十一. 朝に②
「さてと。まだ朝は早い。もう少し寝てても大丈夫ですよ」
物音で起こしてしまったかな
と。
冬乃が寝衣に羽織っただけの状態なのを気にしてくれたのか、ふと沖田がそんな台詞を言って。
冬乃は目を瞬かせていた。
「そんな。沖田様が起きているのに、私だけまた寝るなんて」
それに、早朝から仕事をしてきたのでは、もう空腹なのではないだろうか。
「なにか急いでお作りします。何でしたらお口に合いますか」
だが冬乃の返しに、沖田のほうが驚いたようだった。
「貴女は私の小姓じゃないんですから。そんな気遣いは不要ですよ」
(あ・・)
「すみません、差し出がましいことを」
「いや、申し出は嬉しいですよ。ただ、」
沖田が笑う。
「貴女をそんなふうに独り占めしたら」
皆に、やっかまれるからね。
そんな戯れた台詞を置いてきた沖田に、冬乃のほうは息を呑んだ。
(私、わかりやす過ぎ・・だよね)
当然この先も、冬乃はこういう言動を無意識に繰り返しかねないのだ。
周りに、そしてなにより当の沖田本人に。冬乃の恋慕が伝わってしまうのは、これでは時間の問題なのではないか。
(恥ずかしい・・)
もはや、何て返せばいいのか。
「とりあえず茂吉さんが来る時刻まで、八木さん家に戻りましょうかね」
冬乃が頬の紅潮を隠すべく俯いたところに、だが、沖田のいつも通りに飄々として穏やかな声が降ってきた。
「はい」
としか、返しようがなく冬乃は、沖田の目を見れないまま頷き。
沖田が八木家のほうへと足を向ける気配に、後へと続いた。
「そうだ、昨夜遅く、所用で出かけていた永倉さんと島田さんが帰営しているんですよ。まだ会ったことありませんね?」
冬乃は、弾かれたように顔を上げていた。もっとも、今の冬乃の反応は、前を歩く沖田には見えていないが。
(永倉様と島田様・・!)
彼らが遺した記録は、新選組の史観を大きく前進させてくれた。いわば新選組史の大恩人のような二人である。
「後ほど朝餉の席で紹介します」
「はい・・!」
(ついにお逢いできるんだ・・)
心躍らせた冬乃の、その声音の変化に。少々不思議そうに沖田が振り返って冬乃を見た。
冬乃が、照れ笑いを返し。
(もう沖田様は密偵とは疑わずにいてくれてるはずだし、彼らを知ってること、言ってもいいよね)
「永倉様と島田様は、未来で有名な方々なんです。お逢いできることが嬉しくて」
・・・あとからおもえば。そんな、浅慮な台詞をこぼしていた。
「有名、ですか」
「はい。お二人、もとより ”新選組”は、未来で有名なんです」
「では、ひとつ聞かせてもらえますか」
沖田のその返しに、冬乃はなんでしょうと目を輝かせ、彼を見上げる。
「有名ということは、新選組は、・・近藤先生は、今後、本懐を遂げ、その過程で一翼を担う。ということですか」
「・・・」
本懐。
沖田の言っていることは、近藤がこのころ憂えていた攘夷の完遂だろうと。冬乃は、判って。
押し黙った。
攘夷とは、屈辱的 (とみなされていた) 開国を許さない姿勢であり。その姿勢の元に、論は分岐する。
開国はやむなし、然れども各国と対等な国交への道を切り開く。という、勝海舟や佐久間象山らが掲げた形の攘夷と。
ただひたすらに、皇国日本から夷狄を排除せよ、という純真されど盲目的な攘夷とに。
現時点では近藤がどちらの攘夷であったのか、後世に遺る近藤の書簡からみても想像に難くない。初期のほとんどの攘夷論者は後者であり、勝たちの攘夷論は、『異国かぶれからくる開国論』としかみなされないほど先進的すぎた。
そして。屈辱的開国の責任者である幕府および徳川を糾弾し、幕府の天皇への恭順と、即時の攘夷実行を望む、長州派志士達の“過激尊王攘夷論”に対して、
今上天皇である孝明帝が望むように、あくまで徳川主導の施政の元、攘夷を決行すべしとする、“公武合体尊王攘夷論”での政治思想を近藤達は掲げていた。
だが。
この先、近藤の本懐の完遂する日は。来ないのだ。
(どうしよう・・・ばか私)
有名だなんて、安易に言ったばかりに。
「その、・・はい。私の知っているかぎりにおいては・・・」
冬乃の肯定を示唆する返事に。沖田が、ふっと笑みを浮かべた。
胸内に刺しこんだ、嘘吐きへの罪悪感に。冬乃は声を詰まらせ。
(ごめんなさい沖田様)
「冬乃さん」
だが、そんな冬乃から、何を感じたのか沖田が囁くように言葉を追わせてきた。
「有難う。その返事を聞けてよかった」
(え・・・)
有難う?
