姫騎士フィル(原著:やえくさん)

 川向こうの森から聞こえる狼らしき遠吠えが、夜空に映える銀盆を彩る。

 さやけし光が辺り一面降り注ぎ、昼間と見紛うほどの明るさが満ちていた。

「明るすぎだろ」

「如何にも。夜襲に注意せんといかんな」

 大層立派な屋敷を取り囲む高大な塀。その大仰すぎる門の前には二人の衛兵が槍を手にして立っていた。

 そこから三十メードほど離れた塀の曲がり角——

「フィル様っ。こういうの、ワクワクしますね」

 小さくはあるが、曲がり角の向こうの暗がりから少しピーキーな声が漏れた。

「静かになさい! ……それと、その呼び名は止めて、と何度も言っているであろう!」

 先の声よりも少し大きく響く声。

「何奴!」

 少し離れてはいるものの、こういった異変に気付かぬようでは衛兵の名折れである。

「にゃーん」

「ゴロゴロゴロ」

「……む、山猫の類いか」

 寸刻も訝しむことなく衛兵たちが持ち場に戻る。

 余りにもベタすぎる危険回避の方法ではあるが、この程度で騙せなければ主人公ヒロインを名乗る資格もない。

 ピーキーな声を出した方がモニカ。それより大きな声を出した方がフィルシアである。で、どちらが主人公ヒロインかと問われれば、フィルシアと返す。

 彼女はセレガウリア国第二王女であり、モニカはその部下である。

 その第二王女は、今は甲冑衣装ドレスメイルに身を包み、世に蔓延る悪党をする「仕置騎士しおきし」のフィルシリアと名乗っている。

 甲冑衣装ドレスメイルとは言うものの、古来より女主人公ヒロインの防具は露出度が高い物と相場は決まっている。その癖、防御力は全身をくまなく覆う男英雄ヒーローの伝説の防具と変わらない。

 フィルシアのまとう甲冑衣装ドレスメイルもご多分に漏れず、胸の谷間は妖しく強調され、腰のくびれは悩ましの曲線を描き、お尻の形も魅力的に映しだす。

 特筆すべきは胸元にあるハート型のあざだ。この痣がフィルシアをよりセクシーな仕置騎士に仕上げていた。

 更に目元を覆う揚羽蝶の面が浮き世離れを象徴していた。

「……あのー、いつも思うんですが、フィルシリア様は恥ずかしくないんですか?」

 至極真っ当なモニカの質問に、仕置騎士は無言の鉄鎚を下すのだった。


                 ◇


 今回の仕事は、市中に蔓延るご禁制の幻惑薬かどわかしの出何処を探ることだった。八方手を尽くして調べたところ、貴族のド・ウデモイ家が一枚噛んでいるのを突き止めたが、これが中々尻尾を出さない。

 業を煮やしたフィルシアが仕置騎士となって飛びだした——まではよかったが——


「なーにが『仕置騎士』だ。こんなエロい格好しやがって! 俺がお前に代わって、おしおきしてやるぅ!」

 鼻の下の伸びた髭面のデブが舐めるようにフィルシアの肢体を見ていた。

「寄るな! 汚らわしい!」

 強がるフィルシアであるが、縛られているので言葉での反撃が精一杯だ。

 屋敷に何とか忍び込んだフィルシアとモニカであったが、侵入を予見していたド・ウデモイ家の面々にあっさりと捕まってしまった。モニカは——というと、既に姿を消していた。

 こうしてフィルシアのみが地下の石牢に囚われの身となってしまったのだ。

「さてさて」

 こつこつと石畳を鳴らして姿を現したのは、赤と金と深緑のモールに飾られた服に身を包んだ男だ。何処の道化師かと見紛う格好なりだが、フィルシアには見覚えがあった。

「……ウデモイ……伯爵」

「ほう、私を見知っておるか。そうかそうか。……わしもそなたを知っておるぞ? 破廉恥な格好で男をたぶらかすドS騎士——」

「違う! 『仕置騎士』だ! ……て、訂正しろ!」

「——は、どっちでもいいわ! 大方、この幻惑薬かどわかし目当てできたんだろうが、そうはいかん。……何故なら、そなたはここで我らが慰み者になって死んでいくのだからな」

