六. 嫌疑

 

 


 ・・・

 

 ・・・さん、

 

 

 ・・冬乃さん

 

 

 

 「冬乃さん」

 

 

 

 焦がれた、あの低い声が。

 

 冬乃の鼓膜を緩く刺激して。

 


 決して、懐かしいなどというにはまだ、

 あまりにも早すぎるはずの再会を。

 

 それでも、もう二度と逢えないかもしれないと

 一度は恐れた心がいま、かみしめて深い安堵に包まれ。

 



 冬乃は薄い霧の引いてゆくなか。

 

 そっと目を開けた。

 



 「冬乃さん」

 

 覗き込んでいた彼は冬乃の目覚めを確認すると、ふっと息をついたようにみえた。

 

 「沖田様・・」

 「十日も何処にいました」

 

 冬乃の声に、沖田の抑揚のない声が重なった。

 


 「・・・?」

 



 (十日?)

 


 聞かれた言葉を、

 

 (いま、十日って言った?)

 


 冬乃が呑みこむまでに、

 

 二人の間には沈黙が落ちた。

 



 「・・・あの、」

 

 漸う紡ぎだした冬乃の声は、困惑に掠れ。

 

 「十日って、・・」

 

 「十日前。貴女の言った通りに、隊は会津公より名を頂戴することとなりました」

 

 冬乃の枕もとに座したまま、沖田は淡々と返してきた。

 

 「だが、貴女がその日ゆくえを眩ませた所為で嫌疑のほうが強く、未だこちらは貴女を信じられずにいる」

 


 「・・・」

 

 廊下に人の話し声が、起こり。

 


 「・・貴女には、悪いがいろいろと聞かなくてはなりませんよ」

 

 「沖田様、」

 

 この部屋のほうへ、人の声は向かっていた。

 

 「十日も経っていたなんて知りませんでした、だって」

 

 冬乃は布団から身を起しながら、おもわず縋るように沖田を見つめた。

 

 (この世界の進みは、向こうに比べて速すぎる)

 

 「私にとっては、さっき行って、いま帰ってきたばかりで」

 


 「目が覚めたようだな」

 

 からりと、障子が開かれた。

 

 現れた土方の、白皙の面が冬乃へ向けられ歪み。

 

 「どこへ行っていた」

 

 「あんた、またしても土方さんの部屋で倒れてちゃあ、そりゃあ土方さんも怒るぜ」

 

 場違いに暢気な原田の笑い声が、土方の背後から続いて響いた。

 勿論そんなことで怒っているわけではない土方は、原田の茶化しに忌々しげに眉を顰めながら、

 

 「この十日、どこに、行っていた」

 

 一語一語を強く繰り返し。

 

 「・・・望まぬうちに未来へ、戻っておりました」

 戸惑ったまま答えた冬乃へ、

 

 「ばかげた嘘もいい加減にしろ!」

 

 ぴしゃりと返された土方の一喝が、部屋に轟いた。

 

 「う、嘘なんて言ってません!」

 

 必死で言い返した冬乃に、だが土方はさらに色を成しただけだった。

 

 

 「・・責問の準備をしろ、総司」

 

 (せめどいって何??)

 

 目を瞠り土方を見つめた冬乃の横、沖田が黙って立ち上がり。

 


 (・・・まさか・・“拷問” のことじゃあないよね・・・??)

 

 「あの・・沖田様、」

 

 「立ちなさい、冬乃さん」

 

 「・・・・」

 

 冬乃は声を失い、呆然と沖田を見上げた。

 


 「おいおい、ふたりとも本気じゃ、ねえだろな。・・・女子だぜ?」

 

 原田がとりなすように言うのへ土方は答えずに、うろたえたまま立ち上がらない冬乃を睨みつけ。

 

 「早く立て」

 


 (うそでしょぉ・・・?)

 

 「総司、蔵を使え。俺もあとから行く」

 

 「おい、土方さん、沖田。あんたら・・」

 

 「原田。この女を助けに入ってきたら、承知しねえからな」

 


 (マジな・・・わけ??)

