一二. 朱時雨③



 まもなく小庭から、夜虫の合唱が本格的に聞こえ出した頃、

 冬乃はようやく立ち上がって。

 

 そして。だんだん怒りが湧いてきた。

 

 

 (なんなんだあの男は?)

 

 人のコト襲っておいて、謝りもせず。逆に宣戦布告してきた。

 (何様??)

 

 小物を片付け終えて、行灯の火を吹き消す頃には。

 怒りも沸点に達していた。

 

 「絶対、モノになんかにされないから!!バカ!!」

 

 煙の匂いを背に、誰もいない建物の中で。勢い余って冬乃は叫ぶ。

 

 

 (・・・いますぐ)

 

 なぜか無性に、

 

 

 (沖田様に逢いたい。)

 

 

 

 それは冬乃の意識を蹂躙する好きでもない男の存在から、逃れ、どころか掻き消してしまうための渇望なのか、わからない。

 

 ただ、只。いま逢いたくてたまらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冬乃は、八木家の離れの数歩手前で、立ち止まった。

 

 (来ちゃった・・ほんとに)

 

 

 我ながらすごい衝動的だ。

 冬乃は自嘲する。

 

 (やっぱこんな、突然来るとかだめだよね)

 理性に働きかけてみるものの。

 

 (でも、・・逢いたいよ)

 ほんの少し前、急激に込みあげたその想いは、今なお溢れるばかりでとめどなく。

 

 (・・・いい、顔見れたらすぐ帰れば)

 

 あっさり理性の敗北を許して、冬乃は、

 こころのままに残りの数歩を縮めた。

 

 

 この離れの出入口は縁側であるために、庭先から覗くような状態になりながら、

 いざこうして決意してみると今更、どんな口実を掲げたらいいか考えておかなかったことをちょっと後悔した。

 

 (洗濯物うけとりに参りました、とか変だし)

 夜である。洗濯はおかしい。

 

 (皆様お夜食いかがですか?よかったらお作りします)

 

 んー

 これでいいや。

 

 

 投げやりになりながら冬乃は、縁側へ上がると膝をついた。

 

 予想はしていたが。

 冬乃が声をかけるよりも早く、すらりと内側から障子は開かれた。

 

 「誰かと思えば、冬乃さんか」

 「あ」

 永倉だった。

 

 「どうされた」

 「はい、夜分にごめんなさい。その、」

 言いながら、部屋の中へさりげなく視線を走らせれば、そこには誰もおらず。

 

 (んん?)

 「あの、皆様は・・」

 

 「さあ、風呂行っていたり、仕事に出ていたりだろな・・そろそろ、ぼちぼち戻ってくるとは思うよ。誰かに用?」

 

 「ええ、いえ、皆様にお夜食でもご用意しようかと・・」

 言いながらやっぱり変だったのではと思うものの、何を言おうとも不自然には変わりないかもしれないと冬乃は腹を決めて言い切ると、

 

 「そりゃあ嬉しいな」

 案外に受け止めてもらえた反応が返ってきた。

 

 冬乃はちょっと罪悪感をおぼえつつ、

 「はい、もし皆様そろそろお戻りでしたら、作って持ってまいりましょうか」

 と突き通してみる。

 

 「いいね、よろしく頼むよ」

 

 「はい・・!」

 

 斯くして。しっかりと口実を作れた冬乃が、厨房まで飛んで帰ったのはいうまでもなく。

 

 

 

 (おむすび、でいいよね)

 厨房内の小さな井戸場で何度も手を洗ってから、夕食の炊き飯の残りをおひつから出してざるに入れ、張ったお湯に通し、お孝が見せてくれた要領で冷えたごはんを温める。

 (梅干しと、・・昆布を醤油とみりんで煮たら即席佃煮になるかな)

 

 さっそく、細切れにした昆布を火にかけて。

 (この後、沖田様に逢える・・)

