喫茶カテドラル(原著者:戸松秋茄子さん)

 喫茶店を父から引き継ぐことを決めた時、父に言い含められたことがある。喫茶店に静けさや安らぎ、落ち着きを求めて来るのは一見いちげんの客だけで、それは極めて少ない。大勢の客で賑わうカフェならともかく、路地裏の喫茶店にたむろするのは常連ばかりで、連中は自己主張しに来る。それをいかにさばくかが、喫茶店のマスターとして必要な素養になる、と。

 そもそも人付き合いの苦手な僕は、そういう俺々くんなんかとてもさばけそうになかったんだけど、店を継いでしまった以上はしょうがない。今日も、何か言いたくてしょうがなさそうな客を渋々店の中に入れ、洗い上がったコーヒーカップを黙々と拭いていた。


 がたん! 建て付けの悪いドアを鳴らして、喪服姿の男が二人店に入ってきた。あーあ、辛気臭い。縁起でもない。もちろん、そういう渋面を見せるわけにはいかないから、いらっしゃいませの言葉を立て看にしてカウンターに背を向ける。


 白髪頭の年配の男と二十代後半くらいの男。どちらも初見だ。表情は対照的で、白髪頭はいかにも我の強そうな表情をしている。若い男は意気消沈していて、見るからに覇気がない。まあ、いいや。注文を聞こう。


「何になさいますか」

「さて、何にしたもんかね」


 白髪頭が、若い男の肩を抱くようにして意向を確かめた。


「あんたはどうする」


 若い男は何も答えない。カウンターに目を落としたまま、顔を上げようとしない。


「まあいい。コーヒーを二杯だ。あんたもそれでいいだろ」


 若い男は黙ってうなずいた。


「コーヒーですね。かしこまりました」

「ちょっと待てや、あんたら」


 近くのボックス席からしわがれ声を上げたのは、常連の伊藤っていうじいさん。僕はこのじいさんが大の苦手だった。客はどこまでも神様だというのが信条で、おそろしく態度がでかい。父も、扱いにほとほと手を焼いていた。

 そしてじいさんの向かいには、サイモンという中年白人男性が座っている。彼もうちの常連だ。じいさんほど態度はでかくないが、うんざりするほど理屈っぽい。何かうんちくを垂れ流し始めると、自分が満足するまでそれをやめない。全くうっとうしいことこの上ない。


 伊藤は、でかい声で二人の客の注文にいちゃもんをつけた。


「喫茶店に来て、『コーヒー』なんて注文の仕方があるか」


 サイモンが偉そうに補足する。


「この人が言いたいのは。一口にコーヒーと言ってもいろいろあるってことです。ブレンドなのか、エスプレッソなのか、カプチーノなのか」


 白髪頭がむっとしたように言い返した。


「コーヒーはコーヒーだろう。ほら、マスターはちゃんと心得てるぜ」

 

 すでに豆を挽きはじめていた僕に向かって、顎をしゃくる。

 伊藤は、その態度が不愉快だったんだろう。だが同じ客の立場なら、直接文句は言えない。その切っ先が僕に向けられた。


「そこが二代目のダメなところだな。何か適当に出すつもりだったんだろう。先代は違ったぞ。コーヒーの味もわからん奴は来るなと、ぴしゃりと追い返したもんだ」


 いや、それは違う。父はそんなに横柄ではない。酔っ払いが騒いだ時に、追い払う言い訳に使っただけだよ。本当に厄介なじいさんだ。全く!


「でも、いまはこの人がマスターだ。そうだろ?」

「ええ」


 白髪頭の助太刀は嬉しいが、伊藤を怒らせると後がしんどい。僕はさらっと聞き流した。伊藤はふんと鼻を鳴らし、サイモン相手にぶつぶつ愚痴を零し始めた。しばらくそうしてくれ。

 極細に挽いた豆をエスプレッソマシンのバスケットに入れて均し、ダンパーで圧力をかけていく。挽き加減を考えて、三十秒ほどかけて専用のカップに抽出した。


「お待たせいたしました」


 確かに伊藤の言う通り、二人にとってはそれがコーヒーだろうが水だろうがかまわないんだろう。カップを若い男の前に押しやった白髪頭は、そのままコーヒーシュガーをざばざば自分のカップに放り込んだ。うぷ。