 

 冬乃は泣きたい想いで今一度沖田を見上げた。

 

 瞬間、

 

 (え・・)

 沖田の手が冬乃へと伸ばされて。

 

 身を固くした一瞬、

 冬乃の腕は掴まれ、軽々と引き上げられ。

 

 「っ・・」

 

 勢いに抗えずに。

 

 引き上げられたと同時に、沖田の腕の中へ倒れこんだ冬乃の耳元に、だが刹那、

 言葉が囁かれて。

 


 「・・・、」

 

 冬乃は、顔をあげた。

 


 「ついていらっしゃい」

 

 ごく自然に冬乃を離し、沖田は廊下へ向かい。

 



 (沖田様)

 

 

 ────心配しなくていい。

 


 確かに、

 

 冬乃の耳にはそう囁いた彼の声が、残っていた。









     


 冬乃の前、沖田の背が一度も振り返らずに黙々と廊下をゆくのへ。

 

 (沖田様・・)

 

 先ほど聞いた囁きは聞きまちがいだったのかと、泣きたい想いで冬乃は俯いた。

 

 責問。

 

 それが確かに拷問を意味するのだと。

 

 『ふたりとも本気じゃ、ねえだろうな。女子だぜ?』

 

 先ほどの原田の、その言葉で冬乃には想像がついた。

 

 

 (いっそ・・)

 

 本当に逃げ出してやろうか、と。

 

 冬乃は胸中思いつつ、だがすぐにそんな情を否定するより他なく。

 

 もちろん帰りたい場所は、沖田の居る此処でしかないのだから。

 


 「冬乃さん。今から尋ねることへ正直に答えてください」

 

 不意に沖田が振り向いて。

 冬乃は驚いて顔をあげた。

 

 (正直に・・?)

 

 「本当に、貴女は未来から来たのですか」

 

 顔をあげた先に。

 

 冬乃を一寸も逸らさずに見つめる眼差しが、

 冬乃の応える全てから真実を読み取ろうと、構えていて。

 

 「・・・はい。本当です」

 

 信じて。

 

 「どうか、信じてください」

 

 「・・・」

 

 (貴方にだけは疑われたくない)

 

 他の誰に疑われても、貴方にだけは。此処に居る冬乃という存在を否定してしまうような、そんな眼差しで見られたくない。

 

 「本当です・・」

 

 ついには消え入るような声で呟いた冬乃を、沖田は表情の無いままに見つめた。

 


 「ならば、“この世“ で貴女が頼れる場所はどこにも無いんですね?・・此処くらいしか」

 


 (え・・)

 

 まるで冬乃の心までを読んだかのような沖田の台詞に、冬乃は息を呑んだ。

 

 「はい、無い・・です。此処しか、私には」

 

 「それでは、逃げなさいと言っても、今の貴女では心もとないか・・」

 

 沖田は何かを思案するような様子で、呟き。

 

 「・・一時的に監視付きで逃がしてやる手助けぐらいならば、幾らでもできると思ったが」

 

 

 (“今の貴女”・・?)

 

 また、記憶喪失だと思われているのかもしれない。


 先の冬乃の真剣な返答から、冬乃が嘘を言ってはいないことまでは分かってくれたのだとしたら、

 今さしあたって、未来から来たと未だ信じ込んでいる可哀想な女、に話を合わせてくれているのだろうか。

 

 まだ嘘つきだと疑われるよりかは、ずっといい、

 

 (だけど・・)

 

 「第一あの人は、一度こうと決めると強情で、なかなか覆さない」

 

 零された言葉に、冬乃ははっと沖田を見返した。土方のことを言っているのだろう。

 

 「貴女を本気で責問うつもりですよ。あの人の気が鎮まるまで、今は貴女を逃がしてやるぐらいしか」

 

 「逃げたくてもできません。本当に、私には此処しかないんです」

 

 「ならば貴女の言う“未来” にお帰りなさい」

 

 「・・・」

 

 もう未来でさえ帰れないかもしれないんです。

 

 冬乃は心奥に、ぽつり答えていた。

 

 

 あの時ここへ来ることを、彼の傍に在ることを願ってしまった。

 

 願ったからこそ来れたと。

 霧の開けてゆくなかで冬乃は、そんな想いがしたのを。覚えている。


 でも、どちらにしても。

 

 「帰り方は分からないのです。どうやって帰るのか・・」

 

 「貴女は十日前にそこへ帰っていたでしょう」

 

 「帰ろうとして帰ったんではないんです・・!勝手に・・気がついたら向こうに」

 

 沖田が目を丸くする前、冬乃は縋る想いでそんな沖田を見つめ返した。

 

 「本当に、私は未来から来たんです・・!お願いします、どうか信じて、そして土方様を説得してはいただけませんか・・」

 

 (貴方しか、)

 

 頼れる人はいないんです。

 



 「・・・」

 

 冬乃の必死な眼差しの先で。

 

 冬乃に向かい、

 


