第二章:導火
Act.0008:……君は本当に相変わらずだな
作久良という女性は、非常に変わった人だった。
それは名前が【作久良 櫻】で、千葉県佐倉市出身で、母親の旧姓が「佐々倉」であるとか、そういうどうでもいいことの話ではない。
高校に行かず大学に行ってそのまま大学院に進み、教授に異例の早さでなったとか、そう言う優秀さの話でもない。
変わった人と言われるのは、性格の話だ。
たとえば、量子物理学を専攻しているが、それよりもむしろ
自分もそこそこ鍛えているが、他人の
とにかく
しかも、「
それに限ったことではなく、彼女は誰に何を言われようが、どう思われようが関係なかった。
自分の思ったことを言い、自分のやりたいことをやっていく。
ある意味で自由人だった。
そんな社会性より自由を尊ぶ彼女の性格は、好き嫌いも激しく、故に人づきあいも得意とはしていない。
周りも必要な用事がない限りは、彼女に話しかけるような人物はいなかった。
「佐久良教授」
だが、変わった人間は変わった人間を呼ぶものだ。
目を合わせない周囲など気にせず、窓ひとつない廊下をせかせかと1人で歩いていた作久良は、聞き覚えのある声に足をとめて振りむいた。
「……先生。こんにちは。今日からでしたっけ?」
「こんにちは。3日前に到着はしていたのですが、いろいろありましてね。……それから、ここでは『先生』ではなく、鈴木と呼んでください。一応、私は貴方の部下なのですからね」
「……いちいち言い換えるのが面倒じゃないですか。『先生』と呼びます。あと敬語もいりません。呼び方もいつも通りで。そんなことで気を使うのは非効率すぎますよ」
「あはは。やれやれ……君は変わらんな」
飾り気のない真っ白でまっすぐな廊下に、老人の少し乾いた笑いが響く。
すっかり白く染まり、薄くなった頭を少し曲がった背骨で支えている。
小柄で細い体は、まったくもって作久良の好みとは正反対。
本来なら作久良が興味の欠片見せないような体格だが、恩師である彼だけは違う。
唯一、彼女が親にさえ向けなかった敬意を向ける、
「では、遠慮なく。……佐久良君。これから被験者のところかね?」
「あはは。先生のその切り替えの早さは合理的で実に好ましいですね。……ええ、5人に会いに行きます」
「では、私もついていっていいかね。まだ会ったことなかったから、顔合わせしておきたい」
「ああ、いいですね。そうしましょう。プロジェクトもスピードアップしなければなりませんし、いろいろと早めに動いた方がよいでしょう」
「スピードアップか。このところ、いろいろとうるさくなっているからな。そう言えば……」
皺だらけの自分の頬をひと撫でしてから、鈴木がゆっくりと歩きだす。
「先ほどアメリカが研究に参加させろと言ってきたそうだ」
「……外務省経由です?」
作久良もその後をついていくように歩みを進める。
「そんなわけあるまい。大統領の秘匿ホットラインだ。技術顧問として私も意見を聞かれたよ。どこまで話すか……とな。しかし、さすがにあちらさんもかなり情報をもっているようでな。こちらに言うことを聞かすため、経済的制裁措置や軍事的な圧力まで臭わせて来たみたいだぞ」
「前世代的なこと……やれやれですねぇ。そんなこと、できるわけがないのに……」
作久良はつまらないとばかり鼻を鳴らす。
それは事実上不可能。できるわけがないからだ。
2038年の全世界規模で起こった超自然災害。
それにより人口は半減し、文明は一時的な退化を余儀なくされた。
半減したのは、人口だけではない。
多くの障害が発生し、多くのシステムがダウンし、多くの情報が喪失されていた。
しかし、その混沌とした世界の被害を想定より遙かに抑えたのは、とある組織による第一世代ABCの活用だった。
ABCは情報の伝達と保全、そしてそこから混乱した社会の指針を示し、足らないリソースの多くを賄った。
