1-9
「元気がないなモルモット君、何があったかこの天才に聞かせてくれるかな?」
突然聞き覚えのある女性の声に話しかけられ、ふと声の方向へ顔を向ける。
「…っ!ルイミナート博士!」
ここは王都のほぼ中心の軍の本拠地で、軍の人間以外は用がない限り滅多に出入りしないはずなんだけど、彼女は何の用でここにいるのだろうか。
「ちょっとお姉さんに付き合ってもらってもいいかい?」
「…?はい、もちろんいいですけど、何するんですか?」
「今回はちぃとばかし君にプレゼントしたいものがあってねぇ…では、ラボまで行こうか」
僕と博士はラボへ向かうため、本部を出た。
それにしても、僕にプレゼントってなんだろう…
もしかして、わざわざそのためだけに本部まで来たのかな…
「ん?何か言ったかい?」
「いえ、何でもないです!」
ルイミナート博士に顔を覗き込まれ、慌てて首を横に振る。知らぬうちに心の声を口に出してしまったのだろうか…でも、聞き返してきたところを見ると、全部は聞き取られてはいないみたいだ。
「ボクが何で本部にいたのか不思議かい?」
「えっ!?」
博士のこのまさかの質問に、正直驚いた。
それはもう、あまりの驚きに声を上げてしまうほど驚いた。この人には僕の考えていることが見えてるみたいだ。
「何をそんなに驚くことがある?」
「何を…って、そりゃあ……何で僕が考えてることが分かったんですか?」
「そんなことか…簡単なことだよ、ボクは仕事柄、用がない限りは本部へは立ち入らないからね、君が疑問を持つことは必然だろ?故に、君の考えが分かったのではなく、君の顔色を見て予想した…ただそれだけのことだよ。」
微笑を浮かべながら、ルイミナート博士は悠々と僕に語る。
「なるほど…それで、博士は何で本部に?」
博士の説明に感心の念を抱きつつ、博士が見事その予想を的中させた『なぜルイミナート博士は本部にいたのか』という疑問に話を戻す。くどいようだが、彼女は科学者だ、軍人以外はよほどのことがない限り出入りしたりしない。博士は軍の持つ科学班の一員として武器開発などに協力しているとはいえ、そのほとんどをラボで過ごしている。軍からの要請があっても、彼女が行く場所はいつも本部ではなく、そこからかなり離れた王都の北区にある軍の実験施設である。故に、博士があの場にいたことが不思議なのだ。
「それはね、モルモット君をデートに誘いたくて、わざわざ本部まで行って君の帰りを待っていたのさ!」
言いながら博士は突然身を翻し、僕に勢いよく抱きついてきた。僕はただ目を丸くして、口をぽかんと開けたまま呆気に取られていた。
「…なんてね」
そう僕の耳元でいたずらに囁くと、博士は僕からその身を離し、僕の肩に手を置いたままニッコリ笑って言葉を続ける。
「ボクがあの場にいたのは、こうして君に用があったのもあるけど、実はライの奴に色々頼まれてね…」
「大佐に?一体何を頼まれたんです?」
「それについては、駅まで歩きながら話そう。エレベーターよりも鉄道の方がはやい」
本部周辺からルイミナート博士の自宅兼ラボまでは、同じ王都内とはいえかなり距離がある。
それに王都は、他の都市と違って階層都市となっているため、各階層へ行くためのエレベーターから、階移動専用の道や公共交通機関などが設けられている。今、僕達がいる場所は、二十五階層の中央区で、博士のラボは一階層の西区にあるため、エレベーターに乗って、一度一階層の中央部に降りてから西部行きの列車に乗るか、下階層行きの鉄道に乗らなくてはならないのだが、エレベーターは各階層の中央部にしか設置されておらず、直接西区までは行けないため博士は鉄道を選んだのだが、本部から中央区駅までは少し離れた場所にあるので、その分歩く必要がある。
「頼みというのは、ケンゴ君に関することだよ。今日あの場に駆けつけたマシン・アバター、あれはライに頼まれてケンゴ君専用に急ピッチで仕上げたものなんだ。元々、操縦者の魔力を使わずに動かせる機体を作っていたんだが、それを使えないかってね…」
「あぁ、それであのとき、ケンゴがマシンに乗って助けに来てくれたわけか…」
「そういうことだ、まぁ、それ以外にもあるんだが…これは絶対君に言うなって、あいつに言われてしまってるからね」
あいつ、というのはライ大佐のことだろう。
だけど、僕にも秘密の頼みごとってのが、一体何なのか、どうしても気になってしまう。
「駅に着いたものの、まだ列車が来るまでに少々時間があるな…アレン君、お腹は空いているかい?」
博士はそう問いかけながら、駅構内の喫茶店を指差す。
「あ、そういえば、あの騒ぎのあとから何も食べてませんでした…ずっと緊張が続いてたせいか、お腹空いてるのすら忘れてたみたい」
「ふふっ、では、列車が来るまで時間つぶしも兼ねた腹ごしらえといこうか」
店のドアを開けると、カランコロンという小気味よいドアベルの音と共に、珈琲豆の深い香りが歓迎する。
ウェイターに誘導されるままに席につき、ウッド調のテーブルの上でメニューを開く。
「あっ、これ…」
僕はその中の一つの品に目を取られた。
見覚えがあったからだ。
「ん?あぁ、クレム牛のビーフシチューか、そういえば、君が初めて王都に来たときに食べたのも、これだったかな?」
