第一章:発火

Act.0001:通りすがりの迷子です

 アニムは追っ手を撒くために、女のか細い脚でもう1時間以上、休まずに逃げていた。

 いくら普通のよりも肉体的に優れ、さらに定期的な運動をしているとはいえ、基本は箱入りの令嬢である。

 そろそろ体力の限界にきている。

 だが、ゆっくりと休んでいるわけにはいかない。


 追っ手は、14メートルはある巨大な人型兵器・魔生機甲レムロイド

 その歩幅は、人とは比べものにならないからだ。


(本当にしつこいのですニャ……)


 ゴーレムを生みだす魔術を利用して作られた、搭乗できる巨人は、搭乗者の魔力で動く。

 すなわち追ってきている者たちも1時間以上、ずっと魔力を放出していることになる。

 ところが、その動きから一向に淀みは感じられない。

 さすがエリート部隊のメンバーたちであると、アニムは感心する。

 もっとも今の彼女にとっては、迷惑でしかないのだが。


(どしたらいいのですかニャ……)


 適当な茂みを見つけると、土の湿気と草の青臭さに紛れながら、深緑の外套に包まれた身を潜める。

 この森の中に入るまでは、全力で魔法を使って逃げていた。

 しかし身を潜められる今は、なるべく魔力は抑えている。

 その甲斐もあって、足音はまだ遠い。

 相手は魔力を追跡できるが、ここまで抑えればよほど近くに来なければ気がつかないだろう。


(でも、この広くて深い森ニャら……と思ったニャけど)


 高い広葉樹が立ち並ぶ森は足下の視界も悪く、魔生機甲レムロイドにしても動きにくいはずだ。

 彼女がいるところも、緑の屋根が光の多くを遮っている。

 しかし、魔力はまだしも肉体的限界が近づいていた。


(もう体力が……)


 暑くなり、目深にかぶっていたフードをとる。

 頭の上についている橙色の体毛に包まれた三角耳が、ヘタッと倒れた。

 薄く淡い柿色をした額には、滲みでた汗でいくつも水玉ができている。

 その水玉がくっつくと、こめかみの辺りを汗がツーッと流れ落ちた。

 そして、そのまま細い顎まで流れ落ちる。

 たまに、くっきりとした大きなまなこに汗が入りこみ、目がしみる。

 彼女はその度に、前腕を包むやはり橙色をした長い体毛で汗を拭きとっていた。

 おかげで、いつもはフサフサの体毛が、ペタリと潰れてしまっている。

 自慢の毛並みが台なしだった。


(汗臭いのですニャ。お風呂に入りたいですのニャ……)


 それには、まずこの森から逃げださなければならない。

 しかし、森の周囲は大きく開けた平原や荒れ地。

 こんな所で身をさらせば、あっという間に見つかるだろう。

 手分けして見張られたら、森に閉じこめられたも同然である。


「ああ、もう! だいたい何機いるですニャ。5機? 6機ですニャ?」


「4機だと思いますよ」


「そうですかニャ。ご丁寧にど――」


 思わずもれた独り言に、思いもよらない返事。

 アニムは、冷たい汗が一瞬で背筋を走るのを感じながら、ガバッと振りむく。


「あれは、【騎士ナイト四型】の足音ですね。四型は、太股の横にある装甲の形状が変更されたのですが、そのせいで歩くたびに装甲がぶつかる音がするようになってしまった。もちろろん評判はあまりよくなく、四型はすぐに五型として改良され、音が鳴らなくなったということらしいです」


 そこにいたのは、ボサボサ黒髪の頭の青年だった。

 自分より少しだけ年上だろうか。

 ただ、自分と違い獣人ではなく、普通の人間。

 この辺では滅多に見ない人間が、地べたに座りこんでいたのである。


 まずいと彼女は身構える。

 軍服ではない。黒いシャツに茶色のジャケットを羽織り、下はリベット補強済みデニム生地の紺色をしたパンツをはいている。

 一見、のほほんとして殺気も何も感じない、どう見ても一般人。

 しかし、それも罠かもしれない。


「最近、量産型の魔生機甲設計書ビルモアを買いまくって、クィーンと『足音当てクイズ』とかブームだったのでまちがいないと思いますよ。ちなみに四型は、その装甲で付け根の関節をガードしようとしたのですが、デザインが悪くて斜め方向の足の動きが鈍いんですよね。なんでU型で包んでしまったのやら」


 そう言いながら、顎に手を当てて「うーむ」と低くうなる。

 まるでこちらを気にしている様子はうかがえない。


「資料によると大して量が作られなかった珍しい機体なのですが……」


「人間! あなたは、いったいニャニモノなのですニャ!?」


 一向に話が進まないため、彼女は羽織っていた外套の前をはだけさせ、それなりの胸を張り、最大限の威厳をもって問いただした。

 命じる姿勢。威圧することには慣れている。

 しかし目の前の男は、目をぱちくりするだけで答えない。


「こっ、答えなさい、人間!」


「人間……って……あれ? 猫耳がついてる」


「――今頃ですかニャ!?」


「あ、ごめん。君自身に欠片も興味がなかったから」


「ニャんですってー!」


「ボクは今、無性に魔生機甲レムロイドの話がしたい……」


「……ニャ?」


「だから、魔生機甲レムロイドの話ができれば、相手は別に人間じゃなくても気にしません!」


「――断言!? 少しは気にするニャ!」


「面倒」


「ニャーッ!?」


 失礼極まりない男に、アニムは現状も忘れて腹を立てる。

 基本的に敬意をもって接されることしかなかった彼女にとって、こんな扱いは初めてである。


「だいたいですニャ、いつの間にそこに来たのですニャ!? わたくしはこれでも、魔力探知にはすぐれていますのニャ!」


「……ああ。ボク、魔力がないので探知されないそうです」


「魔力がニャい!? そんな人間、いるわけニャ……ニャいです!? あなたから魔力を感じないニャ!?」


 確かに目の前の男から、魔力はかけらも感じられない。

 こんなことは初めてである。


「あなた……何者なのですニャ?」


「ボク?」


 黒髪に黒い目の平凡な、典型的な日本人。

 しかし、魔力がない非凡な青年は自分を指さした。

 だからアニムは、外套から飛び出した、おしりの尻尾をピンと立てながらコクリとうなずく。


「えーっと……」


「…………」


「ボクは……言うなれば……ただの通りすがりの迷子です」


「通りすがりの迷子……って、なんですニャ!?」




 ――これが、日本からトラン・トランにより転移してきた「ロボットバカ」と称される高校生【東城 世代セダイ】と、この異世界の覇権を握る【日本王国】にはむかう小国【プサ・ハヨップ・タオ聖国】の王女【アニム・アングリーナ】との出会いであった。


 彼は、くすぶる火種。


 彼女は、乾ききったたきぎ


 後世、この火種と薪で燃え盛った炎を【聖獣戦争】と呼ぶことになる――。

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