 ふと思えば、すでにそれでもう先程の怒りなど、だいぶ心の片隅へと押しやっていたことに気づいた。

 

 (すごい)

 逢いもせずに、もうこんな落ち着けてる

 

 (沖田様効果、絶大)

 

 とはいえ逢いたいままなことに変わりないので、冬乃の夜食作りは止まらないのだが。逢いたいがためにここまでしている自分に苦笑しつつも。

 

 

 塩とお酢と海苔を用意しているうちに、醤油の香ばしい匂いが厨房いっぱいに広がった。

 

 (なんか私まで食べたくなっちゃう)


 「良い匂いがする!」

 そこに顔を出したのは原田だった。

 

 手拭いの入った桶を持っているところを見ると、風呂上りだろうか。

 

 「原田様、こんばんは」

 目を輝かせている原田にくすくす微笑ってしまいながら、冬乃は挨拶して。

 

 「後ほど皆様の離れまでお夜食お持ちしようと思ってお作りしてるところなんです。原田様もよろしければ召しあがってください」

 

 「いやっほい!!」

 「なになに」

 間髪入れず喜びを表した原田の後ろから、ひょいと藤堂まで顔を出した。

 「お、冬乃ちゃんじゃない」

 「こんばんは藤堂様」

 藤堂の優しい笑顔につられて微笑み返しながら、冬乃は挨拶する。

 

 「なに作ってるの?」

 「おむすびです」

 「へえ、夜食?」

 「俺たちに用意してくれてるんだってよー!」

 原田が横から嬉々とした声で叫んだ。

 

 (原田様って大きな子供みたい)

 その可愛さにもう満面に微笑んでしまいながら、すっかり煮立った昆布を火から下ろす。

 全て揃ったところで、もう一度しっかり手を洗ってから冬乃が握りだすのへ、原田たちが興味深そうに覗きこんできた。

 

 「握り飯に入れてるそれって何?」

 「昆布ですよ」

 「へえ・・!じゃあこの梅干しも?」

 「え?」

 「梅干し入れた握り飯って昔の本で読んだことあるよ俺」

 「ああ、兵糧用だっけ。俺も、実物、初めて見る」


 (そうなの!?)

 冬乃はおもわず手を止めて、二人を見た。

 

 江戸時代のおむすび事情をそういえばよく知らない。

 具入りのおむすびは、まだこの時代には一般的でないのだろうか。

 

 「でも美味しそう」

 「うん、すげえ楽しみ」

 

 (私いま、おむすびの歴史を改変した・・?)

 ちょっと焦りながら、冬乃は手元の昆布佃煮にぎりを見やる。

 

 (なんかスミマセン)

 誰に対してともなく謝っておき、ひとまず開き直って作業を続けることにした。                

 

 

 

 

 



 四口ぶん程度の小ぶりで二種類ずつ、人数分を用意して冬乃は、流し場を急いで片付けると、

 ずっと隣で談笑しながら待っててくれた原田たちを向いた。

 

 「お待たせしました。お茶って、離れにご用意ありましたっけ」

 「あー、あるある」

 藤堂がにこにこ答える。

 

 「では、おむすびだけお持ちしますね」

 「おうよ!」

 原田が満面の笑みで答えた。

 

 

 

 三人並ぶようにして屯所の中を横断してゆく。

 屯所の外周りにこの時間おかれている篝火の明かりが、朧ろに冬乃たちの位置まで届いていた。

 

 「皆様、お戻りになってるでしょうか?先程伺った時は、永倉様しかいらっしゃらなかったんです」

 「戻ってるんじゃない?あ、島田さんと井上さんは夜番かな。そろそろ帰ってくるだろうけど」

 藤堂が答える。

 「局長たちはまた黒谷に出かけたのを見たよ。こっちもそろそろ帰ってくると思うけど」

 黒谷とは金戒光明寺のことで、京での会津の本陣である。

 

 「あとは・・、あいつらも、そろそろ風呂出てるんじゃないか」

 あ、沖田と斎藤のことな、と原田が補足した。

 

