもないだろうから、三度も土方さんの部屋で倒れていた事も含め、貴女の意志でどうこう出来る事では無いのだろうと思ってますが、・・違いますか」

 「仰るとおりです・・!」

 沖田の言葉に、冬乃は間髪入れず頷いて。

 

 「ならば、彼女に訳を聞いても詮無い事でしょう、土方さん」

 どうやら。助け船を出してくれたようだと。

 

 (そっか・・)

 これが、冬乃を信じようとする方向で物事を考えてくれる沖田と、信じない方向で考える土方との違いなのだ。

 

 (沖田様がいてくれて本当によかった・・)

 

 フン、と土方が鼻を鳴らし、

 「てめえは女に甘えからな」

 冬乃が瞠目するような台詞を吐いた。

 

 (・・それって、沖田様がこれまで関わった女性にも優しかったってことだよね)

 沖田にこれまで優しくされたであろう女性たちに、早くも嫉妬心が沸いてしまい、冬乃は閉口する。

 

 (聞かなかったことにしよう)

 

 「しかしこの女の意志でないなら、誰の意志だ」

 続いた土方の言葉に。

 冬乃は顔を上げた。

 

 未来から来たのではない、という前提なら。

 たしかに土方の言うように、誰かが冬乃を裸にし、土方の部屋へ三度目の放置をしたということになる。

 

 それもそれで変な話だ。

 

 「随分とおかしな野郎がいたもんだな」

 土方も同様の事を考えたらしく、そんなふうに嘲笑って。

 

 「・・・本当に私の意志に関係なく、突然未来へ帰されたり、こちらへ戻されたりするんです。どうか、信じてください」

 声が弱弱しくなった。でも冬乃にはそれしか言いようがない。

 

 

 土方の怒ったような呆れたような表情の後に、つと、試すような表情が、続いた。

 

 「ならば、もう一度だけ聞いてやる。次に起こる事を当ててみろ」

 

 

 ・・これは、チャンスとして素直に受け取っていいのだろうか。

 冬乃は、おもわず目を瞬かせ。

 「今日って、・・何日ですか」

 尋ねていた。

 

 

 「九月十六日」

 

 土方の、

 その返答に。

 

 

 

 冬乃は息を呑んだ。

 

 

 

 

 


 (・・今日が)

 

 芹沢が、夜更けに八木家へ忍び入った土方達によって、暗殺される日。

 

 どうせなら、もう一日くらい後に、ここへ戻ってこれなかったのか。

 奇跡の神様の悪戯は、度が過ぎる。

 

 

 土方がじっと冬乃の言葉を待っている。

 冬乃が言えることは、ひとつ。

 

 「今夜、」

 

 ぴくりと。土方の長い睫毛が揺れた。

 

 

 「島原で宴席を設けてますね?」

 

 

 「・・・」

 

 土方の視線が冬乃から外れて、後ろの沖田へ向かった。

 

 「俺は何も教えてませんよ」

 すぐに沖田の声が後ろから返って。

  

  

 「土方様」

 冬乃は静かに息を吐いた。

 

 

 今夜は、八木家に居てはいけない。

 

 

 「私も、宴席へご一緒させてください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冬乃を女使用人部屋へ帰し、土方は、部屋へ留まらせた沖田に体ごと向き直った。

 

 「あの女、」

 

 二度目だ。

 冬乃の台詞に土方が、こうまで心臓を突かれたのは。

 新見の件を仄めかすような、蔵での返答と。今回と。

 

 「まさか本当に未来から来たなんてこたぁ・・ねえよな」


 「今回で俺はだいぶ信じそうになってますけどね」

 沖田が微笑った。

 

 「それにさっき貴方も見たでしょう、彼女の肌着を」

 「ああ、変な湯文字を着けてたな」

 

 ほぼ全裸だった冬乃だが、腰回りにだけ奇妙な褌のような、小さな肌着を着ていた。

 「あれだって、恐らく今の世の物ではない。俺たちが知らないだけかもしれませんが」

 「・・ああ、俺らは、高貴なお方々の湯文字ならば見たことねえから、或いは知らないだけかもしれねえ。が、そういう存在が、わざわざ俺たちのところへ来ること自体無え。まして裸で」

