弱き者よ汝の名は女なり(原著:花楽下 嘩喃さん)
「
彼女との待ち合わせは決まって新宿アルタの隣、AOKIとルノアールの前辺りだった。
ルノアールの磨り硝子では確認出来ない為、AOKIの硝子ケースに自身の姿を写し、性懲りも無く身嗜みを再度確認する。
いつもの癖。
これはあの頃と変わらない。
あの頃とは違って、黒髪の短髪。
恐らく、一見して俺だとは気付かないかも知れない。
それくらい、三年前とは印象が違う。
男子三日会わざれば刮目して見よ、と迄は云わないが、それくらい以前とは違う。
“髪型”ってものは、ちょっとの違いは分かりづらいが、大胆に変えてしまうと印象から何から全て別モノに化けさせてしまう。
それくらい、髪型ってものは重要だ。
もっとも、あの頃と今とで一番違うのは、“髪型”ではないのだけれど。
彼女を呼び出したのは、他でもない。
謝罪しなければならない、あの時の事を。
「――なんとなく…」
彼女との別れ
なんという歯切れの悪い酷い
別れを決断した苦悩、そこに至る迄の想い、悩ましい考え、伝えたい気持ち、沢山あった。
しかし、俺が選んだ言葉は――なんとなく――だった。
気位が高い彼女に俺の考えを伝えたら確実に、揉めに揉め、
口論をするにも至らない、呆れ果てた口実、それが必要だった。
少なくとも、あの時は。
彼女が悪いのではない。
全ては俺が悪い。
彼女は感受性が高く、見識豊かで
しかし、得てして“独善的”だった。
――彼女は俺に“運命”を見た。
俺は彼女の“姿”を見ていた――
彼女がそう云った訳ではないが、凡そ、
彼女は運命の歯車が合う事を欲し、俺はその歯車に合うよう併せた。
彼女は人形使い、俺はマリオネット。
あるいは、彼女は劇作家で、俺は演者だった。
彼女はよく云っていた。
――価値観。
価値観が同じ、価値観が近い、価値観の共有…
しかし、俺はこの価値観の近似や類似、あるいは、共通の価値観、というのが兎に角、嫌いだった。
両親祖母から兄弟、親友に至って迄、俺は誰とも価値観を共にしていない。
無論、好き嫌いや趣味嗜好に関しては似ている、同じと云う事はよくあったが、価値観なんてモノには興味がなかった。
そもそも、価値観がまるで一緒であったとしたら、俺自身は必要なのだろうか、そんな疑問さえ持っていた。
むしろ、価値観が違うからこそ、それを認め合う寛容さこそが人にとって重要だと、そう思っていた。
俺が求めたのは無償の愛であり、その前では価値観や運命は取るに足らない存在だった。
だからこそ、彼女の興味があるモノ、彼女が好きなコト、彼女が楽しいと思えるサマに共感し、共有し、同調し、一喜一憂した。
何故なら、彼女が嬉しそうにするその“姿”こそ、俺の好きな彼女でり、その為に俺はそうありたい、と願っていた。
俺は俺を犠牲にするのを
だが、無情にも時の流れは残酷。
あれ程迄、劇的で刺激的であった彼女は、俺を
鍵の掛かっていない鉄格子から見えるそのさまは、
彼女と過ごした3年間は、最初の3ヶ月という強烈な思い出と、残りの空白とが交錯し、俺を白痴に追い込んだ。
彼女の姿を思い浮かべようと思えば思う程、曖昧な記憶のみが蘇り、やがて、俺の中の彼女の顔は、のっぺらぼうになっていた。
『The custom is also important, but there is also something it’s better to break more than I protect in the inside.(習慣も大事だが、なかには守るより破ったほうがいいものもある)』
彼女の好きなウィリアム・シェイクスピア作の悲劇『ハムレット』の一節。
彼女の受け売りに過ぎない。
だから、俺自身、なんの感傷もない。
だが、どうだ。
この言葉。
本当にそうなのか?
しかし、俺はもう一つの語句で決心する。
『There is nothing either good or bad, but thinking makes it so.(物事によいも悪いもない。考え方によって良くも悪くもなる)』
――悲劇。
いや、ハムレットには遠く及ばない、ただの凡庸な男女の恋愛、悲恋にもならない下らない別れ話。
悲劇というにはお粗末な、第三者からすれば、むしろ喜劇。
だが、俺も彼女も、少なくともその時は、悲劇だったに違いない。
あれから3年の月日が流れた。
――謝罪。
あの、理不尽な別れの理由に決着をつける。
分かっている。
自分勝手だという事は。
あの時も、そして、この時も、俺は実に自分勝手。
だが、決着をつけなければならない。
それ程、俺は彼女を愛していた。
来てくれるだろうか?
恐らく彼女の事だ。
俺からの連絡と呼び出しに、『To be or not to be, that is the question.』とばかりに思い悩んでいるだろう。
それは復讐なのか、それとも生死なのか、彼女にしか分かるまい。
そもそも、俺はどちらを期待している?
いや、期待なんてしていない。
来てくれるにしても、来ないにしても、俺の中で区切りはついてしまう。
どちらにしても、答えは“そう”決まっている。
運命論を否定した俺が運命を受け入れるかのよう。
なんて残酷な仕打ち。
謝罪の名を借りた
まるで、主人公気取りだな、俺は。
薬指にはめた指輪は、まばゆいばかりの春の日差しを照り返し、硝子ケースに映し出された俺の瞳に光の
――彼女は俺に“運命”を見た。
俺は彼女の“姿”を見ていた――
――そして、今、
思い出は閉じ、明日を見つめる――
「さようなら、愛した人」
短編リライトの会参加用(自主企画:私ならこう書く、短編リライトの会) 武論斗 @marianoel
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