街の切り取りを載せる短編集

四境

【眠らない街にて、男を探す】




「トルフカルトという男が、ここに泊まっていないか?」

「いいや、聞いたことないね。何か顔が分かるものは持ってないのか? 似顔絵とか」

「右の目に切り傷を受けた、背の高い男だ」

「やっぱ知らないな。それよか兄さん、アンタ、よそから来たんだろ? ノンレムに来た土産に一つ、どうだい」

「遠慮する」

 血走った目の男の悪態を背に、一部が腐った木造の扉を開けて外に出た。おかしな草を売り付けようとしているのは目に見えている。どうせここには二度と来ないのだから、相手にするだけ無駄だ。

 右腕の時計を確認すると、時刻は午後九時。しかし、外は真昼間のように明るく、その明るさは、むしろ眩しいとさえ言えるものだった。

 眠らない街、ノンレム。周囲を巨大なドームに包まれたこの街は、際限なく強力な白い光を発し続ける人口の太陽のもとに存在している。人工太陽は常にドームの頂点で輝き続け、昼も夜も関係なく歪な明るさを街民へ注ぐ。だから、“眠らない街”。ここに来て、既に三日が経とうとしていた。

 街を訪れた目的はトルフカルト、という男を探すため。

 次は向こうにある宿を当たってみるか。手でひさしを作って日差しを遮っていると、ぐいぐいと袖を引っ張られた。

「おじさん、リンゴはいカが」

 目線を落とすと、フードを深くまでかぶった子どもが俺を見上げて、気色悪い色合いのりんごを片手に持ち上げていた。フードの陰から覗く子どもの肌は白く、りんごを掴む手も老人のようにしわくちゃだ。その手に掴まれた、腐ったような色をしたりんごは、子どもが腕に提げたカゴの中にもごろごろ収まっていた。自分の眉間に深い皺が刻まれるのを感じる。

「結構だ」

 子どもの手を払うように服の袖を引っ張り、黙って歩き出す。

「呪われろ!」という子どもの声がしたが、ぶつけられた呪いの言葉の数を数えるのは、とうにやめていた。それでも自分の精神が摩耗していくのを感じずにはいられない。無視しろと自分に言い聞かせ、コンクリートの街並みを歩いた。

 遠くで男が叫ぶ声が聞こえた。それに呼応するように、近くの路地裏から目覚まし時計のようなけたたましい野犬の吠え声が上がる。通り過ぎる建物の扉や閉じきった窓は、地を震わせるような大袈裟な音楽の響きを吐き出し、反対側の酒場からは下品な笑い声と酒瓶が割れる音が飛んで来た。ここは地獄だ。歩いているだけで、驚くべき速さで不快指数が高まっていく。身体も精神も削り取られ、歩くたびに足取りが重くなる。

 この三日のうちに数度宿を取って休んだが、一度たりとも睡眠を取れていない。本物の空を隠した偽物の太陽が時間の感覚を狂わせ、狂った人々が巻き起こす爆音が睡眠を許さず、そして何より、一刻も早くトルフカルトを見つけ出さなければならないという焦りがある。目を閉じ耳を塞いでも、脳は「眠る」という選択肢を選ぼうとせず、目は冴え耳は音を拾った。そしてまた、眠らずにあの男を探す羽目になるのだ。

間違いなくあの男、トルフカルトはこの街を訪れているはずだ。『その男なら、眠らない街で会ったよ』、ノンレムに至るまでの街道で得た情報を信じなければ、トルフカルトを追うための手がかりは消失することになる。だがこの三日間あちこちを歩き回り、痕跡の一つも手に入らないのは、明らかに異常だった。奴の情報を俺に与えたあの老婆は、俺に嘘をついたのか? あの老婆はトルフカルトのことを知っていた。奴がしでかしたことも、奴の身の上話も、あの老婆は知っていた。

「どこにいるんだ……」

 自分の口の前に、爪があることに気付いてハッとした。噛みかけた爪を口元から離し、そのまま自分の額に手を当てた。

 この街で三日。前の街では二日。その前の街では五日だったか。トルフカルトはどこにもいない。ようやく手が届くと思ったこのノンレムでも、奴の姿は見つからない。

 俺はドームの天辺の太陽を見上げた。白む偽塊。喉の奥から、笑い声が漏れる。

「なあ、トルフカルト」

 このままじゃ、お前の妹は殺人犯だ。

 俺の親父を殺した、殺人犯だ。

 このままじゃ、お前の妹は人殺しの罪で死罪だ。首を切って、殺される。

 なあ、トルフカルト。親父が死んだ日の晩に街を出たお前がしたことを、俺は全て知っている。

 自らの罪を妹に被せ、逃げおおせたつもりでいるんだろう?

 だが、そのままではいさせない。俺は、俺の愛する人を救わなきゃならない。

 俺の婚約者は、このままじゃ殺人犯の汚名を着せられて死んじまう。


 後ろから、声がかかった。


「おい、君」


 不意に、視界が霞む。身体の限界なのか、精神の限界なのか。

 振り向いて、俺に声をかけた奴に体を向けた。


「トルフカルトを探しているんだって?」




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