 「分かりました。貴女を信じて、みますか」

 


 沖田が初めて、微笑んだのを。冬乃の涙にぼやけた視界が捉えた。









 「信じてみろだって?!」

 

 蔵じゅうに土方の怒声が響いた。

 

 「そんなん信じるわけがねえだろう!」

 

 「幽霊は信じるのに?」

 

 沖田の揶揄節が続き。

 

 冬乃は。

 

 土方の説得にかかってくれた沖田の斜め後ろに立って、始まった二人のやりとりをハラハラと見守っていた。

 


 「・・ああ、そうだったな、おめえはそういうの信じねえ奴だったな。しかしなんだ、てえと幽霊信じてねえやつが未来から来たやつは信じられるってか」

 

 「幽霊信じてるやつが未来から来たやつは信じねえってのも妙な話ですぜ、土方さん」

 

 土方の物言いを真似しながら、沖田が言葉をもじって返す。

 

 「どうせ両方この世のものじゃないでしょうに」

 

 (・・・なるほど)

 

 おもわず納得してしまった冬乃の前。

 

 「てめえ・・いいかげんにしやがれッ」

 

 土方が、切れた。

 

 「その女の戯言、本気で信じてんじゃねえだろな?大体信じてやるに足る証拠なんかねえだろうが!」

 

 「信じてやらないに足る証拠も無いですよ」

 

 土方さん、

 と沖田は困ったように呼びかけ。

 

 「現に十日前、まさか当てられるはずのない出来事を見事に言い当てた。これをどう説明するのです」

 

 「だから責問してそれをこれから聞き出すんだろうが!」

 

 (うわ)

 冬乃はおもわず後退さる。

 

 「そんなもん、すぐに失神するのがオチですよ・・・」

 

 「総司、言っとくが」

 

 土方が不意に声の調子を変えて、沖田の背後の冬乃をちらりと見やり。

 

 「俺が女に鞭打つような趣味してると思うかよ」

 

 (え?)

 

 「・・・ああ。それを聞いて安心しました。てっきり土方さんにはそういう趣味がおありかと」

 

 肩をすくめた沖田の後ろ。

 

 冬乃は首を傾げていた。

 

 (じゃあ・・何をもって責問って言ってるわけ?)

 

 「女相手なら、鞭なんかで体力使うよりかもっと楽なほうを選ぶさ」

 

 「どちらにしろ趣味が宜しくないな」

 

 何?

 

 (なんの話をしてるの?)

 


 「協力、してくれるな?総司」

 

 土方の白い手がすっと動いて。懐から何かを取り出し、沖田に向かって手渡した。

 

 「・・もう少し様子をみましょうよ」

 

 渡された手の中のものを見やり。沖田が溜息をついた。

 

 「これは、あまりに可哀想だ」

 


 (何?マジに何?!)

 


 冬乃は沖田の手の中の物を見ようと首を伸ばしたが、沖田はそれをさっさと懐へしまってしまった。

 

 「なにもいきなり信じろと言ってるんじゃありませんよ。騙されたと思ってとりあえず信じてみる方向を採ってみては・・と言ってんです」

 

 「って、騙されたら終わりじゃねえか!」

 

 「・・敏い人と会話すると、どうもいちいちめんどくさい」

 

 「ぐだぐだ言ってねえで早く始めっぞ!」

 

 「まあまあ」

 冬乃のほうへ近づこうとした土方の前に、沖田はさりげなく立ち塞がった。

 

 「土方さん、」

 

 間近に己の鼻下まで迫った土方の頭に、沖田は土方の顔を覗き込むようにして尋ねた。

 

 「そもそもこの女人を俺たちが密偵かなにかと疑う理由は何でした」

 

 「あん?・・俺の部屋に侵入してそのまま倒れてたからだろうが」

 

 沖田を見上げながら土方は、何を当たり前なことを今さら聞くんだと云わんばかりに、眉間にしわを寄せた。

 

 「そう。二度も、ね」

 

 「・・・ああ。?」

 

 「ずいぶん馬鹿な密偵がいたもんですねえ」

 

 「馬鹿なんだろ実際」

 

 (なにいい!?)

 

 返答に目を怒らせた冬乃に、土方が嘲笑うかのようにフンと鼻を鳴らしてきた。

 

 (ちょっと・・カンジワルすぎなんですけど?!)

 

 義父の他に、今迄でこれほど相性の悪い人間に会うことも、そうそう無かったような気が・・?