どういう意味
沖田をまっすぐ見つめ返してしまった冬乃に、だが沖田はそれ以上なにも言わず踵を返した。
(・・・て、私が未来からきたって、信じてみようとしてくれてるだけで、ほんとに信じてもらえてるわけじゃないものね・・)
単に、冬乃がどういう対応で返すかを試されただけなのかもしれない。
冬乃はそう納得し。
何にせよ。
(言動には、もっと気をつけないと)
冬乃は反省を胸に、沖田の後を追った。
「あの、」
前川邸の裏戸をくぐった時、冬乃はふと思い出して。
「沖田様はどちらでいつもお寝みになられてるのですか」
沖田が振り返る。
「八木さん家ですよ」
(やっぱり)
「離れ・・ですよね?」
何故知っているのか
とは沖田は尋ねてはこなかった。
「そうです」
「広いのですか・・?」
冬乃は気になっていたことを聞いた。
沖田が微笑って。
「いいや、狭いですよ。何故」
と今度は尋ねた。
「屯所のほうがかなり手狭なかんじだったので・・沖田様はもう少し広いところできちんと休めてらっしゃるのかが心配になって」
冬乃は言いながら、これではまたも好きオーラが出てしまっているような台詞だと、気づいたが、遅い。
沖田は、だが気に留めたふうもなく、
「じゃあ見てみますか」
とおもわず冬乃が瞠目するような言葉を返してきた。
「そこで挨拶を済ませてしまいましょう。皆、朝が早いからそろそろ起き出してる頃だ」
「はい・・!」
期せずして、沖田の寝泊まりしている場所を案内してもらえることになった冬乃が、嬉々とした声を挙げてしまったのは仕方がない。
冬乃の寝泊まりしている長い母屋を通り越して、沖田はそれから会話をするでもなく、まっすぐ離れの建物へと冬乃を連れて向かう。
(結構、離れてるんだ・・)
八木家の敷地の広大さに、今更ながら驚かされる想いで、冬乃は朝の眩い光の中を沖田についてゆく。
やがて離れとおぼしき建物の、角を曲がった時。
男が、縁側で正座をしているのを見とめ。
その横顔に、冬乃ははっとした。
涼やかな顔立ちの、その凛とした佇まいは、
高雅な、とさえ形容しえるほどに。
彼を纏う清涼な空間だけが、切りとられたかのように、そこに在った。
「斎藤、帰ってたのか」
冬乃の前で沖田が、表情を見なくともわかるほどに嬉しそうな声をかけて、
冬乃は、その呼びかけから彼が斎藤一であることを知った。
(あの方が)
そして、次の瞬間に、沖田の呼びかけに振り向いた彼の、灯した表情に冬乃はどきりとした。
「沖田か」
よく笑う沖田と対照的で、殆ど笑わない寡黙な剣士として、後世に伝わっている彼が、
今、沖田に対して穏やかに微笑を返したのだ。
「おかえり」
「ああ」
「紹介するよ。彼女は冬乃さん」
「話は聞いている。災難だったようだな」
と、彼の静かな眼差しが、沖田の横まで来た冬乃を向いた。
「いえ、そんな。・・これからよろしくお願いいたします」
「ところで斎藤、疲れてるか?」
話の様子からすると、どこかへ長期の仕事に出ていたのだろうか。
「いや。大丈夫だ」
だが斎藤はなんでもなさそうに返答した。
「そうか。それなら、あとで手合わせ願うよ」
「ああ」
快諾する斎藤に、沖田が微笑った。
「おまえがいないと、なまる」
稽古が。
と言い足した。
冬乃は、あのとき蔵で藤堂にみせたような笑顔と同種の表情を沖田に見とめて。
(そっか・・・)
二人は親友なのだと。
斎藤の、先の沖田へ向けた表情も、親友に対してだからこその。
(それに、お二人は)
好敵手でもあり。
斎藤は沖田と並び、新選組の双璧として後に評される剣豪である。
沖田が気兼ねなく本気を出して稽古ができる唯一の相手、なのではなかろうか。
「で、何故こんなところに座ってんだ?」
と沖田が続いて尋ねたのは尤もだった。
斎藤は今、縁側の板張りにそのまま正座しているのだから。
(脚、痛くないかな・・?)
