第5話 アナログ少年と放課後

 悶々としたまま放課後になった。

 って、モノローグを入れるとなんだかエロいことを考えていたみたいに見える。悶々って、そういう意味だっけ? 劣情を持て余す、みたいな意味になってしまうのだったら訂正しないといけない。

 あぁ。

 いやいや、そんなところを気にしている余裕は無かった。

 正直、昨日の生配信のことが忘れらない。雪ノ原月夜のことが気になってしょうがないし、その気になっている事こそがすでにタブーであるのだから、もう、僕の心はパニックだ。

 考えちゃいけない、と考えている時点ですでに考えてしまっている矛盾状態。

 いっそ記憶を消し去って欲しいくらいだ。


「こうなったら」


 いっそのこと、座禅を組もうか。

 アレって煩悩を排除して、心を無にする行為……だったはず。

 僕は椅子の上にあぐらのように足を組み、そのまま両手を合わせた。なんか、親指を合わせて輪を作るよりも手を合わせたほうがイイ気がしたのだ。

 雪ノ原月夜は仏というよりも神に近いのだから、手を合わせる。

 うん。

 これでいい。


「アナログが出家した……さすがアナログ……」

「いや、デジタルこそ出家しやすいんじゃないか? ゼロとイチしか無いんだったら、ゼロにしやすいだろう。悟りも簡単に開けそう」

「なるほど確かに」


 というクラスメイトの会話が聞こえてきた。

 お坊さんに対する酷い偏見だ。

 きっとお坊さん達は苦しい修行を経て悟りを開いているというのに、デジタルだと簡単に開けるなんて……まぁ、デジタルの存在が無になると思えば、そりゃ簡単か。イチにあるものを全てゼロにしてしまえば、それこそ記憶なんて簡単に消えてしまうだろう。

 存在すらもゼロになってしまえば、僕みたいに悩むことなく悟りも開けるに違いない。

 やっぱデジタルって凄いな。


「……」


 いやいや納得してどうするよ、僕!

 そもそも無になるんじゃなかったのか、僕!?

 余計なことばっかり考えてないか、僕ぅ!?


「……」


 さぁ、考えを捨てよ!

 心を無にしろ!

 雪ノ原月夜のことを考えるのをやめるんだ!


「――」


 ……無理だった。

 目を閉じれば、必ず彼女の顔が思い浮かんでしまう。そりゃそうだ。今までの日常を全て月夜さんのために捧げてきたと言っても過言じゃないくらいに、彼女のことをずっと考えてきた。

 いつだって月夜さんのことを思ってきたのだから……

 そう簡単に、彼女のことを無にするなんて出来ない。

 考えるな、と思ってしまう程に彼女のことを考えてしまう。

 思うな、と自分に言い聞かせるごとに、月夜さんのことを想ってしまう。


「アナログくん」


 だからこそ、思考から雪ノ原月夜を除外することなど不可能だ。


「おーい」


 今さら月夜さんを忘れることなんて出来ないように。


「ねぇねぇ~」


 今さら月夜さんへの思いを無かったことにするかのように。


「アーナーローグ、くーん」


 今さら――


「えい」

「うわぁ!?」


 ほっぺたをつねられたので僕はびっくりして目をあけた。と、同時に自分が座禅を組んでいたことを忘れており、尚且つ椅子から立とうとしたもんだからそのまま床へと倒れ落ちた。


「ぎゃあ!?」


 思いっきり背中から落ちてしまった……痛い。


「うわぁ! だ、だいじょうぶ……?」

「うん……大丈夫……いたたたた」


 雪ノ原月夜のことは忘れられなくて、自分が椅子の上で座禅を組んでいることを忘れてしまうとは……我ながら情けないというよりも、恐ろしい気がした。

 いや、これこそが座禅の効果ではないだろうか。

 無我の境地、というやつ。


「ごめんね、まさか倒れるとは思わなくて」

「いや、僕が悪いです……えっと……」


 僕のほっぺたをつねったのは、夏樹さんだった。

 相変わらず前髪が長くて、瞳を隠していたけれど……下から見上げる今の状況だと、彼女の表情がハッキリと見えた。

 やっぱり、可愛い……と、思う。

 ログネェ先輩とは全く別のベクトルだ。先輩を美しいと評するなら、夏樹さんはやっぱり可愛い、になる。堂々と表情をさらしているログネェ先輩に対して、夏樹さんは前髪で隠していた。それもまた反対となり、やっぱり別ベクトルだ。

