十. 密偵騒動
冬乃の内に芽生えた闘気に対し、
だが男たちは不意に刀を引いた。
「かんざしを得物にした女と、闘えるか。馬鹿馬鹿しい」
(・・今更そう思えるなら、はじめっから抜かなきゃいいのに)
冬乃は冬乃ですっかり呆れて、
「それなら、私は仕事が残っているので帰ります」
そこを退いて、とばかりに二人を見て返した。
だが。
「帰すとは言っておらぬ」
かんざしを構えた手を下ろした冬乃を見やり、男が今度は大きく上段に刀を構えた。
「そこに直れ!」
(・・・は?)
どうやら男は、自分は冬乃と闘うのではなく、冬乃を一方的に密偵とみて斬り捨てる立場のつもりらしい。
冬乃は今度こそげんなりと二人を見やった。
「私は密偵じゃありませんから、あなた達にハイどうぞと斬られる理由はないんですが」
「おぬしが誰であろうがどうでもいいっ。隊には、後からいくらでも言える、元々密偵の疑いが濃かったのだから、不意に居なくなっても誰も不思議にも思わないだろうからなっ」
(何それ?)
「あなた達、それでも武士?私が思い通りに動かないからって、怒りに任せて罪のない女を斬ろうとするなんて、人の風上にもおけないね」
「何とでも言えッ!!」
男の振りかぶった刀が、冬乃めざして降ってきた。
────刹那に、
冬乃は頭で考えるよりも、先に体が動いて、かんざしで刀を受け止め──正確には、受け流し──刀をかんざしの脚の内に挟んで、
そのまま刃の表面を滑るようにかんざしを走らせて、刀の鍔元まで来てから、
最後に一足飛びで男の喉前へ跳び込み。
かんざしの丸い先端で、男の顎下を強かに突き上げた。
「──・・ッ」
声が出せず男は、衝かれた顎下のみぞを押さえて、
痛みに呻き数歩、後退さり。
隣の男が今の刹那の間の、冬乃の動きに驚愕して一瞬、動きも無くした後、
はっとしたように目の色を変え。次には激昂して刀を振り上げた、
その時だった。
「そこまでだッ」
腹の底へ響く制止の声に、
男も冬乃もびくりと動きを止めて、声のしたほうを振り返った。
(沖田様・・っ)
一体いつのまに来たのだろうか。冬乃は目を丸くして見つめた。
「これは何事だ」
沖田の問いに、
男達は冬乃への先ほどの横柄な態度などかき消し、近づいてくる沖田をどこか怯えたように見上げた。
「・・この女が密偵だと分かったため、・・処罰を・・」
男の返事に、沖田が眉を顰めた。
「そのような勝手な行為が許されると思うのか」
「は・・・申し訳ありません」
冬乃は、次にこちらを見やった沖田を、とくりと鳴った心の音を胸に見つめ返した。
「春井、」
名を呼ばれた男が身を硬くするのを横に、
冬乃は、
沖田から目を離せずに。息を殺した。
春井を呼んでおきながら、冬乃の瞳を見たままの沖田の眼が、
冬乃の心奥までを一瞬に見極めようとするかのようで。
「・・・密偵だと分かった、と言うその証拠は何だ」
つと沖田の眼が冬乃を解放し。
冬乃は息をついた。
春井と呼ばれた男は、沖田が次に自分へと向けてきた眼から逃れるように、目を逸らし。
「証拠は蔵にあります」
と小さく答え。
その横で、冬乃のほうは次の瞬間に、おもわず叫んでいた。
「沖田様っ、この人達が何を言ってるのか、私には全く思い当たりません・・!私は密偵じゃありません、証拠なんて出るはずない」
「嘘をつくな!!」
「そうだ、こっちは見たんだぞっ」
春井が声を張り上げ、
先ほど冬乃に顎を衝かれた男も、取り戻した声で返してくる。
(・・って何なの、マジに?!)
