第3話 アナログと雪ノ原月夜
「ただいま!」
家へと帰り着いた僕は、自分の部屋である二階へ向かって階段を駆け上がる。カバンを適当に床へと投げ捨て、制服の上着を脱ぎながらもパソコンの電源を入れた。
ブン、と感じる駆動の感覚。それが静電気なのか、はたまた気のせいなのか、僕には分からないけれど、冷却用のファンが回りだしてブイーンとなったところで安定した。
時間は……うん、まだ大丈夫!
時計を流し見しつつ、OSの立ち上がりを見届ける間もなく、僕は一階へとドタドタと駆け下りた。
「帰ってたの?」
「あ、うん。ちょ、ちょっとシャワーを」
騒がしい僕の足音を聞いてお母さんが声をかけてきた。だが、ノンビリと立ち止まって話をしている場合ではない。
「はいはい、今日は生放送だったわね」
理解のある母親で僕は幸せです!
「そう!」
と、一言だけ答えて僕はバスルームに突撃した。
なぜ、雪ノ原月夜の生放送前にシャワーを浴びるのか。そんな質問の答えは簡単だ。
清めである。
月夜さんの姿を見るには、制服姿では申し訳がない。だからといって、部屋着が豪華なわけがない。僕がスーツを持っていたならば、それに着替えているところだが、残念ながら持っていない。身なりの良い服っていうのは、学生において制服意外は存在しないようだ。
ざんねん!
と、嘆いて諦める僕ではない。
だからこそ、せめてシャワーを浴びて一日の汚れを落とし、綺麗な身で彼女の前に立ちたいのだ! いや座ってるし、前でもないんだけどね。でもまぁ、彼女はデジタルな存在。そりゃ中の人がいるくらいは理解している。けれども、バーチャルな存在なわけで、パソコンの画面に映っている姿こそが彼女の肉体とするならば、そのパソコンの前に座っている僕は、彼女の前に立っているも同然なのだ。
だから、体を洗う。彼女に失礼のないように、きっちり清潔にして、彼女との時間を過ごすのだ。
キモチワルイ、という笑うのならば、笑ってもいい。
でも、僕は彼女に……雪ノ原月夜に助けられたのだから。だからこそ、僕は月夜さんの前では、できることを何もかもやる。
僕からはお礼ができないけれど、だからファンのひとりとして全力で応援する。それだけだ。だから、笑われたっていいし、笑ってくれる人がいるだけでも、僕は変われたんだから。
「……ぶっは!」
なぜか息を止めていた。
盛大に息をして、呼吸を取り戻す。うん。こんなところで死んではいけない。というわけで、体を洗ってさっさと着替えて、自分の部屋へと戻ってきた。
パソコンはすでに立ち上がっているので、ネットブラウザを起動。ブックマークから動画サイトへと移動すると、真っ先に『雪ノ原月夜』の文字をクリックする。
一秒、も待たずに画面が切り替わった。そこには彼女が今まで投稿してきた数々の動画が並んでおり(でも歴戦のVチューバーに比べれば、まだまだ少ない!)その一番上に、本日予定しているライブページへのリンクが表示されていた。
僕は迷いなくクリック!