 ウデモイ伯爵は悪役定番、死亡フラグ満載の台詞を高笑いに載せた。

 ほーっほっほっ——と上向きの下卑た笑い顔がシルフィアに向いていく。その途中、視線が胸元のハートの痣に結ばれた。

「……ほほう、これはそそるのぅ」

 ウデモイ伯爵の手がフィルシアの胸に伸びた瞬間——

 ぼん、と爆ぜる音とともに白煙が辺り一面に立ち込める。

「……ったく、モニカ、遅い!」

「手こずっちゃいましたぁ」

 ぺろりと舌を出したモニカがフィルシアの鎖を解いていた。

「フィル様、首尾は?」

「上々! ……さ、逃げるわよ!」

 一寸先は真っ白——の石牢でてんやわんやのチャンバラ活劇をくぐり抜け、フィルシアとモニカはまんまと屋敷を脱出したのであった。


                ◇


 それから数日後——

 ウデモイ伯爵は脱税のとがを受け、セレガウリア国番所に拘束されることとなった。

 更に数日後、先の脱税に関する裁判が開かれた。

 威圧的な壇上には裁判官がウデモイを見下ろして座っている。

「被告ド・ウデモイ・ジャン伯爵。貴方には脱税の公訴事実が掛かっておりますが、これを認めますか?」

「……認めます」

 がくりと項垂れたウデモイであったが、その口元は笑みで歪んでいた。

 ——たかが脱税、追徴金を払えばそれでおしまい。払った分はまた幻惑薬かどわかしで稼げばいいだけのこと。

 そうほくそ笑んだウデモイ伯爵。

 しかし次の瞬間、いきなり背筋がぴーんと伸びた。

「さて、ウデモイ伯爵。貴方にはもう一つ……幻惑薬かどわかし製造販売の疑惑が掛かっておりますが——」

 一気に体中の毛穴が開いて、汗ばみさえ感じたウデモイであったが、それも一瞬であった。

 微笑さえ携え、落ち着き払った被告は、自信たっぷりに言い放つ。

「裁判官さま……それはあくまで噂でござりましょう? 確かに、私は脱税は致しましたが、そんなご禁制の幻惑薬かどわかしに手を出すなんて——」

「そうですか。しかし、私はフィルという仕置騎士から間違いない、と聞いたのですが……」

「裁判官さま、貴女のような聡明なお方があんな破廉恥極まりない女の言うことを——」

「おうおうおう!」

 威勢のいい声が法廷内に響く。

 ウデモイの言葉を遮って代わりに話を続けたのは、さっきまで事務的に議事を進めていた裁判官その人だった。

「破廉恥極まりないと申したか。だが、その破廉恥な女の胸元を、鼻の下伸ばして見ていたのはどこのハゲ頭だったかしら?」

「あ、貴女様は何を——」

 裁判官がその場にすっくと立ち上がる。

「あるときはセレガウリア国第二王女、またあるときは裁判官、そして——」

 裁判官は黒のローブをはだけると、大仰にはためかすように取り去った。

「……お、お、お……お前は!」

 これ以上はないと言うくらいに開いたウデモイの双眸には、ハートの痣が色っぽい魅惑の胸元が映っていた。

「——仕置騎士フィルってのも私のこと。……あのときは世話になったわね。本当は『強姦未遂』も付け加えてあげようかとも思ったけど、それは勘弁してあげる」

 ウデモイにウインクを投げかけたのは、裁判官=仕置騎士フィルシアであった。

「被告ド・ウデモイ・ジャン伯爵! その方、爵位剥奪財産没収の上、城下引き回しの刑に処す!」

「……ぐ、ぐぬぬ……何故だ、何故なんだぁ!」

「この者を引っ立てぃ!」

 フィルシアの言葉に、女性衛士がウデモイを両脇から抱えて退廷させる。

 法廷にはウデモイの怨嗟の声が残響していた。

「終わっちゃいましたねー」

 裏手からひょっこりと顔を出したのはモニカである。

「ええ、そうね。……でも、まだまだ悪事は減らない。これからも協力を頼むぞ、モニカ!」

「モチロンですよぉ!でも、その前に、フィル様?」

「あら、忘れてたわ——」

 クスッと笑ったフィルシアが人差し指を立てる。

「——これにて一件落着!」


              (了)


オリジナル:

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885339037/episodes/1177354054885339038

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