 「あいつらは俺たちより後に風呂入ってきたから、それまで道場で稽古でもしてたんじゃないかな」

 沖田の名前が出て、どきどきしている冬乃に、知る由もない原田が呟く。

 「しっかし、あいつら、よくやるよな。二人揃って非番の日なんか、朝からいつまででも打ち合ってっからなー」

 「うん、ほんと根っからの剣術馬鹿だよね」

 

 (やっぱそうなんだ)

 冬乃は嬉しくなって微笑ってしまう。

 

 (拝見したい。お二人の稽古)

 

 実際、その場を迎えたら、

 (感動しすぎて、たぶん泣くけど。)

 


 「お、噂をすれば」

 

 不意に響いた藤堂の声に、はっと冬乃は藤堂の視線を追った。

 

 (あ・・)

 

 風呂上りの着流しで、腰に一本差しの状態の沖田と、

 その横に並ぶ、きちんと袴までつけて二本差しの斎藤とが、

 冬乃の目に映って。

 

 斎藤が、風呂上りでも既にきっちりと身を整えているさまにも、おもわず感動しながら、

 冬乃は隣の沖田の、初めて見る姿に、

 

 釘付けになってしまった。

 

 

 (着流し・・・)

 

 こちらに気づいて、二人が近づいてくる。

 沖田達の視線が、冬乃の手に持たれた盆へと注がれる中。

 

 冬乃の視線は、おもいっきり沖田の着流し姿に注がれていた。

 

 

 沖田は、その高い背と、広い肩幅に引き締まった顔立ちとの対比で、大分着痩せして見せているようだが、

 鍛えられた沖田の逞しい身体は、こうして着流すと、襟の合間の分厚い胸筋や、歩くたびに覗く逞しい脹脛までは隠せない。

 

 (倒れそう、私)

 

 

 「冬乃ちゃん・・?」

 

 「え、あ、はい!」

 「動き止まってるよ」

 藤堂が何か気づくものがあったのか、苦笑しながら覗き込んできて、

 冬乃は大慌てで顔を上げた。

 

 「あのっ、お二方もお夜食いかがですか?」

 

 「いいね」

 「有難い」

 冬乃の前で、沖田と斎藤が答える。

 

 改めて冬乃は、沖田の顔を見上げた。

 

 

 (逢えた・・)

 

 同時に、ここに至るまでの切望感や、先刻の出来事が、冬乃の胸内を駆け巡り。

 ほっとする想いに強く押される冬乃に、

 「どうしたの」

 沖田が微笑んで。

 

 「そんな泣き出しそうな顔して」

 

 「え」

 自分は一瞬にそんな顔をしていたのだろうか。

 冬乃は急いで首を振った。

 「よろしければ、おむすび冷めてしまう前に、・・」

 ごまかすように、皆を見回して促してみせる。

 

 「そうだ!急ごう!」

 原田が真っ先に声を挙げて、なんと駆け出した。

     

 

 

 (ええ?!)

 あっという間に遠ざかる原田の背を冬乃はぽかんと眺めた。

 

 「ぶっ、原田さんだけ急いでも意味ないのに」

 藤堂と沖田がほぼ同時に噴き出す。

 

 「追いかけましょう・・」

 冬乃は呟いた。こうなっては、原田の情熱を無駄にもできまい。

 盆には四角皿を被せて上から押さえているから、走ったとて、おむすびが飛んでいくこともないだろう。

 冬乃は、脚が絡まないよう、片手で着物の裾を前もってくつろげた。

 冬乃の掛け声に、というより冬乃の行動に、沖田達が驚いて見やる。

 

 「では」

 「え、って冬乃ちゃん?!」

 そのまま原田を追って駆け出していく冬乃に、男達が慌てて追いかけ出した。

 

