DOLL

@kamihu_kuro

1.幸せは静かな森

 本の中の人間に娘は憧れた。

 森の外で暮らす彼らはどうして森の外で暮らすの?どんな暮らしをしているの?彼らが使っているアレは何?何の為のモノでどうやって使うの?どうして彼らは誰かと一緒なの?愛するってどんな気持ち?

 どうして、どうして。考えれば考えるほどに娘の中で疑問は芽吹き、それに応じるように知識を得ようと、もっともっとと本を手に取る。娘の部屋の壁一面の本棚はびっしりと埋められ一冊も入らない。

 本は娘が一緒に暮らす老人が町に出かけたときにお土産として買ってきてくれる。娘はまた、その本を穴が開くほど読み込み、幸せそうに目を細め森の外の世界を瞼の裏に想像する。

 それがこの小さな森の小さな家で暮らす娘と老人の日常だった。


 森の外に恋焦がれる娘は優しい老人と静かに幸せに過ごしていた。


 老人は家を留守にするをときはいつも、娘にある一つの約束事を守らせました。

「森の外には絶対に出ないこと」

 それは娘にとっては最も難しい約束でした。老人は娘の他の我儘は殆どの場合叶えてくれました。けれどもこの約束だけは破ることを許しませんでした。

 世話になっている親同然のおじいさんの言いつけを守ろうと娘は一生懸命努力しました。森の外に行きたくなったら家にある森の外の本を片っ端から読み漁りました。読めば読むほど森の外への思いは募るばかり。このままではいけない娘は、本を読まない時間の使い方を考えました。森の中を散歩してみたり、家の軒先で花を育てて見たり。いろいろなことを試してみましたがどれも上手くはいきませんでした。

 ある時から娘は家の掃除をするようになりました。これはなかなか良い案でした。家は綺麗になるし、何より帰ってきた老人の反応を考えながらの作業はとても楽しいものでした。せっせと老人が散らかした服や本をあるべき場所に戻し、埃や塵を掃き、汚れを拭き取りました。それだけではただ片付けただけでは詰まらない。もっと帰ってきた老人を喜ばせようと森で草花を摘み取り部屋を美しく飾りました。

 娘はこの森の中の生活も悪くは無いなと思い始めていました。


 ある風の強い日。その日も娘は家中の掃除をして回りました。一通り終え今日はどんな風に飾ろうかと玄関扉を開くと一番近い老人の作業部屋の扉が、きぃと高い音を立て閉まりました。

「何かしら」

 今日は老人は留守のはず。娘は玄関扉の横に立てかけた木製の箒の柄を片手で構え、そっと扉を開きます。目に映ったいつも通りの部屋の様子にほっと胸を撫で下ろし奥の本棚に歩み寄ります。

 この部屋は娘のお気に入りの部屋の一つでした。老人の仕事道具と娘がまだ読んだことのない本の山で溢れかえっていたのです。娘はこの部屋の本が読みたくて堪りませんでした。老人はそれをよく思っていませんでした。勿論娘もそれを知っていたのでこの部屋に入ることが出来るのは老人が留守の掃除をするときだけでした。

 老人の作業台にはいつも、細やかな装飾が施された不思議な道具、白い紙にインクと羽ペン、それに鍵のかかった小さな赤い本が置かれてありました。娘はこの赤い本がずっと読みたくて読みたくて堪りませんでしたが、それに必要なカギは家のどのチェストやクローゼットを探しても見つけることは出来ませんでした。

「今日も見つからなかった、おじいさんたら鍵を何処にしまってるのかしら」

 小さく溜息を吐き、手に持ったそれを机に置きなおす。するとその拍子にかちゃりと金属の擦れる音と共に本の表紙が風でパラリとめくれ上がりました。娘は本を手に取りゆっくりとページをめくり中身を目で追いかけます。その本はどうやら老人の日記らしく、今日の天気やその日あった良かったこと、娘と交わした何気ない会話のワンシーンが箇条書きの様に書き留められていました。

「おじいさんは少し文章の書き方をお勉強するべきね」

 娘はくすりと頬を緩め、何も見なかったことにしようと本閉じようとしました。その時開かれた窓から吹いた風が日記帳からナニかを攫いました。失くしてはおじいさんに怒られてしまう、そう思った娘はその一枚の紙を追いかけやっとの思いで捕まえ窓を閉じました。

「え」

 娘は手元の紙を一目見るなり目を奪われました。そしてひどく混乱しました。それはある幸せそうな男女を写した極普通の写真でした。けれどその写真には一つだけおかしなところがありました。その写真の中の女性はどう見ても自分と同じなのです。それなのに娘はこの写真を知りません。写真の中で自分が着ている服も、写真の中の男性も、写真の中の自分の微笑みの意味も、二人を囲む街並みも。娘にはちっともわかりませんでした。

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