おもわず心配になる冬乃をよそに、
「朝の空気を吸っていた」
と斎藤がぽつりと返事をして。
「そうか」
と沖田が愉快そうに哂った時、
斎藤の背後の障子が、すらりと開かれた。
「お、斎藤!おまえも帰ってたのか」
冬乃にとってもうひとり初見な男が出てきて。
斎藤が振り返った。
「はい、今朝方に」
「ああ、それで昨夜は会わなかったんだな」
「永倉さん。ちょうどいいや、」
沖田の声に、永倉と呼ばれたその男がすぐに視線をずらし、沖田と隣の冬乃を見やった。
「紹介しますよ。彼女が冬乃さんです」
「例の!」
ぽん、と永倉が手を叩き。
どうも、これまでの初見の人皆が皆して、事前に冬乃の件を聞いている様子に、冬乃は内心苦笑しながら。
「永倉様、冬乃と申します。よろしくお願いいたします」
頭を下げる。
(お会いできて光栄です、永倉様。そして、)
素晴らしい史料を遺してくださり有難うございます。
胸内に呟きながら。
その素晴らしい史料を遺してくれたもう一人の存在が、
そして不意に顔を出したのだった。
「おや、皆さんお揃いで」
と。
頭を上げた冬乃の目に、その大男の姿が映る。
沖田と並ぶ体格のその男は、だが、着痩せしていそうな沖田とは真逆で、
てっぷりと着膨れて肉付きがよく相撲取りのような巨漢である。横に並ぶ永倉がものすごく小さく見えてしまうほど。
「島田さんも、おはようございます」
沖田が声をかけた。
「彼女は、冬乃さんです」
「島田様、冬乃と申します。よろしくお願いいたします」
言いながら、
(ほんとに力さんなんだあ)
嬉しくなって、冬乃はぺこりと再び頭を下げた。
島田魁の、愛称である。力士のように怪力の力さん。その通りに、大関をも投げ飛ばしそうだ。
「なんだ、おまえら朝っぱらから集まって」
そこに。
冬乃の天敵、土方までもが顔を出した。
途端、土方のほうも冬乃の存在を見つけ。
「・・おめえ」
(む)
こんなところまで来るなよ
とでも言いたげな眼を刹那に向けられ。冬乃は慣れたとはいえ、気分がよくない。
「おはようございます、土方副長」
渋顔で挨拶を渡した冬乃に、土方はふんと鼻を鳴らした。
かあ
遠く頭上を烏が、間抜けた声を落として去っていく。
「冬乃さんは、ここには少しは慣れたのかな」
漂った剣呑な雰囲気を気遣うように、人懐こい笑顔で島田が、冬乃へ話しかけてくれた。
「あ、はい。おかげさまでなんとか」
「それはよかった。男所帯の中ではいろいろ大変でしょうけど、がんばってください」
(島田様、天使~!!)
「ありがとうございます・・!」
「では顔合わせも済んだことだし、中、覘いていきますか。といっても小さい部屋が二つあるだけですが」
沖田が当初の提案を覚えていてくれた様子で、はっと顔をあげた冬乃を促すように、縁側へと上がり。
慌てて草履を脱ぎ、沖田に続いた冬乃に、
「待て」
しかし制止の一声が響いた。
「総司、この女から密偵の疑いが完全に失せたわけじゃねえ。こんな所まで案内するな」
(うわ・・)
「今は使用人として働いてもらってる以上、ここにも出入りすることはあるでしょう」
勝手を知っておいたほうがいいのでは
と、土方の制止に対し沖田が素気なく返すのへ。
「駄目だと言ったら駄目だ!」
ぴしゃり、と土方が言い放った。
「おいおい、朝からそう怒鳴るな」
そこへ障子の奥から、さらに男が出てきた。
(近藤様!)
