【崩落する街にて、配達の終わりに】



 ボロボロになったポストに、塵で黄ばんだ手紙を投函する。ポストの中から聞こえた乾いた音が、今日一日分の仕事の終わりを告げた。崩落する街、ホラックで配達人をする少女サイジェは、両腕を持ち上げて大きく伸びをした。

「よーし」

 一昔前までは多くの人が住まい、賑わいを見せていたホラックの人口は、今や当時の十分の一以下にまで落ち込み、衰退の一途を辿るばかり。街がゆっくりと勢いを失っていったのも、全て街が“崩れ”始めてからのことだった。

 街が、“崩れる“。ホラックを知らない者がそれを聞いても、首を傾げるだけだろう。しかしそれは言葉通りの意味で、比喩ではない事実。ある時から街は崩れ始めた。落ちる箇所は外側から、範囲や規模はまちまちで、崩落に予告はなく、毎度突如轟音を立てながら、街の周囲に広がる奈落の底へと落ちていく。今の街の広さは、崩落が始まる以前よりも、二回りも小さくなっていた。

 崩壊の理由は分からない。富を手にした人々への神の罰だと嘯く者もいれば、昔の街長が契約した悪魔の仕業だとのたまう者もいたし、ただ単に地質や地形の問題だと指摘する者もいた。何にせよ、今この街は一時の隆盛などが嘘のように、寂れ廃れていた。

「さてと、じゃあ戻りますか」

 空になったポシェットをぽんぽん叩いて、サイジェは壁に立てかけていた自転車にまたがった。塵で錆びたチェーンが軋む。塵とは、この街に舞う塵、街の一部“だった”ものだ。走行中に目に入るとひどく痛いので、防塵ゴーグルを忘れてはならない。ここは街の最西部。中央の郵便本局に戻って、局長に報告すれば、無事に退勤だ。

 重たいペダルを踏み込んで、徐々に速度を上げ、道を走った。

 削り削られ朽ちていく街に住まう人々は、変わり者ばかりだ。過去に彼らを熱狂させた賭け事は廃れ、群をなしていた賭場はすでに街から姿を消した。住む場所が狭まって、遊びすらも取り上げられ、それでもなお移住を選ばない彼らは、ホラックに住まうことの旨味を知っている。

「お、綺麗な夕日ー」

 自転車を漕ぎながら左手を見ると、登ってきた緩やかな坂の向こうに、降り落ちていく太陽の姿を見ることが出来た。嘘みたいに真っ赤な夕日が、砂っぽい色の世界に沈んでく。自分の顔や体が、橙色に染まるのがよく分かった。美しい景色だ、サイジェは「ラッキー」と満足そうに笑って、呑気に口笛を吹き始めた。カラカラと乾燥した音を鳴らしながら、自転車のタイヤが回転する。

 夕焼け以外にも、他にも面白いものがないものか、サイジェは落ち着きなく辺りを見渡しながら、自転車を漕ぎ始めた。きょろきょろしながら進んでいたから、彼女がそれを発見するのは難しくなかった。

「ん?」

 最西部から、中央部に差し掛かるあたりで、建物と建物の間の路地に、見慣れぬ人影があるのを見つけた。通りがかったのは一瞬だったが、なんとなく気になったので、自転車を止めて様子を見に行って見ることにした。ゴーグルを外し、視界を広げる。

 路地裏に顔を覗かせると、やはり人影がそこにあった。見間違いでなかったことにホッとして、サイジェは路地裏へとずんずん踏み込んだ。

「あの」

 サイジェよりも頭二つ分は背が高い、すらりとした体型の男……の後ろ姿。ツバメの尻尾のようなものが生えた黒い衣服をまとっている。この街で暮らして二十年になるが、これほど背の高い人は見たことがない。外から来た人かな、サイジェが体を揺らして様子を伺っていると、路地裏の男は、こちらの存在に気が付いた。

「あぁ、あぁ、いやいやどうも」

 振り向いた男の顔を見て、サイジェは言葉を失った。ニコニコとへらへらの中間にある笑顔を貼り付けた、やけに肌が青白い男の顔。覚える違和感の正体が掴めず、かける言葉を探すうちに、突然自分の中にあった違和感が急速に収集していくのを感じた。あまりにも奇妙な感覚に思わず閉口し、サイジェはまじまじと目の前の男の顔を見上げた。

