Act.0010:……とんでもない冒険になりそうだな

「うんうん。エンペラー君は、今日もいい筋肉マッスルをしている!」


「そりゃどうも」


 佐久良が自分のことをアキレスと呼ばず、エンペラーと呼ぶものだから、すっかりそう呼ばれることに慣れていた。

 おかげで今では、他の者からもそう呼ばれている。

 もともとゲーム仲間からはそう呼ばれてはいたのがだが、ちょっと変な感じである。


「ところでその筋肉マッスル、触ってもいいかい?」


「断る」


 このやりとりを作久良としたのは、いったい何度目であろうか。

 ため息をもらしながら、エンペラーは思い返す。

 ここに来てからもう1ヶ月ぐらいが経つ。

 日本のどこかにあるらしい研究所という名の閉鎖された世界。

 目隠しをして連れてこられ、そして事情の説明を受けてから、このやたらと人の筋肉を触りたがる作久良という女のもとで、彼はずっと訓練をくりかえしていた。

 だがそれも、もう飽きてきた。

 それに長らく仕事を部下にまかせっきりになっている。

 携帯端末の持ち込みもできず、外と連絡を取ることもモニターされながらではないとできないこの場所から、部下に最小限の指示をだすことぐらいしかできないのだ。

 だからエンペラーは、そろそろ痺れを切らしていた。


「いったい、いつになったらオレはあっちに行けるんだ?」


「もう君は行けるんだけどね。他のメンバーはまだ訓練が必要だ。それに2名ほど、日本語の扱いにもう少し慣れてもらわないと困るし。もらった・・・・チャンスは1度だけだから同時に送り出さないとね。そう言えば、他の4人は?」


「もうみんなあがっている。筋トレにあまり興味はないようだな」


「そうなのか。それは残念。鍛えられた筋肉マッスルはいいのにね……」


 白衣姿の作久良は、三角眼鏡の下の双眸を歪める。

 だが、その笑みはどうにもウソくさい。

 まるで目だけで笑っているようで、エンペラーにとっては不気味でしかなかった。

 だいたい、スポーツジムばりに設備か整ったこの7~8メートル四方はあるトレーニングルームで、白衣姿というだけで異様な感じだ。

 しかも、いつもと違ってもう1人、白衣を着た老人まで横に立っているときている。


「ああ、紹介しよう」


 エンペラーの視線に気がついたのか、作久良が老人を手で招く。


「こちらは学生時代の私の恩師で、今回のプロジェクトのメンバーとして来られた鈴木先生だ」


 力を入れたら粉々になりそうな細い手が差しだされた。

 だから、エンペラーは力を抜いてそっと握りかえす。


「初めまして。エンペラー……ではなく、アキレス・ゴードンです。こんなカッコですいません」


 今のエンペラーは、ランニングに短パン姿。

 筋肉の盛り上がった四肢をむき出しにし、汗の玉が大量に浮かべた状態だ。

 初対面としては、あまり好ましくない姿だろう。


「気にしないでくれたまえ。鈴木怜太郎です。よろしく。しかし、君は日本語がうまいね」


「ありがとうございます。今時、ビジネスをやるのに日本語をまともに話せないようでは困りますからね。でもまさか、その日本語を異世界で役立てることになるとは思いもしませんでしたが」


「くっくっくっ。そうだな、まったくだ。私とて思いもしなかったよ」


 鈴木が楽しそうに笑った。

 だが、この男の目が笑ってなどいないと、エンペラーは気がつく。

 いや、楽しんでいることはまちがいなさそうだが、それは自分との会話ではない。

 別のなにかを楽しんでいる。

 多分彼は、ABCが作った世界に思いを馳せているのではないだろうか。

 きっと、研究にしか興味がないタイプだ。

 彼もまた、エンペラーから見れば歪んで見えた。


「しかし、アメリカでも成功者として名高い君が、まさかこの実験に参加してくれるとはね……。そのことが実に興味深い。やはり、BMRSにはまっていたからかね? 世界第3位の実力だそうじゃないか」


