八. 町へ



 すれちがう隊士たちの視線を、あいかわらず滝のように浴びながら。

 冬乃は沖田に連れられて前川屯所の門をくぐり出る。


 昼下がりの秋晴れの下、広々とした田畑を左右に畦道をゆく。


 ふわりと流れた風に髪がゆるく唇にかかって、冬乃は指先で払おうとした・・時、


 「冬乃さん、尋ねますが貴女は・・」


 不意に。沖田が振り向いた。



 (・・・?)


 唇に指先を遣ったまま動きを止めた冬乃を、見て沖田が一瞬息を呑んだ、・・ようにみえたのは気のせいか。


 「・・・未来では、女性は髪をおろしているものですか」


 「え?」


 目を細めたと思いきや、まるで冬乃の姿を愛でるような表情を隠しもせずに添えて微笑んだ沖田を前に、


 冬乃は、

 唇にかかっている己の髪を指先に摘んで払いながら、どぎまぎして小さく頷いた。


 「簪つけて結っている人のほうが少ないです」

 答えながら。


 今のような笑みを、沖田が自分にこれからも向けてくれる時があるなら正直、平然としてはいられそうにないと。冬乃は内心縮こまってしまった。


 今も、さわさわと緩い風になびく冬乃の、長い黒髪がきらきらと陽光に煌めき。


 「・・・昼間から髪をおろしているのも、いいもんだな」

 独り言ちるように言い沖田が、また微笑む。



 そんな表情、


 (反則・・)



 「・・・。」


 目を逸らしてしまった冬乃の前、


 沖田は冬乃の様子に何を思ったか、ふっと笑いを置き、そのまま促すように再び冬乃に背を向け歩き出した。



 そういえば何か言おうとしなかったか、と首をかしげながら彼の後に続いた冬乃は、


 ふと、髪をおろしている姿はこの時代の京では“はしたない” とされていたことを思い出した。


 だが、


 (どうでもいいか)


 沖田が褒めてくれたなら、四六時中おろしていたい。


 自慢の髪なだけに、沖田の今の反応が冬乃は嬉しかった。



 冬乃は高等部にあがった始業式の初日に、千秋たちがそれまで以上に肌を焼いて髪を明るくする横で、サンスクリーンを揃え、黒髪に染めなおした。

 それ以降、冬乃は一度も髪を染めることはしなかった。


 むしろ代わりに、もって生まれた白肌に合わせ、さらさらでまっすぐな艶の黒髪をのばしたかったのだ。


 かといってまだおちつくつもりもなかった冬乃は、黒のロングヘアに合う色のギャル服を選んで、千秋たちと遊ぶ時はいつも目元の黒メイクは続けた。



 (にしても、のばしたな)


 沖田の後ろを行きながら、冬乃は自分のおなかに届く長さで、きらきらと揺れている髪をつと見やった。


 「そうだ、」


 思い出した、と。


 そんなとき沖田が再び、振り返った。



 「貴女に尋ねようと思ったんだった。・・貴女の出自は武家ですか、それとも」


 (へ?)



 武・・???


 「・・・」



 思考を。江戸時代の思考回路にシフトさせるべく、


 冬乃は暫し。

 押し黙ってしまった。



 (・・・ああ。そうか)


 そして、


 武家の出ならば武家の。

 町人の出なら町人の。


 それぞれに相応しい格好をしなくてはならないのが、この時代なのだと。思い出し。


 (でも)


 「うー・・」



 冬乃はおもわず声に出して唸ってしまった。

 江戸期の身分制度は、現在の日本国には無いのだ。

 冬乃は、

 だが、それを沖田に説明するわけにもいかない。


 武士の世が無くなることを。

 説明するわけには。



 「武家の・・出です」


 (と言っておこう・・)


 自分の祖先がこの時期にどの階級に属しているのかも詳しくは知らないので嘘か本当かも分からないのだが、


 (てか、私の祖先がどこかで今、この同じ時代に生きているってスゴすぎ・・)


 とりあえず冬乃の想いを寄せる沖田が武士階級であるわけで、

 ・・・近い身の上でありたいと思ってもいいだろうか・・?




 「そうですか。・・・すると武家の出のお嬢さんが、使用人として働いているのは聞こえが悪いな」


 「・・え」


 どうやらあっさり信じてくれたのはいいが、今の言葉には困って冬乃は沖田をまじまじと見遣った。


 「まあ、いいだろう」

 沖田がそんな冬乃を見返して。


 「・・・女性の“浪人” ということなら」



 (う。)



 武家階級でありながら、主君を持たぬ身を浪人と呼ぶ。

 冬乃は当然、この時代のどこの主家にも属さないわけで。

 沖田が、冬乃のことを“女性の浪人” と称したのも、言いえて妙なのだが、


 もっともこの時代で武家出身の女性が“浪人” 状態というのは、

 生まれた家が武家ながらもはや主君を持たないうえ嫁ぎ先が決まっていないか──嫁ぎ先が武家ならば、元の鞘に納まるわけだから──もしくは主君を持つ家でありながら何らかの理由で出奔したか、


