第8.5話 幕間

 「さっさと沈め自称太陽神!」

悪夢から飛び起きたルナセレアはすぐにベッドに沈みこんだ。頭痛がひどい。

「ルナさん起きたの?! 体は大丈夫?」

そう言って駆け寄ってきたミーナは盛大に転けた。お盆を手に持ったまま。

 器は宙を舞い、軽い音を立ててルナセレアの顔面へと飛ぶ。

「うわあああああごめんなさいルナさん!!」

「大丈夫だから、少し静かにしてくれないか。頭に響く」

 幸い、乗っていたのは不器用に切り分けられたりんごだけだったうえ、器は陶器ではなかった。ルナセレアは顔面で受け取ったりんごを食べ、再び眠りにつこうと目を閉じた。

「大きい音したけどルナさん大丈――うわっ」

今度はミレトがミーナの落としたお盆に足をひっかけた。ジュースの入ったコップを持ったまま。

 ルナセレアは怒るに怒れず、またその気力もない。双子の頭を一撫でして風呂場へ向かう。シャワーの水圧も音もいつもより強く感じて煩わしい。薄く曇った鏡を覗くと、普段は眼帯に覆われている右目が見えた。七年前、一度はアレスタに潰されたそこはセラステリアのレジアスの医療技術によって再生した。

 レジアスのあらゆる方面の技術は、他種族の数世紀先のものと言っても過言ではない。造ろうと思えば、空を自在に飛ぶ鉄の塊でさえ造れてしまうのだ。それも、飛ぶだけでなく滞空可能なものを。セラステリアのレジアスは迎撃システムや防衛施設には協力するだろうが、敵は攻守お構いなしだ。空、更には海を制されればいずれは均衡も崩れるだろう。あとどれくらいの時が残されているのだろう。

 ――駄目だ。思考が後ろ向きになってしまっている。弱腰な指揮官では士気が下がる。

  ルナセレアは両頬を強く叩いた。乾いた音が浴室に響く。

「……痛い」

鏡を見ると、頬が薄く赤くなっていた。



 ルナセレアが頬を摩る一方。特別国境防衛師団ではグラス少佐がキリキリと痛む腹を摩っていた。ただでさえ戦後の処理で忙しいのに作戦のトップが病欠。それはまあ良い。実はいつものことなのである。彼の胃を痛めつけているのは兵たちの間で広まっている、ある噂であった。

「師団長が大きな作戦の後に必ず病欠するのは、秘密裏に捕虜を拷問しているから」

まことしやかに囁かれているこの噂。外部に漏れたら、グリスロヴィナに侵攻の口実を与えることになる。実際は、グリスロヴィナの捕虜は協力的であるし丁重に扱われている。噂が漏れない限り、探られて痛い腹はない。グラス少佐の胃は痛いが。彼の胃が痛むのは、この噂の「病欠」のくだりは全て事実だからである。大きな作戦の後、ルナセレアは必ず休む。しかし普段の様子からは彼女の病欠など考えられない。「病欠」の裏に何かしらあると考えた方が兵たちにとってはまだ自然だったのだろう。気持ちはわかる、と今度は頭を抱えるグラス少佐。名誉の負傷と称するのは指揮官として如何なものかという話であるし、直ぐにそんな怪我などないとバレて同じ結論に至ってしまうだろう。大きな作戦ゆえの心労というのはさらに無理がある。彼に真実を公表するのは躊躇われた。何しろ、彼女の病名は「知恵熱」なのだから。



「ルナさん、髪の毛ちゃんと乾かしなよ。風邪治らないよ?」

ミレトが怠そうに食事をとるルナセレアに注意する。

「ガイアスのような小言はやめてくれ。それにな、これは風邪ではないから髪を乾かさないぐらいでは悪化しないぞ」

「風邪じゃないの?」

純粋な質問にルナセレアは言葉を詰まらせた。しまった。知恵熱だなんて言えない。

「私はな、ちょっと人とは違う記憶法をしていてな。まあ、記録と言った方が正しいかもしれん」

突然始まった記憶の話にミレトは首を傾げる。

「それを思い出すのに、脳に負荷がかかるんだ。本棚に並べてある本を、短時間で一気に読み直すイメージだな。部下の名前、周辺の地図などの情報なら負担にならないのだが、今まで読んだ全ての戦術書を思い出すのはなかなか骨が折れるんだ」

「全部思い出すの?」

「全部だ。そのうえで、作戦を立てる。私は頭が良くないからな。定石も奇策も前例から学び、組み合わせる。ある程度パターンは作ってあるが、今回のような急な場合は総ざらいして策を練るんだ」

ふうん、と返事をしたミレトはニヤリと笑って口を開く。

「要するに、知恵熱ってことだね!」

「ただの知恵熱じゃない。名誉の知恵熱だ」

「はいはい」

二人の様子を見て喧嘩かと思ったミーナがやってきた。しかし不貞腐れたルナセレアとニヤニヤしだしたミレトに、彼女は首を傾げるばかりだった。

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隻眼の守護者 在郷かざみ @Kazami-Zaigo

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