「おはようございます、先生」
「おはよう、近藤さん」
「おはようございます、局長」
それぞれが途端に近藤へ向き直って挨拶し。
「みんなおはよう」
冬乃さんもおはよう
と、変わらぬにこやかな微笑で、近藤が冬乃を向いて、
「おはようございます近藤様」
冬乃は畏まってぺこりと返し。
「いいじゃないか、歳」
そんな冬乃の耳に、近藤の穏やかな声が届いた。
「べつに見られて困る物など、そもそも置いてないだろう」
「土方さん、俺からも頼むよ」
永倉の声が追った。
「冬乃さんが出入りしてくれれば、ここの掃除洗濯をこれからは彼女に頼めるんだろ?」
(はは)
続いたその台詞には、少々苦笑したものの冬乃は、顔をあげて。
「もちろん、させていただけるなら喜んで致します」
すかさず永倉が、おっ。と嬉しそうに微笑った。できた愛嬌のある笑窪に、冬乃はおもわず絆される。
「・・・近藤さんが良いっていうなら俺は止めねえよ。が、永倉、おめえ洗濯くれえ自分でやるか下男にやらせろよ」
「え?」
「女に下帯洗わせる気か」
「こりゃ違いねえ」
土方のツッコミに。永倉が、首の後ろを掻いてみせ。
(た、たしかに)
冬乃も冬乃で目を瞬かせた。
そういえば洗濯するとなれば、上着だけじゃないに決まっている。
(でも、)
沖田のであれば。構わないのだが。
(ていうか、えと・・)
どちらかというと洗ってみたい・・・。
よもや冬乃がそんなことを咄嗟に思っているとは、露ほども知らぬ土方達が、収まったその場を解散する素振りになり、
そんななか沖田が冬乃を振り返り、眼でついてくるよう伝えてきた。
部屋は二つが横並びに繋がった形だった。
縁側に面していない奥の座敷は、近藤と土方山南が使っていると、沖田が説明する。
「あの、」
冬乃は、そこで目に飛び込んできた異様な光景を凝視した。
「この防具の山は・・・」
古びた剣道の胴当てが、壁一面に所せましと積みあがっているのである。
「ああ、」
沖田がけろりと笑った。
「簡易の槍除けです」
槍除け!?
目を丸くする冬乃に、沖田が補足する。
「これだけ小さい建物だからね、外から槍なんかで突かれたら、ひとたまりもない」
「・・・」
さすが。
納得すると同時に。この時代が確かに戦乱の世なのだと、改めて実感し。
冬乃は、小さく息を吐きながら、ぐるりと見渡してみた。
ただでさえ狭い部屋が、これではよけいに狭い。
(屯所よりは少しくらい広いところで、ちゃんと休めてるとよかったのに・・)
沖田達もまた、足の踏み場もない状態で寝ているのだろう。
たしか、そのうち彼ら近藤派幹部たちも前川屯所へ移り、あいかわらずの混雑の中で寝るようになるといわれているが。
まだ西本願寺に移るまでは、
「今は狭くてお辛いでしょうけど・・」
これは、言ってもいいだろう、
冬乃は、吟味して台詞を紡ぎ出す。
「まだもう少し時間はかかりますが、そのうち広い場所へ移れますから。」
「そうですか。楽しみだな」
沖田が笑った。
信じてくれているわけでなくても。否定もしないで聞いてくれる。
冬乃はそれだけで嬉しかった。
(沖田様。本当にありがとうございます)
こうして沖田に出逢えたことで、
この先の、彼の生きる間はその傍で自分も生きていたいと。強く願うようになっている事に、気づいている。
でも一方で、いま死んでしまってもいいくらい、幸せで。
(だけど、叶うなら。いつまでも貴方のそばにいたい)
冬乃は、穏やかに微笑んでいる沖田を見上げた。
この先の、沖田との新選組での生活に、想いを馳せて。
第一部 了
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