第4話 アナログと次の日

「ほれ、そろそろ起きぃ」

「んが?」


 気づけば朝だった。いつの間に寝たっけ? そもそも昨日は考え事が頭の中をグルグルとまわっていて、いつ夕飯を食べたのか思い出せない。そもそも僕はベッドに入っていたのか。それすらも曖昧だった。


「まだ寝とるのかい」

「おばあちゃん?」

「お母さんに見えるかい?」

「ぜんぜん」


 おばあちゃんはケラケラと笑って時計を僕に見せた。どう考えても遅刻だ。というか、そもそもおばあちゃんが僕の部屋に入ってきてまで起こしに来るという緊急事態に気づくべきだった。


「うわぁ!?」

「朝ごはんはしっかり食べやぁ」


 正直に言うと食べている時間はない。でも、毎朝おばあちゃんが作ってくれるので、それを食べないで学校に行く、なんていう選択肢は存在しない。

 大急ぎで制服に着替えると味噌汁でごはんを流し込み歯磨きもしないで家を飛び出す。


「いってきます!」

「はいはい、元気でなにより」


 笑顔で見送ってくれるおばあちゃんに適度に感謝しつつ、僕は学校へと急いだ。どう考えても遅刻。しかし、頑張れば一時間目に間に合う。そんな絶妙な遅刻具合の自分を呪いつつ、高校へとたどりついた。


「ひぃひぃ」


 運動は得意じゃない。得意だったら部活に所属している。帰宅部バンザイ、と訳のわからないことを考えながら靴を履き替え、三階の教室まで駆け上がった。最後の体力をそこで使い果たし、ヘロヘロになりつつなんとか到着。


「遅れましたー!」


 スパーン、とドアを開いて、僕は教室に入った。


「おいこら。遅刻したんならもう少し遠慮気味に入って来い」


 担任の容赦ないツッコミにクラスメイトがドッと沸く。


「す、スイマセン……」


 僕は苦笑しつつ自分の席に移動する。その際に、チラリと窓際を見た。そこには、みんなと同じようにこちらを見る夏樹さんの姿があった。相変わらず前髪は長くて、その表情はあまり見えないけれど、口元に手を当てて笑っている。

 そうだ、思い出した。

 いや、忘れてなんかいない。

 ずっと頭の中にあって、忘れているわけがなかった。

 雪ノ原月夜の正体。

 それは、夏樹ひなたじゃないのか?


「はやく座れ。遅刻にするぞ」

「え、あ、はい。遅刻にはならないんですか?」

「してほしいのか?」

「スイマセンでしたー!」


 僕はそう叫ぶと一目散に席についた。また笑い声がクラスに起こる。そんな状態に、僕は自分でも笑いながら、ふは~、と息をはいた。

 なにせガクガクと足が震えている。本格的な運動不足だった。今日、体育の授業があったらなにもできないところだ。あぶないあぶない。


「朝のホームルームは終わるぞ。なにかある人はいるか? いないな。それじゃぁ今日も一日がんばるように」


 といって担任は教室から出て行く。一時間目までの軽い空白時間に、また教室は騒がしくなった。


「おまえは元気なんか暗いんか分からんな」


 なんていうクラスメイトのツッコミを受けつつ、僕はちらりと夏樹さんの姿をうかがう。彼女は、いつも通り……いや、僕は彼女のいつもなんて知らない。正直、目立たない、発言もしない、暗い、いるのかいないのか分からない。そんな夏樹さんは静かに教科書に目を落としていた。

 予習だろうか? それとも時間つぶしなだけだろうか? クラスメイトで、彼女に話しかけている人はいない。誰も、夏樹さんには関わっていなかった。

 ズキリ、と心が痛い。この痛みは、知っている。良く、知っていた。


「どうしたん、アナ君? 忘れ物?」


 隣に座っている青木さんが声をかけてきた。僕がぼ~っとしていると思ったんだろうか。


「いや、大丈夫。めっちゃ疲れただけ。ほら、起きてから一歩も歩いてないし。ずーっと走ってた!」


 腕をふって走るジェスチャー。


「あはは! そりゃ疲れるね。お腹すいてるん? なんか食べる?」

「いや、ちゃんと食べてきた。ごはんと味噌汁」

「食べてきたんかい!」


 周囲のクラスメイトたちがツッコミを入れてくれた。そして笑う。僕も笑う。そのうちに、心の痛みは消えていった。

 それでも、


「――」


 僕の頭の中には、相変わらず雪ノ原月夜のニューバージョンのアバターが、腕を広げてぶ~んと走り続けているのだった。

 そんなこんなで午前中の授業は半分ダラリと過ごし、休み時間もぐったりとしている状態だったが、お昼休みにはなんとか復活。みんなで購買に行ってパンを買い、それで済ました。