画面が変わり、上部に『準備中だよ~!』という文字と、雪ノ原月夜の公式絵が表示されている。
ちなみに、この絵は月夜さん自身がデザインして描いている。絵は上手いし、それを元に3Dモデルも作ったそうで、凄い女の子がいるんだな~、なんて思った。僕は絵も描けないしパソコンもネットや文章製作程度。プログラミングも苦手だし、まったく向いていないので、アナログ君というあだ名を襲名してしまったことにつながっている。
「ふぅ~」
間に合った、と僕は息を吐く。ちらりと時計を見れば、もうすぐ開始の時間だ。遅刻なんかしたら最悪だし、今から二時間ぐらいはトイレも我慢! 今か今かと生放送の開始を待つ。
「来た!」
予定時刻になると同時に画面が切り替わった。いつも彼女がいる部屋が映し出される。
部屋といっても現実の部屋ではない。電脳空間というべきだろうか、バーチャルな四角い部屋が映し出された。
ちなみにVチューバーの中にはVR空間を用意している人もいて、生放送でリスナーといっしょに部屋の中で遊んだりしている人もいる。みんなでバーチャル積み木を高く積み上げよう、とか。もちろん、悪意ある邪魔が入ったりするのだが、それはそれで面白い。
雪ノ原月夜は残念ながらVR進出はしていない。インタビューによると実際の部屋とバーチャル部屋をリンクさせているらしい。まだまだ技術的な問題と予算の都合があるようで、VR空間は未定だそうだ。
「あれ?」
そんな部屋が写っており、リスナーのコメント欄が浮かぶように表示されているのだが、肝心の本人の姿が無い。
「遅刻?」
僕は疑問をコメントする。同じようにリスナーも遅刻を疑っているようだ。これもまぁ、時々ある。放送開始予約システムで、勝手に放送が開始するのだが、本人がまだ部屋にいない状態、というわけだ。
と、カメラの下からひょっこり月夜さんが現れた。
なんと顔のドアップ! ありがとう!
「ご、ごめんね! もうちょい待ってて! 待ってね! あははははは! 遅刻じゃないからね~!」
といって、またひょっこりと消えてしまった。
なんだなんだ、とリスナーたちが盛り上がる。リスナーの数はすぐに千人を越えた。う~む、新進気鋭なだけにファンも多い。月夜さんの元気は、みんなを笑顔にするのだ。わかるわかる。
『トイレじゃね?』『月夜なら、俺の隣で着替えてるよ』『心配だな、ちょっと覗いて、いや見てくるよ』
なんていうファン同士がコメントで遊んでいくが、僕は参加しない。いやまぁ、月夜さんと性的魅力みたいな視線で見ることは別にいいんだけど、なんていうかもっと、僕は純粋な感じで彼女のファンをやりたいわけで。
「いや、言い訳なんだけど」
と、つぶやいてみる。
さてさて、そんな風にコメント欄を見ながら待っていると、不意にバーチャル空間の中央に青いリングが現れた。
「おっ」
その演出は、彼女が『始めまして!』の動画で使われていた演出だ。まさかリアルタイムでもできるとは思っていなかった。
リングがほのかに光を放つとスポットライトのように青白い光が中央を照らす。そして、まるでブロックが構築されているように、雪ノ原月夜の姿が現れた。
「えっ――」
だけど、僕はそこで固まってしまった。パソコンがフリーズしたのではない。僕自身が、驚きのあまり、動けなくなってしまった。
いや、動く。顔は動いた。
その視線は、さっき額縁に入れて飾ったログネェ先輩の絵。
「なんで――」
右手の人差し指を頬に当て、ポーズを取っている雪ノ原月夜。その絵と同じポーズを、リアルタイム配信である月夜さんが取っていた。
「偶然じゃ――ない……?」
コメント欄が、かわいい、という言葉で流れていく。その中で、指摘されていることがあった。もちろん僕もそれに気づいた。だからこそ、そのポーズと相まってますます疑問が積み重なっていく。
「星のアクセサリー」
ツインテールを結うリボンが、変更されていた。新しく星の形をしたアクセサリーが付けられており、かわいらしさがアップしている。
でもそれは、先輩の絵とまったく同じデザインだ!?
「ど、どうなって!」
「みんな~、遅刻してごめん! 新しい月夜になってんだよ~。いやぁ、ちょっぴり遅刻しちった! まぁ、かわいいからいいよね! ほら、ポーズぽーず! いええええええい!」
またしても絵と同じポーズをとる雪ノ原月夜。
「それってろぐねぇせんぱいのえ」
と、打鍵したところで僕の手が止まる。
Vチューバーの中の人に迫るのはご法度だ。中の人などいない、みたいな話ではあるんだけど、そもそも個人を特定すると危険がつきまとうこともある。いわゆるストーカーみたいな話。
僕はそのままバックスペースを押した。ゆっくりと消えていく文字は次第に加速して全部消えてしまう。
でも、僕の疑問は消えない。
いや、むしろ増えていく。
「ログネェ先輩の絵は……偶然?」
偶然にも同じデザインで、偶然にも同じポーズを取った?