「ほら、あんたも飲めよ。少しは気が楽になるぜ」


 だが若い男は、目の前のカップを見下ろしたまま手を出そうとしない。何があったのか、確かめることにする。


「あの、どこか具合でも悪いんですか」

「ああ。と言っても、ここの問題なんだが」


 若い男の代わりに返事をした白髪頭が、胸をぽんと叩いた。


「困ったもんだ。これから自首するっていうのに」

「自首……ですか」

「ああ。こいつ、ちょいとばかし荒事を起こしちまってな。そうだろ」


 若い男の返事を促す。若い男が口を開く前に、伊藤ががなり立てた。


「ということは、あんたたち犯罪者か!」

「いんや、あいにくとこの人だけだ。俺はただの通りすがりだよ」

「お揃いの格好じゃないか!」

「たまたまさ」


 白髪頭が大きな溜息を漏らしながら、ゆっくり首を振った。


「俺は弟の葬儀の帰りだったんだ。そう言えば、あんたはなんだって喪服なんだ?」


 静かだが、きっぱりした詰問。若い男が黙したのを見て、白髪頭が答えを用意した。


「あんた。そいつも現場からくすねたんかい」


 若い男がうなずいた。


「二代目! 百十番だ。店の電話を貸してくれ!」

「これから自首するって言ってるだろう。心配しなさんな。俺がちゃんと付き添うから」

「お仲間の言うことなんか信じられるか!」


 サイモンが伊藤をたしなめる。


「あのう。もしふけるつもりなら、そもそも自分たちから犯罪を仄めかすようなことなんて言わないと思いますけど」

「黙っとれ! アメ公」

「だから、私はオーストラリア人ですって」


 伊藤とサイモンががちゃがちゃやりだすと厄介だ。僕は若い男に問いかけた。


「もしよろしければ、何をしたのか話してくれませんか」


 若い男は答えない。白髪頭が意向を確かめる。


「おい、この人たちに話していいか」


 すかさず伊藤が嘲った。


「罪の告白まで人任せとはいいご身分だな。え? 何をしたか知らんが、現場に魂でも置いてきたか」


 伊藤の扇動を無視して、白髪頭が事実確認を始める。若い男の告白は、もう別所で聞かされているんだろう。サイモンは、それがひどく奇妙なことに気付いている。伊藤は気付いていない。


「おまえさん、ある家に押し入ったんだ。そうだろ?」

「……殺した……俺が……あの子」

「人でなしが!」


 怒鳴った伊藤が憤然と席を立ち、カウンターに向かってくる。


「もう我慢ならん。ここでふんじばって近くの交番に突き出してやる!」

「落ち着けよ、じいさん」


 白髪頭は、両手を広げて右の男を守るように立ちはだかった。


「まだ何も話していないだろ?」


 それから後ろを向いて、若い男に確かめた。


「自分で話せるか?」


 右の男はうなずいた。


「あの子は……タミカは……じっと俺を見ていた。家に押し入った俺を、ただじっと。逃げず、騒ぎ立てず、黒目がちな、吸いこまれそうな目で俺を見てたんだ。俺はそれが恐ろしかった。だから、そう。手に持ったゴルフドライバーを振り下ろしたんだ。あの子の頭めがけて何度も何度も。最初の一撃で頭蓋骨が陥没して、砕け、脳漿が飛び散った。そう、俺はあのかわいそうな犬を……」


 伊藤が、呆れ顔で問い返した。


「ちょっと待て。犬なのか? あんたが殺したっていうのは」


 サイモンがいつもの偉そうな口調になる。


「犬だって生き物ですよ。動物愛護法違反と器物損壊罪に問われます。それに住居侵入の構成要件も満たしてそうですね」

「押し入ったって、なんでまたそんな」


 僕の疑問に、白髪頭が首を振る。


「それは俺もわからないんだ。話してくれなかったからな。わかってるのは、この人がその家に押し入って、一家を皆殺しにした後、犬の頭をゴルフドライバーで潰したってことだけ」