「……ちょっと先輩ん所いってくる」


 相変わらずだなぁ、と友人たちに言われながら三年生の教室へと移動した。高校三年、となると一年生が紛れ込むのはちょっと勇気がいる。その相手が高校一の美人となると尚更だ。

 しかし、臆することなく僕は進んだ。なにせもう慣れてしまったから。

 開いた窓からひょっこりと顔を出すと、相変わらずノートに鉛筆といったアナログスタイルの先輩がカロリーメイトを食べながら落書きをしていた。そろり、と近づくと先輩も気づいたらしく手を止める。ちょっと近くで近衛騎士団の連中が目を光らせたけど、まぁ大丈夫。それも慣れっこだ。


「どうした、アナログ少年。いつも元気な君が、無言で来るなんて珍しい」

「いや、僕はそんな叫びまわっているような人間じゃないですけど」

「ん~……」


 先輩は天井を見て考える。そして、そうだな、と一言。僕のイメージは妙な方向で固まっているようだ。まぁ、いいけど。


「先輩、昨日の放送……見ました?」

「なんだい? 雪ノ原月夜嬢のことかい? 残念ながら見ていない。君には申し訳ないが、昨日はちょっと用事があってね。生放送には間に合わなかったよ。アーカイブは上がっているかい?」


 アーカイブとは、生放送をあげた動画のことだ。Vチューバーによって形式は違うけれど、見やすいように編集したりカットしたりする人やまるまる三時間の動画をあげる人など、多種多様。


「いえ、たぶん……まだですね」


 僕はスマホで確認する。昨日の生放送のアーカイブは、まだ投稿されていなかった。


「アナログと呼ばれた君も、スマホを持っているんだねぇ」

「いや、先輩も持ってるじゃないですか」

「便利だし」

「いや、あ、はい」


 時々先輩が分からないけれど、まぁ、そういう人なんだろう。それがまた魅力的でもあるのか、人気は高い。けど、誰も近寄らないのは、近衛騎士団のせいなのか、はたまた。彼氏がいてもおかしくはないけれど、先輩の交友は主に女子生徒ばかり、らしい。


「それで、なにかあったのかい? あ、分かったぞ。君のコメントが拾われたんだろう。やったじゃないか、少年。君はついに、あの世界とつながったぞ」


 数千人がいっせいに話しかける中で、コメントが気づいてもらえるのは極一部。それこそ懸賞に応募して当たるかどうか、ぐらいの確率かもしれない。それは言いすぎか。でもまぁ、面白いコメントや彼女の気を引くコメントではないと、生放送でも気づいてもらえない。


「片思いだった君も、ついに認識されたのだな。おめでとう」

「いや……」


 そうじゃない。

 そうじゃなくって、


「先輩は――」


 雪ノ原月夜の正体を知っていますか?

 という質問を、僕は飲み込んだ。それはご法度だ。調べても誰も幸せになれないことであり、知ったとしても誰も幸せになれない。

 聞いてはいけない。聞いちゃいけない。

 でも……気になる。

 だから僕は、質問を変えた。


「先輩は、あのアクセサリーをどうやって考えたんですか?」


 髪を結う星。ツインテールである月夜さんの空色の髪は、新しく星で彩られた。


「ん? デザインの話かい?」

「はい」

「考えてもみたまえ、アナログ少年。雪ノ原月夜の名前を」

「名前?」


 そうだ、とログネェ先輩はうなづく。


「雪と月と夜。彼女の名前には、その三種類の要素がある。まぁ、原は置いておくとして、その三要素が彼女のビジュアルにあったかい?」

「あっ」


 言われてみれば、無い。


「あえて外したのかもしれないし、分からないけどね。それでも、せめてワンポイント欲しいと思ってね。雪の結晶か三日月かで迷ったんだが、それこそあえて星にしてみた。まぁ、そこが私の創作者として捻くれている部分かもしれない。もっとストレートにしたほうが読者に伝わるのは重々承知しているのだが、いやいや、私もまだまだ青い」

「青いんですか」

「ブルーだね、まったく」


 そう言って先輩は肩をすくめた。

 星のアクセサリー、星の意味は、あくまで『あえて』ということか。しかし、それは先輩の考えだ。先輩の考えと月夜さんの考えは『違う』かもしれない。

 雪ノ原月夜の正体が、ログネェ先輩じゃなければ。の、話だけど。


「難しい表情をしているな。なにかあったのかい?」

「……いえ」

「う~む。まぁいいけどな。しかし、ほどほどにしておきたまえよ、少年」

「なにがですか?」

「Vチューバーだよ。君は少々入れ込みすぎている。アレは二次元のアニメキャラよりも近く、三次元のアイドルよりも近い。でもね」


 でもね、とログネェ先輩は僕を見た。


「クラスメイトよりも遠いんだ。雪ノ原月夜は、アナログ少年の隣にいる人間よりも遠い場所にいる。さっき私が世界とつながったと表現したが、それぐらいに離れていることは確かだ」