そんなバカな! そんな偶然があるんだったら、今ごろ僕は――
「僕は……なんだっていうんだ」
画面の中で月夜さんがはしゃいでいる。かわいい、と言われてニューバージョンになった自分の姿をいろいろと披露していた。ディティールがアップしているし、指先の爪まで表示されるようになった。
ますます可愛い。っていう感情を置き去りにして、僕の思考がぐるぐると脳内をまわる。
「雪ノ原月夜の正体は……ログネェ先輩?」
ログネェ先輩だとしたら、前々から絵を用意していた先輩だったら、実装できる。ポーズも取れるのも当たり前だし、なにより星のアクセサリーをデザインしていたんだから描けるのは当たり前だ。
「でも」
しかし、違う。違うはずだ。だって、ログネェ先輩は僕と同じ『アナログ派』。Vチューバーなんていう『デジタルの塊』には、手を出さないはず。
加えて、先輩は漫画家を目指しているのであって、イラストレーターではない。ましてや、二次創作的な活動は一切としてする気がなく、今回の絵は、それこそ僕は意地でももぎ取った特別な一枚だ。
それに、あえて言うのならば、もし先輩が雪ノ原月夜だったなら、こんな絵は描かない。わざわざ星のアクセサリーを付けたニューバージョンの絵は描かないし、なんならポーズだって取る必要はない。
「リスクだらけだ」
僕が、雪ノ原月夜の大ファンなのは明確だ。そんな僕に、正体を知らせて、いいことなんて、なにも、ない、はず……
「――でも偶然にしては」
納得ができない。
ひとつだけなら分かる。星のアクセサリーが追加されただけなら分かる。ポーズを取っただけなら、分かる。
でも、ふたつ同時にそれが実装されるのが、理解できない。
「やっぱり先輩が雪ノ原月夜?」
アナログだからこそ、手描きだからこそ、この絵をインターネットで見ることはできない。ましてや先輩は、それを嫌った。公開するなと言った。
このニューバージョンの雪ノ原月夜を知っているのは、僕と先輩だけ――
「違う」
もうひとりいた。
夏樹さん。
夏樹ひなたさん。
僕は、彼女に……絵を見せた。
「さっき遅刻したのは、星のアクセサリーを実装していた?」
疑問が自然と口に出た。
時間にして三十分ほど。僕には分からないけれど、もしかしたら帰宅してからさっきの間に追加したんじゃないだろうか。
「でも」
普段の夏樹さんから、雪ノ原月夜の要素は感じられない。あんな大人しくて静かで、今までクラスにいたのかも曖昧な目立たない女の子が、こんなに元気なVチューバーとは思えない。
今も、元気に笑いながらバーチャル空間を走り回ったり飛んだりしている。カメラに写った表情はアバターに変換されて、リアルタイムで口も動くので、月夜さんが本当に楽しそうに笑っているのが、見て取れる。
「……夏樹さん、なのか?」
彼女が持っていた限定版のUSBメモリ。もしも、夏樹さんが本人だというのなら、持っていても不思議ではない。むしろ、持っているのが当たり前だと思えた。
「あ、明日聞いてみ――」
だから、それはダメなのだ。
正体を探ってはいけない。
迷惑になる。
イイことなんて、ひとつもない!
「けど――」
知ってしまった。気づいてしまった。
だから、どうしようもない。だってこんなの、気づいてくれと言っているようなものじゃないか!
「ログネェ先輩なのか!?」
それとも――
「夏樹さんなのか!?」
画面の中で無邪気に遊ぶ雪ノ原月夜。その面影には、ふたりの影は欠片も存在しない。クールな先輩に大人しい夏樹さん。
ふたりとも、違っている。
でも、ふたりとも合っている。
「――――」
僕は生放送中、いや、夜になって無理やり寝てしまうまで、頭の中でグルグルと回り続けるログネェ先輩と夏樹ひなたさんと、そしてVチューバーである雪ノ原月夜を眺め続けるのだった。
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