第10話 カメラ(その二)

 ちぎるは、カメラのレンズが傷ついていることを察している。

 そこは付喪神、モノの状態を把握するのは得意中の得意だ。

 付喪ベビーを憑依させれば軽い傷や故障なら自然に治ることを強調する。

 廃棄したり、持ち主が亡くなるまでは、今まで通りに使用できることや、持ち主に迷惑がかからないことも説明したが、無料で直りますよとたたみかけた。

 自己紹介もそこそこにとにかく説明したのだ。


 「卑しいわね」と横で呟くすずりを無視して、女の子に熱弁を振るっている。


「ちょっといい加減にしなさい。その保険か訪問販売の営業みたいなトークをやめて、彼女の事情も聞かなきゃダメよ。焦らずに落ち着きなさい」


 ちぎるの服の袖を引っ張って、ついにすずりから大声で注意される。

 前向きな様子だった女の子もすずりの態度に驚き、ちぎるも口を閉じた。


「ねぇあなた。そのカメラのこと、今のあなたの気持ち、聞かせてくれないかしら?」


 熱くなっていたちぎると違い、落ち着いた声で語りかけるすずりに彼女は顔を向ける。

 そしてどんなにこのカメラを大事にしてきたか、つい不注意で傷つけてしまった事情と、修理にだせずにいる状況を悲しそうに説明した。


「そう。あなたがそのカメラをとても大切に思っているのは判ったわ。でも、ご両親の言うことももっともね。勉強のことじゃないわ。誰かの助けが無いと元通りに直せないのでは、あなたのモノとして……あなたもそのカメラも誇れないじゃない。それに、そのカメラが付喪神になるまでの間が不安ね。確かに付喪ベビーが憑依すると多少の傷や故障は直る。でも限度があるの」


「でも……」


「早く直して、あなたの楽しみを再び味わいたい気持ちは判るわ。でもね? 少しの間離れてみることも大切だと思うの。夢中になっているだけでは見えないものがきっとあるはず。どれほどカメラで切り取る世界が素敵なのか、カメラと共に過ごす時間がどれほど大切なのか、見直すきっかけになると思うの」


「……今しか見えないものもあるんじゃないですか?」


「そうかもしれない。時間は待ってくれないものね。だけど、だからこそ、あなたが触れられる時間と世界の素晴らしさが判るんじゃないかしら。カメラと少し離れている間に、あなたの中に湧き出た感情に触れられるのよ。それ、カメラと離れなければ得られないものでしょ? 離れている時間は、あなたにとってきっと貴重な時間になると私は思うわ。自分の力で修理しなさいな。私達はその後でもいいの」


「……」


「今日は帰るわね。三ヶ月後にまた来るわ。その時、あなたの気持ちを聞かせて貰いたい。そしてそのカメラを付喪神にしてもいいか教えてちょうだい」


 「はい」と小さな声で返事する彼女を置いて、すずりは、「え? え?」と戸惑うちぎるを連れて、彼女の部屋から消えた。


・・・・・

・・・


「……何であんなことを言ったのさ」


 スタスタと歩くすずりの後ろからちぎるは不満げに声をかけた。

 すずりは振り向かずに裏通りを歩く。

 

「せっかく上手くいきそうだったのに……」


 すずりは無視したままだった。

 これは聞く耳もっていないと判ったちぎるは、愚痴をこぼすこともやめ、ただすずりのあとを付いていく。

 どのくらい歩いただろうか、街外れを通る広い国道まで出た。

 国道沿いの歩道を、どこへ向かっているのかも判らないまま、ちぎるすずりを追い続けている。


 ――機嫌が悪いよな。でも、このままで別れると次に会うとき気まずいし……。


 すずりの機嫌がいつ直るかは判らない。

 でも、このまま別れることもできず、どうしようかとちぎるは考えていた。


「はぁ、やっと頭が冷えたわ」


 そう言ってすずりは振り返った。


「高天原に帰るかい?」

「帰るわよ。でもその前にちぎるには言っておかなくちゃならないことがあるわ」

「それはなんだい?」


 ここまでの様子を思い出すと、気持ちのよい話がくるとはちぎるには思えない。

 何を言われてもいいように気持ちの準備をする。


「あなたね? 誇りはないの? あんな……相手の弱みに付け込むようなことをして……」

「え? だけど、彼女にとっても利益のあることじゃないか」

「付喪神は便利屋じゃないのよ。修繕屋でもない。商人でもないの。判ってるの?」

「そんなことは判ってるさ」

「いえ、判っていないわ。判っているなら、彼女がまだ子供だってことに気付くはずよ」

「え?」


 ちぎるにはすずりが何に怒っているのか判らない。


「いいこと? 万年筆の持ち主も、カメオの持ち主も大人だった。モノを大切にする意味も取引きの意味も十分知っている大人のはず。だったらいいの。でも、彼女はまだ理解していない。大切なモノが付喪神になることを、壊れたカメラが直るとしか判っていない。それなのに……」

「……」

「私達は、あやかしじゃなく神らしくならなくちゃいけないのではなくって? だったら誇りを持たなきゃダメよ」

「……調子に乗って悪かったよ……」

ちぎる。あなたは、付喪神では珍しい……仕事に真面目に取り組むタイプなのは認めてる。素直だしね。私はあなたを認めてるのよ。だからさっきみたいなのは許せない。神らしくあろうとするなら、もっとしっかりしてちょうだい」

「ごめん」


 しゅんとして凹んでいるちぎるを見ておかしくなったのかすずりはクスクスと笑う。


「やっぱりすずりって凄いんだな」

「尊敬した?」

「うん、だいぶね」

「惚れた?」

「いや、そこまでは……」

「惚れてもいいのよ? でも、その時ははっきり言うのよ。わかった?」


 言いたいことを言い、ちぎるも判ってくれたと機嫌が直ったすずりは、いつものように澄ました感じではなく、屈託の無い笑みを浮かべていた。

 ちぎるは、すずりもこんな可愛い表情もするんだとちょっと驚く。


「ああ、その時はちゃんと言うよ」

「宜しい。では帰りましょ」

「あ、その前にもう一つ……」

「なぁに?」

「三ヶ月後、彼女に会いに行くのは行くんだよね?」

「ええ、行くわ。約束したんですもの」

「その時は付喪ベビーを憑依させる……つもりはあるのかい?」

「もう判ってるんでしょ? そうはならないわ」

「うん、彼女は当分の間、あのカメラを付喪神にしようとは考えないだろうね」

「そうよ。そしていつか、あのカメラではなく、違うカメラを手にしようと考えたとき、その時ね、付喪神にしてもいいと考えるのは……」

「ああ、僕もそう思うよ」


 彼女はきっと、使っている間についてしまった小さな傷も愛おしいと感じるだろうとちぎるは思った。使う以上は避けられないことも思い出にできないなら、モノへの持ち主の気持ちはたいしたものではない。

 そして、使って使って使い続けて、どうしても物足りなくなったとき、別のカメラを求めるだろう。

 その時、手の中にあるカメラをそのまま残しておきたいと考える。

 ちぎるはその時再び彼女のもとを訪れるのが良いと思った。

 その際はすずりも喜んでくれるのだろうとも思えた。


「さあ、他にないなら帰りましょう。今日は怒ってしまったから疲れたわ。これは貸しよ?」


 「うん、判った」とちぎるは答えて、すずりと一緒にまだ明るい歩道から消えた。

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