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2018年7月31日 08:06 編集済
私はあんまり他人のことをとやかく言えた義理ではない作者です。途中で書くのを放棄して放り出してある作品が十以上はあります。これ、だけど、本当に人気を考えていたらさっさと消してるんですよ、悪手も悪手、解かってる人ならこんな状態にしてないでしょう。(笑ほんの数人の方が「キープ」の印を付けてくださってるから、申し訳ないから残してあるということです。とやかく言えた義理でないけど、テンプレ系作品の需要を勘違いしてるのか、解かった上で知らん顔してるのか、どうなのかと思うのですが、あれは「見世物小屋」ではないかと睨んでいますよ。恐いもの見たさとか、もっと悪く言うと、馬鹿にするための需要ではないかと。そういう需要ってのも、ほとんど固定で存在するわけで、だけど誰もそれを言わないのですよね。喧嘩になるの確定だし。芸人さんは解かった上でそこを狙うこともあるけど、テンプレの場合は嘯いてしまうじゃないですか。それすら芸風かもですが。馬鹿なことをして馬鹿にされ笑われる芸、というのと同じ匂いがします。イモトちゃんなど見てれば解かると思いますが、そういう芸風だって極めようとすれば、本気で笑わせよう、娯楽であろう、という覚悟が見えるわけでもあって、馬鹿にされるための芸、といって侮れないんですけどね。入り口は「馬鹿にしてやろう」でも、最後には感動させられたりって、実にいい作戦と思います。作者がどう思って作ったとしても、読者の、それもかなり大きな需要として、馬鹿にするために欲する、という需要はあります。残酷な話ですけど。どういう需要であるのかはあんまり深く考えない方がいい場合もあると思いますよ。「○空」などは、もしかしたら映画スタッフの中に、「俺がこれをマトモな感動作品に仕立て直してやる」みたいな気概があったかも知れませんよ。テンプレがコミカライズとかアニメ化とかされると、制作陣にしたらそういう意味でのヤリ甲斐を感じるケースもあるかもです。入り口の「馬鹿にしてやろう」を取っ払っても成立させられる、という読みとか、切り口を変えてみたい、とかで行われるわけなので。私は、そういうのってとっても人間臭くって好きですけどね。(笑
作者からの返信
分かっててやってるか……見世物小屋という言葉で凄く納得したのと、なるほどな私の中で新な考えが生まれた気がします。映画のグレイテスト・ショーマンという見世物小屋の話を思い出したのですが、あれも作中内で市民から被弾を受けていました。何故被弾するのかという点で私は理解していなかったのですが、まさに私が見世物小屋に石を投げてる人間なんだなと思いました。私の中で倫理的に許せないことでも、分かっている人にはただの正義マンや偽善者に見えているのかもしれませんね。馬鹿にするという需要は、私の中にはなかったのですが、確かに世の中にはありますからね。「○空」の映画……それに今のテンプレ作品に携わるスタッフの方々の中にも、良い作品にしようとしている人がいるのは確かにあります。私ももし仕事だったらそう考えると思います。そっちの方がやりがいがありますもんね!凄く納得出来ました。参考になるコメントありがとうございます!私はやはり、物事をネガティブに見すぎて見えていないものがあるんだなと改めて感じました。
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私はあんまり他人のことをとやかく言えた義理ではない作者です。途中で書くのを放棄して放り出してある作品が十以上はあります。
これ、だけど、本当に人気を考えていたらさっさと消してるんですよ、悪手も悪手、解かってる人ならこんな状態にしてないでしょう。(笑
ほんの数人の方が「キープ」の印を付けてくださってるから、申し訳ないから残してあるということです。
とやかく言えた義理でないけど、テンプレ系作品の需要を勘違いしてるのか、解かった上で知らん顔してるのか、どうなのかと思うのですが、あれは「見世物小屋」ではないかと睨んでいますよ。恐いもの見たさとか、もっと悪く言うと、馬鹿にするための需要ではないかと。
そういう需要ってのも、ほとんど固定で存在するわけで、だけど誰もそれを言わないのですよね。喧嘩になるの確定だし。
芸人さんは解かった上でそこを狙うこともあるけど、テンプレの場合は嘯いてしまうじゃないですか。それすら芸風かもですが。
馬鹿なことをして馬鹿にされ笑われる芸、というのと同じ匂いがします。
イモトちゃんなど見てれば解かると思いますが、そういう芸風だって極めようとすれば、本気で笑わせよう、娯楽であろう、という覚悟が見えるわけでもあって、馬鹿にされるための芸、といって侮れないんですけどね。
入り口は「馬鹿にしてやろう」でも、最後には感動させられたりって、実にいい作戦と思います。
作者がどう思って作ったとしても、読者の、それもかなり大きな需要として、馬鹿にするために欲する、という需要はあります。残酷な話ですけど。
どういう需要であるのかはあんまり深く考えない方がいい場合もあると思いますよ。
「○空」などは、もしかしたら映画スタッフの中に、「俺がこれをマトモな感動作品に仕立て直してやる」みたいな気概があったかも知れませんよ。
テンプレがコミカライズとかアニメ化とかされると、制作陣にしたらそういう意味でのヤリ甲斐を感じるケースもあるかもです。
入り口の「馬鹿にしてやろう」を取っ払っても成立させられる、という読みとか、切り口を変えてみたい、とかで行われるわけなので。
私は、そういうのってとっても人間臭くって好きですけどね。(笑
作者からの返信
分かっててやってるか……
見世物小屋という言葉で凄く納得したのと、なるほどな私の中で新な考えが生まれた気がします。
映画のグレイテスト・ショーマンという見世物小屋の話を思い出したのですが、あれも作中内で市民から被弾を受けていました。
何故被弾するのかという点で私は理解していなかったのですが、まさに私が見世物小屋に石を投げてる人間なんだなと思いました。
私の中で倫理的に許せないことでも、分かっている人にはただの正義マンや偽善者に見えているのかもしれませんね。
馬鹿にするという需要は、私の中にはなかったのですが、確かに世の中にはありますからね。
「○空」の映画……それに今のテンプレ作品に携わるスタッフの方々の中にも、良い作品にしようとしている人がいるのは確かにあります。私ももし仕事だったらそう考えると思います。そっちの方がやりがいがありますもんね!
凄く納得出来ました。
参考になるコメントありがとうございます!
私はやはり、物事をネガティブに見すぎて見えていないものがあるんだなと改めて感じました。