第16話 地面の下の小人達
目を覚めると氷穴だった。暗闇に慣れた目にはぼんやりと光る結晶がいくつも映っている。少年がそれを氷だと感じたのは空気の冷たさと、顔に滴る水滴のせいだった。星降る夜のような幻想的な光景の中で体を起こす少年、彼は自身のことを何も覚えていなかった。
不思議と悲しいとか辛いとかいった感情は湧き上がってこない。ただ胸の内にあるのは根源のわからない漠然とした不安だ。
「ここ、寒い… 外に出たい…」
ひとりであることを確かめるかのように口からこぼれた言葉。少年はよろよろと立ち上がり周囲を見回した。上には出口の見えない縦穴が。自身の体に残る鈍い痛みと体の下に大量に積もった雪、少年はおそらく上から落ちてきたのだろうと思った。
縦穴を登ることは到底不可能に見え、残されたのは前方に続く道だけだった。幸いにも原理はわからないが光る氷があるおかげでどうにか進めそうだった。
道なりに進むこと数十分、一向に見えてこない出口に少年は死を感じ始めた。
(俺… ここで死ぬのかな…)
元々あった節々の痛みに加え、寒さと疲労が少年の体に重くのしかかっていた。洞窟の壁にもたれかかると、冷たさが衣服を通り抜けて感じられた。
次第に麻痺してくる感覚の中どうにか意識だけは保とうとするも、瞼は重く、勝手に下りてくるのだった。ついに目を閉じてしまった少年、このまま眠ってしまえば楽になるなどと考え、ただ死を待つばかりだった。
そのときだった、どこからともなく唸り声が聞こえてきて、ドスンドスンと何かが近づいてくる気配を感じたのは。
(魔獣かな… いや、今の状態じゃ普通の動物にも勝てないや…)
あがくのを諦め、獣の餌になることを選んだ少年。その鼻先に吐息がかかるまで獣は近づいてきた。閉じた瞼の向こうでは獣が大きく口を開ける気配がする。こうして喰われるのか… 少年がそう思った瞬間、予想だにしないことが起きた。少年の体は持ち上げられ、獣の足音とともにどこかへ移動している。
(ああ… ねぐらに持って帰って食べるのか…)
生きることを諦めた少年は獣に運ばれる中でついに意識を手放した。
ぱちぱちという音で少年は目を覚ました。まだはっきりとしない視界には焚き火が赤く揺れている。
「おおっ!目が覚めたか坊主!」
声のした方を向くと、少年よりもはるかに背の低い何かがぴょんぴょんと飛び上がっている。目をこすり、よく見てみるとそれはドワーフと呼ばれる種族だった。
「きみは…」
「俺か?俺はドワーフのラノクだ!あんたは人間だろう?名前は何て言うんだ?」
「俺は… ごめん、何も覚えていないんだ…」
「そうかそうか!まぁとりあえずは飯でも食ってゆっくりしていってくれや!」
豪快に笑うラノクは焚き火の周りに刺してあった肉を少年に差し出した。少年は疲労のせいで感じる余裕も無かったが、自分がひどく空腹でいることに気づきその肉にかぶりついた。お腹が空いていたことに加え味わったことのない旨みが口いっぱいに広がり、少年は一瞬でそれを平らげてしまった。
「すげぇ食いっぷりだな!まだまだあるからどんどん食えよ!」
ラノクも肉をかじりながらそう言った。
満足するまでひとしきり肉を食べた後、少年は改めてラノクへ礼を述べた。
「いいっていいって!そんなことよりあんた、どこから来たんだ?」
「本当に何も覚えていないんだ。起きたところは深い穴の底だったんだけど…」
「あんたあの穴を落ちてきたって言うのかい!?そりゃあついてるぜ!あんな深い穴、人間の体じゃ落ちたら助からないのが普通だ!」
「ラノクはここに住んでるの?」
「ああ!他にも何人かドワーフが住んでるぜ!紹介してやるよ!」
そう言ってラノクは指笛を鳴らした。すると二人のいる小部屋のような横穴に続々とドワーフ達が集結した。
「こいつがソルベで、こっちがニスル、そっちはヌルシであれは…」
ラノクが一人一人紹介していく。しかし少年にはドワーフ族の顔の区別がつかず、愛想笑いを浮かべるだけだった。だがラノクだけは区別が容易だった。
「あのさ… ラノクの右目って…」
「ああ!これか!これはデールっていう魔獣と戦ったときの名誉の負傷だ!」
「デール… 聞いたことない魔獣だ。」
「見せてやろうか?」
ラノクはどこかへ走っていった。そしてすぐに戻ってきた彼の手には鎖があった。
「こいつがそのとき戦ったデールだ!俺が勝ったからペットにしたんだ!名前はトラオだ!」
洞窟の曲がり角から現れた魔獣はラノクよりも数十倍の大きさがあろうかという巨大な魔獣だった。真っ白な毛並みは炎に照らされてオレンジ色に染まり、巨躯を支える四本の脚には爪の他に数本の棘が生えている。大きな岩程もある頭では縦に裂けた瞳孔が少年を睨みつけている。
「どうだ!?カッコいいだろ!?」
「あ、あぁ…」
トラオは少年の側まで近づいてきて匂いを嗅ぐような仕草をした。吐息が少年の顔に吹きかけられる。少年はあることに気がついた。
「お前、さっきの…」
「おっ、気づいたか!洞窟で倒れてるあんたをここまで運んできたのはトラオだぞ!」
ラノクが嬉しそうな表情でトラオの前脚をバシバシと叩いている。一方でトラオはというと、喉をグルグルと鳴らし脚を振り払った。トラオの攻撃が直撃したラノクは勢い良く吹き飛ばされ、洞窟の壁に激突した。あまりのことに少年は唖然としたが、周りにいるドワーフ達は爆笑している。
「いやー、俺とトラオはいつもこんなでさ!」
ラノクは何事もなかったかのように壁にできた穴から姿を現した。
「だからあんたも… おっとそういや、あんたの名前を聞いてなかったな!それともそいつも忘れちまったかい!?」
そのとき少年の脳裏にある情景が浮かんできた。何と言っているのかはわからないが、綺麗な女性が自分に話しかけている。
「………!……………!」
どこか懐かしい想いに駆られ少年は応えようとした。しかしどんなに頑張っても声が出ない。必死にもがくうちにその光景は薄れ、遠のいていった。
「おい!あんた!大丈夫か!?」
ラノクの顔がすぐ目の前にあった。地面の下に住むドワーフ族らしく、土の匂いがする。
「名前は… 思い出せなかった。」
「大丈夫そうだな!じゃあ俺があんたに名前を付けてやるよ!そうだな… そんなに真っ黒な髪はめったに見ねぇ!だからあんたの名前は"クロ"だ!」
その日から少年はクロになった。
現地民ですが敵はみんな異世界転生者ばかり 紫紺 @sikonnohata
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