三. 蔵のなかで

 


 


 (最悪・・・)

 

 がこん、と外で錠が閉められた音を聞きながら。

 冬乃は、これから一体どうすればいいのかと。途方にくれた。

 

 (千秋・・真弓・・)

 いなくなった冬乃を探しているだろうか。今頃心配しているに違いない。

 

 いや、心配どころか・・

 

 あのときは、頭の奥を引っぱられるような感覚がして、目の前に霧を見て、

 

 気がついたときには、すでにもうココに居た。つまり、

 向こうの世界で、冬乃はその瞬間に突然消えてしまった、ということなのではないか?

 

 だとしたら彼女たちのまさに目の前で、冬乃は掻き消えた、ということになる。

 

 (怖いおもい、させちゃった、よね・・)

 

 私は無事でいると。伝えようもない。

 

 (いや、無事じゃナイか)

 

 もう自分は向こうの世界で死んだも同然なのだろうから。

 

 何かのSF小説で読んだことがある。

 

 (ニュートリノ、とか言ったっけ)

 

 その小説は唱えていた。タイムスリップは理論上可能だ、と。

 

 ニュートリノは量子の世界で存在するといわれる極小の粒子。

 

 (たしか・・)

 電磁波のエネルギーによって時空間に一点の穴を開けて。

 

 ある加圧をもって人体を通過させたニュートリノをその穴へ送りこむ。

 それによって、通過の際にニュートリノがコピーした人体の情報は繋いだ時間の向こうがわへと伝えられ、

 

 元の世界での肉体は、ニュートリノから受ける衝撃によって破壊されるが、

 コピーが送られた向こうがわの世界において、その肉体は”再生”される。

 

 (ていうか時空間だとかニュートリノを活用するだとか・・)

 

 所詮SFだと思って読んでいた。

 

 だが今、冬乃はタイムマシンさえ乗らずに実際に時を越えて、140年もの昔の世界に存在している。

 

 冬乃がどういった事象のうえでここへ来たのか冬乃には知りようもない。

 

 だが。

 

 (何故、私の体に、起こったの?)

 



 格子窓から差し込む日の光を冬乃はぼんやりと眺めた。

 

 (どう思うだろう)

 

 冬乃の心は、つと母親のことを想い描いた。

 

 (私がいなくなったら、少しは悲しむ・・?)

 

 来るはずがないと分かりきっていながら、冬乃は母親の姿を大会場で探していた。もちろんその姿を見ることなど無く。

 

 (いいかげん、あんな人どうでもよくなってしまえたら、どんなに楽だろ)

 

 何度、そう思ったことだろう。

 それでも今。もう二度と会えないと思えば。

 

 あれほどつらい目にあわされたというのに愛しさが込み上げて。

 

 

 (とうとう分かりあえずに終わっちゃったんだね)

 



 泣きたい気分なのに。

 

 涙が出てこない。

 

 (なんだか・・)

 

 まだ現実を受け入れてない。

 

 (こんなのはやっぱり、夢で)

 本当によくできた夢なだけで。

 

 もしかしたら覚えていないだけで、冬乃は医務室まで辿りついていて、そこで薬でも打たれたのかもしれなくて。

 

 その薬の副作用か何かで、いま幻覚じみた夢でも見てる最中なだけだと。

 

 誰も居ない薄暗い蔵のなか、こうして一人座っていると。

 そんなふうにさえ思えてくる。

 

 どこからどこまでが現実なのか。分からなくなる。

 



 そう、この世界は幻で、

 

 私はいま、夢を見ているだけ。

 

 じきに目が覚めて。

 きっとこの夢のことも忘れてしまって。

 

 (また元どおり、生きていくのかな)

 



 冬乃は大きく溜息をついた。

 

 (馬鹿じゃないの私)

 

 あれだけ嫌だった現実なのに。

 

 今は懐かしい。たった少し離れているだけなのに。

 

 これが本当に夢であってほしいと願ってる?

 



 「あーあ。沖田様、やっぱかっこよかったなー・・」

 

 冬乃は混乱する思考を抱え、どうしようもなさに笑い出しそうになる感情の渦のなかで、ぽつり呟いた。

 

 (とりあえず人生最大の幸せではあったからね。この体験がただの夢だとしても)

 

 あれほどリアルに。彼を傍に感じることができただけでも。

 

 (これが夢なら、それで満足するべきなのかなぁ)


 

 土方と違って後世に写真の遺っていない彼だが、出逢えた彼は冬乃の想像してきた以上だった。

 

 見た目がどうこう、という程度のものではなく、彼のまとう雰囲気そのものが冬乃を圧倒した。

 

 (・・・蔵に閉じ込められなかったら、今もこの世界を疑ったりはしてないだろうな)

 冬乃は、つと思う。

 

 ただでさえ信じられぬ出来事の後に、こうして誰も居ない空間に置き去りにされたせいで、ようやく非現実感をおぼえたのだ。

 

 もし今もなお彼の傍に居て、彼と会話をしていたなら、そうはいかなかった。

 

 どうしてあれほどリアルな存在を疑ってかかることができるだろう。

 

 彼を包む世界もまた、本物そのものだったのだから。

 

 風の匂い。草木の息吹。鳥たちの声。

 

 全てが、確かに存在、していたのだ。

 

 世界から取り残されたようなこの蔵でさえ、この地面は冷たく。膝を抱えて座る冬乃にひんやりとした感覚を確かに与えている。

 

 (どうしたい?)

