七. 居場所



 (なんで)

 

 冬乃は沖田に目を合わせられないまま胸中呟いて。

 

 (そんな平然と。)

 

 全部脱がせた?

 


 (・・そんなのって。)

 


 「もしかして嬢ちゃん、脱がされたこと怒ってるんじゃねえ?」

 

 「・・・原田おめえ、どこまで聞いてたんだ」

 

 「え?はは」

 まるで土方たちの会話をしっかり聞いていた様子の原田に、土方が苛立って聞くのへ、原田が肩を竦めてみせる。

 

 「すみませんね。そうして調べるほかありませんでしたから。なるべく見ないようにはしましたが・・」

 

 沖田が今更困ったように同じく肩を竦めた。

 

 「見ないようにしたぶん、触ったんだろ」

 

 (ええっ!?)

 原田の言葉に冬乃は目を白黒させて沖田を見た。

 

 ・・・なんとも余計な言葉を付け足した原田だが、

 

 確かに書類の有る無しを確かめるには、見るか触るか両方かの三択ではないか。



 (もう最悪・・泣きたい)

 


 ますます憤然とする冬乃に。

 

 「そんくらいの事ぁいちいち気にしてんじゃねえ!」

 

 あろうことか、土方が煩わしげに吐き捨てた。

 

 「どうせ寝ている間で気づかなかったんだからいいだろが」

 

 (うわ)

 

 綺麗な顔して、吐く言葉は女の敵さながらの台詞だ。

 

 (大体“そんくらい“ って事ないでしょ・・!?)

 

 おもわず目を剥いた冬乃に土方は、だがふと何を思ったか、にやりと妖しく笑んだ。

 

 「脱がされた程度で済んだんだから良かったと思っとけ」

 

 (・・・はあん?)

 

 「へたすりゃ、おめえ今ごろ責問受けてたんだぜ?」

 

 「・・・・」

 

 なにそれ。

 

 (ほんとに、どんな責問うけるんだったっての)

 

 「土方さん、」

 

 呆れたように沖田が遮って別の話題を持ち出した。

 「これから彼女をどうします」

 

 「どうするって」

 「八木さんちに滞在させますか。彼女がいうには、帰る場所は無いんだそうですよ」

 

 (あ・・)

 

 どきり、として沖田を見やった冬乃を振り返り、

 

 「貴女はどうしたいんです」

 

 沖田が確かめるように尋ねた。

 


 (・・・沖田様。)

 

 恋してやまない存在に。

 

 いくら彼にとっては仕事だったとはいえ、冬乃の知らぬまに既に二度も体を見られていたともなれば、恥ずかしさに今すぐこの場を逃げ出したくもなるけれど、

 

 (てか逃げ出したところで帰ってくる場所って、此処しかないものね・・)

 

 ああ、もう。

 

 「居させて、ください」

 

 冬乃は。

 

 「お願いします」

 

 心を決めて。

 

 沖田を見つめ、

 

 土方と原田を順に見て、頭を下げた。

 

 「信じてください。だって他に帰れる場所がありません」

 

 「俺は信じてやるぜ、嬢ちゃん」

 

 「俺は信じねえ。」

 

 「・・っ」

 

 吐かれた土方の声に、顔を上げた冬乃の前。

 

 「だが、おめえが此処に居ようが居まいが、八木さんがいいっつうんだったら俺は構わねえよ」

 

 (あ・・)

 

 「ありがとうございます・・!」

 

 冬乃はとっさに沖田を見上げた。

 

 目が合い。

 

 沖田がふっと微笑んだのを、冬乃は心の強張りが解けてゆく想いで見つめ返した。









 「で、どうして俺たちが隊名を賜ることを当てられたんだ?」

 

 土方が、眉を顰め尋ねた。

 

 「未来から来たから、・・それが答えです・・」

 

 何度目かになる台詞をいいかげん嫌になりながら吐いて。

 冬乃は、どうしようもなさに小さく溜息をついた。

 

 「だったら今日起こることを当ててみろ!」

 

 「本日は、新選組史に私が覚えているほどの大きな変化はありませんでした!」

 

 すでに聞かれると予測していた冬乃は思わず大声になってしまいながら即答した。

 

 唖然とこちらを見た沖田たちに。

 

 「ついでに明日もです。」

 

 冬乃は更なる未来予報を添える。

 


 「・・・・ならば聞き方を変える」

 

 (しつこ・・ッ)

 

 「次に起こる大きな事件は何だ」

 

 (何で聞くかな!信じてないんじゃなかったっけ?)