 ようは、あまり良い響きではなさそうである。



 まあ、

 (沖田様がいいと言うなら、いいか)


 冬乃にとって沖田が全てであり、彼が事情をわかっている以上、

 武士の沖田に少しでも近い身の上であるのを選べるなら、沖田以外の他の誰にとって聞こえが悪かろうがどうでもよいのだった。



 とりあえず武家の出と答えたことで、いったい沖田がどの店につれていってくれるのか気になる冬乃はそわそわと彼のあとに続いた。







 (きれい・・・)


 沖田の立ち止まった店の前、

 冬乃が遠慮がちに横へ並んで覗いた、その店の内には。先にいたお客さんへ展示していた後らしく、冬乃の好きな日本独特の色調で色とりどりに美しく並べられた太物や帯が並び。

 冬乃は吸い寄せられるように見つめていた。


 「入る?」

 あまりに魂をとられたように凝視している隣の冬乃を横に見おろして、沖田が微笑った。


 「っ・・はい」

 はっとして返事をした冬乃が顔をもたげる前、沖田が暖簾を上げて入ってゆく。


 店の番頭が揉み手でやってきて、それから冬乃が稽古着を着て、下ろし髪でいる姿に一瞬ぎょっとしたような目をしたが、

 隣の沖田の着こなしが品のある涼しげなさまで、未だ若いのにどっしり落ち着き払っている様子に、安心したように「おいでやす」と愛想笑いを向けた。


 だが冬乃はどれを選んでいいのかわからず、沖田を見上げた。


 「好きなものを」

 選んでいい、と。

 こちらがどきりとするほどに、あいかわらず低く穏やかなその声が優しく、冬乃の背を押し。



 店まで来る途中に、冬乃は前借りというかたちで、と願い出た。これ以上の迷惑をかけたくないのだ。

 だが沖田はとり合わず、どうやら冬乃のために買ってくれるような様子で、 冬乃はすっかり恐縮していたところで。


 目の前に並ぶ太物はどれも絹仕立てのようにつやがあり、高価にみえる。


 (いくらするのか分からない)

 使用人としての雀の涙の給金のうちでは、いつまでたっても返せないくらい高いのかもしれず。



 「少し急いで。まだ寄るところがある」

 そんなこんなで目移りしている冬乃に、沖田がたまりかねたのか耳打ちしてきた。


 (っ・・)

 店の者を気遣い、他にも寄る店があるとは知らせぬべく耳元で囁かれた冬乃のほうは、飛び上がった心臓を押えつけるのに一苦労しながら、


 「そうしたら、これでお願いします・・」

 店に入った時から惹かれていたその太物を指さすと、

 「帯も」

 巾着も、

 と次々と一式を揃えるよう沖田に言われ、

 もはや番頭の見立てに任せるような状態で、冬乃は目の前に並べられてゆく色とりどりに呆然とした。



 全てまとめて仕立て後に届けてもらうようにして、冬乃と沖田が漸くその店を出た頃には、茂吉との約束の時間がだいぶ迫っており。


 二人、駆け込むようにして入った次の店は、先程の太物屋とは違ってすでに仕立てられた着物が用意された、こざっぱりとした古着屋だった。

 そこで帷子、上掛けと寝衣、襦袢、履物、作業着など一通りを買い求めた冬乃たちは、そうして慌てて屯所へと戻ってきた。




 「沖田様、ほんとうに有難うございました・・!」


 別れ際、深々と頭を下げる冬乃に、


 「どういたしまして。そうしたら急いで着替えておいで」


 と沖田のほうは返事を返し、

 それへ顔を上げた冬乃の手に、荷物を渡してきた。


 畏まって受け取り、もういちど礼をして部屋へと戻る間、冬乃はもう心じゅうで踊っていて。


 (しあわせーーー!!!)

 叫んでもいた。


 沖田に着物を買ってもらって、そのうえ彼は当然のように帰り道、荷物を持ってくれて、これを幸せといわず何というの勢いで冬乃は舞い上がってしまっているのだった。


 とはいえ心浮かれつつも大急ぎで仕事着に着替えた冬乃は、

 さすがに仕事着は略装だし拘らないにしても、帷子のほうは果たして自分で着付けできるだろうかと心配になる。


 剣道をやってきているのでむしろ得意、というか当然にできてしまうのは袴の着付けのほう、

 なのだから全くもってこの時代の女性らしくないというか・・・


 (いや、もともとこの時代の女性じゃないけどさ。なりたいよね、やっぱ)


 着付けくらい習っておくんだったと、今ごろ後悔しつつ冬乃は、


 それでもこうして生活の最低必需品が揃ったことで、ただそれだけの事でも、この時代でやっていける自信をさらにいま感じていた。



 だが、やっていけるかも、と思える、その基の最大の支えは。


 傍でこうして面倒を見てくれる人が居るから、で。



 (沖田様、有難うございます)


 本当に信じてくれているかどうか、まだ分からない。だけどもう、無下にしないでいてくれる。

 ありがたすぎるくらいだと冬乃は思う。



 (がんばろう)


 冬乃は一呼吸つくと、部屋の障子を開け出て。


 仕事先の厨房へと向かった。




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