 

 自分は、どちらを選ぶ?

 もしも、本当に此処が深い夢のなかで。此処と、自分が本来居る現実世界、どちらかを。

 

 選ばなくてはならないのなら。

 

 どちらを自分は望む?

 



 (ちょっと前までの私だったら、迷うことなくココを選んでたな)

 

 冬乃は自嘲に笑った。

 

 (見知らぬ世界で蔵なんかに閉じ込められて独りにさせられたら、私でも人並みに寂しく思うもんなんだ?)

 

 そうして寂しく思って、想い浮かべたのは母親だったなんて。

 

 (・・ふざけてるし)

 

 冬乃はもう一度、乾いた声で、哂って。

 本格的な”どうしようもなさ” に喘ぐように、後ろへ倒れた。

 

 (とにかく)

 

 冬乃は願う。

 

 (こっから出たい)

 

 寝転がった背全体に冷たい感触をおぼえながら、冬乃は宙へと深く溜息を吐き捨てた。



 

  

  

 

  

 

  

 ふと冬乃が目を覚ました時。

 小窓から差し込む光は、朧な橙色になっていた。

 

 いつのまにか眠ってしまっていたらしい。

 冬乃は体を起こすと、光を零すその小窓へ歩み寄り、つま先立って外を覗いた。


 「・・・・!」


 そこには、一面の田畑が今まさに橙色に染まっていて。


 冬乃は思わず溜息をついて、小窓の鉄格子に手をかけた。

 幻想的な景色にすっかり見とれながら、一度、限界に近づいたつま先を解放すべく踵を地に戻した時。

 

 ガタガタ、と蔵の扉が音を立てて、冬乃はどきっとして顔を向けた。

 

 「・・ったくこんな古い錠をいつまでも替えないでいて、結構八木さんも無頓着だよね」


 なにやら、聞いたことのない人の声がした。

 

 扉のほうはガタガタとしきりに揺さぶられている。

 つと、舌打ちが聞こえ。

 「埒があかないな」

 低い声の響きが扉の向こうから零された。


 (沖田様・・・!)

 冬乃にとっては一度聞けば忘れることのない、その声を耳にして。

 

 冬乃は息を呑んで、扉を見守った。

 

 「明日替わりの錠でも作るか」

 沖田の声がさらに追い。

 扉の揺さぶりが、ふと止んだ。


 「げ、何するつもり?!」

 

 「壊す」


 「壊すっ・・て鉄だよ!?」



 その言葉が、最後だった。

 

 一瞬の沈黙の後。

 

 ドサッ、と何か堅いものが地に落ちたような音が続き。

 

 ぎいいいい、と心臓に悪い音を立てて、強張る冬乃の前、扉が開かれていった。


 (まぶし・・)

 

 突如、蔵の中へと飛び込んできた大量の橙光に、冬乃は慌てて目を瞑る。

 

 サッサッと袴の捌かれる音が近づいてきて。

 

 「・・そろそろ此処を出ましょうか、冬乃さん」

 

 沖田の声に。


 冬乃は怖々と目を開けた。

 開けた視界のなか。沖田が、懐手で立っていて。

 

 冬乃は目を見開いた。

 

 なぜにも、いま沖田は先程の稽古着姿ではなく、着物に袴、腰には帯刀という姿だったのだ。

 

 (超カッコイイっ!!)

 

 思わず心のなかで絶叫し、感動した眼差しで沖田を見つめ出した冬乃に、だが沖田の隣に佇んでいた男が咳払いした。

 

 「あのお、沖田。俺のこと、紹介してくれないかな」


 (あ・・)

 はっと、冬乃はその声の主を見やった。

 

 冬乃と同じほどの背丈の男が物珍しそうに冬乃を眺めている。

 

 (この方、誰だろう?)


 ようやく彼に注目した冬乃に、沖田が、

 「これは藤堂平助君」

 と伝えた。


 (藤堂様!この方が!)


 「よ・・」

 よく存じておりますっ、

 危うく言いかけた冬乃は慌てて口を噤む。

 

 また余計な事を言って、密偵だと確信されてはたまらない。

 

 「冬乃さんって言うんだよね!宜しく!」

 藤堂が屈託なく笑った。

 

 冬乃は思わずつられて微笑みながら、

 「こちらこそ」

 と頭を下げる。

 

 「沖田。こんな可愛い子が密偵なわけないよ」

 

 そんな言葉が下げた頭の上に降ってきた。

 

 「馬鹿。そんな理由があるか」

 

 頭を上げながら冬乃は、沖田が笑って藤堂へ返すのを見て。

 冬乃の胸はどきり、と跳ねた。

 

 (そんな表情を友達には見せるんだ・・・)

 

 心を許しきったような笑顔というのは、彼の今の表情を指すのだろう。

 

 (・・・て、あれ?)