 

 冬乃は心内ぐったりと土方から目を逸らした、

 

 その時。

 

 「冬乃さん」

 

 あいかわらず耳に心地よい、

 低く穏やかな響きの声音が、冬乃を呼んで。

 

 「はい」

 その背を見やりとっさに返事をした冬乃へ、振り返り沖田が続けた。

 

 「貴女が密偵でない証拠さえあれば。・・なんでも、なにか思い当たることはありませんか」

 

 (え・・)

 


 密偵じゃない、

 

 証拠?

 




 密偵じゃない証拠、

 

 をあげろって・・

 

 (そんなこと聞かれても)

 

 冬乃は戸惑い、首をふった。

 

 「・・・なにも、無えのか」

 

 土方が、なにやら沖田の意図を読んだような面持ちで、

 先ほどまでの調子を変え、冬乃を注意深く観察し始めた。

 


 なにも・・・って、

 

 (なにも、思いつかないんですけど)

 

 冬乃は心底困って、首をふるしかなく。

 

 (沖田様、・・どうしてそんなコト聞くんです)

 

 冬乃のほうは沖田の意図が分からず、ひたすら戸惑いに溢れて彼を見上げた。

 

 そんな冬乃から、沖田はふと目を逸らすと土方を再び見やった。

 

 「彼女の態度に、密偵特有の反応が見られます?」

 

 (え?)

 

 ・・・密偵特有?

 


 「確かに、一風違えかもな」

 

 土方が眉間に皺を寄せた。

 

 『過去の今まで忍んできた者と、全く共通した態度が無い』

 

 土方に確認させるかのように、沖田が言い直し。

 

 「・・・女、」

 

 土方のほうは冬乃を今一度、促すように見た。

 

 「本当に何も、思いあたらねえかよ」

 

 「っ・・そんな、思いあたらないものは思いあたりません。でも密偵なんかじゃ絶対ありません!」

 

 「・・・・」

 

 土方は、なにやら考え込むように腕を組んだ。

 

 (・・・・??)

 

 なんだというのか。

 

 「あの・・いったい?」

 

 「総司、この女は確かに何も持ってなかったと言ったな」

 

 「ええ、何も。」

 


 ・・・・え?

 

 (“持ってなかった” ?)

 

 「見たこともない肌着ならつけてましたが、ね」

 

 沖田が吐いた言葉に。

 


 (い・・・)

 

 冬乃は、ぐらりと目の前が真っ白になった。

 


 (い、今の台詞、何?!)

 


 「沖田様、それどういう意味・・」

 

 「前回と、先程・・貴女が起きる前に、貴女が何も密書の類いを見につけてはいない事を確認させてもらいました」

 

 ・・って、だからそれは、

 

 「全て脱がせたってことだよ」

 


 土方が補足した説明に。

 


 「だ。誰が」

 

 「だから、沖田が。」

 


 (う・・)

 


 ウソぉおおお???

 


 「これまでのように本物の密偵ならば、隠すべき事項から勘問者の注意を逸らすために、手辺り次第なにかしらは挙げてくるものです。だが、彼女の反応はこの通り、呆然として分からぬと繰り返すだけ」

 

 ・・なにやら。

 

 「ついで、彼女は密書の一切も、何も持っていなかった、つまり当然に部屋から盗られた物も無し。それも二度とも。これらの事から、彼女が密偵とはさすがに言い難いように思いませんか」

 

 沖田が最終説得を試みてくれているようだったが、もはや。

 

 冬乃の頭は。

 

 真っ白になっていて。

 


 「彼女の密偵の疑いが濃くはない以上、責め問う必要もありませんね?」

 

 「・・・わかったよ。だがな、疑問はそれでも“健在” さ。それならこの女はどこから来て何の用で俺の部屋に居たんだ」

 

 「ですから未来、が関わっているかもしれませんよ」

 

 「総司おまえ、本気で信じてんじゃねえだろな??」

 

 「正直、まだ信じてはいませんが、信じようとして信じてみるのも悪くない。まずは・・」

 

 「ああ、悪くねえ!!大賛成よ!!」

 

 突然、

 今までどこにいたのやら原田が、大声で蔵の中に飛び込んできた。

 

 「全てまずは信じてみようとすることから始まるってな!よかったなぁ嬢ちゃん、責問されずに済みそうで!!・・・て、ありゃ?」

 

 原田が首を傾げて冬乃を見つめるのへ、つられるように振り返った沖田の、

 

 「・・・冬乃さん?」

 

 目に映ったのは。

 

 当惑しきった表情で顔を背ける冬乃の姿だった。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る