「はい、これすごく美味しかったのでよく覚えてます。前はレストランだったけど、こういう喫茶店にも置いてあるんですね…結構メジャーな料理なんですか?」
「メジャー、というかまぁ、家庭料理かな?クレム牛はフランテイクを挙げてのブランド牛で、その多くが北区の牧場で育てられているんだけど、中央区のクレム牛は北区と違った味や食感が楽しめるはずだよ?」
聞いているだけでヨダレが口の中に溢れてくる。
「何だか、迷っちゃいますね…シチューは前にも食べたけど、美味しかったからもう一度味わいたいし、でもお肉本来の味も楽しみたいからこの、ステーキも捨てがたい…」
「じゃあ、こうしよう、君はシチューを、私はサイコロステーキを頼むから、分け合いっこだ」
「いいんですか!?」
「いいに決まっているだろう?子どもが大人に変な気を使うもんじゃないよ」
博士は近くにいたウェイトレスを呼び止め、僕と博士のコーヒーと、それぞれの料理を注文する。
そういえば、博士はなんで女の人なのに自分のことをボクって言うのだろうか。
初めて会ったときから気になってはいたが、いざ聞こうと思うと、なかなか声には出せられたないものだ。
(まぁ、料理が来たら聞いてみるかな…)
一度そう思いだすと、なかなか他の話題が思い浮かばないもので、そうこうしてるうちに、しばらく沈黙が続いてしまって、注文した品がテーブルに運ばれてくる五分、十分の時間が、やけに長く感じてしまう。
「そういえば、どうして君は、あそこで、ああやって怪我を負って倒れていて、記憶を失ってしまったんだろうね…」
「え?」
博士が、ぼんやりと呟くようにして吐いたその言葉は、僕にとっては意外すぎて、つい変に上ずったような、きょとんとした声を出してしまった。
「思えばずっと不思議に思っていたんだ。まぁ、不思議なことであるから、違和感を覚えるのは不自然ではないのだけれど、でも何かが不自然なんだ」
博士は僕の目をじっと見つめながら、そのまま淡々と話を続ける。
「君が倒れているところを発見されたときの話を、調査部隊の隊長から詳しく聞いたんだ。君はあのとき、荒廃都市から少し離れた砂地に倒れていたところを、ケンゴ君と副隊長に発見された。そのとき君は、調査部隊の作業防護服を着ていて、更にその左腕は骨折している状態だった。意識はなかったが、骨折以外に頭部などにも目立った外傷はなく、君が医務室で目を覚ますと、記憶を失っていた。でも、僕が不可解に思ったのは、そこじゃないんだ」
「そこじゃない?って、博士は一体どこに疑問を持ったんですか?」
「君が意識を取り戻したとき、周囲の反応はどうだった?君を発見し、その後君の監視任務に着いたケンゴ、同じく、君の発見に立ち会った副隊長、そしてその報告を受け、君が意識を失っている間面倒を見ていた隊長…彼らの反応はどうだった?彼らは君に"見覚えがある様子だったかい?"」
博士の言葉を聞き、目が覚めたあとの記憶がふと蘇り、ゾッとした。
「どういう…ことですか…?」
理解出来ていないわけではない、ただ、理解を拒んでしまう。
頭で分かっても心がそれに付いていかない。
「あの隊長も副隊長も、自分の部隊に所属している隊員のことは、一人残らず把握している。副隊長に至っては真面目一辺倒で、一度記憶したものは決して忘れないという…だけど、隊長の話では、彼女もケンゴも、君に見覚えがない様子だったという…ここで、ある仮説が浮上した…それは…」
「記憶を消されたのは、僕だけじゃない…」
博士の言葉を遮るようにして、僕がぽつりと呟くと、博士は少し驚いた表情を見せ、すぐにまた真剣な顔に戻る。
「まぁ、もっと言うならば、他者の記憶から、君の記憶だけが消されている可能性があるってことだ」
この仮説に、僕は少しだけ活路を見い出せたような気がしたが、博士の表情は、以前曇ったままだ。
「一人の人間の記憶が消えるならともかく、不特定多数の人間から一個人の記憶だけが消えるなんて事例は、魔法でも能力でも確認されていない…つまり、不可能に近いんだよ」
活路を見い出したどころか、逆に、謎が深まってしまった。
「おまたせいたしました〜こちら、ホットブレンドコーヒーと、クレム牛のビーフシチューでございま〜す、そして、こちらが、クレム牛のサイコロステーキでございま〜す、ご注文以上でお揃いでしょうか?」
頭を悩ませていると、ビーフシチューのほんのりとした甘酸っぱいような良い匂いと、鉄板に乗せられた肉が焼けるジューシーな音と共に、ウェイトレスの、気の抜けた緩く高い声が思考を遮る。
「あぁ、はい、どうも」
博士が軽く頷くと、ウェイトレスはにっこりと笑って、
「ごゆっくりどうぞ〜」
と、そのまま、そそさくさと去っていった。
楽しみにしていたはずの料理だったのに、今は何を食べても喉を通りそうにない。
「すまない、ボクとしたことが…自分の交友関係の狭さが恨めしいよ…まぁ、とはいえ、確証のないことだ、仮説は仮説に過ぎない、あまり気にしないでくれ。さぁ、食べようじゃないか!遠慮はいらないよ、この話はまた今度、今は忘れて食事を楽しむべきだよ」
博士に言われるまま、口にしたこのときのシチューの味は、なんだかとても苦いようで、とても味気なかった。
THE VIBRANT SKY 佐野亮太 @sano_158
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