 とすれば、

 「まずは素直に、この国の一般的な湯文字では無えってことに着目するほうが自然だ」

 「だが彼女は、この国の言葉を話している」

 沖田が促すように添えた。

 「そこだ。顔も異国のものじゃねえ」


 つまり、この国の人間でありながら、

 『すくなくとも今の』この国ではおよそ使われないような物を身に着け、

 

 「隊名の件と、今夜の宴席の件、これで二度」

 未来を言い当てた。

 

 島原での今宵の宴席は、芹沢一派を泥酔させるべく土方達が設けた、組挙げての総会である。

 芹沢達を警戒させぬために、できるかぎりの大人数で行うため、夜は屯所が手薄になる。ゆえに組総出であることを外部になるべく流出させぬよう、今の時点で未だ隊士達には知らせてはいない。

 知るのは幹部だけだ。

 それを冬乃が、すでに知っていた。

 

 

 「つまり、本当に未来から来た・・ってんじゃ、ねえよな・・・」

 

 土方は呆然と。先ほど吐いた台詞をもう一度、繰り返していた。

 

 

 「・・・もし、そうならば」

 今夜の暗殺の計画も、当然知っているだろう。

 

 土方は底光る眼で沖田を見据えた。

 

 「あの女と、」

 芹沢達を

 「近づけるなよ」

 

 

 「ええ。まあ、心配はしてませんがね」

 「だが万一ってこともある」

 「はい。今日一日はずっと見張っておきますよ」

 沖田は背を返し、部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冬乃は困っていた。

 

 

 (あの場で咄嗟に、宴席に連れてってとか言っちゃったけど)

  

 島原は遊郭だ。

 そんな場所に、女の冬乃が、どんな顔して行けばいいのか。

 着ていく服すらわからないというのに。

 

  

 だいたい、考えてもみれば。宴席で、恐らくは皆がとんでもない『どんちゃん騒ぎ』をしている中に、ずっと居続けなくてはならないのだ。

 

 それこそ、沖田達が、酔いが回りすぎて先に帰ることになるだろう芹沢達を追って同じく席を立っても。冬乃は沖田についていくこともできず、ひとりでずっと。

 

 

 (どうしよ・・自信なくなってきた)

 

 

 だが、どうしても。

 (私が八木家で、今夜、寝てるわけには)

 

 沖田達に配慮したから、というよりは、

 

 

 (暗殺の場面になんて居たくない・・・!)



 

 

 

 「冬乃さん、入って平気?」

 襖の向こうからした沖田の声に、冬乃ははっと顔を上げた。

 「はいっ」

 

 行李の中がひっくり返されている状態を

 入ってきた沖田が、少し驚いた様子で一瞥し。

 

 「あ、今夜着ていくものを探してて」

 冬乃は恥ずかしくなって囁く。

 

 沖田が後ろ手に襖を閉めながら、

 「その今夜の宴席ですが、」

 そんな冬乃を、いつもの優しい眼が見下ろした。

 

 「貴女がついてくると言ってくれて助かりました。屯所は手薄ですから、貴女を留守番させるのも心配だった」

 

 本当は。

 そんな理由でないことを

 冬乃は分かっているだろうと。

 

 そう探りを入れるような眼で、

 沖田が冬乃を見ていることを

 冬乃もまた分かっていても。

 

 

 (私はいつもどおりに、何も言わないですから・・安心してください)

 口にはできないまま。冬乃は沖田へと、胸内でそっと告げた。

 

 

 なにか察したように沖田の眼が、また常のように、ふっと微笑った。

 

 「それと、露梅に貴女の世話を頼むことにしますので。私は夜には所用で帰りますが、遊女の入り乱れる宴席に、貴女だけひとり残っていろというのも、可哀そうかと」

 継いだ言葉に、冬乃のほうは少し強張った。

 

