十一. 朝に①

 

 

 「春井と新庄だが、やはり間者だった」


 沖田に呼ばれて土方の部屋を訪ねた山南に、

 土方が開口一番切り出した。


 元々あの二人には、監察筋が、先の政変後の入隊希望者に対する事前身元調べで、密偵である疑いをかけていた。

 だからこそ、あえて入隊させた。

 尻尾を掴み出し確信次第、首謀者を聞き出す狙いだったのだ。


 そして狙い通りに、沖田たちは先の拷問で、

 今夜の事件の全体像だけでなしに、彼らの上司の名を掴んだ。


 拷問中に彼らにその名前を書かせた紙が今、土方の目の前にある。


 「・・・・」

 その紙に血の染みがところどころに付着しているさまを、山南が眉を顰めて見やった。


 松里勇

 そして山南の目がその文字を読み取り。


 「・・・吉田稔麿か」

 呟くのへ、


 土方が頷いた。


 「そうだ。またも長州さ」



 幕府方のまわしてきた情報によれば、

 その松里勇、本名吉田稔麿は、一度は国抜けしているものの、その罪はいま放免されて事実上は元の鞘にあるという。

 同家中の桂や久坂との交流も深い、長州過激派の一人として、幕府方が目を光らせているうちの一人だった。


 つまりは京に集まる浪人を影でまとめ、要人の暗殺を命じていた首謀者の一人として疑われている。

 その吉田が、新選組に春井たちを密偵として潜り込ませていた。



 「吉田は今は京にいないようだ。春井たちは、太平屋という旅籠の下男に扮した者を通じて、指示を受けていたそうだ」

 早朝一番で、この旅籠を改める

 土方は言い添えた。


 「その旅籠の主は、その下男の正体を知っているのだろうか」

 知らないともなれば、早朝に叩き起こされる主は気の毒だなと、

 気の優しい山南は心の片隅で同情しながら尋ねる。


 土方が頷いた。

 「知らないはずだそうだが、なにせ小さな旅籠だ、薄々気づいていてもおかしくはない。それについての詮議も行う」


 「了解した」

 山南は立ち上がった。

 「後のことは、君に任せよう」


 土方は再び頷いてみせると、障子を開けて出てゆく山南の背を見送った。

 沖田が遅らせて立ち上がる。


 「おやすみ土方さん」

 言い置いて出てゆく背へ、おやすみと返しながら土方は、


 「明朝、宜しく頼むぞ」

 声を追わせた。



 

 

 

 


 



 冬乃は外の騒がしさに、はっと目が覚めた。

 隣を見やれば、為三郎がまだすやすやと寝息をたてて寝ている。


 (よかった・・)


 目の覚めた瞬間、

 また元の世界に戻っていたらと。一瞬に不安にかられた冬乃は、大きく胸を撫で下ろした。


 為三郎や周りの家族を起こさないように気遣いながら、 冬乃は体を起こす。


 (何で、早朝からこんな騒がしいんだろ)


 不思議に思いながら、障子へと手をかけて。

 三寸ほど開けて外を覗いてみれば、喧騒はどうも前川邸の屯所のほうから聞こえてくるようだった。


 それともみんな、もう朝の仕事にとりかかっているのだろうか。

 つまりとっくに朝も遅くて、冬乃のほうが寝過ごしているだけなのだとしたら・・


 (て。だったらやば)

 思ったとたん冬乃は慌てて上掛けを羽織って、土間へ降りた。


 とにかく厨房のほうへと足急く。

 (茂吉さん、怒ってるよねぇもぉ・・っ)


 屯所の裏口をくぐり、井戸を曲がって厨房へと駆けこむ。

 「遅れてすみません・・・!!」

 大声でガラガラと厨房の戸を引き開けた。


 (・・・・はれ?)


 誰も。いなかった。


   冬乃は目をこらした。

 朝餉が終わって片付けさえ終わった後なのか、とも思ったものの、


 (いくらなんでも・・八木家のみんなして、そこまで遅くまでは寝てないよね?)

