リライト

死神の通告(原著:陽月さん)

 一人の男が柱の前に居た。

 帰宅ラッシュでごった返す駅の中で、ただ一人ぴくりとも動かずに立っていた。

 影を人型に切り抜いたような全身黒尽くめで、何かの置物かと勘違いする輩が居てもおかしくない。その所為か、誰一人男に気を止める者はいなかった。

 その男の前を、大股で通り過ぎた別の男——足早に改札に向かい、一瞬立ち止まる。無論、黒尽くめを見て止まった訳ではなく、その場で腕時計に目をやり、視線は続いて上を向く。電車の時間を確認しているようだった。

 視線を前に戻したときには、足は先程のように動き始めていた。

 最早ルーチンとなっている作業なのだろう。動きには無駄がない。すたすたと改札を通過するのも作業行程のようだった。

「……ほう」

 黒尽くめが呟いた。

 目を細め、先の男の後ろ姿を追う。彼は改札を過ぎてホームへの階段へ向かったようだった。

「桑原……真澄ですか。見えますね、死の影が」

 何とも物騒な呟きだ。

 内容もさることながら、無味乾燥で抑揚のない声。姿形に相応しく、聞く者が聞けば、背筋が凍りかねないような冷たさだった。

 おもむろに改札を過ぎた黒尽くめは、「桑原」と呼んだ男の後を追い始めた。

 こつこつこつ——

 人混みをモノともせず、メトロノームの如く刻まれる足音。正確かつ単調なリズムはその歩幅さえも等間隔であった。

「桑原真澄——」

 黒尽くめは再びその名前を口にする。

「——ダイニチ自動車営業二課勤務。……ふむ、セールスマンですか。その営業トークには定評があり、誰もが納得の内に契約を済ませている。……営業成績もトップ、ですか。……さぞかし、満ち足りた人生を過ごしていらっしゃるんでしょうな。これはいい魂に巡り会えた」

 何処で知ったのか、桑原の個人データを呟きながら、黒尽くめは次第に桑原の背中に追いついていく。

 次第にその口元が上擦っていくのが手に取るように分かった。

「桑原真澄さん」

 目標に追いついた黒尽くめが声を掛けた。

 しかし、「桑原」は動かない。

 当たり前と言えば当たり前かもしれない。大都市の帰宅ラッシュ時に、フルネームで呼ばれることなど早々ないだろう。

 それを見越しているのか、黒尽くめの口調は全くさっきと変わらなかった。

「桑原真澄さん」

 ここに来て、「桑原」呼ばれた男は黒尽くめに向き合うことになった。

 しかし、その表情は怪訝そうであった。

「……すみません、どちら様で?」

 桑原の問いかけに、黒尽くめが帽子を取る。現れた顔はやけに白く、唇はやけに赤かった。

「私は死神です。桑原真澄さん、あなたに死期を伝えに参りました」

 いきなりの申し出に、桑原は目を白黒させていた。

 てんで理解できない——そんな雰囲気がありありと分かる反応だ。

 困惑している桑原を無視するように、死神と名乗った黒尽くめは話を続ける。

「あなたの命は後24時間です。どうか良い最期の一日をお過ごしください」

 黒尽くめは帽子を手にして胸元に持ってくると、一礼する。俯いたその口角は上擦っていた。

 対する桑原は混乱が極まったか、ぽかんと口を開けたままだった。

 それではと、黒尽くめは帽子をかぶり、背を向ける——


「ちょっと待ってください!」

 別の方から声がした。

 去ろうとしていた黒尽くめがぴたりと止まりおもむろに振り返る。口を開き通しだった桑原までもが声の方を見た。

 そこには、もう一人の黒尽くめが居た。

 鏡を見ているかのような同じ姿。漆黒の出で立ちが二つ。

 しかし、よくよく見てみると、後から現れた黒尽くめの方が少し背が小さいようだ。

「……誰だ……貴様」

 先の黒尽くめが絞り出すように声を出した。

「それはこっちの台詞です——」

 後から来た黒尽くめが答える。

「——僕の客を取らないで下さい!」

「何だと?」

「何だと?、じゃないです! 僕はね、折角二週間前から目星を付けて、今日明日にはアポ取ろうとしてた矢先に、貴方が出てきたんじゃないですか!」

「何を馬鹿な——」

 二人の黒尽くめが言い争いを始め、桑原はそれを呆然と見ている。

 冷徹な二つの声が、次第に熱を帯びていく。初めは単なる罵詈雑言の投げ合いが次第に取っ組み合いの大喧嘩に発展していく。

 唖然としていた桑原であったが、二人の掛け合いを見ている内に次第に平時の状態に戻っていった。

 未だに続く争いを見る内に、桑原は内情を察していた。


 この二人が死神なのは間違いなさそうだった。これだけの喧噪にも関わらず、それを見ているのは自分だけ——他の人間は全く気付いていない。

 加えて、この二人が欲しいのは桑原の命——魂であり、それは死亡する二十四時間前に死の宣告をした死神が手に入れられるという。

 後から割り込んできた死神は桑原をずっと監視していたが、上司への連絡をしている隙に先の死神が現れて、桑原を掻っ攫ったらしいのだ。

 そして、彼等は別々の会社あるいは組織に属していて、そのシェア争いをしているようだった。やれ「こっちが先に唾付けた」だの、やれ「今期のノルマが」だの、何時でも聞いてそうな台詞がボロボロとこぼれている。

「……何処も似たようなもんだな」

 はぁ、と大きな溜息を吐いた桑原であったが、不意にしたり顔になった。

「……これもある意味、営業の一環かな?」


                 ◇


「ちょっと、お二人さん。不毛な争いは止めましょうよ——」

 つかみ合う二人の黒尽くめの間に、桑原が割って入る。

「——お二人が争う理由は分かりましたが……ある意味、主役とも言える私を抜いて話すのもどうかと思うんですよ」

 互いの襟首を掴んでいた黒尽くめが、二人同時に桑原に向く。

「確かに……」

「……一理ある」

 桑原がニヤリと笑う。

「そこで私から提案なんですが……今日明日とは言わずとも、私の最後をしっかり見届けてくれる方に、魂を差し上げるってのはどうでしょう。……昔から言うじゃないですか、『地獄の沙汰も金次第』って。これ以上はないってくらい満ち足りた状態で逝く魂の方が上質じゃないですか?」



オリジナル:

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885330674/episodes/1177354054885330681

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