 男は笑顔を崩さず、サイジェの変なものでも見るような目線から逃れるように、はたはたと手を広げて動かした。首を締める立派なネクタイも、彼の動きに合わせてふらふら揺れる。

「この路地で、何かが光っているのが見えまして……思わず拾いに来てしまった次第で」

 男の左手には、細かな鎖が握られていた。その先には、よく磨かれた銀色の笛がぶらぶらと宙を右へ左へふらついていた。サイジェは「あ」と声を上げ、男の持っていた銀の笛を指差した。見覚えのある笛だった。

「局長の笛だー!」

 サイジェの唯一の上司である郵便局長が「失くした」と言っていた笛だ。いつも首から提げていた局長お気に入りの品だったが、笛を失くしてからはひどく落ち込んでいた。

「あぁ、これは、あれか、貴女のお知り合いの落とし物なんだね」

 笛を受け取り「わぁー、ありがとうございます」とぺこぺこ頭を下げる。

「これもこの街のラッキーというやつ、かな。持ち主さんが見つかって、その笛も喜んでいることでしょう」

「これを失くして相当落ち込んでたので、持ち主も喜ぶと思います。――ところで、あなたは……ホラックの外から来たヒトですか?」

「えぇ、えぇ、そうですよ」

 男は快活に答えた。今や、最初に感じた彼の顔への違和感は跡形もなく消尽している。サイジェは「へぇ」と興味深げに頷いた。街外からの通行者と直に話す機会は滅多にないため、自然と好奇心が高まっていく。

「この街に来たのは初めて?」

「ん、あー、そうですね」

 男は手を出すと、路地裏の外を指した。外へ出ようという事なのだろう。サイジェはそれに従い、二人で並んで狭い路地裏を脱出した。

「じゃあ、いつからいつまで滞在を?」

「つい数時間前に来て、あと三日はいる予定で」

 サイジェは嬉しくなってまたこくこくと頷いた。何もない街に住んでいると、外から人が来ることがとても嬉しかった。嬉しさのついでに、聞いてみた。

「街が落ちる以外に何もないこんな街に、どうして来たんです?」

「今日で何人死ぬかな、と思いましてね」

「え?」

 彼が素知らぬ顔で当たり前のように答えた一言に、サイジェは再度固まった。

 ついさっき覚えた違和感が、不意にサイジェのもとへ再訪する。

 固まるサイジェの顔を見ながら、男は笑顔の上にもう一枚、にっこりとしたへらへら顔を貼り付けてみせた。偽物。

「大きく街が崩落すれば、たくさん人が死ぬなぁと言ったんです」

 寒気。

「何が――」

 そして、降りかかる轟音。

「うわぁっ?!」

 自分の悲鳴が聴こえて、自分の立っている地面が大きく震えていることに気付いた。立つことは出来るが、動けない。小刻みの振動と大きな震えが交互にサイジェの体をがくがく揺さぶった。それからまた轟音が響き、足の自由を奪う。膝をつきそうになるのをなんとかこらえながら、サイジェはいつの間にか閉じていた目を開いた。この轟音の原因を、サイジェは知っていた。

「街が……また落ちた!」

 二週間ぶりの崩落だ。しかも、今回の崩落はかなり大きい。振動からして、崩落した個所はそれほど遠くない。多分、西部のどこかだ。サイジェは唾を飲み込んだ。先ほどまで自分が配達していた地域だ。揺れは更に大きくなって、ついにサイジェはバランスを崩して前のめりに倒れこんだ。

 十数秒の後、ようやく揺れが収まった。

 体勢を立て直しすぐに気が付く。先ほどまですぐそこにいた男の姿が、見当たらない。

「あの人は……?」

 まるで崩落を先読みしていたかのような意味深な言葉。あの男の顔が、何故かよく思い出せないことにも気付かされる。思い出そうとしても、何かに邪魔をされて浮かんでこない。

 やにわに静かだった街が騒ぎ出す。崩落が起こったことで、家の中にいた人びとが外へと出てきた。サイジェは揺れで倒れた自転車を起こし、呆然とした表情のまま、男から受け取った銀の笛を握りしめた。

 そしてふと、前に聞いた噂を思い出した。

 この街に呪いをかけた悪魔が、今でも時折この街を訪れる――なんて、信じがたい噂を。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

街の切り取りを載せる短編集 四境 @something910

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