願いを叶える代償に、何かを失う――そんなお話は多々あります。
けれど考えたことはありませんか?
そこにどんな力が作用し、誰が何がそのような結末を全うさせたのかを。
この物語は、ただ幸せと不幸せを等価交換した者達を描いたものではありません。
その奥に潜む『知ってはならない、知られることを望まない存在』について、切り込んでいます。
私達の心は渇いている。けれどそれを満たすには、別の何かの力を奪わねばならない。誰かから、何かから水を搾り取らねばならない。
我々は無意識の内に、自らの心だけでなく身勝手に生み出した存在を消費して生きているのかもしれません。
それらが知られようと働きかけないからといって、知ろうともせずに。
知るということは、無遠慮に詮索し土足で領域に踏み込むこととは異なります。
知られたいと願っていないのなら、放置して無視するのではなく、そっとしておこう。けれど彼らまで渇いてしまわぬよう、今自分にあるものに感謝し、自分の力で潤いを開拓して生きよう。
目が覚めるように鮮烈で、噛み締めるほどに苦みを伴った温もりが広がる味わい深いお話でした。
筆者の別作品「ルーシーは笑わず、ただ数える」に謎の巫女が出てくるのにこのキャラには作中触れないなぁと気になっていたら、こんな形で違う世界が広がっていたとは。。。
読んでいて、ルーシーと繋がると思わず声を上げてしまいました。
この筆者の遊び心が感じられる作品は個人的好きです。
増黒さんの描く作品は人の根本のような芯の食った問いかけが多くて共感し易く、考えさせられるものが多い。
現代に焦点をあてた今回の物語。
日本はこんなに豊かで、平和で、満ちたりているはずなのに、流れる人の心はいつも願い事ばかり。
「皆、渇いているわ」
咲耶がその台詞を吐くたび、読んでいる自分に問いかけられているような気がしてならない。
渇いている方、ぜひ読んでみて下さい。
願うばかり、癒しを求めるばかり、そして渇きばかりの、この現代——。
ネットから広がった、この話の舞台である藤代神社は『どんな願いでも叶う』と言われている。
絵馬に願いを書き込み、参詣を。
すると、ごくまれに、巫女がお守りをくれるという。
そして、そのお守りが、抜群に効くと言うのである。
——その巫女の名は、晴名 咲耶。
藤代神社の娘である彼女は、さらりと伸びた黒髪で、願いを聞くのであった。
そして、今日も花の香りを風に揺らす。
「よいお詣りでした」
鮮やかな描写に、揺れうごく風や香りが辺りを覆う。願いばかりの私たちは、どうしてこうなってしまったのだろう。
彼女の言葉に、読者は心を動かされる。願いは犠牲が、伴うと——。
とっても綺麗でした。ありがとうございます。