 結局、皆して屯所内から八木邸内を疾走して横断し。

 途中すれ違った隊士たちに、ぎょっとされたものの、無事に八木家の離れまで各々辿りつく頃、

 先に着いていた原田が振り返り、疾走してくる冬乃達を目にして大笑いしたところへ、永倉が障子を開けた。

 

 「おいおい何事だ?」

 「おう、ただいま新八っちゃん!」

 原田が障子のほうを振り返って、出てきた永倉に片手を上げつつ、まだ笑っている。

 「冬乃ちゃん、健脚だね~!」

 藤堂の感嘆した声が、原田の笑い声に交じった。

 「たいしたものだ、その着物でそれだけ早く走るとは」

 無口の斎藤にまで褒められて、冬乃は息をきらしながら嬉しくなって微笑んだ。

 冬乃の足腰の強さは勿論、長きにわたる剣の稽古のたまものである。

 

 「なんだおめえら、やかましい」

 帰っていたらしく土方が顔を出した。その後ろから近藤と山南も覗く。

 「おかえりなさい近藤先生、山南さん、土方さん」

 沖田がそれぞれに声をかけた。

 「おう、ただいま。しかし、どうしたんだ皆」

 「おむすび、冷めないうちにお持ちしたんです」

 近藤の問いかけに、冬乃がにっこりと答えた。

 

 

 

 

 狭い部屋に、皆で輪になって座りながら、夜食を囲む。まだここにいない島田と井上のぶんは取り分けてある。

 

 輪の外でお茶を用意してから立ち上がった冬乃に、

 「冬乃ちゃん、ここ座って!」

 藤堂が何故か、藤堂と沖田の間を叩いて声をかけてきた。


 まさか藤堂には、冬乃の沖田への恋慕が、すでにお見通しなのだろうか。

 おもわず頬を紅潮させてしまいながらも冬乃は、ありがたく藤堂と沖田の間に滑り込んだ。

 

 「この握り飯ね、具が入ってるんだよ!」

 「そうそう!」

 藤堂と原田がにこにこと宣伝する。

 「具だと?」

 土方が訝しげにおむすびを見やり。

 「お口に合うかわかりませんが、・・よろしければ召し上がってください。おひとり二つずつご用意してます。こちらが梅干し入りで、」

 二つの皿それぞれを差して、冬乃は解説する。

 「こちらのほうが昆布入りです」

 「・・へえ」

 隣で沖田が感心したような声を挙げた。

 「いただきましょう、先生。土方さんも、そんな食わず嫌いな顔してないで」

 「うん、いただこう」

 近藤がにっこりと微笑んで、さっそく梅干しのほうへと手を伸ばした。

 それを皮切りに皆もそれぞれ手を伸ばし。

 

 「毒なんか入ってねえよな」

 皆が手に取ったなかで、土方がじっと冬乃を睨んで訊ねた。

 「入ってませんから・・」

 冬乃がもはや失笑して返す。

 「なら俺が毒見!」

 戯れて原田が真っ先に口へ放り込んだ。

 もぐもぐと数回、

 途端。

 「うめーーーーー!!!」

 叫んだ。

 

 「おお」

 近藤がそれを受けて、続けて手にしたおむすびを食して。

 「本当だ、すごく美味いよ」

 おまえも食べろ、と土方を向いて。

 近藤に促された土方は渋々、手に取った。

 

 皆の視線がおもわず注がれる中、土方が一口食べ。そして二口。

 「・・・美味えじゃねえか」

 ぽつり、呟いた。

 

 (やった!)

 冬乃が胸内でこっそりほくそ笑む。

 

 「いただきます!」

 皆が一斉に食べ始めて。

 皆が美味しいと賞賛してくれる中、

 「美味しいですよ、ありがとう」

 沖田もにっこりと冬乃に微笑いかけ、冬乃は嬉しさを隠さず、ぺこり会釈した。

 

 (また、作ろ。)

 おむすびの歴史を改変したことは、この際、奇跡の神様に許してもらおう。

 冬乃は溢れる笑みのままに茶をすすった。

 

 

 

 




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