 でも、可愛いのは間違いない。

 それこそ、テレビで見るアイドルと比べても遜色なかった。

 あ、いやいや、女性同士を比べるなんて、それはとても失礼なことだ。うん。ごめんなさい。比べる必要もなく、夏樹さんは可愛いし、ログネェ先輩は美人です。


「立てる?」


 夏樹さんが手を伸ばしてくれたので、僕はそれにつかまった。

 あ……女の子の手って、小さくて、ちょっぴり温かくて……男とは全然まったく別の生物なんだ……

 そんなことを思いながら、僕は立ち上がった。


「ありがとう。でも、どうして僕に」


 用事なんて無かったと思うけど……

 というのは、嘘だ。

 僕が目をそむけている現実だ。

 いや、そむけたかった事実という感じか。

 だって彼女も見ているはずなのだ。

 ログネェ先輩の、あの絵を。

 星のアクセサリーを、しっかりと見ているはずなのだから。

 だからこそ、彼女は僕に……話しかけるのは当たり前といえた。

 そう。

 知っているのは、三人だけなのだから。

 雪ノ原月夜の星のアクセサリー。

 それを生配信までに見ていたのは、僕と先輩と……

 夏樹さんだから。


「昨日、見た?」


 夏樹さんの声は、ホントに似ている。

 雪ノ原月夜に、そっくりで……

 彼女が、彼女こそが雪ノ原月夜じゃないのか……


『夏樹さんが、雪ノ原月夜じゃない?』


 そんな言葉を飲み込んで、僕は答えた。


「見た」


 なにを? なんて聞かなくても分かる。月夜さんの生配信に決まっている。

 だから僕は、素直に見たと答えた。

 見てないわけがないのだから。


「すっごい偶然だったよね!」


 夏樹さんは、興奮気味にそう言って僕に詰め寄った。


「え?」

「気付かなかったアナログくん! 星のアクセサリーだよ!」

「う、うん。気付いたよ……?」

「凄いよね、先輩の絵! だって、雪ノ原月夜と同じセンスなんだもん!」

「ど、どういうこと?」

「だって、月夜が考えていたことを先輩も考えたってことでしょ。雪でも月でもなく、星! しかもタイミングが同じだったから、私びっくりしちゃった!」


 わーい、という感じで夏樹さんは小さな両腕をいっぱいに広げた。それでも小さい感じがするので、小動物を連想してしまう。


「そ、それで夏樹さんはどう思ったの?」

「え? どういうこと?」

「ほら……もしかしてって思わなかった……?」


 雪ノ原月夜の中の人は――


「月夜の正体は先輩かも~って?」


 それそれ、と。

 僕は首が落ちそうな勢いで頭を縦に振った。

 というか、夏樹さんはタブーに対してあっけらかんと言ってみせる。なんというか、そこまで禁忌扱いをしていないようにも思えた。


「う~ん……アナログくんは、想像できる?」

「なにを?」

「あの先輩が雪ノ原月夜だ、って」


 今まで一生懸命に考えないようにしていたこと。考えないように、と考えていて、結局考えてしまっていたこと。

 それを聞かれて、僕は――改めて……いや、今はじめて正式に考えてみた。

 でも、それも一瞬だった。


「ぜんぜん有り得ないと思う」


 うん。

 あのログネェ先輩が雪ノ原月夜のわけがない!

 というか、そんな先輩とか見たくない!

 元気に両手を広げて、部屋の中を走り回っている先輩なんて、絶対に見たくない!


