第6話 カメオ(その二)

 そのカメオを作ってくれたのは、昔の恋人なの……。


 ――カメオの持ち主は話し始めた。


 当時、彼は駆け出しの彫刻家で、私は女優を目指す、売れないモデルだった。


 二人とも夢だけは大きくてね。

 狭いアパートで一緒に暮らして、毎日、冴えない現実をいつか覆してみせると息巻いていたわ。

 そのカメオは、演劇の練習をしている私をスケッチして、いつか晴れ舞台にたった時のためにコツコツと作ってくれたものなの。


 あの頃は忙しくて大変だったけれど楽しかった。


 こういうのは若い頃なら誰でも何かで経験しているわよね。

 最近思うわ。

 夢があったり、何かに夢中になれる若い時代って、それはずっと消えない思いに変わるのね。

 きっとこれからもそうなんだわ。


 嫌なこともあったし、当時はそんなに素晴らしい生活だなんて思っていなかった。

 でも思い出に変わった今は、素敵だったって思ってしまう。

 こういうのは思い出補正って言われてるわね。

 そうなのかもしれない。

 でも私にとっては、いえ、過ぎ去った時代を思い出として受け入れることができた人にとっては、補正だろうとどうだろうとそれが真実なのよ。


 クスッ、そういえば、付喪神にも思い出補正ってあるのかしらね?


 ああ、ごめんね。

 話が逸れたわね。


 ある日、私にチャンスが巡ってきた。

 そこそこ売り上げのある雑誌のグラビアモデルとして使って貰えることになったの。

 彼も心から喜んでくれたし、私も夢が叶うかもって有頂天だった。

 その時ね、カメオをプレゼントしてくれのはね。

 仕事で使う機会はなかったけれど、やっと一人前として彼に認められたような気がしていた。


 でも、夢に近づけたかもと思えた話はそれだけでね、私に声がかかることはなくなったの。


 一方、彼の彫刻はTV企画の芸術賞を受賞して、世間に知られるようになったわ。

 彼のところには仕事の依頼が殺到したのよ。

 

 知ってるかしら?

 彫刻家の多くは彫刻だけでは生計をたてられないの。

 彫刻だけで食べていけるのはほんの一握り。

 

 ……彼はそのほんの一握りに入れた。

 私はとっても嬉しかった。

 でも、物凄く嫉妬もしていたの。


 そしてこう思ってしまった。

 グラビアモデルの仕事がきたとき、彼も私に嫉妬していたのかもって。

 

 そう考えた時から、優しくしてくれる彼の何もかもが疑わしくなって、終いには、彼は私を哀れんでるとさえ思ってしまったの。


 そんなことはない。

 彼はずっと優しかった。

 仕事が忙しくなる前も後もずっと変わっていない。

 それも判っていたのだけれど、でも、ダメね、判っているのに気持ちがついていかなかった。


 こんな気持ちのままでは、一緒には居られない。

 そう思って彼の所から飛び出した。


 その後、ホステスやって、パトロン見つけて、始めた商売もそこそこ上手くいって……郊外だけど私も一軒家を建てられるようにもなった。


 彼から逃げたとき、このカメオだけは持っていたの。

 成功した後、いろんなモノをプレゼントしてくれたけれど、それは全部置いてきた。

 でもこのブローチだけは手放せなかった。


 彼が私だけのために作ってくれたからというだけじゃない。

 私が私の夢に近づけた瞬間がこのカメオに詰まってる気がしていたの。

 プライドを持っていた時期。

 誰よりも私が優れているって思えていた時期。

 それがこのカメオに詰まっている気がしたのね。


・・・・・

・・・


 彼女の思い出話を聞いている間、ちぎるは神妙に、すずりはアクビこそしなかったがやや退屈そうにしていた。

 すずりの態度にクスリと笑いながら彼女は話していた。

 