 

 などとツッコミを入れたい衝動につい駆られつつも、冬乃は記憶の内を探った。

 

 八一八政変の十日後から次に起こる事件といえば。

 

 (って、確か・・・新見様の・・)

 

 祇園。『山の緒』の料亭で土方沖田たちに、局長の一人である新見が切腹させられる事件ではないか。

 

 (無理、)

 


 「無理です。言えません」

 


 冬乃は咄嗟に首を振っていた。

 


 「なんだと?」

 

 「人の・・生死に関わることなので、言えないんです」

 

 冬乃はそう言って頭を下げながら。

 

 自分がなんと恐ろしい知識を持っているのかということに、

 今更気づかされる想いだった。

 

 (あと少しもしないうちに、一人の人が確実に死ぬいうこと・・)

 

 今は確かに生きていて。動いていて、温かい体を持っている人が。

 

 あと少ししたらもう、いない。

 


 そんなことを、

 

 (知っていたくなんか、ないよ・・)

 


 「生死に・・?」

 

 土方が訝しげに呟き。

 

 「誰だ。俺たち三人のうちの誰かだというのか」

 

 「違います!」

 

 咄嗟に答えた冬乃の前、

 

 「よっしゃあ!」

 

 (え?)

 

 突然、原田の素っ頓狂な声が響いて、冬乃は驚いて顔をあげた。

 

 「あと暫くは、とりあえず俺ら生きてるわけだ!今日と明日は何も無えってえと、まあ明日までは確実に生きてるんだろ?!」

 

 唖然としている冬乃に原田は嬉々として。

 

 「じゃあ今日は巡察でどれだけ暴れても俺、生きてるってわけだな!そうだろ!な?な?」

 

 (そ、そうですが。)

 

 うろたえて言葉なく頷いた冬乃の前。

 

 「おっし、いっちょ俺様の勇気ある行動を、皆の野郎にいつも以上に見せ付けてやろうじゃねえか!どうせいくら暴れても死なねえんじゃな!」

 

 とガッツポーズを決めた。

 

 「おい原田。」

 

 土方が呆れたように声をあげ。

 

 「おめえ、この女が未来から来たって本気で信じてるんじゃねえだろうな?」

 

 「まあねえ!」

 

 と、おもいっきり胸を張って答えた原田に、

 

 「ああそうかい」

 

 土方がお手上げとばかりに手をふり。

 

 「とにかく言えないってんじゃ、こんな役に立たねえ未来予報者は、ようするに信じてやる価値無しってこった。」

 

 (む)

 冬乃は思わず眉間に皺を寄せた。

 

 聞かれたことを答えていないので確かに文句を言われても仕方ないが。

 だけど、

 

 (無理なものは。無理)

 

 冬乃はそれでも。人の命の行く末など口にできそうになくて。

 

 「とりあえず総司、八木さんとこにもう一度頼みにいけ」

 


 (・・・え?)

 

 てっきり役に立たないからやっぱり追い出そうとでも言うかと思ったのだが。

 意外にも土方が率先して八木家との交渉を沖田に促したことに、

 冬乃は驚きを隠せないまま、そんな土方のくるりと向けられた背を見つめた。

 

 蔵の外へと出てゆく土方に、

 

 「そんじゃ、な。また夕餉の席で会おうぜ、嬢ちゃん」

 

 原田も続き。

 

 そういえばいつから冬乃の名は嬢ちゃんになったのか。

 

 (ま、いいけど・・)

 

 「総司」

 

 不意に土方が蔵の入り口で振り返った。

 

 「ちょっと来い」

 

 「・・・」

 

 沖田がこちらを見やった。

 

 まるで、ここで待っているようにと暗に示すような眼を冬乃に向けて、沖田は土方の待つ蔵の外へと出て行った。

 

 (何だろう・・・?)