「でしょ」

「うん」


 言われてみれば……その通りだった。なんというか、ここまで自分が悩んでいたのがバカみたいな結論だけど、なんというか、いや、実質バカなんだろうな。僕は。


「でも、それじゃぁ夏樹さんが……」

「え、私?」


 星のアクセサリーは夏樹さんだって見てる。

 ログネェ先輩ではないとするのなら、候補は夏樹さんだけに絞られた。


「いくら声が似てるからって、私じゃないよアナログ君」


 そう言って、夏樹さんは笑った。


「それに、もしも私が雪ノ原月夜だったとしてもさ」

「……」

「昨日の放課後に見た絵を、生配信までの時間にモデリングするなんて不可能だよ」

「そ、そうなの?」


 正直いって、パソコンというか、そのモデリング? っていうのは超苦手分野なので……どれくらいで作れるのはぜんぜん分からない。

 星の形をしたパーツをゼロから作る時間は……想像できなかった。僕にとっては、きっと恐ろしく難しい作業であるように感じた。


「そうそう。それにさ、もしも私が雪ノ原月夜の中の人だったらさ。こうやってアナログくんにバレちゃうよ?」

「あ、そうか……そんなリスクを抱えるなんて」


 普通に考えれば、そんなバレるようなことをするはず無い。どう考えても、いわゆる身バレに繋がるのは、リスクでしかなかった。

 なによりログネェ先輩も、夏樹さんも、雪ノ原月夜とは正反対の位置にいる感じだ。なにより隠して活動していると考えれば、そんな危険なことをするはずがない。


「な。なーんだ……」


 ようやく息を吐けた気がした。胸につっかえていた大きな塊が、口からゴロンと転がり出した気がする。

 まるでとんでもない爆弾を抱え込んでしまったかのように思っていたけど、それは全て気のせいだったわけだ。


「はぁ~」


 なにより考えればすぐに分かったこと。

 偶然の一致。

 そうじゃないとするならば、むしろ説明がつかないこと。

 雪ノ原月夜がワザと自分の正体をバラそうとしていない限り、そんなリスクを負うようなことはするはずがない。

 そんな無意味で危険なことを、するはずなんて無いのだ。


「良かった」


 ため息というか、なにか体の中にうずまいていた負の感情みたいなものを盛大に吐き出しながら、僕は再び椅子に座ろうとしたのだが――


「ッ!?」


 椅子があると思っていたところに椅子がなかった。

 盛大に尻もちをつきつつ、後ろへとひっくり返ってしまう。


「わっ! あ、ちょ! えええええ!?」


 夏樹さんが大声で驚く。手を伸ばすけれど、もちろん間に合うはずもない。ましてや、間に合ったとして、彼女が僕の体重を支えられるとも思えないので、届かなくて正解だったとも言える。


