第7話 藤吉郎登場
同名の別人とは、とても思えなかった。
ほとんど本能的に、俺は察したのだ。
転生者の直感と言っても差し支えない。
間違いなく目の前の人物、藤吉郎は、秀吉なのだ!
藤吉郎は、父ちゃんと陽気に話し合っている……。
「さっきも言ったがよ、わしゃ那古野城の薪炭奉行の下で働いておる。それでわしゃの、城の薪炭の費えを、少しでも安くしようと思っておるのよ。たかが炭の費用といっても1年間、積もり積もれば馬鹿にならん。その経費を安くするために、動いておる。どうじゃろな。汝らの村は、炭を安く売ってはくれんかの? ちなみにふだんは、炭を1束いくらで商っておる?」
「手前どもは、炭1束につき60文で商っております」
父ちゃんは、藤吉郎と取引を成立させようとしている。
藤吉郎との縁が深くなっていく。どうなんだろう。歴史が変わったりしないだろうか。
シガル衆を撃退するのも、歴史が変わる可能性はあった。しかしそれは自己防衛のため、家族のため、村のためだった。だが実際に歴史上の人物が登場すると、冷や汗が出る……。
歴史というのは、些細なことで動いてしまう。
例えば俺が道端の木になっている柿をひとつ食ったとする。
そうしたら、その柿を本来食う予定だった旅人が餓死するかもしれない。
で、その旅人の遠い子孫が、のちの西郷隆盛だとか坂本龍馬だとか、そういう有名人だったとしたら――はい、これで歴史は変わりました。
わずかな動きが歴史を変える。
いわゆるバタフライエフェクト。
取るに足らない些末な行動ひとつでも、結果はみるみる変わってしまうものなんだ。
だからこそ、転生者の俺がここで秀吉に関わるのは、非常に危険なことだ。
変に歴史を変えたら、未来の日本にどんな影響が出るか分かったものじゃない。迂闊には動けないぞ。
だが、そんな俺の懸念など露知らず。
「なんとか、30文で譲ってはもらえんかのう?」
「半額は殺生です。 45文。これ以上は無理です」
父ちゃんと藤吉郎の交渉は、難航しているようだ。金額面で折り合いがつかないらしい。
「今後、那古野城の炭は全部大樹村から買うからよう、頼むでよ。な?」
「こちらとしても、そうしたいのですが、さすがに30文は!」
藤吉郎は懇願するが、父ちゃんも眉宇を険しくさせて首を振る。
……ううん、せっかく那古野城とパイプができたんだから、もっと.がりを深くして、今後も大樹村を栄えさせたい。
織田家がこれから伸びるのが分かっている俺としては、なおさらそう思う。そのためには、藤吉郎の言う値段で炭を提供すればいいんだけど。
いやいや。この人と関わると、歴史を変えてしまうかもしれないと思ったばかりじゃないか。
だけど父ちゃんの困り顔を見ていると、なんとかしたくなるな。村のためでもあるし。
ああ、もどかしい。村のため、父ちゃんのため。しかし未来が変わるかも――ううう……。
……ああもう、仕方がないな!
炭を秀吉に売るくらい、なんだ!
炭を60文で売りつつ、那古野城とも繋がりを保てればいいんだろ?
やってやる! 俺は心を決め、声をあげた。
「藤吉郎さま。俺は牛松の息子、弥五郎と申します」
「おう、息子どの。さまはよしてくれ。わしゃただの小者じゃぞ」
ぬ。そう言われても、のちの豊臣秀吉をさま付けしないのもなんだかなあ。
とはいえ本人がそう言うなら――
「藤吉郎さん」
と俺は呼んだ。
そして、
「炭の件ですが、俺に考えがあります。……炭の値段は60文のまま。しかし……普通の炭より倍以上、長く使える炭があるとしたら、どうですか?」
「倍以上、長く使える炭? そりゃ、そんなもんがあるなら、値は60文のままでもええが」
藤吉郎さんは、きょとんとした顔で言った。
その横で、父ちゃんは「ほう」と目を見張る。
伊与は瞳をまばたきさせ、母ちゃんは「これ、弥五郎」と声を出す。
だが俺は止まらない。
「なら、決まりです。……3日後。そう3日後の昼に、またこの加納でお会いしませんか。そのときに、長持ちする炭を持って参りますので!」
「これはこれは、大きく出たのう! わしゃそういう大言は大好きじゃ!」
藤吉郎さんは、嬉しそうに手を叩いた。
「よし、では3日後にまた来よう。どんな方法を見せてくれるのか、楽しみにしとるでよ!」
「弥五郎、いいのか? あんな約束をして」
伊与が言う。
母ちゃんも、眉をひそめた。
「そうだよ、長持ちする炭なんて言って。お前さんもなんとか言ってやってくださいな」
「ふむ。しかし弥五郎に、なにか考えがあるようだからな。そうなのだろう、弥五郎?」
「なにが考えですか。子供が那古野城の方に大口叩いて。母ちゃんは知らないよ、もう!」
母ちゃんは、いよいよ怒ってしまったようだ。
俺は困り顔で苦笑いを浮かべつつ、続けた。
「父ちゃん、母ちゃん。実は俺が作ろうとしているのは、炭団っていう道具なんだ」
それは木炭の粉に、布海苔などの海藻類を混ぜ固めて団子状にした、一種の固形燃料だ。
江戸時代に発明されたもので、売り出されると大ヒットした。火力は強くないが、一日中燃えて熱を発するため、火鉢やこたつなどで暖をとったり、調理をしたりするときなどに適していた。
「こいつを作ってみたらどうだろう。きっといけると思うんだ。いや、いける」
「なにがタドンだい。そんなの聞いたこともない。だいたいどうやって作るんだい?」
「さっき、市場で布海苔が売られているのを見たけど、1袋、6文だった。これを50袋買って、持っている炭と混ぜ合わせて乾燥させれば、炭団はできる。父ちゃんは、いま300文を持っているんだろ? だったら、布海苔50袋を買うことはできるさ」
「お前、いつの間に儂の持ち金を――あ、そうか。村にいるときに儂の帳簿を見せていたな」
「そういうこと。どうかな、父ちゃん。これなら炭を60文で売れる。布海苔の経費はかかるけれど、これから那古野城に定期的に炭を売ることができると思えば、安いものだと思うよ」
「お前さん、注意してやってくださいな。弥五郎は増長していますよ!」
母ちゃんは、あくまでも俺の行動を咎めてくるが、父ちゃんは黙って腕を組みつつ、
「弥五郎。……やってみろ」
「お前さん!?」
「お前は儂をしのぐ力を持っている。そんな気がする。シガル衆を撃退したとき、儂はお前に力を感じたのだ。心配するな。失敗したら儂が責任を取る。だから思う存分やってみろ」
「ああ、もう、お前さん……。相手は小者とはいえ織田家の方だというのに! お杉はもう、知りませんからね!? なにがタドンだい!」
「……弥五郎……」
父ちゃんは、俺を信用してくれる。その信頼がとても嬉うれしかった。
しかし母ちゃんはへそを曲げ、そんな両親の不和に伊与は困り顔を見せる。俺は頭をかいたが――
しかし勝算はあった。炭団を作れば、必ず藤吉郎さんに売れる。
あの人は秀吉だ。未来の道具を理解できるだけの見識をもっている。
いけるはずだ――炭団さえ作れば!
書籍版試し読み『戦国商人立志伝~転生したのでチートな武器提供や交易の儲けで成り上がる~』 須崎 正太郎/「L-エンタメ小説」/プライム書籍編集部 @prime-edi
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