 まだ冬乃が起きた時、為三郎の家族もそろって皆が寝ていたのを思い出す。



 (・・べつに寝坊したわけじゃないのかな)


 だが未だ朝遅くないのだとすれば、

 いったい、この朝っぱらからの喧騒は何だろう。



 冬乃は上掛けの前を整え、喧騒の元、玄関口へとそっと足を向けた。


 そしてあと少しで様子が見える、という時。

 刹那に、


 「ご苦労でした」


 大らかな響きで沖田の声が聞こえ。冬乃はどきりとその場で立ち止まった。

 ほぼ同時に、喧騒も一瞬で静まり返った。


 「夕の巡察まで各自、鋭気を養っておいてください」

 隊の長である沖田の言葉に耳を傾けている様子の広場の角へと、冬乃は抜き足で近づく。


 「それでは解散」


 その合図に。再び隊士たちの声が聞こえはじめ。


 冬乃は。

 そして我慢ならない衝動に、角にたどり着くなりその場を覗いていた。

 なぜにも、



 (マジでだんだら模様・・・・!!)


 そう。

 先の沖田の挨拶からして、彼らが隊務からの帰りであることは明らかで。

 喧騒はそのせいだったのかと知ると同時に、冬乃は気がついたのだ。


 いま彼らは、隊の制服を着ているはずだと。


 新選組の制服といえば、浅葱色に白のだんだら模様で有名である。

 もっともこの隊服が使われたのは池田屋事件の前頃までで、最盛期にはもう着られてはいなかったという。


 見れるのは今のうちというコト。


 (もぉ、超かっこいいよ)

 冬乃は、こっそり覗く先の隊士たちが、何より、沖田が、だんだら模様なのを。わくわくと見つめ。



 ・・・が。


 人の気配に敏感な剣客たちが気づかないわけがない、ことをうっかり忘れていた。


 顔だけ見えている冬乃と、まもなく目が合った彼ら誰もが。

 一瞬驚いた顔をして、それから相好を崩して笑い出してしまった。あまりに可笑しかったらしい。


 一度は(今ももしかしたら)密偵として疑われている身なのに、これでいいのかと頭の隅を過ぎったものの。

 べつに不審気な顔をされなかったから、・・ヨシとしよう。


 「おはよう」

 そんな輪の中から、沖田が笑いながら声をかけてきた。


 そのうえ引っ込めなくなっている冬乃のほうへと歩んでくる。


 「お・・おはようゴザイマス」

 観念しておとなしく角から出てゆき、頭を下げた冬乃へと、

 「早いですね」

 そんな言葉が降った。


  冬乃は畏まって頭をあげながら、ふと首を傾げる。

 (やっぱ早いんですか?)


 「今って何時頃でしょうか」

 おもわず尋ねる冬乃に、

 「今しがた日が出たばかりだから明け六つですよ」

 と返事がきた。



 (明け六つ)

  冬乃は思わず胸内で復唱していた。



 江戸時代の時間決めは、

 記憶を思い起こすかぎり、日の出と日の入りを元に決めており

 日が出る前の明るくなる頃が、その日の明け六つとされて、そこから一日の時刻が定まるという不定時法である。


 一秒の単位にまでスケジュールが組まれるような現代では、どうも不便そうな方法だが・・・

 (ある意味スゴイ)

 一日をそんな始まりから等分できてしまう鐘打ちの人も然ることながら、

 その時報と時報の間に、人々はよく時間をさして間違えずに起き出したり集合したりしていると。


 それに夏も冬も同じ時間から起き出す現代と違って、不定時法下ならば、朝日に合わせて活動を始めるぶん、体への負担も少ないだろうか。



 そんなことを一瞬思い巡らしていると、

 「そうだ」

 ふと目の前で、沖田が思い出したように呟いた。


 「・・ちょうどいい。仕事までまだ時間はありますね?」

 少し話がしたい、と彼は言い足した。



 心臓の跳ねた音とともに、冬乃は向けられた眼を見上げていた。



 (きのうの事)