 

 首をかしげながらも。この世界への滞在を許された冬乃は、楽観的に、沖田の出てゆく背を見つめていた。







    

 「未来から来たってんのも、あながち嘘じゃねえかもしれねえな・・」

 

 冬乃の姿を蔵の中に見止めながら、土方が囁いた。

 

 「かもしれませんね、本当に言い当てているのだとすれば。それとも全く違う話かもしれませんがね」

 

 「ああ。だが、正直驚いた。本当にあの女、もしも何か知っているとして、」

 

 土方は眼を光らせ。

 

 「・・間違っても、口外しねえだろな」

 

 沖田のほうは確信を込めて頷いた。

 「あの場で俺たちに言わないくらいです、まさか他の誰にも言うことはないでしょうよ」

 

 土方が、

 内々に計画している新見の件を。

 

 まるで冬乃は示唆するかのように『人の生死』と言って告げてきた時。

 土方は胸中、動揺した。

 


 「まだ分からねえ、本当に知っているのかどうかなど。だがあの女がどんな些細なことであれ口にするようなそぶりを見せりゃ、然るべき“処置” をとれ」

 

 「・・・ええ」

 

 「とりあえず暫く様子を見る。むしろ、あの女が万が一本当に未来から来たとして全て知っているのだとしたら、使わない手は無え。逃がさねえようにしっかり見張っておけ」

 

 「こちらが見張らずともどこにも行かないでしょうよ」

 

 苦笑しつつ、沖田は。

 

 (本当に。未来から来たと信じてみても悪くはないな)

 

 部屋へと戻ってゆく土方の背を見ながら、そんなことを思ってふと哂った。

 



 「では八木さんところへ挨拶に行きましょうか」

 

 冬乃の元へ帰ってきた沖田が、そう言って微笑んで。

 

 冬乃は、漸く向けられるようになったその微笑みに、胸をどきどきさせながら、

 こくんと頷いて。彼を見上げた、

 

 その時。

 「何故未来から来たのです」

 

 「え」

 突然に、核心を突かれて冬乃は息を呑んだ。

 

 「・・・・」

 

 (沖田様・・・)

 


 貴方に、

 

 逢いたいと

 


 「・・・来たいと、祈願して来たのです」

 

 「来たいと祈願すれば来れるのですか、未来の世からは」

 

 貴方に、

 

 「ち、違います」

 

 逢いたいと願い。

 

 「こんなこと普通、ありえません」

 


 祈って。でももうとっくに、諦めていたのに。

 


 「では貴女は奇跡を起こしたと・・・?」

 

 沖田が興味深そうに覗き込んでくるのへ。

 

 冬乃ははっとして見つめ返した。

 


 (奇跡・・・)

 


 「・・はい」

 


 この人に、逢えたこと、

 

 こうして、この人の傍に居場所をえたことは。

 

 (・・・そう、)

 


 「奇跡」

 

 沖田が確かめるように繰り返し呟き。

 

 「祈願したわけは、何です?」

 


 「それは、」

 

 更なる問いに、冬乃は言葉に詰まった。

 

 「・・・・」

 

 (まさか言えるわけない、貴方に逢いたかったなんて・・・)

 

 出逢っていきなりそんな告白ができるわけはなく。

 

 俯いてしまった冬乃に、

 

 だが、沖田は微笑った。

 

 「言えないならいいですよ」

 そう言うと、冬乃を促すように歩きだし。

 

 冬乃は後に続きながら、沖田の広い背をそっと見上げた。

 

 「冬乃さん、」

 

 その背がふりかえらずに冬乃を呼ぶ。

 

 「貴女が八木さんの家に滞在できるかどうかは、あくまで八木さんのご意向次第です。組としては女性の貴女を置くには使用人としてでなくてはいけなくなりますから、八木さんが快諾してくれることを願いたいところですが」

 

 「?」

 

 “使用人としてでなくてはいけなくなる”・・って、つまり、

 

 「私が何もしなくてもいいように八木さんの家に、と・・?」

 

 「もしそれが叶うならそれに越したことはないでしょう?」

 

 「で、でもそれじゃ」

 

 (なんだかすごく申し訳ない気が)

 

 「組のほうに、」

 冬乃は口走るように言った。

 

 「組のほうに置いてください・・何か、使用人でいいんです、できることをさせてください」

 

 沖田が立ち止まり、振り返って。

 

 その表情に、少し驚いたような色が浮かび。

 

 「使用人の仕事は大変ですよ?いいのですか」

 

 (それでもいい)

 

 「はい、全く構いません。置いていただけるだけでも嬉しいのに」

 

 (貴方の傍に、居られるだけで)

 

 こんなに幸せなことはないんです。

 


 沖田が、感心したように瞠目した。

 

 それからすぐ微笑って、わかりました、と頷いた。

 

 「使用人の部屋を案内しましょう」

 

 「はい!」

 