「やっぱり人殺しじゃないか!」

「殺人罪……強盗目的で二人以上なら極刑は免れない……」


 伊藤とサイモンが、いかにもな反応を見せる。


「おい二代目。今度こそ百十番だ! まったく、犬畜生にも劣るとはこのことだ。人様の命より犬コロの命を奪ったことを嘆いてやがる」


 サイモンが、怯えの混じった声で伊藤をたしなめた。


「伊藤さん。刺激しちゃダメだよ。今は借りて来た猫でも、とさかに来たら何をするかわからないよ」


 白髪頭が若い男の肩を抱いたまま、場を鎮める。


「あんたら、落ち着けよ。さっきから自首するって何度も言ってるだろ。なんならあんたたちに立ち会ってもらってもいいんだぜ」


 そこで、サイモンがぽつりと漏らした。


「でも……本当なんでしょうか。彼が、その……殺人をしでかしたなんて」


 全員の視線がサイモンに集まった。


「おいおい、こいつを疑うのか」


 白髪頭が、初めて怒りをむき出しにした。サイモンが冷静に見返す。


「あなたも彼から話を聞いただけでしょう。証拠がないじゃないですか。家族が襲われてるのに、犬が吠えも逃げもせずただ見てるだけっていうのも変ですよ。血の匂いに興奮しないはずがないし……」

「こいつは嘘を言ってない」

「どうしてわかるんです」


 白髪頭は、若い男の肩においていた手を自分の目頭に移すと、何度もこすった。


「公園で、俺の身の上話を聞いてくれたんだ。知らない男がいきなり話しかけてきたんだぜ。普通なら気味悪がって逃げるだろ」


 気圧されたように、サイモンが口をつぐんだ。


「この人は押し入った家の人たちを殺した。あと犬もな。間違いない。俺はそう信じてる」


 若い男は、短い告白以外はずっと口を閉ざしたままだ。エスプレッソにも口をつけない。


「エスプレッソは苦手でしたか?」

「困ったな。マスター、何かこいつに飲めそうなものを出してくれ」

「そう言われましても」

「頼むよ。娑婆とはこれでおさらばなんだ。そしたらもう一服なんてできないんだぜ」

「わかりました。少々お待ちいただけますか」


 僕はエスプレッソの入ったカップを下げ、若い男にココアを作ってサーブした。若い男は無言でココアを飲んだ後、白髪頭に伴われて店を後にした。ほどなくして、伊藤とサイモンも退店。無人になった店のカウンターの奥で飲み残されたエスプレッソをすすり、口の中に広がる苦みを噛みしめる。


◇ ◇ ◇


 人は、真実も嘘も口にする。そして、その二者は常に背反すると思い込んでいる。違うよ。嘘も真実も、その一部しか出さないってことが出来るんだ。だけど、真偽の見せ方を調整するのは思った以上に困難で、アクシデントがあるとどうしても地が出る。

 白髪頭と若い男の話に驚いた伊藤は反射的に行動し、実証主義のサイモンは情が絡んだ話になった途端に突っ込むのをやめた。二人とも、一連の騒動の間に自分の思考パターンを全く変化させていない。僕がこれまで二人に対して抱いてきた印象は、あのイベントの間に変化することはなかった。

 動静の狭間にあって自分のスタイルを首尾一貫させること。それは、自分の姿勢を演技で作っている者にはうまくこなせない。うまくこなせなかったのは、犯人と犯人に自主を勧める老人を演じた二人の劇団員さ。彼らは至るところでぼろを出した。それはしょうがない。シナリオを書いたのが僕だからね。


 でも、その出来の良し悪しとは関係なく、反応は見事に三つに割れた。


 どこまでも我を通した伊藤。途中で思考停止して放り出したサイモン。

 それはいつも通りだった。そして、いつも通りの反応に見えたやつが、もう一人いる。


 派手な騒動に一切耳を貸さず、奥のボックス席で聴力障がい者のように身動き一つしなかった中年の女。そいつは、伊藤とサイモンが退店すると同時に店を出た。いつも通りの能面のまま。だけど、それはものすごくおかしいんだよ。場違いな騒動で全員の感情が揺れた中、一人だけ平静を装い続けるっていうのは、ね。

 それは間違いなく破綻さ。言動や感情の調整に自信がなかったあんたは、それしか出来なかった。いつも通りのだんまりをやらかしてしまい、まんまと墓穴を掘ったんだ。


「特定は出来た。あとは……親父に毒を盛ったそいつに、毒をどう返してやるか、だな」



【 了 】


 原典 https://kakuyomu.jp/works/1177354054885331548/episodes/1177354054885337306

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