 直感して。


  冬乃の、武術について問われるのだろうと。



 「はい・・」

 ついてくるように、と言い置いて歩み出した沖田の後ろ、

 冬乃はべつに悪いことをしたわけでもないのに、何だか尋問でもされるような気分で緊張して、後に続いて歩き出した。

           





 「貴女が昨夜に井戸の所でみせた動きには、正直感心した」


 前を歩く沖田が冬乃の想像した通り、冬乃の武術について話をふってきた。

 念のためなのか誰も来ないような隅まで連れてこられながら冬乃は、

 やがて立ち止まってこちらに振り返った沖田を、自分もまた立ち止まって見上げる。


 「貴女のあの動きは、剣を学んだ者の、・・それも生半可な鍛錬では得られぬ類いのものだった」


 あの時、沖田が、三人が見える場所まで来た時には、すでに新庄が冬乃へ向かって上段から振り下ろした刹那で。

 間に合わなかったかと思った沖田を良い意味で裏切った冬乃の次の動きは、今も鮮やかに沖田の記憶に甦る。


 一瞬に相手の剣筋を見極めて簪の脚に挟み入れ、簪を損なうこと無しに、力を受け滑らせて相手の懐まで飛び込むような事は、剣術の素人のすることではない。



 「どこで剣を習った・・と聞いたら、未来でと貴女は答えるしかないのかな」

 沖田が話を続けながら、どうしたものかと苦笑した。


 「貴女のいう未来ではどうであれ、この時代では女性が護身以上に武術を遣うというのは極めて稀だ。貴女がそれだけの武術を遣えるとなるとまた、あれこれ疑う人が出てくる」


  冬乃は沖田がそう言うのも尤もだと、

 どうしようもなく目を瞬いた。


 そう。この時代で武術に長けている女性となると、

 くのいちの忍者とまでいわなくても、公儀やどこかの藩の隠密であるとか、暗殺やらの闇仕事を受け持つどこかの陰従者だとか、確かにあれこれ疑えそうなものである。

 ただでさえ冬乃は、未来から来たなどと信じ難い事を真顔で訴えているわけだから、

 そのうえ武術遣いとなれば、もう危険人物極まりない。


 (私だって、そんなのがいたらマジで疑うって)

 どうしたものかと、冬乃も心に唸る。


 黙ってしまった冬乃の。戸惑って揺れる瞳を、

 だが沖田が苦笑したまま、なおもその穏やかな眼で見下ろしてきた。

 「まあ今のところ隊内で貴女の武術を見知っているのは私だけだ、今後に昨夜の様な事態が起きなければ問題は無いでしょうが」



  冬乃はとくりと心の臓の音を聞いた。


 (な、なんか・・)

 沖田は今、”私”と自称しなかったか。


 土方にも藤堂にも確か”俺”の自称だったのに、

  冬乃には”私”を充てて丁寧に話してくれているらしい。


 (・・・・)

 くすぐったくなって、つい視線を泳がせた冬乃を。


 「冬乃さん」

 そうと知らないだろう沖田が、話の続きを促すべく呼んでくる。

 「流派はどちらです」

 そんな問いを続けて。


 (え・・ええと)