 冬乃は胸を躍らせて頷き返した。











 「こうも男ばっかの所やから、若い女子で使用人希望してきたんは、あんたはんが初めてやで」


 沖田に連れられて着いた先の使用人部屋に居たのは、茂吉という男で、


 「あんたはんほどの別嬪やったら、騒がしいことにもなりそうやわ」


 先ほどから、沖田と別れてこの男に厨房やら井戸場やらと冬乃は案内されながら、ひっきりなしの会話責めにあっていた。



 しかも早口とくる。


 (黙ってる時間無いし、このひと)


 年のころ四十あたりだろう。冬乃より背が低い彼の顎には、短い無精髭がボツボツ生えているのが見える。どうも、今朝は髭を剃っていないのか、伸ばしているのか。



 (こんなカンジのひと、お笑い芸人にいそう)


 不思議なことに風貌からしてすでに、この男には弾丸トークをかますような気配が見受けられるのだった。

 風貌までそうなるからには、これまでの人生の百分の九十九の時間、話しながら過ごしてきたんじゃなどと、冬乃は聞き流す間そんなことを想像しながら、


 (なんか)


 そうして屯所内を茂吉に連れられ歩く間も、

 すれ違う隊士たちの無遠慮な強い視線を感じていて。


 冬乃は、自身の容姿が幸にも不幸にも影響して、他人から無遠慮に見られることは、諦めに近い想いで慣れてこそいるものの、

 時代が変わっても同じ目に合うことに、そんなものかと思いながら、


 (いや、)

 ふと。

 ・・・今、それもそのはずだ、と。

 冬乃は、己の状態に気が行き始めた。


 そういえば、またも、道着を着ているままなのだ。


 女が稽古着を着て、もとい女人人口皆無といっていい屯所内を歩いていれば誰だって、凝視するだろう。

 と思い当たりながら、冬乃はふと首をかしげていた。



 (体ごと移動しているわけじゃないのに)



 初めに来たときも。来ていた間も。

 ここへ戻ってきたときもきっと。


 体は、もとの世界・・千秋たちの傍に在るまま。意識だけ引っ張られてここへ来ているのだとしか、言い様がない。


 すると、

 もしも。万が一向こうへ帰ってしまうことがあった時に。



 (こっちで道着を脱いで、他のものに着替えていた場合は・・?)


 向こうでは道着のままなのだから、道着のまま。

 そのあとに、こっちへ戻ってこれた時の格好は、また道着になっているのか、それとも最後にここで着ていた格好のままなのか。



 (・・?)


 なにか、不可解な感は消せようになかった。


 いっそ昔読んだニュートリノがどうののタイムスリップの現象そのままだったら、他になんら考えうるものがあるわけでもない冬乃には「そういうことかな」と納得のひとつもできたかもしれないが。



 (だいたい、)


 体が元の世界に在る以上。もし向こうで冬乃の体に何かあった場合・・たとえば今この瞬間にでも向こうで大地震でもあって、


 (考えたくもないけど)

 体のほうが、死んでしまったら。


 ・・・そして、そんな時にもし戻ってしまった場合。


 (私の”意識”が帰る体がない。つまり・・・)



 「・・・」



 冬乃はぶるりと身震いして、脳裏に浮かんだ想像を蹴散らすように頭をふった。


 (考えるのはよしな)



 運命、


 この先どうなっていっても。



 (もう私がなんとかできるハンイなんか、どうせ越してるし)




 この世界に来たと実感した瞬間から、感じていた。



 ───運命だと



 なぜ逢ったこともなかった昔の人に恋をして、


 なぜ今の今まで彼しか愛せずに、



 なぜ、


 こんな奇跡を得ることができたのか、



 その答えが。



 そうなるべくして成ったことだからだと。




 (・・・そうやって、信じて)



 この先もなるようになってゆくのに任せて、いけばいい。



 もうすでに決められた道を歩いているんだと、


 だから、



 (この先どうなろうと受け入れられるね、冬乃。)






 「冬乃はん!」


 (っわ)


 不意の茂吉の呼びかけに、冬乃はぎょっと顔を上げた。



 「何ぼーとしてん。夕餉の支度にかかる時までに、その稽古着みたいな服、着替えてきておくんなせ」



 (・・・は、着替え・・??)


 もってたっけ?