 ――ありがちな退屈な話だと自分でも思っているのだろうな。


 ちぎるは、彼女の話に同情や共感を感じてはいなかった。

 ただ、話の中に、カメオを付喪神にするためのきっかけが何かないか探しながら聞いていたので退屈する暇などなかった。


「それでその恋人とどうしたいの?」


 すずりが唐突に訊く。


「今更、特に何もないわね」

「相変わらず、自分が可愛いだけなの?」


 彼女が気を悪くするのではと、ちぎるすずりの顔を睨む。

 だが、彼女は微笑んだまま。


「フフフ……昔の私がそう言われてたらムキになって否定していたでしょうね」

「今は否定しないの?」

「否定しても、納得しても嘘になるもの。私は彼から逃げただけだから……」

「そして今も逃げ続けているのね」


 ――おいおい、たたみかけることはないと思うんだよな。すずりはここに来た目的を忘れているんじゃないのか……。

 ちぎるの心配をよそに二人は会話を続けた。


「向き合っても、先ほど話した思い出しか出てこないわ」

「彼はまだ独身なんでしょ? そうでないなら、あなたが私達に思い出話なんてするわけはないわ」

「どうしてそう思うの?」


 わかりきったことをわざわざ言わせるの? と呟いてからすずりは続けた。


「あなたのカメオには、あなた自身が希望を持っていた時代だけが詰まっているんじゃないわ。

 彼のあなたへの愛も詰まっているんですもの。

 もし彼が結婚し、他の女性に愛を注いでいるのなら、プライドを失っていないあなたがそのカメオをずっと持っているはずはないわ。

 美しい過去として処理しているはず。

 カメオが付喪神になろうとどうでもいいと思っていたでしょうね」


 彼女は、すずりをマジマジと見たかと思うと、口に手を当てアッハッハッハと大笑いした。


「……ああ、可笑しい。そう言えば、姿は子供だけれど、あなた達って私よりずっと長く生きているのよね」

「私をばばあ扱いしたら許さないわよ」

「そんなことはしない。逆に子供として扱わないように戒めし直したの」

「それならいいわ」

「じゃあ、一つ訊くけれど、私はこれからどうしたらいいと思うの? 参考に訊かせてちょうだい」


 すずりは少しの間を置いてから口を開いた。


「彼と会って、彼の気持ちを確かめると同時に、あなた自身も覚悟を持てるか確かめるのね」

「覚悟?」

「そう覚悟。

 最近じゃ結婚には愛が必要という風潮だけれど、恋から夫婦愛や家族愛に繋がるかどうかも判らないのに、結婚の必要条件に愛情を持ってくるのは愚かよ。

 結婚に必要なのは絆を作り上げていく覚悟よ。

 それには少しの好意と、尊敬があればいい。

 尊敬できる相手かどうかはとにかく重要ね。

 絆を作ることができれば、一緒に暮らしていくのは難しくない。

 例え結婚しなくてもね」

「ありがとう。参考意見として大事にさせて貰うわ」


 ……すずりの話を聞き終えた彼女は、紅茶を淹れなおすわねと言って立った。


「おい、あまりズケズケと言うなよ」

「彼女が聞きたがったことよ。私は正直に話しただけ。何も問題はないわ」

「だけど、結婚とか男女間の話なんて個別に事情は異なるんだ。答えがあるわけじゃないだろう?」

「だから男は駄目なのよ。責任を持てないことを言うもんじゃないってんでしょ? 誰もが正しい答えを求めているわけじゃないの。視点を変えられる意見が欲しいだけのこともあるの。あなたの言ってることは、単に間違っていないだけの非生産的な回答よ」

「……ウッ……」

「彼女は私の意見が正しいかどうかなんて考えていない。そして今、紅茶を淹れなおしながら気持ちや考えを整理しているかもしれない。私はそのきっかけをあげた。それでいいのよ」


 すずりに反論できず悔しかったが、ちぎるは黙って彼女が戻るのを待っていた。

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