 「露梅・・?」

 「私の馴染みです」

 

 

 ・・・馴染み、

 つまり、深い仲になっている遊女ということ。

 

 

 (お馴染みさんくらい、いるとは思ってたけど・・)

 

 実際聞くと、やっぱりかなり辛い。

 

 「・・、お気遣いすみません」

 そのまま冬乃はうなだれたが、沖田にはただ頭を下げたように見えたのだろう。

 「これくらい何でもないですよ」

 

 冬乃は黙って頷いた。

 

 

 「もう衣替えが過ぎてしまったから、着るものがまた無いでしょう」

 つと渡されたその言葉に、だが冬乃は顔を上げた。

 

 (衣替え?)

 

 今は九月中旬。

 そういえば江戸時代の旧暦の九月中旬は、平成の新暦においてはすでに十月終盤の季節なはず。

 どおりで、いま作業着だけでは肌寒いわけだ。

 (秋は半月も経ったら、気温かわるもんね・・)

 

 「仕立ての袷が届いても、もう季節外れだな、」

 沖田が何か思案している様子だった。

 「綿入れと褞袍も追加で買いに行きましょう」

 

 わたいれ?どてら?

 「って、・・あの、それは何でしょうか?」

 

 冬乃が聞き返したことに、沖田が驚いた様子だった。

 

 「貴女の未来では、着ていないのですか」

 「あ・・わかりません、私が知らないだけかもしれないです」

 

 「聞いてませんでしたが、貴女はいったい、どのくらい先の未来から来たんです?」

 

 沖田から返されたその質問に、冬乃は細く、息を圧し出した。

 

 「百四十年後です」

 

 どんな反応をされるかと。不安になりながらそして答えた冬乃に、

 だが沖田はその澄んだ目を見開いた。

 

 「それはすごいな、」

 そんな、感嘆した声を挙げ。

 「とうに数度は生まれ変わっている頃ですね」

 と。微笑うのへ。

 (え?)

 今度は冬乃が目を瞬かせる番で。

 

 「私は到底・・、解脱など出来ないだろうから、確実にその頃には何かに生まれ変わってるだろうな」


 げだつ・・?

 (て、何)

 

 なんだか今日は知らない言葉がたくさん出る。

 

 ・・・それに、今の沖田の目に、一瞬奔った色はまるで。

 

 

 (すごく、悲しそうにみえたのは、気のせい・・?)

 

 

 今夜のことがあるから・・?

 

 今夜、芹沢達を手にかけること。

 切腹ではない、暗殺という、いってみれば卑劣な方法で。

 沖田が全く何もその心に思わないでいるわけではないはず。



 話は只の派閥争いではない。

 守護職から近藤達へ、内々に始末するよう下知がおりるほどの、芹沢や新見の目立ち過ぎた横暴なふるまいは、

 だが、当然なにもその全てが私欲からくるわけではなく、

 

 幕府に反する長州方を擁護していた商家へ、みせしめという制裁であったり、軍資金の調達であったり、彼らには彼らの意義と信念があった。

 それでも、その手段は、認められることがなく。どころか守護職の立場を辱めた者として、今夜、芹沢一派はその命を『死刑』として終えさせられる。

 

 (この先に水戸の天狗党がむかえる運命と同じ・・。まして芹沢様の場合は、誰か民を殺めたわけでもないはず、なのに)

 

  

 誰かの譲れない理の下に『死刑』が行われる。

 天誅と称して京に蔓延る幕府要人暗殺も、

 それを取り締まる新選組も。

 

 幕末という動乱の世は。

 互いの信念を懸け、そうして殺し合う、

 異常な時代。

 

 (沖田様は、・・・そのことを或いは)


 冬乃は沖田を見上げた。

 

 

 よく笑い飄々として、常に威風堂々と構えて動じず。沖田のその姿はまるで何か俯瞰しているようでもある。

 

 彼が何を思うのか、

 先の一瞬の表情はそこに跡形もなく。見上げた先に、もう冬乃は何も見取ることは無かった。

 

 




 

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