 いや、着の身着のままで来たのに、代えなんか持ってきてるはずがなく。



 「すみません・・。着替えは持っていません」


 「その服以外、何も持ってへん言うんか」


 あいかわらずの早口で、冬乃の返事をおうむ返した茂吉に、

冬乃は畏まって頷いた。


 訝しげに眉をひそめる茂吉の顔には『使用人として働きにきたくせに作業用の着物ひとつ持ってこないとは何事だ』としっかり描いてある。


 どうやら早口弾丸トークと同時に、さすがというか、使用人の長として模範になる心構えの持ち主でもあるらしい。



 (て、分析してる場合じゃなくて)


 「あの、借りれませんでしょうか?」

 作業着を。


 尋ねた冬乃に、だが茂吉はまさかとばかりに首をふった。


 「人の分まで余分に持てるんやったら、こないとこに雇われてへんわ」


 「・・・」


 新選組の東男達は、京の人々には押しかけてきた厄介者だ。そんな京の余所者嫌いを感じさせる台詞を吐いて茂吉は、諦めた様子で腕を組んだ。


 「しゃあないわ、そのままでも構わへん」



 すみません、とぺこりと返しながら、

 冬乃も困って溜息をついた。



 (ぜんぜん考えてなかった)


 ここに生活するということは。

 まず着物から下着から揃えなくてはいけないと。

 でも、

 (ここの時代のお金なんかもってないし・・)


 使用人としての給金をもらうまで待つわけにもいかない。

 いま着ている道着と下着を毎日洗って使おうとしても、まず洗っている間に着るべき代わりのものがなくてはならないわけで、


 ・・ようは今すぐお金が必要なのだ。


 (どうしよう?)



 「ほな、」


 眉を寄せている冬乃に茂吉は、

 一時後の七つ時に夕餉の支度に厨房へ来るようにと言い置き、使用人部屋のほうへと踵を返した。


 「はい」

 去ってゆく背を見つつ、


 (一時後・・)

 二時間後のことだったか、と一瞬考えながら冬乃は、

 戻る場所もとくになくその場に立ったままに考える。



 (着物って、この時代でどのくらいするんだろ?)


 いっそ給金を前借りすることはできないだろうか。

 

 いま新選組は、十日前の功労で拝命すると同時に会津から正式に御預で召抱えられ、まだまだ全盛期には到底至らなくても、使用人を持てるくらいまでにはなっている。


 (・・・そうしよう・・。)


 置いてもらえるだけでも有難いなか、前借りしたいなどとお願いするのは気が引けるが、沖田の前で小汚くしてるのだけは、どうしても耐えられない。


 冬乃は心を決め、相談できる唯一の存在の沖田をまず探すことにした。




 だが。


 暫く前川邸内を行ったり来たりしながら。冬乃はさすがに居たたまれなくなってきた。


 通りかかると、稽古をしている隊士たちまでが、動きを止めて冬乃をじろじろ見るのだから。



 (わかってる、)


 男所帯に八木家以外の女性の姿があるだけで珍しいうえに、冬乃はいま道着を着ており。


 (しかたないっていえばしかたないんだけど)


 無遠慮を越してあからさまにこうまで見られていると、それこそ穴にでも逃げ込みたい気分になってくる。




 「冬乃さん」



 (・・・あ)


 あまりに目立っていたらしい。


 結局、沖田のほうが冬乃を見つけて声をかけてきた。



 「一通り、仕事の概要は掴みましたか」


 「はい・・」

 冬乃は沖田の穏やかな低い声を耳に、心がほっと落ち着くのをおぼえ。


 秋の夕時の風がさわさわと過ぎてゆくなか、


 涼しそうな薄い灰色の袴に帯刀姿の沖田を、あいかわらずうっとり見上げながら冬乃は、


 「お願いが、あるんです」

 尋ねようと思っていたことを、切り出した。


 「身のまわりの物を、揃えたいんです。たとえば他に着るもの・・」


 「ああ、」


 お金を前借したいと、最後まで冬乃が言うまでもなく沖田が分かった様子で頷いた。


 「・・仕事着もありませんね?」

 時間があるか、と立て続けに聞いてきた沖田へ、冬乃は確証なく首をかしげた。


 「食事の支度を始めるまで一時ならあります・・」

 「十分です。出ましょう」


 (・・・て、マジ)



 どうやら彼と“ショッピング” に行ける展開に。

 冬乃は内心飛び上がりたい想いで、


 大きな背を向け歩き出す彼のあとに、続いた。




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