「だったらその証拠とやらを見せてみなさい!!」
あ・・
沖田の前でおもわず勇ましく叫んでしまった冬乃が、顔を赤らめる前、
「蔵へ行く」
沖田が背を見せ、すたすたと蔵のほうへ歩き出した。
ちらりと冬乃を見た春井たちが、どこか焦った表情で沖田の後に続くのへ。
(その様子じゃ・・・やっぱ嘘なんでしょ)
冬乃も後に続きながら、胸中、吐き捨てた。
四半刻前────
「座れ」
白皙の美しい額に険しい皺を寄せ、土方は自分に呼ばれて部屋に入ってきた沖田を行灯の向こうに見上げた。
「俺が夕餉に出ている間に部屋へ忍び込んだ者がいる」
「何か捕られましたか」
即座に返した沖田に、土方は首をふった。
簡単には見つからないところに機密書類を置いている。
忍び込んだものの下手人は、まもなく廊下の向こうから響いてきた土方と近藤の話し声に慌てて飛び出したのだろう、あらゆる小棚が開けっ放しだったが、捕られたものはなかった。
「残念だが姿を見ていない。だが下手人は、」
「十中八九、隊内でしょうね」
そういうことだ。
土方は頷いてみせ、しかめ面のまま手にとった茶を飲み干した。
隊の者でもない限り、外来との面会時間も過ぎた夜に、屯所内を見咎められることなくうろうろできる者はいない。
「ったく・・。あの冬乃という女といい、今夜の侵入者といい、俺の部屋の敷居はそんなに低いンかよ」
「・・で、俺にその下手人を見つけろと?」
土方の言い草に喉で笑いながら沖田が問うた。
行灯の光にきらきら光る土方の大きな瞳が、ふっと微笑い返した。
「そうだ。まず少なくても、あの女である可能性は低い。俺が夕餉の席に来た頃、茂吉さんと出て行ったのを見たから厨房に行っただろうよ」
「すると俺には、その後確かに彼女が厨房にいたことを確認しておけと」
「ああ、そしてそのついでに下手人探しも頼まれてくれねえかってことだ」
土方の部屋に忍び込んだ者が、間者か、それとも芹沢派の息のかかった者なのかは分からない。暗々裏に計画している新見の件の実行予定日も近づいている今、へたに騒ぎ立てるのは得策ではなく、
ここは土方の最も信頼のおける身内で内密に下手人を捜索したいのだ。
「なに、目星はついてるからそいつらを洗ってほしいんだ」
「やってみますよ。ついてる目星はどのへんです」
「まずは非番の春井、新庄だ。この二人はそろそろ動き出すんじゃねえかとは思ってた頃だ」
間者ではないかと踏んでいる者達を、沖田らは決定的証拠を掴むため泳がせてある。
「それから次に洗うのは今夜やはり巡察に出ていない、荒木田、越後、御倉、それから芹沢方の平間、飯守、越野・・」
土方が次から次へと羅列してゆくので、沖田がついに噴き出した。
「まったく、うちには泳いでる魚が山程いるからね。一度に全部洗うんじゃ大変だ」
ちろり、と土方は、そんな沖田を見返した。
「そいつらがまな板に乗るかどうかは、おまえの網の張り方次第だ。頼んだぜ」
「春井、新庄」
前をゆく沖田の背が、振り返らずに二人を呼んだ。
「は・・」
冬乃の横で二人が、沖田の声にびくりと震えたように見えた。
呼んだまま沖田の歩調は変わっていない。この向こうを曲がれば、蔵の前に着く。
「そういえば、おまえ達が副長部屋のほうから走り出てくるのを見た者が数名いるが、・・何をしてた」
(何の話?)
唐突な沖田の問いかけに、おもわず冬乃が問われた二人を見やれば、二人の顔はこの月夜でも見てとれるほどに強ばっている。
「・・・何を仰っているのか、判りかねるのですが・・」
二人の返す声まで、こころなしか震えたように聞こえた。
(いったい何)
首を傾げる冬乃の前、沖田は振り返らぬまま二人に背を見せて歩み続けている。
春井が声を追わせた。
「私達は副長部屋のほうへ行った覚えはありません。人違いではありませんか」
「それは変だな。おまえ達を見た者は一人ではない、慌てて走り出てくるもんだから、みな何事かと心配していたそうだ。・・だがまあ、覚えがないならいいんだ」
「・・・・・」
四人は蔵の前に来た。
その刹那─────何が起こったのか、
考える間も無く冬乃は、突然に目の前に降ってきた白刃から飛び下がった。
瞬間に、慣れない着物の裾に足をとられて、さすがに今度は転んでしまった。
二の太刀の光が落ちてきて、
もうだめか、と思ったのに、だが。何も来なかった。
(・・・っ)
冬乃は瞑ってしまっていた両目を見開き、前に交差した両腕をおろした。
その目の前に差し出された大きい手に、冬乃は顔を上げた。
「大丈夫?」
見上げた先は、
「冬乃さん?怪我は」
沖田のいつもの穏やかな眼。
「あ・・ありません、」
(いま何が起こったの?)