 ふと。

 (刀・・)

 

 冬乃は橙光に眩んでいた視界が漸く収まってきた今になって、沖田の腰の大刀のほうが未納であることに気づいた。

 

 (・・?)

 手に抜き身を下げてもいない。

 

 彼の腰の鞘に納まるはずの刀身はどこにあるのだろう。

 

 「腹が空いてるでしょう?」

 視線を泳がせていた冬乃に、沖田が観察するような眼差しを向けてきた。

 

 「夜になれば真っ暗だ。こんな処で食事させるのもさすがに、と思いましてね」


 その口ぶりからは、どうやら今は沖田が冬乃の扱いの全権を担っているようだった。

 彼ならば、夜通し冬乃をこの蔵に閉じ込めておくことはしまい。

 

 「はい、空いてます」

 冬乃は、ほっとしながら頷く。

 

 沖田はその答えを聞くなり、くるりと踵を返し扉へ向かった。

 藤堂が促すように冬乃に微笑みかけると、沖田のあとをついてゆく。

 

 それに続きながら冬乃は、先程より弱くなった橙の光へ沖田たちの後ろ姿がまるで吸い込まれてゆくさまを見た。

 

 

 「・・・」

 

 不思議な気分をおぼえ。

 

 それはどこか遠くの光景のようで。

 

 一瞬、自分と彼らはやはり違う世界の存在なのだと強く感じて、冬乃はいたたまれない想いに目を瞑るがごとく、早足で二人のあとを追った。

 

 蔵の外へ出たとき、沖田が振り返り冬乃を見やった。

 

 「で、記憶は取り戻しました?」

 

 冬乃は、ぎくりと見構えた。

 「・・・記憶もなにも、」

 

 どうしようもない。

 未来から来た、それ以上の何でもないのだからそれを繰り返し伝えるしか。

 

 「私が言うべきことは以前と変わっていません」

 

 「・・・・」

 冬乃の真剣な眼差しに、沖田と藤堂が困ったように顔を見合わせる。

 

 「・・・まあ、話は後でいいでしょう。まずは食事を」

 

 沖田が案外あっさりと打ち切って、藤堂のほうが驚いたように沖田を見やった。


 沖田はその場に屈んで、草むらから何やら掴み出し。

 

 (わ・・)

 その、沖田の掴んだものを見て、冬乃は唖然とした。

 「その刀・・・どうしたのですか」

 

 「この蔵の鍵、壊した代償」

 藤堂が笑って代返する。

 

 冬乃は食い入るように沖田の手の内にある大刀を見つめた。

 ものの見事に刃の部分が粉々になってしまっている。

 

 「・・この程度の刀しか持てないようじゃ、この先、俺たち長くないな」

 

 沖田が苦笑するのへ、藤堂は肩をすくませた。

 

 「この程度の刀で、鉄をぶった切ったおまえなら、まず大丈夫だよ」

 

 

 (・・・・?)

 冬乃は、つと沸き起こった疑問に首を傾げた。

 

 (今って・・いつなんだろう?)

 

 壬生に屯所がある以上、時期は壬生だ。

 だが冬乃の今現在いる時期は、壬生に屯所があった時期のなかの、いつ、なのだろう。

 

 『この程度の刀しか持てないようじゃ、』

 

 沖田のその台詞に、冬乃のなか、ひっかかるものがあった。

 

 沖田達がここ京の地で結成した武人集団、新選組は、彼らを世に知らしめる “池田屋事変”も過ぎた頃からいわゆる裕福になる。

 

 沖田など中核幹部の給与はものすごい額だったというから、良い刀などいくらでも買えたはずだ。

 

 しかも沖田はその幹部のなかでも新選組の撃剣を担う巨擘。

 沖田の持つ刀の良し悪しは、そのまま新選組の命運を左右するといっていい。

 彼が欲する刀なら、個人出費ではなく組の出費として購入することさえできたはずだ。

 

 その沖田が、いま『この程度の刀しか持てない』と言って苦笑している。

 

 (どういうことなの?)

 

 たしか。

 のちに栄える新選組も、はじめの頃はひどい貧乏だったときく。

 

 新選組の沖田総司が『この程度の刀しか持てない』と言っている時期といえば、その貧乏だった時期しかありえないではないか。

 

 (つまり、私は今・・・)

 

 「文久三年」

 冬乃は呟いていた。

 

 「・・・?」

 

 沖田が冬乃の呟きに視線を寄こしたとき、

 

 「あ、芹沢さんだ」

 不意に藤堂が、向こうを歩んでくる数人を見つけて、声をあげた。

 

 「あーあ、手になんか抱えてるよ。またどっかから強奪してきたのかな」

 

 (あの人が芹沢様・・)


 沖田が自分を観察しているのも知らず。冬乃は、ぼんやりと藤堂の視線の先を追った。

 


 組の筆頭局長である芹沢が暗殺されるのは文久三年、九月十六日。

 

 つまり、


 今はそれ以前。


 

 (私がいま居る時期は、)

 



 新選組、創生期・・・・





 

 






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