「……はい」


 それは、分かっている。

 どんなに好きでも、僕は見ているだけだ。決して会話をしているわけではない。僕たちは、僕は、Vチューバーの独り言を聞いているに過ぎない。


「僕はガチ恋勢と違いますからね」

「なんだい、それ?」

「Vチューバーにガチで恋をしちゃってる人たちのことです。ガチ恋勢」


 なるほど、とログネェ先輩はケラケラと笑った。


「二次元に惚れるのとアイドルに本気になるのと同じなわけか。なまじ近いから勘違いをしやすいのかもしれないね。あははははは、それは果たしてどっちに恋をしてるんだろうか」

「どっち?」

「見た目を好きになっているのか、中の人を好きになっているのか。これは興味深いぞ、少年。第一印象は二次元だが、その性格は三次元だ。もちろん演技の可能性もあるがな。見た目で好きになっているのか、はたまた性格が好きになっているのか。未来的だな」


 SFだSF、と先輩は笑う。


「少年。君はアンドロイドと恋ができるかい?」

「アンドロイド……」


 僕は思わずスマホを見てしまうが、もちろんこれではない。アンドロイド……つまり、AIを搭載した人間みたいなロボットという意味だろう。


「……分かりません。ログネェ先輩はどうですか?」

「うむ、分からん。しかし、いい人だったら好きになってしまうかもしれないな」


 とログネェ先輩が言った。

 途端にザワつく周囲。どうやら僕たちの会話に聞き耳を立てていた先輩ガチ恋勢、つまり『近衛騎士団』の面々に衝撃が走ったようだ。

 ちょっと面白いので、刺激してみよう。


「へ~、先輩も恋するんですね。どんな人が好きなんですか?」


 教室の男子生徒が全員沈黙した。一言も聞き逃すまい、と聞き耳をかつてない程に立てる。そんな緊張感が伝わったのか、女子生徒も黙ってしまった。すごいぞ先輩。影響力抜群じゃないか。


「予定が無いな」

「はい?」


 僕は思わず疑問を声にしてしまった。先輩はそれっきり満足したように作業に戻ろうとするが、周囲の視線が僕に集まる。

 つまるところ、もっと聞き出せ、と。なので僕はうなづいた。分かりました、とうなづいた。


「せ、先輩。予定が無いってどういう意味っすか?」

「そのままの意味だよ、少年。人を好きになる予定はない」

「え~……もったいない。ログネェ先輩だったら、いつだって彼氏を作れるんじゃないですか?」


 いいぞ、少年! と、応援してくれる先輩方の波動を僕は受け取った。頑張ります、名も知らぬ先輩方!


「しかしなぁ……言ってはなんだが、デートとか遊んでる時間がもったいない。私は一刻でも漫画にたずさわっていたいのだ。あ、いや、君を否定しているわけではないから安心したまえ。日々の会話は重要だ。いつどこでアイデアが生まれるか、分からんからな」

「そ、それだったら尚更じゃないですか。彼氏と付き合っている瞬間に凄いアイデアが浮かぶかも。少女マンガみたいな」

「う~む、しかしなぁ」


 先輩は唇を尖らせて腕を組んだ。ちょっぴり迷っているようだ。

 押せ、押せ! という先輩方と近衛騎士団の心のウェーブを受け取り、僕は攻め続ける。


「お試しに誰かと遊んでみてはどうですか? あ、僕は月夜さんを応援しなきゃいけないので遠慮しますけど」


 我ながら素晴らしい予防線だ。見事なり少年よ、という先輩の声が僕を祝福してくれる。ありがとう! ありがとう先輩方!


「でもな~、う~む」


 先輩は悩んだ末に、ちょっとだけ鼻で笑った。そういう男女の仲をバカにしたのかな、とも思ったが、どうやら違ったらしい。

 鼻で笑ったのではなく、ちょっぴり息が漏れただけ。それは、想像の中で恥ずかしかったのだろうか、ログネェ先輩の頬が赤色に染まっていた。


「やっぱり恥ずかしいから、やめておくよ」


 な、なななな。

 なんだこの美人!?

 完璧か!?

 高嶺の花とか美人は冷たいとか、そんなの通り越して可愛さまで兼ね備えていた。

 そんな感動を覚えると同時に、近くにいた近衛騎士団メンバーが泣き出した。レア過ぎる光景を見て、感情の歯止めがぶっ壊れてしまったらしい。その他にも、教室から出て行く先輩や、机を仕切りに叩いている人まで。多種多様の壊れ方をしている。


「なので、私にはちょっと無理だな」


 あっはっは、と先輩が笑う中で、次々と死んでいく男子高校生。そこでチャイムが昼休みの終了を告げたのでその後、彼らがどうなったのかは知る由もなかった。

 ただ一言。


「ログネェ先輩すげぇ」


 すげぇ。

 笑顔で人を殺した。

 すげぇ……

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