教室の獣(原著者:芥流水さん)

「ここです」


 へっぴり腰の校長が、背広姿の長身の男をその教室に案内した。


 代々祓い師をしている片桐宗家の総帥、片桐かたぎり揺錘ようすい。四十半ばくらいの中年の男だが、顔の彫りが深く、眼光が鋭く、表情に一分の隙も緩みもない。片桐は、鉢合わせた女子生徒が悲鳴を上げて逃げそうな威圧感を惜しみなく放射していた。


 片桐が校長に尋ねた。

 

「警察の調査は?」

「もう終わってます」

「それ以外の人の出入りは?」

「ありません。ずっと施錠してました。不気味で……」

「賢明ですね。亡くなったのは男子生徒二人ですか?」

「はい」

「大木くんと小林くん、か……」

「あ、あのっ! 片桐さん、どうしてそれを?」


 校長が激しくうろたえた。未解決事件なので、個人情報を部外者に決して漏らさないようにと警察から固く口止めされていたからだ。情報は、もちろん片桐にも伝えられていなかった。


 片桐は、教室を解錠しようとした校長を制して質問を投げかけた。


田上たがみ先生。あなたは幽霊の存在を信じますか?」

「は? 幽霊、ですか?」

「はい」

「うーん……」


 考え込んでしまった校長に、片桐が穏やかな笑みを向ける。


「幽霊なんてものは存在しませんよ。あるのは思念。それは作られてすぐ消えるものからずっと残るものまで、いろいろある」


 片桐が教室の中を指差した。


「亡くなったお二人の恐怖の思念。それは、まだくっきり残っているんです」


 残留思念を読み取った片桐の脳裏には、その時の光景がくっきりと浮かび上がっていた。


◇ ◇ ◇


 教室に漂う、鼻を突く異臭。死臭。

 それを嗅ぎ取ってすぐ、獣に食い殺された友人の死体を見つけた大木の恐怖は、あっという間に極大マックスに達しただろう。


 その時点では、大木はまだ加害者の情報を何も持っていなかった。そして、加害者は自らの存在を全く覚らせることなく大木を食い殺せたはずだ。しかし。獣はあえて自らの姿を誇示し、まるで猫が鼠をなぶるかのように大木を追い回した。


 それだけではない。獣は、二人が万死に価する不敬行動をしでかしたことを幻影として見せつけている。登山中、神を象った像に小便を引っかけ、それに飽き足らず倒して壊した、と。大木を食い殺す前に獣が言い放ったこと。


「愚かな人間よ。私は寛大故、謝罪の意があれば……」


 教室の中で起こった惨劇の一部始終は、大木の残留思念としてくっきり残されていたのだ。


◇ ◇ ◇


 教室内で何が起こったのかを校長に伝えた片桐は、やれやれという表情で教室内に入った。


手院打狼須ていんだろうすか。山犬の下等神だな」

「え?」

「ああ、教室には入らないでくださいね。やつがまだそこにいるので」

「ひいいっ」


 校長が、廊下でどすんと腰を抜かした。

 懐から符と短剣を出した片桐は、それをひょいと構えた。


「どれ、ポチ。遊んでやるからかかってこい」


 低いうなり声とともに、風のようなものが片桐に襲いかかったが、それは血しぶきとともに弾き飛ばされた。


「ぎゃん!」


 悲鳴。だが片桐は顔色一つ変えずに、符を次々机の上に置いてゆく。


「お……のれ」

「下等神の分際で、何が寛大、謝罪だ。馬鹿ものめ」

「がうっ!」


 飛びかかろうとしたのか飛び退すさろうとしたのか、それは分からない。だが、獣の力は片桐に全く届かなかった。符を次々置き足しながら、片桐が獣を教室の隅に追い込んでゆく。


「のう、下等神。お主も生臭なまぐさなら、お主を封じた僧も生臭よ。お主が滅するまできちんと供養せず、蓋だけをして立ち去った。だからこういう不始末になる。俺は、そんな情けはかけないからな」


 手元に残った符を懐に収めた片桐は、左手で印を結びながら右手の短刀を静かに上下した。片桐の数歩先の空間に鮮やかな紅線が幾筋も走る。苦悶の声がそこから漏れた。


「ぐ……あああっ……」

「すぐにくたばるなよ。ミリ単位でじっくり切り刻んでやるから」


◇ ◇ ◇


「あの、片桐さん」


 血溜まりの中に転がっている、ずたずたに切り刻まれた狼の死骸。校長が、それをこわごわ見下ろしている。


「なんですか?」

「ここまでしないとだめなんですか?」

「だめなんです」


 片桐は、足元の死骸を無造作に蹴った。


「思念を残すのは私たちだけじゃない。こいつらもそうなんですよ」

「あ……」

「こいつは、人間の恐怖を逆用することで自分が反撃を食らうリスクを下げてるんです。だから、あえて己の姿を見せつけ、余計なことを彼らに言い聞かせている。それは、本当に力を持った神ならば絶対にしないみみっちいことなんですよ」

「ええ」

「小林くんや大木くんが最後に残した思念は、『もうしません』です。自らが敗者、弱者であることを認めている限り、それがこいつへの敵対意識に結びつくことはありません。だから、残留思念が力に結びつく要素は生じない」

「それで、ですか」

「そう。こいつの最後の思念も同じにしてやれば、残った思念が悪用されることはなくなります。早く楽になりたいと思ったでしょうからね」



【 了 】


 原典 https://kakuyomu.jp/works/1177354054885334077/episodes/1177354054885334150

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