川は流れる(原著:水円 岳さん)

「やれやれ、やっと止んだか」

 文月にも突入して、名ばかり水無月の長雨がやっと終わったというのに、昨夜半から降り出した雨には辟易していたところだ。

 水かさが増すと大変なんだ。

 いつもの量だけでも面倒なのに、その倍以上だと制御するこっちの神経まで磨り減っちまう。

 こう言うと大抵、「何処の治水管理会社にお勤めですか?」と訊かれる。

 だが、私はそんな会社勤めはしちゃいない。

 私は人間の言葉だと「川の精霊」ってところか。ここの土地神様からこの不動川をあずかってから、かなりの時が過ぎている。

 だからか、私のことを「主」と呼ぶ輩も多い。だが、私は「不動川」そのものじゃない。あくまで川の管理者なんだ。

「……ん? あそこに見えるのはいつも川を観に来る御仁じゃないか。相変わらず物好きだねぇ」

 その物好きは写真機を手にして、こちらの方に向けてパシャパシャやっている。こんな川なんざ撮って、何が楽しいんだか。

 不意に私の悪戯心に火が付いた。

「——それっ!」

 指をくるりと動かすと、物好きの身体も傾いた。

 パシャリ、とした音に合わせて指を戻す。

 今度は物好きの首が傾いでいた。

 大方、撮った画像が傾いていることを訝しんでいるんだろう。

 まぁ、私のちょっとした悪戯だ。大目に見てやってくれ。いつもいつも私の仕事ぶりを見てくれているのはアンタだけだからな。ちょっとばかり親近感が沸いたって奴だよ。

 そう、この物好きはずっと私を見ていた。

 梅雨時期や秋の長雨の頃は水かさの増した川で右往左往している私を撮り、夏の渇水の頃にはぐうたらしている私を撮っている。本人は気付いていないかもしれないが、あの物好きの写真には私の姿が必ず映っているはずだ。


 長い長い時間、私はこの川を管理してきた。

 若い頃はまだまだ管理する力も未熟だったから、辺りの人間たちにも大層な迷惑を掛けた。特にこの不動川は水面が周りの土地よりも高いから、ひとたび溢れれば辺り一面水浸しとなった。

 だがそれでも、人間たちはこの川われわれと共に生きてきてくれた。

 ……まぁ、今は私もそれなりの力があるから、易々と氾濫なんざぁさせるつもりもないがな。

 物好きのポケットが音を奏で、ごそごそやってたかと思うと顔に板を当てていた。ありゃ「ケータイ」って奴だろう。

 私にくるりと背を向け、物好きが何やらしゃべくりながら去って行く。

 ……さて、私も帰るとするか。

 私のねぐらはもっと上流にある。長年連れ添った奥が待っている。

 そのとき、上から流れてきた泡が弾けて消えた。

「——ちょっと宿六、お手数だけどまたあそこの店の『ギョーザ』買ってきてよ」

 泡から出てきたのは奥の声だ。この泡は私たちの「ケータイ」みたいなもんだ。

「……やれやれ、またかい」

 と、独りごちた。

 このところ、ウチの奥は「ギョーザ」とやらにひどくご執心なのだ。

「まったく……『川は流れる』からといって、人間の食い物にまで流されることもなかろうに……」

 私は人型に変化へんげする準備を始めた。


         (了)


オリジナル:

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885331595/episodes/1177354054885331629

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