 「いろんな流派の流れを汲んでいて・・、この時代にはまだありませんでしたのでご存知ないかと・・ただ、」


 一度、沖田様の流派、天然理心流の道場に見学にお邪魔したことがあります

 その時の感動を思い出しながら、冬乃は言い足した。


 「へえ」

 驚いたような愉しそうな眼で微笑う沖田が、

 「”未来”では、理心流の稽古はどんなでした」

 野武士稽古やら荒剣法やらと、未来でも言われているのか如何かと興味深げに探ってくる。


 「お稽古は迫力が凄くて、・・それでいて神聖で」

 冬乃はその時の光景を思い出しながら、うっとりと答えた。


 力強く、厳かな。

 型を披露してくれた門人達の姿に、冬乃は沖田や近藤の稽古の姿を想像の内で重ねて、いたく感動してしまったのだ。


 「・・神聖!」

  冬乃のうっとりした声で奏でられた返事の台詞に、沖田のほうは突然、笑い出した。

 「神聖とは有難いな」

 どうもツボにきたのか、そのまま笑いが止まらなくなっている沖田を前に、なるほど荒剣法だどうのとは正反対にも聞こえるかもと、冬乃もつられて微笑いつつ、

 でも本当にそう感じたんです、と胸内で呟く。


 途中で紆余曲折はあれども、現代までずっと伝えられて、

 幕末の新選組を支えた一大流派つまりは幕末の最強剣のひとつとさえ称せえる流派を今に再現することが出来たのだから。冬乃にしてみれば神聖さすら感じて当然なのだ。

 伝えられてきた、そのことだけでも凄いと、感謝してもしたりないほど。


 「まあ、手前味噌に聞こえるかもしれませんが私も”神聖”だとは思ってますよ」

 理心流の剣のことわり、そのものを、と。

 言いながら、だがやはり面白かったらしく笑っているままの沖田を、冬乃はドキドキして見上げた。



 ───その陽だまりのような笑顔に心臓を打ち抜かれているなんて、

 この方は知りもしないんだろう。


 そんな台詞をふと心に浮かべた自分に、冬乃は次の瞬間自分で気恥ずかしくなって。


 でも、


 (だって。もうだめ)


  冬乃は自分の胸内で吐いた台詞も尤もなのだと。自分で言い訳する。


 逢う前から、好きで好きでたまらなかった人を。

 こんな目の前にして、こんな笑顔を見せられて、


 溢れてゆく想いを。止められるわけがない。



 「冬乃さん、もうひとつ聞きたい」

 暫しの後、なんとか笑いを納めたらしい沖田が、冬乃の瞳を今一度しっかりと見返した。


 「なぜ剣を志したのです」



 (・・・っ)


  冬乃はというと途端。またも押し黙ってしまった。


 いつかどんなかたちであれ。沖田に出逢えた時に、少しでも興味をひけるようにと。そして、

 万に一つでも、何かがあった際に、沖田の盾と。なれるように。


 始まりは、そんな想いからだったなんて、告白できるはずがない。



 (あの頃は、)

 一寸の疑いもなく。沖田にいつか逢えると信じていた。そんな予感が、していたから。

 やがて年を重ねるにつれ、叶うわけがないと諦めて、否、叶わないことが当たり前の常識のなかで、


 こうして本当に逢えてしまった以上。あの頃の冬乃は決して間違ってはいなかったのだと。

 冬乃にはそれが不思議な感慨を伴い、ずっと諦めていた悲しみや痛みに重ねて胸奥を切なくさせる。


 まだほんの少女だったあの頃、何にも穢れることのない真っ直ぐな心が、

 その後に大人になるにつれ現実を知った心よりも、ずっと真実をみていたことに。今だからこそ、冬乃は驚いてしまう。


 「・・・信じていたんです」


 本当に、逢えるなんて。

 本当に。もう信じてなかった。


 諦めていた頃の自分に教えてやりたい。


 「いつか、来るべき時が来て。その運命を迎える時が来ると」


 そのさだめのなかで。

 貴方のそばで。


 「身につけた剣が、役に立つ時がくると」




 「そうですか」

  冬乃の、その答えに。沖田が興味深そうに頷いた。


 「私も似たようなものかな」

 その穏やかな表情で、続けて呟くのを。冬乃は大きく瞬いて見上げて。


 その先を言うでもなくただ微笑んだ沖田の、云わんとする想いを。冬乃は分かる気がした。



 いつか近藤先生のお役に立てる時がくるように。そう信じて剣を志した、と。

 いま確かに叶っている”その時”を、ここに。

     











  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る