混乱する人間たちに指示をだし、迅速に社会の秩序を取りもどしていったのだ。
それはまさに、「人間業ではない」的確さでだ。
最初に蘇ったのは、もちろんそのABCを運用する国である日本だった。
その復興速度は、他国の追従を許さないどころか、あっという間に国民が平穏な日々を過ごせるぐらいまでもち直させた。
そして日本は、他国に救援の手を伸ばした。
その手は、混乱のさなかにあった他国にとってまさに神の手。
藁にもすがる思いのアメリカ、中国、ロシア、イギリス……名だたる国々は、日本が保有するABCの力に頼り始めた。
結果、ほとんどのシステムのデファクトスタンダードが、ABCを基準としたものに一気に塗り替えられていった。
ABC専用端末が多数運用されはじめた頃には、すべてがABCを中心として構築されていたのである。
無論、少しずつ秩序を取り戻し始めた、アメリカや中国等の大国は、そのスタンダードを書き換えようとした。
主権を日本から奪おうとした。
しかし、それは困難を極めた。
他国が「元の文化レベルに戻そう」と躍起になっている間に、日本はいち早く次のレベルに進んでしまっていたのだ。
そもそも以前から莫大な予算をかけて秘密裏に開発が進められていたABCは、数世代先を行くシステム。
優秀な科学者を何人も失い、研究施設も設備もまともに動かない国では、追い抜くどころか、追従さえも不可能だった。
そんな状態で、ABCを所有する国を軍事的に攻撃すれば、日本だけではなく他国、そして攻撃した国自体の社会もまた秩序を失うことになりかねないことは明白だ。
他国からの非難を免れないだろう。
経済的制裁措置に関しては、もっと愚策だ。
ABCがコントロールしている世界経済をどうにかできるわけがない。
多額の税金を輸入品にかけようが、原料の輸出を止めようが、「ABCの使用リソースを減らす」と言われれば、それだけで逆らうことができなくなる。
「君の言うとおり、アメリカとて迂闊に手がだせん。ABCを最初に作った【七賢者】に感謝だな……」
「すでに過去の人ですけどね、七賢者なんて。それに第二世代までは、確かに七賢者の力ですが、第三世代では話が違ってきます」
「まあ、そうだろうね。第三世代が作られた時には、もう各界の天才たちが集められた七賢者など誰もいなくなっている。だが、第二世代よりもさらに高い技術で作られた第三世代に関わった者の名は伏せられている。……私は、どんな面構えの人間が作ったのか知りたいのだがね」
そう笑った鈴木に、作久良は少しだけ乾いた笑いを重ねた。
「あはは。それはできませんねぇ……」
「ああ、わかっているよ。重要機密だろうからね……」
「そういう意味ではないんですよ、先生」
作久良は周囲をかるく見まわす。
周囲は相変わらず白くて窓ひとつもない廊下。
少し円筒形になっており、頭上には自然色のLEDランプがずらりと並んでいた。
それ以外、何もない。
2人以外、人気もない。
だから、作久良は少しだけもらす。
「第三世代の製作者には、顔がないのです。だから、面構えなんて見られないのですよ」
「顔が……ない?」
「ありませんね。仮の顔はあっても本当の顔はない」
「……それはトンチかね?」
「トンチ……あはは。まさに
突き当たりにある、金属製のクリーム色のスライドドアを佐久良は指さした。
それは来るものを拒むように、のっぺりとした無表情を見せている。
しかし、佐久良はその扉をうっとりとした眼で見つめていた。
「……なにかね、佐久良君。被験者の中に好みのタイプでもいるのかね?」
「ええ。いるんですよ! いい……すごくいい感じの……
「……君は本当に相変わらずだな」
「ええ、ええ。私は相変わらずですよ。相変わらず、欲するものを求めるだけです」
「……そうか」
2人は、扉の先を目指した。
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