「うぎゃぁ!」


 という情けない悲鳴と共に、僕は再び床に倒れた。


「ふ、ふふ、ははは、あはははは!」


 そんな僕を見て、夏樹さんは笑い出した。

 ただ笑い出したんじゃなくて、お腹を抱えて笑う。

 そこまで笑うことないじゃないか、とも思うが……どう考えても面白い状況だったので仕方がない。仮に夏樹さんが同じように転んだとしても、僕は笑っていただろう。

 あ、いや、夏樹さんの場合はスカートの中が見えちゃう可能性もあるので笑っていられない。背中を向けないといけないので、笑えないと思う。

 うん。


「だいじょうぶ? アナログくん」

「はい」


 もう一度、彼女の手をとって起き上がった。一日に二回も女の子の手を握れるとは思わなかったな。いい日なのか悪い日なのか、こうなっては良く分からない。


「今日は朝からず~っとボーっとしてたから気になって」

「う……ずっと月夜さんのことを考えてて」

「中の人?」

「うん」


 あはは、と夏樹さんは笑う。


「ぜったい先輩のアクセサリーのことだなぁ~って思ったもん。きっと正体が先輩だったらどうしようって悩んでたでしょ」


 夏樹さんかもしれない、と思ったことは黙っておくことにした。

 まぁ、これ以上はバカにされたくない、という自己防衛でもあるかもしれない。

 うん。

 そういうことにしておいてください。自分が情けないです。はい。


「中の人はタブーだから。もしも知ってしまったとしても、気付かないフリをするっていうのがマナーだから。でも……」

「自信ないよね。知っちゃったら」


 さすが同じ月夜ファン『ゆきうさぎ』のひとり。

 ちなみに『ゆきうさぎ』とは、ファンやリスナーの呼称である。Vチューバー界隈では、ファンたちにも固有の名前が付けられることが多く、雪ノ原月夜もそのひとりだ。

 月夜さんがファンを呼ぶときは『ゆきうさぎ』や『うさぎさん』と呼んだりする。


「夏樹さんでも、そう思う?」

「うんうん。サインとか欲しいって思っちゃうけど、絶対に近づけないでしょ。でも、近づきたい。でもでもマナーだから、ダメ。って、なるからファンをやめちゃうかも」

「……そうか。そうなるのか」

「あ、絶対にそうしなきゃいけないわけじゃないと思うよ。それぞれだと思うから、アナログくんはファンのままでいてね」

「僕はいいの?」


 どういうことだろう?


「だって、そこまで月夜好きをみんなに公言してるんだもん。もしも、それが無くなったらさみしいよ?」

「さみしい? 夏樹さんが?」


 僕の言葉に彼女はうなづいた。


「だって、私も雪ノ原月夜のファンだから。同じファン同士だもの。聞いてて嬉しくて、いつ話しかけようか、ずっと迷ってた」


 夏樹さんは、ちょっぴり照れるようにそう語った。


「でも、勇気が出なくって。アナログくんみたいに、私も月夜のことを話したかった。そう思ってても、やっぱり勇気が出なくて。ずっともやもやしてたの」


 あ、それだ。

 悶々じゃなくて、もやもやが正解だった。うん。良かった。やっぱり間違ってるのが分かって良かった。


「僕ももやもやしてた」

「? えっと、それでね。偶然だけど、アナログくんにバレちゃって。それで、話し始めたらちゃんと口に出せて、ちゃんと話すことできて、とても嬉しかったの。普段は声も小さくなっちゃって、ちゃんと言いたいことも言えない私なんだけど。でもアナログくんとは、普通に話すことができたの!」


 興奮気味にそう言って夏樹さんは笑って、ハッと気付くようにほっぺたをおさえた。


「ご、ごめんなさい。告白みたいになっちゃった……」

「え!?」

「あ。違うからね。告白じゃないからね」

「うんうんうん。だ、だだ、大丈夫です、うん」


 あー。

 びっくりした。

 そうだよな、僕が告白されるわけないもんな。だって雪ノ原月夜が大好きだ、と公言しているような男子高校生を、普通に好きになる人なんていないもんな。

 それこそ夏樹さんのように。

 同じファンだからこそ、話し合える仲になれるような。

 そんな感じだ。


「あはは」

「うはは」


 僕たちは、ごまかすように笑った。

 ちょっとした気まずい空気を、僕も夏樹さんも笑ってごまかす。それは、今までそうやって生きてきた証のような感じで、あんまり推奨される行為じゃないけど。それでも、今はそれが救ってくれた気がする。


「帰ろっか」


 一通り笑って、一通りの話が済んで。

 語り合いたい言葉はあるけれど、なんだか一区切りついてしまった。

 そんなタイミングで、夏樹さんが誘ってくれた。


「あ、うん。え? 僕も?」

「あ~……ウワサとかされちゃうかな……」

「大丈夫、じゃないかなぁ……?」

「い、一緒に帰ってみる?」

「う、うん」


 僕と夏樹さんは……ちょっぴり、おっかなびっくりと。

 ふたりで一緒に教室を後にするのだった。

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気になるあの子がVチューバー!? 久我拓人 @kuga_takuto

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