「第2位だ!」


 思わず声を荒げる。

 エンペラーとしては、一番譲れないことであり、一番触れられたくないところでもある。


「おや? 三大王者と言われたプレイヤーネーム【エンペラー】は、最後の世界大会で、同じく三大王者のクイーンに負けて第3位だったと資料で読んだが」


「くっ……あれは、たまたまだ! 総合ポイントランキングでは、世界第2位のままだ」


「ふむ。なるほど。ちなみに三大王者にして絶対王者と呼ばれた、ジェネラルことジェネに誰も勝ったことがないと聞いたが、それは君もかね?」


「ああ……」


「それなら、君はどうしてジェネに勝てないと思う?」


「知るか……」


 思わず吐き捨てるように言う。

 にじみ出る口惜しさをどうしても隠せない。

 今まで、さんざん周囲から言われ、そして自らも自らに問いかけていたことだ。

 それを知るために戦い続け、そして別の世界に行ったジェネを追いかけようとしている。


「それがわかるなら、オレはここにいないかもしれない」


「そうか。……ならば、三大王者たるジェネ、そしてクイーンはトラン・トランできたのに、なぜ君ができなかったかわかるかね?」


「……?」


 強い眼光を向けて、一言一言噛みしめるように言葉をぶつける。

 エンペラーにしてみれば、それは最大の侮辱である。


「ああ、すまん、すまん。違うのだ」


 しかし、老獪はまるで闘牛をマントであしらうように笑って見せた。


「そうではない。ちゃんと理由はある。たぶん、こういう細かい説明を作久良くんはしていないだろうと思ってね」


 そう言いながら鈴木が作久良を見た。

 すると、作久良は当然だとばかりに肩をすくめて見せる。


「やはりな。君はいつも説明がたらんのだ」


 鈴木の苦笑はほぼ諦めの色を見せている。

 たぶん、2人の間でこのようなことは1度や2度のことではないのだろう。


「では、私から説明しよう。……いいかね、アキレスくん。いや、ここではエンペラーと呼ばせていただこう。レムロイドプレイヤーであるジェネとクイーンの2人と、エンペラーにはある決定的な違いがあるのだ」


「違い?」


 エンペラーは訝しさをあからさまに顔に浮かべる。

 自分があの2人に決定的に劣ることなどありえない。


「実はあるのだよ。それは年齢だ」


「年齢? あの2人は高校生らしいが……」


 そして自分は28才になる。

 確かに年齢差はあるが、それがどうしたと目で訴える。

 いくら相手が伸び盛りの高校生だろうと、自分はまだそれほど衰えていない。


「私が問題にしているのは、年齢そのものではなく、世代の違いなのだよ。あの2人の世代にはね、アレがあるんだよ」


「アレ? ……あっ! まさか!?」


「そう。【B.I.CBrain Interface Chip】ではなく、【B.I.CBio Interface Cell】だよ。我々は紛らわしいので、先天性BICビックということで、【C-BICシビック】と呼んでいるがね。残念ながら君の生まれたころにはほぼ発生していない」


「C-BIC……先天性非接触型脳波入出力細胞……」


「ああ、その通り。BICを完全有機回路化した商品【iBIC】が原因だと言われている。それを埋めこんで最低でも10年以上生きた男女が子供を産むと、稀に生まれた時から側頭部にBICの役割を果たす細胞ができていた。それがC-BICだ」


「……しかし、C-BICはiBICと機能的にほぼ変わらないと……」


「うむ。『ほぼ』変わらない。すなわち、違う部分もあるということだ。まだ、C-BICには謎も多いからね。もちろん、あの2人が肉体ごと転移した原因の一環がC-BICにあると決まったわけでもないのだがね」


「もし、それが転移に関わっているなら、オレは行けないことになる……」


「ああ、そうなるね。確かに、単純な転移は今のところ方法がわからない。だからこそ、【意識体分離装置Spirit Split System】を使用する。SSSスリーズについての説明は受けたかね?」


「ものすごく簡単には……」


「そうか。私は被験者の君たちに、この仕組みをある程度は理解してもらった方がいいと思うのだよ。SSSは作久良教授の方が専門だが、私はBICとSSSの接続をサポートするプロジェクトの管理をしている。だから、そのための説明をしよう」


 どうやら言葉足らずの作久良の代わりに呼ばれたらしい。

 扱いの難しい作久良と他者のコミュニケーション係、もしくは調整係というところかもしれない。

 なるほどわかったと、エンペラーは首肯する。


「よろしい。ならば、このまま長話もなんだから、1時間後に他のメンバーも集めて説明するとしようか。他のメンバーに挨拶もしたいしね。君もシャワーを浴びて、さっぱりしてからきたまえ」


 そう言って、鈴木はその場を去ろうとする。

 だが、エンペラーはその背中を呼びとめた。

 これはチャンスだと、ずっと気になっていたことを訊ねる。


「オレは……本当に行けるのか?」


 それはもっとも大事なことだ。

 作久良に訊ねれば「行ける、行ける。大丈夫」と返答されたが、それがどうにもかるすぎて信じられなかったのだ。


「行けるようにする……のが私の役目だからね」


 作久良とは違い、鈴木は言葉を一つ一つ選ぶように慎重に答えてきた。


「ただし、行けるのは……そうだな。語弊を恐れず一言で表せば、魂だけだ」


「魂だけ? それはどういう……」


「それをこれから説明しようというのだよ。大丈夫。向こうでは肉体をもてるように手配している・・・・・・。なにしろ、2人を連れて帰ってもらわないといけないからね」


 鈴木の説明は、かるくはなかった。

 しかし、本当に意味がわからない。

 せいぜいエンペラーにわかることは、ひとつだけだ。


(……とんでもない冒険になりそうだな)


 かつてない高揚感と共に、エンペラーは大きな不安と強い恐怖を感じていた。

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