冬乃の座り込んでいる位置より三歩程度向こうには、倒れている二人の姿がある。
(まさか・・・)
「ハッタリが、本当にあたるとは」
と、独り言ちた沖田を呆然と見やった冬乃の、その手はそして、いつかの時のように力強く引き上げられた。
知らせに走ってきた冬乃を連れて土方は、
沖田と同じく身内と呼べる存在である井上を呼びにいくと、その足で沖田の待つ蔵前まで戻り、
気を失っていた春井と新庄を、持ってきた縄で縛り、猿轡をしてから叩き起こした。
(生きてた・・さっきのは峰打ちだったんだ・・)
起き上がる二人を見てほっとした冬乃は、だがそのまま沖田に引きずられて蔵に入ってゆく二人の怯え具合に、すぐに不安になった。
そして、その後いったい沖田と土方が二人に蔵の中で何をしたのか、冬乃は想像したくない。
井上とともに蔵の外で見張りとして立っている間、蔵内から時折こぼれてくる呻き声に、 冬乃の脳裏では拷問という二文字が嫌でも浮かんで、耐え切れず最後には耳を塞いで蹲ってしまった。
ようやく開け放たれた蔵から出てきたのは沖田と土方だけだった。
縋るように目で追った冬乃に一瞬目を合わせてその横を通りすぎた沖田からは、纏った血の臭いがした。
(・・・・っ)
「冬乃さん、」
中に残る春井と新庄はどうなったのかと、恐る恐る蔵の中を覗こうとした冬乃を、すぐに沖田の声が呼び止めた。
「井上さんと厨房に戻ってなさい。後ほど追います。井上さん、宜しくお願いします」
頷く井上に促され、 冬乃は蔵内を確かめ得ることなくその場を後にした。
『あの二人が間者であるということは以前から疑ってましたが、確証は無かった。貴女のおかげです』
戻ってきた沖田に送られて八木家人の部屋まで向かう途中で、沖田が冬乃に話した内容が、布団に入った後も頭の中でこだましている。
あの時、蔵の前で、春井が沖田へ背後からいきなり斬りつけようとした事。新庄が同時に冬乃を口封じに殺そうとした事。
そして、春井を返り討ちにした沖田が、 転んだ冬乃へ二の太刀を降らせていた新庄の背を同じく峰打ちにしたのだった。
二人は間者として隊に入ったものの、いつまでも芳しい収穫もないままで、上から催促を受けて焦っていた。
機会ができたかに見えた今夜、土方の部屋へ機密書類を盗みに入ったが、探している最中に、早めに食事を終えた土方が帰ってきてしまったために、二人は片付けもままならず部屋を飛び出した。
片付けてこなかった以上、盗みが入ったことは気づかれている。誰かが下手人にならなければいけない。
詮索が及ぶを恐れた二人は、間者の疑いがかけられていた冬乃を代わりの下手人に仕立てることにした。
冬乃を人気の無い蔵まで連れ出し、自白の書置きを書かせてから自害したように見せかけようとしたが、 冬乃が蔵へゆくことに抵抗したため、とにかく斬捨ててから、蔵にでも運ぼうとした。
だが、二人を探しがてら冬乃が厨房にいるか確かめにきた沖田が、茂吉から二人が冬乃を連れ出したことを聞いて駆けつけたため、二人の計画は狂ってしまった。
もとい冬乃を蔵に引っ張るために適当にでっちあげた話であるから、蔵内に冬乃が密偵である証拠などあるはずもない。
二人どうしようかと当惑しているところに、
少なくとも二人が何らかの嘘をついていると推測していた沖田が、土方の部屋から二人が出てくるところを見た証人達がいるというハッタリを言ったことで、
事実土方の部屋に忍びこんでいた二人のほうは追い詰められてしまい、もはや逃げようとして沖田に背後からいきなり斬り掛けたのだった。
(沖田様たちは拷問してそういうの吐かせたんだよね、やっぱ・・)
閉じきられた蔵の中から漏れてきた春井達の呻き声も、蔵から出てきたとき沖田から感じた微かな血の臭いも、鮮明に覚えている。
『あの、・・二人は、生きてますよね・・?』
冬乃のその問いに見返してきた沖田の眼が、そのとき微笑ったようにみえた。
『生きてますよ。先程、六角獄へ引き渡してきました』
そして、
『礼を言います。貴女のおかげで、二人の尻尾を掴んだ』
正確には、貴女の武術のおかげでね
そう言い足した沖田は、返事に詰まった冬乃を問いただすことはせず帰っていった。
但し、「明日詳しく話してもらう」と残して。
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